この辺りの荒川河川敷は、ゴルフ場銀座である。堤防の上を歩いていてもあちこちにゴルフ場が見える。私もゴルフをやっていた頃は、この辺のゴルフ場によく来たものだ。中でも、この大宮国際CCなどは6,7回来たのではないか。ゴルフをやめてから10年以上経つが、懐かしかった。ゴルフ場銀座を抜けると、また河川敷は広々とした農地が続き、右手には大きなごみの焼却場が見えてくる。土手の道は、サイクリングロードとして整備されている。
やがてサイクリングロードは土手を下り、河川敷を進むようになる。小学生くらいの子供をつれた家族が通り過ぎていった。今日は、日差しもそれほど強くなく、子供連れのサイクリングにはちょうどよい。遠くに小さく見えていた橋が近づいてきた。開平橋である。
開平橋の下をくぐって少し行くと、前方に店が見えてくる。川のすぐ近くにこのような店があるのは非常に珍しい。手打ちうどんの看板が立っている。飲料水の自動販売機もある。飲料水の予備がないようだったら、ぜひここで補給しておこう。店の前の駐車場から川岸に下りてゆく階段があり、水辺に立つことができる。幕末まで、ここは「平方(ひらかた)河岸」として栄えていたのだ。ここから少し上流の畦吉の渡場跡に説明版が立っているので、少し長いが引用しておこう。

「1629年(寛永6年)それまで現在の元荒川の流路をとっていた荒川は、関東郡代伊奈忠治により、熊谷市久下地区で和田吉野川、市ノ川筋に瀬替えされた。これに伴い、新しい流路に沿って江戸建米の運送を公許された船問屋の舟運業がはじめられ、河岸場が次々と設けられた。「新編武蔵風土記稿」に記載された荒川の河岸場は、武鼻(秩父市)、玉作(大里村)、高尾(北本市)、平方(上尾市)、羽倉(浦和市)、地蔵(同)の6ヶ所であるが、幕末には舟運はますます栄え、船問屋を中心とした河岸場は20ヶ所あまりもあったという。しかし、明治16年(1882年)高崎線の開通により次第に衰微していった。」
河岸場跡の対岸には、現在ではリバーサイド・フェニックス・ゴルフクラブが広がっている。ゴルフ場に渡る小さな橋は、西野橋である。この辺の土手の斜面には彼岸花が一面に咲いていた。やや花の時期を過ぎたようなものも見られたが、これだけかたまって咲いていると見ごたえがある。この土手の裏側の斜面にもたくさん咲いているので、お見逃しのないように。
道は、また堤防の上を行く。少し行くと「お休み処」の表示があり、階段を上ってゆくと小さな東屋と水のみ場があった。この辺は道に変化があって、歩くにしてもサイクリングにしてもなかなか楽しい。旅人への配慮も行き届いている。
やがて、「畔吉(あぜよし)の渡場跡」の説明板のあるところに出た。近くには牛たちがのんびりと草を食み、それらしいものは何も見えない。川辺に出る踏み跡があったので、水辺へ出てみる。ここには昔、平方と同じように河岸があり、対岸への渡しも行っていた。ここの渡しは大正末期まで続けられたという。
川沿いのサイクリングロードはさらに続く。川のすぐ近くを通っているので、川を見たくなったら少し叢を分けて川に近づけばよい。しばらく歩いてから時計を見たら、ちょうど12時頃だった。水辺に近づき、石に腰掛けて昼食をとることにした。この辺は荒川も少し川幅が広くなり、ゆったりと流れている。
食事も終わり、元気に歩き始める。少し先に細い舗装道路が直交している。これを左に曲がって少し行くと小さな橋がかけられている。樋詰橋である。水をかぶることを前提に作られた橋で、冠水橋という。道幅が狭いので、相互通行である。車を見かけたら、どちらかが橋の袂で相手の通過を待つ。荒川も上流域になると、橋と橋の間隔が長く、地元の人にとっては、このような橋が重宝なのだろう。これから先、荒川の上流にはこのような小さな橋がいくつもかけられている。
サイクリングロードは、川沿いの道からまた、川から離れた堤防上の道に移る。この辺からは上尾市から桶川市になるが、同じように道はよく整備されている。対岸の河川敷に軽飛行機がたくさん並んでいる。そういえば、先ほどから飛行機がよく飛び立っていた。ホンダエアポートがあるのだ。ライダーズパークもあり、バイクの爆音がうるさい。道はやがて泉福寺の森の中を通り過ぎる。森の中で銀杏が肩にあたった。よく見たら「頭上に注意」という看板が立っていた。あたってみて、ようやくその意味がわかった。

