聖堂内の様子
聖堂内は荘厳な雰囲気である。一角に聖なる右手」というイシュトヴァーン1世の右手のミイラが安置され、見学できる

聖イシュトヴァーン大聖堂
ハンガリーの建国1000年を記念して建てられたネオルネサンス様式の教会

ドイツ・オーストリア旅行記

ブダペスト終日観光

本日は、ツアー観光の最終日である。ウィーン終日自由行動あるいはオプショナルのブダペスト終日観光のどちらかを選ぶ。私たちはブダペストの終日観光に出かけることにしている。


ウィーンからブダペストへ
昨夜はウィーン王宮での音楽会を楽しんだためホテルに着いたのが遅く、就寝したのは0時を過ぎていた。本日のホテル出発は7:30なので、5時頃には起床、7時までには朝食を済ませた。
本日のオプショナルツアーに参加する人は14人、全体の半分以下の人数である。バスは昨日までの車と同じなので、ゆったりと座ることができる。
ウィーンを出たバスは、ブダペストに向けた幹線道路をひた走る。70分くらい走ってトイレ休憩となった。駐車場の近くに現在は使われていないらしい施設が見えた。添乗員さんの話では、これはかつてのオーストリアとハンガリーの国境検問所のあとで、数年前まではここで長い行列を作って検問を受けたものだという。ハンガリーは2004年にEU加盟が認められた。その結果、他のEU諸国と同じように国境検問が廃止されたのだ。ただし、ユーロへの通貨統合はまだで、ハンガリーの通貨フォリント(Ft)が使われている。土産物店ではユーロも使えるので、あまり両替する必要はないということで、昼食の飲み物やチップなどに必要と思われる最小限の額を両替しておいた。(1000円で1500Ftくらい。検問所跡近くに両替店がある)
国境を越えても車窓からの風景はあまり変わらない。やがて遠くに丘陵地帯が見えてくるが、この丘陵のふもとの辺りにはドナウ川が流れているはずだ。

オーストリア、ハンガリー国境施設跡
つい2,3年前まで使用されていたが、2004年にハンガリーのEU加盟が認められ、検問所は廃止となった。通貨統合はまだで、近くに両替所がある

ハンガリーの車窓風景
基本的にはオーストリア側と変わらない。なだらかな丘陵が見えるが、その手前をドナウ川が流れているはずだ

オーストリアの車窓風景
ウィーン郊外、田園のむこうに集落、教会の尖塔などが見える。

ブダペスト

ブダペストはハンガリーの首都である。今でこそオーストリアのウィーンから車で4時間足らずで気軽に訪れることができるが、かつては共産圏に属し、国境を通過するのは大変なことだった。ハンガリーでは1989年、共産党にかわる民主化政権が成立した。その後、2004年にはEUへの加盟を果たしている。ちなみに、この2004年というのはEUにとっても拡大の節目にあたっており、ハンガリー、チェコ、スロヴァキア、ポーランド、バルト三国などかつての東側諸国を中心に10ヵ国が加盟している。この年に、EUはそれまでの15ヵ国体制から25ヵ国体制に拡大しているのである。


ブダペスト市街のレストランへ
バスはブダペストの街に入ってゆく。まだ、市街地の中心というわけではなさそうだが、全体的に建物の色が暗いものが多く、街の様子は何となく垢抜けない感じがする。我々はこの街の一角でバスを降り、レストランに向かった。

レストランは、ちょっと路地を入ったところにあった。マロニエの木の下に大きな日よけを張ったようなレストランで、大変開放的な雰囲気である。いつもの昼食と違って今日は少々人数は少ないが、いつもどおり楽しい食事タイムである。
旅行会社主催のツアーというのは、それこそ全国からいろいろな人が集まってくる。そのような人たちと楽しく語り合えるのは食事のときである。このときにどこから来たのかとか、これまでにどのような国へ行ったのかとかいろいろな話題が出る。しばらく前まではツアーメンバーの詳しい自己紹介などがあったものだが、近頃では個人情報保護の見地からこのようなことはあまり行われなくなったので、この食事時の情報交換が大切な場になっているのだ。

レストラン内部の様子(食事前)
この日はいつもよりこじんまりとした人数だったが、いつもどおり楽しい会話がはずんだ

レストラン付近の様子
このレストランは庭に簡易な日よけを張ったような大変開放的な造りで、静かで明るい雰囲気である

ドナウ河畔、王宮の丘へ
昼食が終わり、ふたたびバスに乗り王宮の丘に向かう。バスはドナウ川に架かる「くさり橋」の手前で曲がり、「王宮の丘」に登ってゆく。王宮の丘は、かつての王宮や「漁夫の砦」と呼ばれる砦跡などがあり、ドナウ川をはさんでブダペスト全体を見渡すことのできる展望台にもなっている。

