城の内部は専門の日本人ガイドさんが説明してくれた。写真撮影禁止なので写真はないが、内部の様子で印象に残っているものを簡単に記しておこう。

玉座の間
城の西側の4階と5階がぶち抜きになっており、壁面には天使の群れ、十二使徒とその事跡などが描かれている。床には植物のモザイク、天井には太陽と星が描かれ、全宇宙をあらわしている。天井からは重さ900Kgの豪華なシャンデリアが下げられている。なお、玉座は完成前に王が亡くなってしまったので存在しない。
歌人の間
ワーグナーの歌劇「タンホイザー」の舞台となったヴァルトブルク城の「歌人の間」を手本にして造らせた間である。シャンデリアが吊るされた豪華な広間では、現在、毎年9月に城内コンサートが開催される。なお、王が存命中は一度も使われることはなかったという。
人工の鍾乳洞
王の居間と執務室の間に人工の鍾乳洞が現れて見学者を驚かせる。これはタンホイザーの伝説にある「愛の女神ヴィーナスの洞窟」だ。小さな滝と池を設け、夢幻的な照明をする予定だったが、未完成に終わった。
調理場
実用を旨とする調理場では、当時の先端を行くような装置を用いている。現代のシステムキッチンのような調理台、オーブンセット、調理の余熱を利用したシステムなど。


城内部の見学を終わり外に出ると、入場口にはたくさんの人が並んでいる。時間が遅くなるとだんだんと混んでくるようだ。帰り道は徒歩か馬車である。馬車は城から少し下ったところから乗ることができる。シャトルバスは乗り場まで少し登らなければならないので、乗る人はほとんどいない。半数近い人が馬車に乗ったようだが、私たちは歩いた。帰りはすべて下りなので、20分くらいで下のバスが待っている場所まで到着した。途中で馬車に乗った人たちに追い越されることはなかった。

ドイツ・オーストリア旅行記

ノイシュバンシュタイン城を見学後、インスブルック、ザルツブルクへ

本日はまず、フュッセンから近いノイシュバンシュタイン城を見学する。そのあとオーストリアに入り、インスブルック、ザルツブルクを巡り、ザルツブルクに宿泊する。


フュッセン、ホテル付近
朝7時から朝食なので、朝食を早めに済ませ、ホテルの周りを散歩した。ホテルのすぐ後に川が流れ、気持ちのよい散歩道がある。川幅は広く水は澄んでおり、山紫水明の日本でもよく見られる風景である。ホテルの周りをぐるっと一周する形でホテルロビーに戻る。
フュッセンはロマンティック街道の終点で、当地に宿泊する日本人ツアー客も多い。ここから先はスイス方面、オーストリア方面と行先が分かれる。

ユーロパーク・ホテル正面
このホテルには日本人宿泊客も多く、朝食のバイキングはほとんど日本人だった

ホテルうしろの散歩道
川沿いに散歩道があり、のんびりと散歩できる。川の水は澄んでおり、日本の保養地の風景と似ている

フュッセンからホーエンシュバンガウへ
バスはフュッセンのホテルを8時に出発し、山道を15分くらい行くとホーエンシュバンガウの町に着いた。すぐ近くの丘の上に黄色いお城が建っているのが見える。昨日バスの中からも見えたホーエンシュバンガウ城である。このお城はルートヴィッヒ二世が少年時代を過ごした城である。バスはここまでで、ここからノイシュバンシュタイン城までは徒歩か馬車、あるいは途中までシャトルバスに乗りその先は徒歩という三つのアクセス方法がある。我々のツアーでは、行きはシャトルバス、帰りは徒歩か馬車ということになっている。シャトルバスを待つ人も結構多く、我々は少し並んで2台目のバスに乗り込んだ。

ノイシュバンシュタイン城

シャトルバスを降りて少し歩いたところにマリエン橋というつり橋があり、ここからノイシュバンシュタイン城の全景を望むことができる。城よりも少し高い場所から平野をバックに眺める城の姿は、絶好の写真ポイントである。また、この橋から少し離れた場所にアルプス方面を望む絶好の展望台がある。ここからはアルプスの山並みやアルプ湖、そして先ほど見たホーエンシュバンガウ城が小さく見える。この日は天気もよく、すばらしい写真を撮ることができた。

