鉢形(東武東上線)〜さいたま川の博物館〜鉢形城跡〜玉淀〜寄居駅  
約6Km
 「荒川クリーンエイド2004」に参加した後、池袋から東武東上線に乗り鉢形駅に着いたのは13時半頃だった。今日はこれから「さいたま川の博物館」を見学し、その後鉢形城跡、玉淀と見て回り寄居駅から帰る予定である。


鉢形駅から川の博物館へは線路に沿って少し戻り、案内標識の出ているところで左に曲がればすぐである。駅から歩いて15分くらい、この道順で歩くと博物館の裏門に出る。門を入ってすぐ大きな水車が回っているのが目につく。この博物館のシンボルともいえる木製の大水車である。
博物館のシンボル、巨大な水車
「さいたま川の博物館」入口
裏門から入ってすぐのところに、実際に秩父地方で使われていた水車が二つ回っている。一つは東秩父で使われたいた精米用の比較的単純な水車。もう一つは皆野町で使われていたやや大型で複雑な仕掛けのコンニャク水車である。小屋の中では実際に米をつく杵などが動いており、作業の様子がわかるようになっている。コンニャク水車のほうはいろいろな歯車が連動して回っており、かなり複雑な動きをしている。その他に、秩父地方の独特の水車として、舟水車というのがあった。川に浮かべた舟に水車を取り付け、舟の中で精米を行った。荒川上、中流でよく見られ、明治の頃に栄えたという。これは、博物館の中に実物大の模型が展示されていた。
舟水車(川に浮かべた下掛水車)
皆野町のコンニャク水車(上掛水車)
東秩父の精米水車(胸掛水車
この博物館の屋外のもう一つのシンボルとして、「荒川大模型173」というのがある。これは、荒川のすべてを1000分の1の模型であらわしたものである。荒川の全長が173Kmだから、この模型の全長は173mに及ぶということになる。土地の高低も等高線により表現されている。
荒川は下流方向から、@都市河川域、A人口河川域、B扇状地域、C河岸段丘域、D源流域に分けられるという。ちょうどよい機会なので、この模型に沿ってこれまで私が歩いてきた後を振り返ってみよう。
博物館の中は、大型スクリーンによる説明や、実物大の船の模型などもあり、楽しく
見て回ることができた。親子連れの小さな子供たちも多かった。
館内を一通り見学した後、かわせみ河原に向かった。博物館の正門を出てすぐのところにかわせみ河原への入り口がある。広い河原で車が入れるので、若い人が多く、バーベキューなどあちこちでやっている。こういうところはゴミが発生しやすいが、入口で、「環境美化協力費」として車1台につき300円を徴収していたので大丈夫だろう。
河原を上流方向に少し歩くと人も少なくなリ、カヌーの練習をしている人の姿も見える。後方に見える橋は、国道254号線が通る玉淀大橋である。
かわせみ河原を後にして鉢形駅方面に戻る。道なりに行くと国道254線にぶつかるので、左に曲がってまっすぐゆけば駅方面である。国道は東武線を跨線橋で越え、県道と交差する。右に曲がって県道をまっすぐ行けば鉢形城跡に出る。この交差点から約1.5Kmくらいである。
鉢形城跡は、荒川にかかる正喜橋手前の左側一帯にある。北側は荒川の絶崖になり、南には深沢川があって自然の要害をなしている。1476年(文明8年)長尾景春が築城した後、室町末期に至り北条氏邦が城主となり、小田原の北条氏と提携して北武蔵から上野にかけての拠点とした。1590年(天正8年)の豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家、上杉景勝らに四方から攻撃され3ヵ月後に落城した。現在の城跡には遺構は何も残ってはいないが、要所には標識が立てられているので、大体の位置関係をつかむことができる。木々の間からは、荒川の流れが見える。
正喜橋方面を望む
上流方面は、木々の間から望むことになり、残念ながら全貌は撮れない
鉢形城本丸跡
背後は荒川の断崖絶壁である
笹曲輪(ささくるわ)跡
この辺りは、県道から入ってすぐのところで、ちょっとした広場になっている。
城跡の見学の後、正喜橋を渡る。この橋からの荒川の眺めもすばらしい。下流方向は大きく川幅が広がり、白波を立てながら勢いよく流れている。橋の上流側を見ると流れはゆったりと穏やかで、少し先でほぼ直角に曲がっているのが見える。
橋を渡ってから左に曲がり、上流に向かってしばらく民家の間を歩いてゆくと、やがて河原に下りて行く道がある。この玉淀河原には16時頃着いた。広い河原はもう日が翳っていたが、若いグループがまだ何組か残っていた。対岸には先ほど見学した鉢形城址の絶壁が見える。あの上に城があったら、こちらから攻めるのは確かに難しい。この辺は橋の下流ほど川幅は広くなく、その分深さはありそうだ。
若者グループが帰り支度をしていた
対岸の鉢形城址
玉淀河原から夕日を浴びた正喜橋を望む
河原から上がり、川沿いの道を歩く。道沿いには古い旅館や会社の保養所などが続き、川はほとんど見えない。建物が途切れると、道沿いに桜並木がある。これは昭和の始め頃、渓谷の眺めと桜を組み合わせて観光スポットにしようと地元の人たちが植樹したものである。昭和6年に第1回の観桜会が開かれ、そのときにこの地にふさわしい名前をということで「玉淀」と命名されたのだという。この道をしばらく歩くと、「玉淀碑」というのが建っている。昭和8年に立てられたもので、「玉淀」を愛でた文章や歌が記されている。「花もよし月影もよし夏もよし 雪景色よき里は玉よど」といった調子である。
夕日は山の端に隠れんとし、少々肌寒くなってきた。ここから引き返して寄居駅に向かう。寄居駅に着いたのは16:40.。16:42発の東上線小川町行きに危うく間に合った。

