ザルツカンマーグート2
湖と2000m級のアルプスの山々、湖畔の風景は大変美しく、映画「サウンドオブミュージック」の舞台となった

ザルツカンマーグート1
この辺り一帯は王侯貴族たちの保養地として愛され、13世紀末にハプスブルク家財務局の管轄下にあったことからこのように呼ばれるようになった

ハルシュタット湖船乗り場付近からの眺め
ハルシュタット湖はこの辺りにたくさんある湖の一つである。遊覧船はここから出発し、湖の周辺を巡ってここに戻る

ケルト人の像
「ハルシュタット文化」は紀元前800年頃成立した。その担い手がケルト人だった。その後、ケルト人はローマ人、ゲルマン民族などに追われたが、その子孫はブルターニュ、アイルランド、ウェールズ、スコットランドの一部に今も健在である
ドイツ・オーストリア旅行記

ハルシュタット湖でのクルーズを楽しんだあと、リンツを経てウィーンへ

本日は、まずザルツブルクからヨーロッパ古代の歴史上有名なハルシュタットを訪れる。ここで湖を船で遊覧したあと、リンツを経てウィーンに向かう。ウィーンの市内観光後、ここに宿泊する。


ザルツブルクのホテル
我々がザルツブルクで宿泊したのは、街の南郊にあるメルキュール カプツィーナベルクというホテルである。これまでもそうだったが、このホテルも木々に囲まれた静かな環境にある。規模は小さいが、設備の整った好ましいホテルである。今日の出発時間は、いつもより30分ほど早い7:30なので、早めに食事をすませロビーに集合する。

ザルツカンマーグート
7:30にホテルを出発したバスは、30分ほど走って湖とアルプスの山々の風景が美しい場所で写真タイムをとってくれた。この辺り一帯はザルツカンマーグート(塩の御料地)といい、ガイドブックによると、13世紀末ハプスブルク家の財務局の管轄下にあったことからこのように呼ばれるようになったという。周囲は2000m級のアルプスの山々が連なり、緑の山並みの間には大小あわせて約50の湖が点在している。映画「サウンドオブミュージック」の舞台にもなった景勝地である。写真をとったあとすぐにバスに乗り込み、ハルシュタットに向かう。

ハルシュタット

ハルシュタットには先ほどの場所から40分くらいで到着する。「トンネルを抜けると、道の脇に二宮金次郎のような像が立っていますよ」という添乗員さんの言葉で車窓を眺めていると、たしかにそのような像が立っていた。これはケルト人の像である。
ヨーロッパの古代、鉄の武器や生活具を持った特異な文化が発展した。その典型的な遺跡がここハルシュタットで発見されたため、この文化を「ハルシュタット文化」という。この文化の主な担い手がケルト人だった。そのような縁から、この場所にケルト人の像が建てられたのだろう。ハルシュタットは、いわばケルト人のふるさとともいえる町なのだ。
現在のハルシュタットの町は、ハルシュタット湖のほとりに佇む静かな町である。我々は、船でこの風光明媚な湖を巡ることになっている。

朝まだ早いので船は我々の貸切状態である。船から眺めると、町は湖に張り付くようにのびており、背後には険しい岩山が迫っている。
ハルシュタットは古くから製塩の町として発展した。世界最古の岩塩坑が今も操業されている。町のはずれからケーブルカーで岩山に登り、塩坑を見学することもできるという。また、町には博物館があり、紀元前10世紀ごろのケルト民族による高度な文明の遺物が展示されている。付近一帯は1997年、世界遺産に登録された。

20分くらい湖上の遊覧を楽しんだあと船を降り、町の中を少し散策した。朝9時半頃で、まだ早いので地元の人はあまり見かけない。観光客も我々のグループだけのようだ。町の中心部にはいわゆる観光地らしさはまったくない。小さな土産物屋でハルシュタット産の岩塩を売っていたので、帰りにいくつか買った。
町の中を歩いてゆくとやがてカトリック教会が見え、その裏の高台に上る。ここはこの教会の墓地になっており、たくさんの十字架の墓標が並んでいる。その一つ一つに小さな屋根がかけられ、前にはきれいな花が植えられている。横に納骨堂があり、墓地の管理人さんが扉の鍵を開けてくれた。我々が中を覗き込むと、なんと!壇の上にたくさんの頭蓋骨が並べられているではないか。しかも、その一つ一つには文字(名前だろう)や彩りゆたかな絵が描いてある。風習の違いといえばそれまでだが、ヨーロッパの中でも珍しいのではないだろうか。ひょっとしたらケルトの時代からの風習の名残なのだろうか。ただ、頭蓋骨といっても陰湿な感じは受けなかった。あっけらかんとしているのだ。