ホーエンシュバンガウ城
町の近くの丘の上に建っている。ノイシュバンシュタイン城を築いたルートヴィッヒ2世が少年時代をすごしたお城である。ホーエンシュバンガウは、「高いところにある白鳥の郷」の意味

ホーエンシュバンガウの町
レストラン、ホテル、土産物屋などが並んでいる。バスはここまでで、この先はシャトルバスか馬車に乗り換えなければならない

展望台から少し下って、ノイシュバンシュタイン城まで歩く。城の中は混雑しないように入場制限がある。しばらく待ち時間があるので、城の周りからの写真を撮った。やはり、遠くから見るのとは違う迫力がある。そもそも、このお城は中世風に建てられているが、着工したのは1869年でまだ新しい。築いたのはバイエルン国王のルートヴィッヒ2世である。完成する前に王が死亡してしまったので、一部未完成の部分もある。

ルートヴィッヒ2世とノイシュバンシュタイン城
ルートヴィッヒ2世は1845年にミュンヘンで生まれた。多感な少年時代のほとんどをアルプスの麓にあるホーエンシュバンガウ城で過ごした。この城は父マクシミリアン2世が中世の城跡に建てたもので、城内は白鳥の騎士ローエングリーンをはじめとして様々の中世伝説を題材にした壁画で飾られている。ルートヴィッヒはそれらを見ながら、中世への憧れに満たされて育った。
ルートヴィッヒが城の建築に執念を持つようになったのは21歳の頃で、王族の娘ゾフィーとの婚約解消などの出来事があってからである。彼は王宮のあるミュンヘンを離れてホーエンシュバンガウ城によく滞在し、そこからよく見える岩山の突端の景勝地に中世風の城を建てると発表した。これが後に「新白鳥城(ノイシュバンシュタイン)」と呼ばれるようになる。
彼はこのあと、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城などを建築したが、国費の濫用に音を上げた政府から精神病との理由で廃位され、のちシュタルンベルク湖で謎の死を遂げた。
ノイシュバンシュタイン城は、着工から八分どおり完成して何とか使えるようになるまでに17年の歳月を要した。莫大な工費と年月をかけた末に、王がこの城に住むことができたのはたったの102日間であったという。また、3番目に着手したヘレンキームゼー城は新白鳥城の3倍以上も費用がかかり、実際に使用される可能性はほとんどなかった。さらに、王が4番目の城の計画をいいはじめたので、周囲の者達は強硬手段を実行し王を廃位に追い込んだ。
私は旅行から帰ってから、以前録画しておいた映画、「ルートヴィッヒ / 神々の黄昏」を観たが、以前よりも興味を持って観ることができた。

ホーエンシュバンガウからインスブルックへ
バスは11時にホーエンシュバンガウの町を出発した。少し先で大きな橋を渡ったが、ここはもうオーストリアに入っているようだ。このあとバスは山間の道を50分くらい走り、フェルン峠に着いた。ここからはドイツで最も高い山ツークシュピッツェ(2961m)がよく見える。ここにはレストラン、売店、トイレなどがあり、写真・トイレタイムをとってくれた。

フェルン峠よりツークシュピッツェを望む
ツークシュピッツェはちょうどドイツとオーストリアの国境線上にある山で、標高はドイツ最高の2961メートル

ホーエンシュバンガウ近くの大きな橋
この辺はもうオーストリアだ。国境施設のようなものは気がつかなかった。下を流れるのはレヒ川

インスブルック

インスブルックには13時頃着いた。バスを降りて街を歩くと雪を戴いたアルプスの山々がすぐ近くに見える。この街はチロル地方の中心都市なのだ。
インスブルックは、アルプス越えの要所プレンナー峠の街道筋にあり、古代ローマ以降、常にヨーロッパの東西南北を結ぶ交易の地として栄えてきた。15世紀のマクシミリアン1世の時代にハプスブルク帝国の本拠地として急速に発展した。この時代に街の基盤が整備され、さらにマリア・テレジアの時代にいっそう華やかさを増した。現在はアルペンリゾートのメッカであり、1964年と1976年の2度オリンピックが開催されている。