玉淀碑付近からの荒川風景
玉淀碑
玉淀の桜並木
カヌーの姿も見える(後方は玉淀大橋)
かわせみ河原 (川の博物館に隣接)
D源流域
荒川は、甲武信岳の東側斜面、標高2200mの原生林に源を発し、真の沢、入川、荒川と名を変えて次第に水量を増してゆく。源流域は深いV字谷を刻み、山はシラビソやブナの森林で覆われている。これらの森林は、水を蓄えて天然のダムの役割を果たしている。また、ここは日本カモシカやツキノワグマをはじめ、さまざまな動物の生活の場となっている


(以上、模型の説明文より引用)
C河岸段丘域
荒川は、秩父盆地に入ると、曲がりくねって川幅が広くなり、両岸に河岸段丘を作る。低い段丘は右岸に発達し、秩父市街地もこの段丘の上に広がっている。荒川は長瀞町付近では川幅が狭くなり、有名な岩だたみが見られる
B扇状地域
荒川は、寄居町付近で関東平野に流れ出る。地形としては、寄居町付近を頂点とし、熊谷市や深谷市方面に広がる「荒川扇状地」と呼ばれる大きな扇状地が形成されている。
A人工河川域
荒川は、もともと熊谷の北を通り、元荒川、綾瀬川筋を流れ利根川に合流していたが、1629(寛永6年)の瀬替えにより入間川につなげられた。川べりには日本一広い河川敷ができ、公園やゴルフ場に利用されている。流域にはかつての荒川が流れた跡が、三日月湖や自然堤防として残されている。
@都市河川域
写真右側が葛西臨海公園。中央に突き出ている部分が若洲。東京湾のこの埋め立てにより荒川の長さは昭和63年に169Kmから173Kmに延長された。また、荒川放水路が荒川に、それまでの荒川は隅田川に改称された。
同じく、上流方向を望む
上流で荒川はほぼ直角に右に曲がっている 。こちら側には歩道がないので、手すり越しの写真となる
正喜橋から下流方向を望む
川幅いっぱいに広がって流れる荒川。後方に東武線鉄橋が見える。
荒川を歩く 8
 


このコースでの見どころはいくつかある。まず第1は「さいたま川の博物館」。荒川にはこの他に「荒川知水資料館」というのが岩淵にあり、それぞれに特徴がある。この鉢形にある川の博物館は、「川を見る 川を感じる 川を知る 体感する博物館」というキャッチフレーズで、特に映像とか実物模型による視覚に訴える展示が多いようだ。
開時間:9:30〜18:00。 月曜 休館。 入場料:本館 310円(一般)。 なお、本館のほかに荒川ワクワクランド、アドベンチャーシアターがあり、それぞれ別料金。
かわせみ河原と組合わせれば、子供連れの行楽施設としても楽しい。
次に、鉢形城址公園。特にこれという施設はないが、遊歩道が整備され、標識、説明板などもしっかりしている。
玉淀河原から眺める荒川の流れ、鉢形城址方面の眺めもよい。この辺りから下流方面、博物館方面にかけては広い河原が続き、若い人や釣人などの姿が多く見られた。玉淀碑の辺りの桜も、春には見事なのだろう。


見どころなど