秩父〜武州日野〜贄川宿〜三峰口   約14Km

今日(12月23日)は、西武秩父駅から秩父鉄道の終点・三峰口まで歩く予定である。今日のコースは、時折姿を見せる荒川の流れ、どこからでも眺めることの出来る武甲山そして秩父甲州往還の街道と宿場跡などが見どころである。

池袋発7:30の西武鉄道レッドアロー号で西武秩父駅に着いたのは8:50頃だった。少し戻ることになるが、秩父夜祭のコースをたどって秩父神社に立ち寄ることにした。祭の日、熱気に包まれた本町通は静かだった。この辺りは、昔、秩父甲州往還の宿場町で一帯は大宮郷と呼ばれた。この通り沿いには今でも宿場時代を思わせるような古い建物も残っている。
秩父神社では正月に向けて飾り付けの準備をしており、鳥居の付近では松飾などを商う店が既に並んでいた。

秩父神社の前の道をまっすぐに西方向に進んでゆくと、荒川の流れにぶつかる。ここには、新しい秩父公園橋(通称ハープ橋)が架かっている。荒川の左岸には河岸段丘が迫り、右岸は広い平坦地で、秩父市街が広がっている。市街地の先には、怪異な姿をした武甲山が聳え立っている。現在の秩父市、横瀬町などの旧大宮郷一帯の人々が古くから神が住むとあがめてきた山だ。

山側をとおる県道は、車の通行も少ない静かな道である。荒川の流れに近いところを通っているので、橋の架かっているところでは橋の上から荒川の流れを眺めることが出来る。秩父ハープ橋の次は「さくら橋」。ここからはハープ橋の全景がよく見えた。新しい橋に並行して低い場所に古い橋も残されている。

さらに県道を進んでゆくと、途中に「江戸巡礼古道(久那みち)」の案内標識が立っていた。この道は、秩父34箇所の札所を巡る古い巡礼道だったのだ。秩父市内には、第何番札所何々寺という案内立札がよく見られる。知人に34箇所全部回ったという人がいたので、聞いてみたら車で回ったという。それはそれで大変なことだが、回るならやはり歩いて回りたいな。
さくら橋の次は巴川橋。赤いアーチ橋で、遠くから見ても大変よく目立つ。この橋の少し上流で荒川は大きく蛇行する。県道をしばらく歩くと、この巴川橋と荒川の蛇行の様子がよく見えるところに出る。

県道から武甲山がよく見える。横瀬方面から見る山を正面とすれば、この辺から見る山は側面の姿となるのだろうか。山肌は石灰岩の白さが目立つが、山頂付近の裏側は樹木に覆われている。武甲山は石灰岩地質に特有な植物の宝庫でもある。チチブイワザクラなど10数種類の希少植物があるという。石灰を採掘する会社では、20年程前から採掘地の希少植物を管理地に移し、保護する活動を続けているそうだが、山は一体どこまで崩されるのだろうか。
道はやがて久那橋を渡り、国道140号線に合流する。

久那橋を渡り、国道140号線に出るとすぐに「浦山口キャンプ場」の案内板があり、川辺に降りてゆける道がある。浦山川がここで荒川に合流し、浦山川沿いにちょっとしたキャンプ地ができている。季節はずれで、人の姿は見られなかった。この川はそれほど大きな川ではないが、上流に浦山ダムが平成10年11月に竣工している。

これから先は国道140号線を歩く。しばらくゆくと浦山ダムへの標識が見えてきた。後で地図をよく見ると、ここから浦山発電所まで往復2Kmくらいなので、ちょっと寄り道してみればよかった。国道をさらに歩いてゆくと、国道沿いに秩父鉄道の武州日野駅がある。ちょうど電車が到着し、お客が何人か降りてきた。

武州日野駅を過ぎて500mくらいで右に曲がる県道があり、すぐ先に日野鷺(さぎ)橋が架かっている。平成4年竣工の比較的新しい橋だ。橋の上から荒川と武甲山を眺めた。ここから見る武甲山は山の裏側になるのだろうが、こちら側から見ると樹木も多い。

国道の少し先に「道の駅荒川村」の大きな案内標識が出ていたので、それに従い左に曲がった。しかし歩いていってもそれらしいものが見えないので、元の道に戻った。自分では元の道に戻ったつもりだったのだが、どうも国道ではないようだ。同じような道なのだが、いくら歩いても荒川に架かる荒川橋に到達しない。この橋の下にはキャンプ地があり、そこで昼食にしようと思っていたのだが。
この道をそのまま進むと、やがて道の脇に「歴史の道 秩父甲州往還道」の標識が建っているのが見えた。国道140号線もこの往還道の跡のはずだが、今までこのような標識は見なかった。今歩いている道は、往還道の旧道が残された部分なのだろう。そう思ってみると、周囲の風景はなんとなく旧往還の面影が残っている。