馬車乗り場
下りは徒歩か馬車である。馬車乗り場は城から少し下ったところにある。馬車に乗る人も多かったが、結構混んでいたので徒歩のほうが早かったようだ

ノイシュバンシュタイン城正面全景
城から少し下った場所で正面を望む。これから先は下り一方で城は見えなくなる

インスブルックの街とアルプス2
周囲をアルプスの峰に囲まれたこの街は、冬はスキー、夏はハイキングや登山などでにぎわうアルペンリゾートである

インスブルックの街とアルプス1
街はアルプスの山々に囲まれている。アルプス越えのプレンナー峠の街道筋にあり、イタリアに旅するモーツァルトも、ゲーテもこの町を通った

街のレストランで昼食後、みやげ物店に案内され、そのあと付近を見学する。まずは「黄金の小屋根」の見える広場。皇帝マクシミリアン1世がその権力を示すために造らせたもので、インスブルックのシンボルとして見学者が絶えない。もとは皇帝が広場で行われる催し物を見るためのテラス。屋根は2657枚の金箔が施された銅板で葺かれ、まさに力の象徴となっている。そのあと、「市の塔」の前を通った。この塔は火の見やぐらとして1360年に建てられたという。このあと大通りを通ってバスに乗り込んだ。

市の塔
1360年に火の見櫓として建てられた。全体の高さ56m、階段で高さ33mの展望台に上れば市街の眺めがすばらしいという

黄金の小屋根
マクシミリアン1世が、広場での催し物を見るために造らせたテラス。2657枚の金箔を張った銅板で葺かれ、力の象徴となった

インスブルックからザルツブルクへ
バスは1時間半ほど走り、インスブルックとザルツブルクの中間付近で小休憩をとった。大きな観光案内板が立っており、「st.johann Tirol」とある。近くでチロル地方の絵のような風景が見られる。

ザルツブルク

ザルツブルクには17時頃着いた。インスブルックからは東に約180Km離れており、バスで約3時間かかった。これから市内の観光をしたあとレストランで夕食、市内のホテルに宿泊する。

ミラベル公園
ザルツブルクといえばモーツァルトだが、我々はまず、映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地となったミラベル公園を訪れた。映画の主人公トラップ一家はザルツブルクの出身で、物語はこの地方が舞台になっている。ミラベル公園は新市街のはずれにあり、緑の芝生とたくさんの花に彩られた美しい公園である。映画ではこの公園の噴水の前からマリアと子供たちが「ドレミの歌」を歌いながら走ってゆく感動的なシーンがある。私たちは旅行から帰ってからこの映画を見直したが、このシーンはまさにこのとき見た風景で、あらためて感激した。

映画で使われた階段
映画ではマリアと子供たちが噴水の辺りからこの階段まで「ドレミの歌」を歌いながら走ってくる感動的なシーンがある

ミラベル公園
1606年に建てられたミラベル宮殿の庭園だが、我々にとっては「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地としてなじみがある

ザルツブルク旧市街
再びバスに乗り、ザルツァッハ川を渡って旧市街へ。まずはモーツァルトの生家に向かった。にぎやかなゲトライデガッセを歩いてゆくと、オーストリアの国旗を掲げた黄色い建物が見えてくる。1756年1月27日、モーツァルトはこの家で誕生した。現在、この建物は博物館として公開され、4階は子供の頃使った楽器や自筆の楽譜、肖像画、書籍などが展示されており、2、3階ではオペラに関するものや家系図などが展示されているというが、この日は休館だったのか見学できなかった。
生家の建物を見たあと自由行動となり、ゲトライデガッセ通りをのんびりと歩く。この通りには有名店から地元の小さな商店までいろいろな店が建ち並び、観光客も大変多い。この通りでは商店の看板を見上げながら歩くと面白い。文字の読めない人にも店の商品を分かってもらおうと、昔からいろいろ知恵をしぼっているのだ。