ハルシュタットからリンツへ
ハルシュタットを出たバスは、次にトラウン湖の辺でトイレタイムをとった。ここも、この地方にたくさんある湖の一つである。そこを出たバスはリンツに向かう。
リンツに着いたのは13時頃で、この町のレストランで昼食をとった。特に観光の時間はなかったが、レストランのある場所がリンツ州庁舎の付近で、その辺を少し歩いた。あとで付近の地図を見ると、すぐ近くにドナウ川が流れているようだ。この辺りはドナウ川クルーズの拠点となっている。私は本当はライン河クルーズとともにドナウ川クルーズにも行きたかったのだが、残念ながら今回のツアーには含まれていない。ここからすぐ近くなら、一目でよいから川を見たかった。
リンツという街は、モーツァルトの交響曲「リンツ」で有名である。ベートーベンはこの街で交響曲第8番を書き上げた。また、ブルックナーは1855年から旧大聖堂のオルガン奏者を13年間勤めた。これを記念して毎年9月に国際ブルックナー音楽祭が開催される。リンツは音楽の街なのだ。

ケルト人のふるさとハルシュタットと塩ーー(「ケルトの残照」 堀淳一著より抜粋)
1846年、ハルシュタットの背後にそびえる岩山の上から千個もの墓のある前史時代の一大墓地が発見された。お墓からは際立った特長のある道具や壷や副葬品や装身具などがたくさん出て、これを生み出した人々の持っていた文化がハルシュタット文化と呼ばれるようになった。そして、その人々はケルト人だったと考えられるようになった。このハルシュタット文化は紀元前800年頃から400年くらい続いたとされる。なぜこんな山の上にそのような高度な文化が発展したのだろうか。
この地方には「ザルツ」とか「ハル」、「バート」などという言葉のついた地名が大変多い。これらはいずれも塩に関係した語である。ザルツは「塩」のことだし、「バート」は温泉のことだが、この地方ではすべて塩水泉である。さらに「ハル」は「製塩場」をあらわす。すなわちハルシュタットとは、製塩場のある場所ということになる。
ハルシュタットの岩山の上に、現在も塩坑がある。実際に製塩も行っているし、かつてケルト人が掘った坑道も残されており、見学できるようになっている。坑夫はピッケルで塩の塊を切り出し毛皮の袋に入れ、それを集めて運び出し麓に下った。 (我々が最初に見たケルト人の像は、このときの姿を表しているのだろう) 麓ではそれを水に溶かし、水分を蒸発させて塩を作った。これらの塩は、ヨーロッパの古代の人々にとって欠かせないものだった。
なぜこんな辺鄙な町の、しかも険しい岩山の上にたくさんの墓があり、高度な文化が発展したのか。その答えは「塩」にあったのだ。

船からハルシュタットの町全体を望む
町の背後は険しい岩山で、町は湖にへばりつくように伸びている。左下からケーブルカーがのび、岩山の上にある塩坑を見学できる

船上より町の中心部を望む
町にはカトリックと新教の教会がそれぞれ一つづつある
絵のような風景である

リンツ州庁舎
かつてはリンツ大学だった建物。ここで天文学者ケプラーが学生達に講義したという

リンツのレストランのある辺り
旧市街の中だが、この辺りはこれといった特徴はない

ウィーン

リンツを出たあとバスは快調に走りつづけ、ウィーンには15:30頃着いた。バスから降り、まずはシェーンブルン宮殿の見学である。

シェーンブルン宮殿
宮殿の前は広場になっている。建物の正面には馬車回しがあり、王族、賓客はここから出入りした。観光客は左端の観光用出入口から館内に入る。
この建物は、1693年に狩猟用の別荘として建築されたが、その後歴代の皇帝らが増築を重ね、マリア・テレジア(在位1740−1780)の時代に完成された。館内は2階を中心に40室が公開されている。室内は写真撮影禁止である。マリア・テレジアの部屋、夫フランツ・ヨーゼフ、娘マリー・アントワネットの部屋など、内部はロココ様式で統一されている。たくさんの部屋の中で最も豪華なのは大広間で、1815年ここでウィーン会議が開かれた。