サイクリングロードはその先しばらく続き、やがてぷっつりと途切れてしまう。もしかしたらここが市境かもしれない。それでも草を踏みしめながら少し行くと広い農道に出ることができる。しかしそれも長く続かず、やがて車両進入禁止のロープが張られている場所に出る。歩行者ならいいのかと思って、ロープをまたいで進んで行ったが、途中で背の高い雑草に阻まれて歩行者も進めなくなるので引き返した。
近くに「つつが虫病に注意!」の立て札が立っていた。どうやら、この病気を避けるために草地への進入を禁止しているらしい。この先、北本市内のちょっとした草地には必ず同じ立て札が立っていた。ツツガムシ病は、一時減少していたが、昭和58年頃から発生数が増えているということで、北本市内でも発生が見られたのだろう。この立て札のある付近では不用意に草地に入るのはやめたほうが無難だ。仕方ないので、車の通る道に出て少し歩き再び河川敷に降りてゆく。

ツツガムシ病・・・病原体を持つツツガムシの幼虫に刺されると、約10日の潜伏期ののち、40度以上の高熱が出る。発疹チフスに似た症状で、抗生物質で治療する。
河川敷に出ると、前方に荒井橋が見えてきた。橋を通り過ぎると、再び川辺が近づいてきたので、水面の見えるところに出た。この辺は流れが速く、水量も多い。その少し上流に、冠水橋の高尾橋と原馬室橋が続けてかかっている。いずれも先ほどの樋詰橋と同じように相互交通の簡易橋だ。
川沿いの道を行くと、やがて太郎右衛門橋が見えてくる。この辺りには太郎右衛門河岸があったという。やがて、道は原山古墳群の説明板の立っている雑木林を通り過ぎる。
この辺りの河川敷には、広範囲に稲が実っている。ちょうど刈取り時期を迎えているようだ。近くの小さな稲田で大きなコンバインが刈取りをやっていた。近頃はあんなに大型の機械を使うんだ。やがて、赤い橋桁の御成橋が見えてきた。橋に登ってまっすぐに行き、左に曲がって少し行けば鴻巣駅に出ることができる。橋から駅まで約10分ほどである。今日の旅はここまで。鴻巣駅に着いたのは16時頃だった。

見どころなど

このコースは、いろいろと変化があって面白い。道もサイクリングロードとしてよく整備されており歩きやすく、また、途中に休憩所や飲み物の自動販売機などがあるのもうれしい。かつての河岸場の様子もなんとなくしのばれる。橋間隔が長いので、地元の人に利用される冠水橋がいくつも設置されていることも分かる。





原馬室橋
高尾橋
流れは速く水量が多い(荒井橋上流にて)
前方に荒井橋が見えてくる
御成橋と遊歩道(農道)
大型コンバイン活躍中
刈取り時期を迎えた稲田
「原山古墳群」の説明板のある雑木林
太郎右衛門橋。かつて太郎右衛門河岸があった
泉福寺境内を通過。落下する銀杏に注意
対岸にホンダエアポートがある
橋の周辺の様子
樋詰橋(冠水橋)
ゆったりとした流れを眺めながら昼食をとる
川沿いに続くサイクリングロード
畔吉の渡場のあった付近
畔吉の渡場跡付近でのんびり草を食む牛たち
荒川を見ながら歩ける
お休み処(水のみ場もある)
整備されたサイクリングロード
彼岸花のアップ
土手の斜面に咲く彼岸花
ゴルフ場へ荒川を渡る西野橋
平方河岸跡(後方は開平橋)
平方河岸跡にある「川岸屋」
開平橋が近づいた
サイクリングロードは土手を下り、河川敷を進む
上江橋(国道16号線)
郷愁を感じる川越線踏切
川越線指扇駅を出て、10分くらい歩けば堤防上の川越線踏切に着く。単線の電車の昔ながらの踏切はなんとなく郷愁を感じさせる。堤防上の散歩道を少し行くと、前方に上江橋が見えてくる。この橋は、国道16号線が通る大動脈である。
指扇駅〜上江橋〜開平橋〜太郎右衛門橋〜荒井橋〜御成橋〜鴻巣駅   約17Km
荒川を歩く 5

2004年9月18日と19日にわたって、指扇駅から熊谷駅まで荒川左岸を歩きました。19日は日差しも強く、30度を越える残暑の厳しい日でしたが、時折吹き抜ける風は涼しく、秋の到来が近いことを感じさせてくれました。10月になればコスモスなども見頃になり、すばらしい川辺の散歩道になるでしょう。

広々とした土手の道(サイクリングロード)
河川敷のゴルフ場(大宮国際CC)
迂回路を進んだのち再び川辺に下りる
かつての遊歩道?は進入禁止
サイクリングロードはここで途切れる