通りに建ち並ぶ建物の中を通路が迷路のように設けられており、これを歩いてゆくと思わぬところへ出たりして面白い。このような通路を通って建物の裏手に出てみた。やや雑然とした広場になっており、すぐそばに教会の建物が見えた。これはコレギエン教会といい、ザルツブルク大学と接しており、大学教会とも呼ばれているという。少し先にモーツァルトの生家の裏側も見える。そのはす向かいにはモーツァルトの姉ナンネルが晩年まで住んでいた家が残されており、記念のプレートが見える。なお、この少し先にモーツァルト広場があり、モーツァルトの像があるということがあとで分かったが、このときは気付かず見逃した。旧市街の見どころは狭い範囲に固まっており、簡単な地図でもあれば大方回れたと思うのだが、通りの付近をウロウロしただけで終わってしまった。何となく消化不良の感じである。やがて集合時間となり、このあとはレストランで夕食となった。夕食後、ホテルに到着したのは20:30頃だった。

モーツァルトの姉ナンネルの家
モーツァルト生家のはす向かいのアパートの2階に記念のプレートが見える

モーツァルト生家の裏側
ちょっとした広場になっており、配送トラックなどが止まり、雑然としている

コルギエン教会
モーツァルト生家の裏手にある教会
隣接してザルツブルク大学がある

マリエン橋から望むノイシュバンシュタイン城
岩山の上の狭い場所にお城が建っていることが分かる。ディズニーランドのシンデレラ城のモデルにもなっているという、メルヘンチックな姿だ

展望台からアルプス方面を望む
マリエン橋付近の展望台からはアルプス方面の眺めがたいへんよい。アルプ湖の辺にホーエンシュバンガウの町が広がり、少し離れた丘の上にホーエンシュバンガウ城が建っている

城の側面からアルプスを望む
城館内では撮影禁止だったので、外からアルプス方面を望む写真を撮った。館内にはアルプスがよく見える部屋がある

正面下から見上げるノイシュバンシュタイン城
正面右手の建物から城内に入るが、入場制限があるためしばらく待たされる建物正面にきれいなフレスコ画が描かれている

チロルの農村風景
ハイキングやスキーなどのベースになっているのだろう。緑の草原の中に瀟洒な建物が点在している

インスブルック、ザルツブルク間の小さな村
バスが小休憩したチロル地方の村。街道沿いにはレストランや商店が並んでいる「st.johann Tirol」という観光案内板が立っていた

ザルツブルク新市街方面を望む
ザルツァッハ川の対岸に新市街が広がる。丘の上にホーエン・ザルツブルク城が見える

オーストリアの北西部に位置するザルツブルクは、周辺の山から採れる岩塩で繁栄してきた。ザルツブルクのザルツは「塩」の意味である。街の中心部を流れるザルツァッハ川からヨーロッパの各都市に塩が輸出された。ローマ人の統治時代には塩の輸出の拠点としてここに街ができた。後に大司教座が置かれ、1077年にゲブハルト大司教によりホーエン・ザルツブルク城が建設され、以後、代々の大司教により宮殿や教会などが次々に建築されていった。1996年、ザルツブルクの旧市街は世界遺産に登録された。

ミラベル公園を出て少し行くと、通り沿いの建物の前庭にヘルベルト・フォン・カラヤンの像が建っていた。ここがカラヤンの生家だという。そういえば今年はカラヤン生誕100年の記念すべき年で、日本でも特別番組がいくつも組まれている。

カラヤン生家
世界的に有名な指揮者カラヤンは、1908年この家で誕生した

ヘルベルト・フォン・カラヤン像
実物大の像で見ると割合背の低い人だったようだ

ゲトライデガッセ
ゲトライデ(穀物)通りというからには、昔は穀物を売る商店が多かったのだろうか。今は大小さまざまな店が建ち並んでいる。看板は文字を知らなくても店の商品がすぐ分かるように工夫されている。

モーツァルト生家
この黄色い建物の4階に生家があった。現在は博物館として公開されているが、この日は見学できなかった