寄居駅〜玉淀湖〜金尾山〜金石水管橋〜長瀞   約16Km
今年(2004年)は、11月に入ってもそれほど寒くない。今日(11月7日)も穏やかな暖かい日和である。池袋発8:00発の東武東上線に乗り、寄居駅に着いたのは9:22だった。今日は、寄居から長瀞まで歩く予定である。荒川もこの辺までくると川辺の道はないので、できるだけ川から離れないような道を選んで歩くということになる。
折原橋を渡って荒川右岸に渡ると、道は風布(ふっぷ)の里に向かい、荒川からは離れてしまうようなので国道に戻る。国道に出たところに少林寺への案内標識が立っていた。絵図で見ると、五百羅漢で有名なお寺のようである。川からは少し外れるが、ちょっと寄り道することにした。国道の交差点から少林寺まで約10分。お寺の横から山道を登ってゆくと、道の左側に五百羅漢が、右側に千体荒神の石碑が並んで立っている。山の頂上には、釈尊と文殊、普賢菩薩の石像が立っている。ここまではお寺本堂から約20分くらいの距離である。
お寺からの戻り道は、秩父鉄道の波久礼(はぐれ)駅方面に出る道があるのでこれを行く。駅の少し手前で国道を横切り、川に近づくことにする。この辺の荒川は、先ほど見たダムによってせき止められ、玉淀湖という人工の湖になっている。湖畔は木々に覆われ、なかなか近づけないが、所々に釣人の姿も見える。
再び国道に戻り、波久礼駅前で左に曲がると寄居橋に出る。この橋から下流方向を眺めると、玉淀湖の様子がよくわかる。
寄居橋から玉淀湖を望む
玉淀湖畔の木々の間から湖を望む
寄居橋を渡り、荒川右岸を歩くことにする。こちら側には県道82号線が川に並行して走っており、国道とは比べものにならない静かな道である。登り道を15分くらい歩くと峠の頂上に着き、そこに金尾山に向かうハイキングコースの案内板が出ている。この道を10分くらいで、金尾山頂上に着く。ここからは、いま通ってきた玉淀湖、寄居橋などがよく見える。この山は別名つつじ山とも言われるほどつつじが多く、4、5月ごろには見事だそうである。また、ここには鉢形城の支城があったが、鉢形城の落城により廃城になったという。時計を見ると、12:40.ちょうどよい時間なので、ベンチに座り景色を眺めながらの昼食にした。
金尾山頂上の様子
金尾山からの眺め(左、寄居橋。右、玉淀湖)
山を降り、再び県道を歩く。車の数は少なく、時折、木々の間から荒川の流れを望むことができる。このような高台から眺めると、荒川が河岸段丘を形成していることがよく分かる。道はどんどん下ってゆき、やがて白鳥橋に出る。この橋も国道と県道を結ぶものだが、交通量は少ない。橋の上から眺める荒川の流れは緩やかで、青く淀んでいる。両岸の樹木は黄色く色づき始めている。橋を渡ると道は秩父鉄道の線路にぶつかり、すぐ近くに秩父鉄道の樋口駅がある。
少し先で鉄道線路の下をくぐって国道に出る。この近くに江戸時代の洪水の跡を示す標識があるはずなので、それを探すことにする。国道を渡って少し先に長瀞第二小学校がある。その小学校の裏手にその標識はあった。荒川の数知れぬ氾濫史の中でも、驚異の水かさと江戸まで甚大な被害を与えた「寛保大洪水」の跡を示す「洪水位磨崖標」である。
「寛保2(1742)年旧暦7月29日から降り始めた豪雨は止む気配なく、長瀞に落ちる濁流は渦巻き、急激に水位を増してゆく。雨は4昼夜に及び、氾濫した濁流は田畑を浸し、家々を飲み込み8月1日の亥の刻には野上下郷で山麓にまでせりあがった。後の計測で水位は実に60尺(18メートル)といわれる。」(「荒川新発見」より)
崖の白い岩肌に大きく「水」と刻まれているのが見える。。ここまで水が来たという歴史的な遺跡だ。ここから少し坂を登るとお寺があり、そこから川の方向を望むことができる。川ははるかに下のほうで見えないが、ここから見える家々はすべて水に没したことになる。当時の人々はこの高台のお寺などに避難し、刻々と上昇する水位を恐怖におののきながら眺めていたことだろう。
もし、現代において、このように水位が上がる雨が降ったとしたら、下流の地域はどうなるのだろうか。ふと、そんなことを考えた。
磨崖標付近から荒川方面を望む
白い岩肌に「水」と刻まれている
史跡 寛保洪水位磨崖標
国道を10分くらい歩くと左に分かれていく県道があるので、そちらの道を行く。途中に多宝寺というお寺があるので、ちょっと寄った。ここに奉納されている絵馬は縦57cm、横188cmという大きなもので、江戸末期の念仏講の様子が描かれている。そこから少し先で野上駅方面からの道にぶつかるので、これを左に曲がると高砂橋に出る。この橋から眺める荒川と付近の紅葉の様子もなかなかよい。この橋を渡り、再び右岸の県道82号線を歩くことにする。
高砂橋より下流方向の眺望
高砂橋