その少し先に「県指定無形民俗文化財 白久の串人形芝居」の説明板が立っていた。幕末の頃、ここ白久(しらく)地区で現在に伝わる人形の操法が考案され、人形座が組織されたという。ここは、秩父鉄道の白久駅から近い。
やがて、道は二手に分かれる。まっすぐ行くと秩父鉄道の終点三峰口に通じ、右に曲がると平和橋で荒川を渡り国道140号線に合流する。旧往還道はもう少し上流を渡船で渡ったようだ。

贄川宿を後にし、白川橋を渡って秩父鉄道の終点・三峰口駅に向かう。白川橋の上からも武甲山がよく見えた。時刻は14時ごろになるが、実はまだ昼食を食べていない。途中、河原に降りられそうな場所を探しながら来たのだが、結局見つからなかった。仕方がないので、電車で武州日野まで行き、そこから荒川橋まで歩くことにした。
武州日野駅から荒川橋までは1kmくらいである。先ほどの旧道への分岐点を過ぎて少しゆけば荒川橋に着く。橋の少し先に「鈴加園」の大きな看板があり、そこから河原に下りることが出来る。ここも季節はずれで人影は見えないが、オートキャンプ場としてよく整備されている。到着したのは15時頃だった。河原は日が翳って少々寒いくらいだったが、ようやく昼食の弁当にありつけた。おなかもいっぱいになり改めて周りを眺めると、景色もなかなかよい。正面にやや小ぶりだが形のよい滝が流れ落ち、上を見上げると、二本の大きな荒川橋が人工的な美を見せる。この橋は橋桁のまったくない長スパンのアーチ橋である。二本のうちの古いほうは昭和4年に架設されたものだというから驚く。交通量の増大に応じてもう一本が後に併設された。

国道に出てしばらく行くと、「贄川(にえがわ)宿」への案内標識が出ていた。この標識に従って少し細い道を歩いて行ったのだが、一向にそれらしい集落が見えてこないので、国道に戻り、国道をまっすぐに行く。結局、国道で先に進み、戻る形で贄川宿跡に入ることが出来た。ここには大きな説明板が立ち、宿場の略図も載っているので、概略をつかむことが出来る。はじめからこの図があれば迷うことはなかったのだが。

「贄川(にえがわ)宿は大宮郷(秩父市)に次ぐ秩父甲州往還の宿場で、三峰社講中、諸国商人衆の定宿として江戸初期から賑わいを見せていた。また、宿の立地が上信や甲州への分岐点であったことや、物資の集散にも好都合であったため、六斎市や雛市も開かれた。・・・」(説明板より)

右の略図は説明板のものですが、上が秩父方面。旧往還は右上のほうから荒川を越え、宿場に入ってきます。下のほうの旧道が国道と合流する少し手前に大きな説明板が立っています。なお、家の表示は緑が旅籠、ピンクはその他商店等です。
荒川を歩く 11

通り沿いの古い建物。昔は宿場町だった

夜祭で熱気に包まれた本町通

橋上からの荒川の眺め(上流方向)

秩父公園橋(通称ハープ橋)

秩父市街と武甲山 (ハープ橋上より)

縮みゆく神話の山------武甲山
毎年12月3日に行われる秩父の夜祭は、武甲山に住む男神と秩父神社の女神が出会う日だといわれている。また、太古の昔、東征に出た日本武尊がこの山の姿を見て「怒れる鎧武者の如し」と感激、頂上に武具を奉納して勝利を祈願したために、この山の名前がついたという伝説もある。
だが、その秀麗な山容は見る影もない。大正時代に始まった石灰岩採掘のために、食べかけのチーズのように削られた山頂、山肌。かつて1336mだった頂上の標高は、1997年に1295.4mに変わった。採掘は今も続き、山は年々やせ細っている。
(「荒川新発見」より)

さくら橋 (並行して古い橋も残っている)

さくら橋から眺める荒川の流れとハープ橋

県道から眺める巴川橋と荒川蛇行の様子

この県道は「江戸巡礼古道」だという

久那橋

久那橋付近から武甲山を望む

浦山川 (川辺にキャンプ場がある

久那橋下流の荒川(浦山川合流地点)

秩父鉄道武州日野駅

国道140号線。浦山ダム標識付近

橋からの荒川と武甲山の眺め

日野鷺橋 (平成4年竣工)

旧往還道の周囲の様子

「歴史の道 秩父甲州往還道」の標識

平和橋より荒川上流を望む。昔の往還道は少し上流をを渡船で渡った

平和橋。この橋を渡ると国道140号線に合流する

河原から荒川橋を見上げる (川から道路まで50m以上ある)

荒川橋下のオートキャンプ場からの風景

   


河原での風景を楽しんだ後、武州日野駅に戻る。武州日野駅発15:54。西武秩父駅では16:25発のレッドアロー号に間に合った。