シェーンブルン宮殿正面の様子
正面の馬車回しを中心に左右対称に建物が広がっている。建物はマリア・テレジア・イエローという黄色に塗られている。部屋数は全部で1200ほどあるというが、そのうち40室が公開されている。その他は3階を中心に一般賃貸住宅として貸し出されているという

館内の見学を終え、自由行動となったので宮殿の裏手に広がるフランス式庭園を散策した。ヴェルサイユ宮殿の庭園にも似ており、いかにもヨーロッパ的な庭園である。真中にまっすぐ広い道が通じ、その端に噴水がある。さらにその先は丘になっており、丘の上には何やら建物が建っている。私たちはこの噴水まで歩き、丘の上まで行くかどうか迷ったのだが、時間も気になり結局そこから引き返してしまった。あとでガイドブックで調べると丘の上の建物はグロリエッテといい、ここからの眺めがすばらしいという。せっかく下まで行ったのに、残念なことをした。

ウィーン市街
シェーンブルン宮殿を見学したあと、我々はウィーン市街に向かった。バスはウィーン国立オペラ座の近くで我々を降ろして走り去った。この辺は市街の真中で、バスの駐車はできないのだ。このオペラ座の前の通りを「リンク」という。かつてはこの通りの上には王宮を守る城壁が築かれていたのだが、1858年に撤去された。現在、この「リンク」は旧市街を囲む環状のメイン道路として活用されている。
オペラ座の前で降ろされた我々は、付近にあるギフトショップに案内された。時刻はもう17時を過ぎており、私としては買い物などより少しでも多く市内の見物をしたいのだが、ウィーンでの買物を楽しみにしている人も多いだろうから仕方ない。私はこの時間のあいだ、あまり離れない程度に付近を少し歩いてみた。国立オペラ座は日本では「ウィーン国立歌劇場」といったほうがなじみがあるかもしれない。数々の名指揮者が音楽監督を務めてきた音楽の殿堂である。日本人指揮者としては小澤征爾がはじめてその任に選ばれた。

ウィーン国立オペラ座(国立歌劇場)
1863年に着工され、1869年にモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」で幕を開けた。内部にはシャンデリアの輝くロビーをはじめルネサンス様式の豪華な装飾が見られる。舞台を取り巻く桟敷席など客席は1642席ある

「リンク」の様子(国立オペラ座前)
かつての城壁の跡が、現在は環状の道路となっている。旧市街の見どころは、ほとんどその中あるいは周辺に集中している

買物タイムが終わり、バスが再び同じ場所にやってきて乗り込む。バスはリンクを右回りに走り、私は左側に座ったので車窓からの写真はリンクの外側が主になる。バスが走り始めると、すぐ右側に王宮関係の施設があるが、私のほうからは写真がとれない。そのうち左側にいろいろな建物が現れてきた。まず、国会議事堂。続いて市庁舎、ウィーン大学と続く。その先でヴォティーフ教会の尖塔が見えてきた。そのあとしばらくしてドナウ運河に架かる橋を渡った。やがて、バスはシュテファン寺院付近の停車できる場所に到着し、我々を降ろして走り去った。

市庁舎

国会議事堂

シュテファン寺院周辺
我々がシュテファン寺院の前に着いたのは18時を過ぎていた。中にはもう入れないので、周辺を歩いて写真をとる。地下鉄の駅が近いようで、すごい人出である。人ごみの中を我々は少し離れた場所にある市民公園に向かった。この公園の中には、ワルツ王ヨハン・シュトラウスの像がある。この旅行中、モーツァルトの像の写真はとうとう撮れなかったのだが、シュトラウスの写真がとれてよかった。公園の中には小さな川(ウィーン川)が流れていて、先ほどの喧騒が嘘のように静かである。我々はこのあと、近くのレストランで夕食となった。夕食は19時頃だった。