少し行った県道沿いの法善寺というお寺に見事な枝垂桜がある。残念ながら今の季節に桜はないが、桜の時期には一見の価値がありそうだ。境内の中にもう一本あり、2本とも長瀞町指定の天然記念物になっている。さらに県道を進むと、「日本一の甌穴」という道路標識があり、そちらのほうに進んでゆくとオートキャンプ場に出る。荒川の川辺に広がるキャンプ場で、かなり広く設備も整っているようだ。ここで河原に下りる。
河原に下りて下流方向を見ると、先ほど渡ってきた高砂橋が意外に近く見える。ちょうど長瀞ライン下り中の舟が通りかかった。あの舟はどこまで行くのだろう。
さて、日本一の甌穴(おうけつ)はどこだろう。誰かが場所を聞いていたので、私もその方向に行ってみた。河原を下流側に少し行ったところに大きな岩があり、上のほうに大きな穴があいている。そもそも、「甌穴(おうけつ)」とは何だ?説明板によると、「河床の一定個所に転石などが長期間滞留すると、流水の浸食作用や、水圧による転石の振動による磨耗で、岩盤上に次第に渦巻状の穴をうがっていくことがある。こうした穴を甌穴という」とある。ここの甌穴は、直径上部1.8m、中〜底部1.4m、深さ4.7mで、規模の大きいことで日本一の定評がある。写真で見ても分かるように、甌穴の位置は現在の河床より約7m高く、かつて荒川がこの高さにあったことを証明している。
オートキャンプ場の入口付近から荒川を渡る「金石水管橋」が架かっている。ここには荒川で一番最後まで残った「金石の渡し」があった。この地域は天然記念物で、環境の変更は不可能なところだったが、地域あげての強い要望により、昭和56年に歩道を兼ねた水管橋が完成した。歩道の脇には径350mmの水道用鋼管が敷設され、右岸地域住民のライフラインとなっている。
橋の下をライン下りの舟、ラフティングのボートが通り過ぎていった。ここから上流の少し先に有名な長瀞の岩畳があり、ライン下りの舟もそこから出発しているのだ。
日本一の甌穴(おうけつ)
河原から高砂橋方面を望む
工事中の末野大橋と玉淀湖ダム
折原橋 (平成13年3月竣工)
白鳥橋より下流方向を望む
白鳥橋
高台の県道から眺める荒川の流れ
オートキャンプ場の様子
法善寺の枝垂桜
同 上流方面を望む
橋から下流方面を望む
金石水管橋
橋を渡り、左に曲がって15分くらい歩くと、秩父鉄道長瀞駅がある。そこから川に下りてゆけばライン下りの舟の乗船場所がある。川辺までの間には土産物屋がひしめいている。一大観光ゾーン「長瀞」の中心エリアだ。16時近くなり、日も傾いて少々薄暗くなりかけてきたが、舟の乗船場所付近にはまだ人が多い。ちょうど1艘がお客を乗せて出発して行った。今日の長瀞観光はここまでにして、秩父鉄道長瀞駅に向かう。ちょうど16:12発の熊谷行き急行がきたので、私はそれに乗って熊谷に出、そこから湘南新宿ラインで新宿まで行くことにした。
ちょうど舟が出発した
ライン下り乗船場付近の様子
寄居駅からは前回歩いた道順で、玉淀河原、玉淀碑の前を通る。前回通ったのは夕暮れ時だったので、今回、朝日の中で見ると同じ景色でも新鮮に見える。「ふるさと歩道」の案内標識にしたがい道なりに行くと宗像神社に出る。ここで八高線の踏切を渡って、しばらくゆくと交通量の多い国道140号線にぶつかる。今回のコースでは、いかにこの国道を歩かないで済ませるかが一つのポイントだ。とにかくこの国道は交通量は多いし、区間によってはまったく歩道のない部分があるので、できるだけ歩行は避けたい道なのだ。
国道を少し行くと、左に曲がる道がある。これを曲がってゆくと、折原橋がある。この橋は2001年3月の竣工で、私が1997年にこのコースを歩いたときにはまだこの橋はなかった。この橋に並行して、現在、有料道路の末野大橋が工事中である。この橋が完成すると、皆野寄居バイパスが国道140号線とつながり、現国道の交通量減に役立つようだ。橋の向こう側には、玉淀湖のダムが見える。
荒川を歩く 9
少林寺の五百羅漢。山道の左側に五百羅漢、右側に千体荒神の石碑が並んでいる
山頂の釈尊、文殊、普賢菩薩石像
 


このコースも川辺を歩けるわけではないが、折原橋、寄居橋、白鳥橋、高砂橋、金石水管橋と五つの橋を渡り、それぞれの橋から眺める荒川の流れはすばらしかった。また、寛保の大洪水の水の位置を示した磨崖標識も災害を記録するものとして興味深かった。両岸の崖が狭まっている地形なので、土石流などで水がせき止められたのかもしれないとも言われている。その水が一気に流れ出したら下流の地域はひとたまりもないだろう。
荒川の浸食作用を示す甌穴の存在も、太古の昔に思いをはせるものとして興味深い。長瀞は今、秋の真っ盛り。次回は、長瀞周辺の様子などをじっくりと見物しよう。
見どころなど