ドナウ運河
バスでさっと通り過ぎたが、観光船の発着所が見えた

ヴォティーフ教会尖塔

ウィーン大学

公園の中を流れるウィーン川
シュトラウスの像の近くに「美しく青きドナウ」ならぬ「ウィーン川」が流れている。そういえば、ウィーンでドナウ川を見ることはできなかった。残念

ヨハン・シュトラウス像
ウィーンといえばワルツ、ワルツといえばヨハンシュトラウス。リンクに隣接して広がる市立公園の中にヨハン・シュトラウスの像が建っている

付録・王宮音楽会
ウィーンの夜は、実はこれで終わりではなかった。希望者だけだが、王宮で催される音楽会に参加できることになったのだ。これは王宮の中のホールで行われ、ヨハン・シュトラウスとモーツァルトの作品を主とした親しみやすいコンサートである。開演は20:30なので、それまでに王宮内の「レトウテンザール」というホールに集まる。このホールは部屋の装飾や壁面の絵画などからみて、音楽だけではなく多目的に使われるようだ。なお、我々は道が不案内なので、ホールの近くまでタクシーを利用した。この際、ツアーメンバーのウィーン在住の知人にお世話になった。
音楽会は20:30に時間通り始まり、まずは「美しく青きドナウ」の演奏。そのあといくつかシュトラウスの楽しい作品が続き、やがてモーツァルトのオペラのアリアなどが出てくる。このとき、日本の男性オペラ歌手が出演した。私は知らなかったが、日本でも最近名の知られている歌手だという。この音楽会で驚いたのは、演奏の途中であちこちからカメラのフラッシュが光ることだ。観光客が多いからだろうか、特にとがめられることもない。今まで日本の音楽会でこのような光景を見たことはない。いくつかのアンコールがあり、最後は定番のラデツキー行進曲でお開きとなった。なかなか楽しい音楽会だった。
音楽会の余韻がさめやらぬまま、夜の大通りを歩く。王宮のミヒャエル門からコールマルクト通りに出て、そのあとグラーベン通りのペスト記念碑の前を通った。それから先はバスの時間が気になり、かなり早足で歩いたので写真をとっている暇はなかった。ようやく目的の路線バスに間に合い、コンピューター・シュトラーセという停留所で降りた。そこから5分くらい歩いて、ホテルに着いたのは23時を過ぎていた。明日はこの同じホテルに連泊するので、気分的にゆっくりすることができる。それにしても、皆様お疲れ様でした。

王宮のミヒャエル門
門の前はミヒャエル広場になっており、コールマルクト通りに続いている

王宮音楽会の会場(開演前)
「レトウテンザール」という多目的に使われるホールのようだ。会場はほぼ満員だった

グラーベン通りに建つペスト記念碑
じっくり見ている暇はなく、足早に通り過ぎた。バスの時間が気になっていたのだ。この辺りで22:30頃だった

コールマルクト通り
王宮に続く賑やかな大通りである。ティファニーなどの看板が見える

納骨堂の中の様子
頭蓋骨が並べられ、それぞれには名前や年号、きれいな絵などが描かれている

カトリック教会の墓地
十字架の墓標にはそれぞれ小さな屋根がかけられている。高台にある墓地からは湖の眺めがよい

庭園より噴水、グロリエッテを望む

庭園より宮殿の全景を望む

シュテファン寺院周辺の様子
近くに地下鉄のシュテファンスプラッツ駅やグラーベン通り、ケルントナー通りがあり、大変人通りが多い

シュテファン寺院
18時を過ぎていたので中には入れなかった。モザイク模様が美しいウィーンのシンボル

メルキュール カプツィーナベルク
ザルツブルク南郊にあるホテル。小規模だが設備は整っている

ホテルの部屋から見た外の様子
ホテルの部屋からは散歩道らしいものも見えるが、今日は散歩している時間はない