駐車場付近から王宮の丘を望む
ここから王宮の丘を望むことができる。丘の上にはかつての王宮、「漁夫の砦」と呼ばれる砦跡などがあり、ブダペスト全体を眺めることのできる展望台になっている

くさり橋
1849年に10年の歳月をかけて完成したこの橋は、ドナウにかかる橋の中で最も美しい橋といわれている。夜、ライトアップされた橋の電球が、光のくさりのように見えることから「くさり橋」と呼ばれている。市民にとっては歴史とともに歩んできた特別な場所でもある

バスを降り、坂を上ってゆくと王宮の丘の中心広場に出る。ここには、ハンガリー建国の父と呼ばれる聖イシュトヴァーン騎馬像と三位一体像が建っている。広場の横にはマーチャーシュ教会がある。

三位一体像
マーチャーシュ教会前に建つ像で、ペスト終焉記念と悪病がふたたび流行らないことを願って建てられた

聖イシュトヴァーン騎馬像
ハンガリー建国の父と呼ばれる聖イシュトヴァーンの像。二重の十字架を手にしている。この由来は、ハンガリーをキリスト教国として発展させたこと、国内の大司教を決定する権限をローマ法王から与えられたことの二つを表している

ハンガリーという国
ハンガリーという国は日本人にはなじみが薄いのだが、その先祖をたどれば東方からやってきたアジア系の民族である。最初にフン(匈奴)人が、草原を横切ってこの地に達した。4世紀の後半、東ヨーロッパに住んでいたゲルマン人はその勢いに抗しかねてドナウ川を越えてローマ領内に逃げ込んだ。この事件が、事実上、その後のゲルマン人大移動の開始をつげた、とされる(むろん、大移動にはその他にもいろいろな要因があるのだが)。フン族はやがて滅ぼされてしまい、その後、9世紀になるとやはり東方系のマジャール族が進入し、この地に定住するに至る。
その後、数々の試練を経てキリスト教に改宗したイシュトヴァーン1世がローマ教皇から王冠を授かり、初代国王となったのが西暦1000年。ここからハンガリー王国の歴史が始まった。

マーチャーシュ教会
我々はまず、マーチャーシュ教会の見学からはじめた。この教会は、13世紀半ばにロマネスク様式で建築されたが、15世紀のマーチャーシュ1世のときにゴシック様式に造り変えられた。さらに、16世紀にトルコによってモスクに改装されたが、17世紀にふたたびカトリック教会に戻った。ハンガリーの歴史を垣間見るような建物だ。現在、改修工事中で建物の一部だけしか見えないのは残念だった。

マーチャーシュ教会内部の様子
1867年に、ハンガリー・オーストリア二重帝国成立により、ハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフ1世とエルジュベート皇妃の戴冠式がここで行われた

マーチャーシュ教会
13世紀に建築されたが、16世紀にはトルコ軍によってモスクに改装されるなどいろいろな変遷があった。現在改修工事中で、建物の全貌を見ることは出来なかった

漁夫の砦
マーチャーシュ教会を出て広場を横切ると、石段があり、これを登ると漁夫の砦に出る。これは1896年、建国1000年を記念したモニュメントとして建設がはじまり、1902年に完成した白亜の砦である。見晴らしのよい場所に建ち、現在は王宮の丘の名所になっている。

漁夫の砦上部の様子
砦の上は散策通路となっており、ここからのブダペストの眺めが大変よい。王宮の丘の一大名所となっている

漁夫の砦
1896年に、建国1000年のモニュメントとして建設がはじまった。「漁夫の砦」という名は、かつてこの場所に魚市場があったという説や、漁師組合がこの地を守っていたからという説など諸説あるようである

漁夫の砦からのドナウ川とブダペスト市街の眺め
漁夫の砦からのブダペスト市街の眺めはすばらしい。何よりも、今回の旅ではじめてドナウ川の雄大な姿を見ることができたのがうれしかった。ブダペストの街は、ドナウ川をはさんでブダとペストに分かれる。今、我々が立っている王宮のあるほうがブダ地区であり、川を渡って向こう側がペスト地区である。ブダ地区は小高い丘になっており、王宮などが建ち歴史は古い。ペスト地区は商業地区として発展したため、現在も繁華街が集中している。なお、ブダペストは「ドナウ河岸・ブダ地区とアントラーシュ通りを含むブダペスト」として2002年に世界遺産に登録された。

くさり橋、川港方面を望む (ドナウ川下流方向)
国会議事堂から少し下ったところにくさり橋が架かっている。ドナウ川に架かる橋のうちで最も美しいといわれる橋の全貌が見える。橋の近くは川港となっており、たくさんの大きな船が停泊している

マルギット橋、マルギット島方面を望む (ドナウ川上流方向)
国会議事堂の上流には、マルギット橋が見える。左に見える緑の島はマルギット島である。この島はハプスブルク統治時代に島全体が美しい公園に整備された。現在は野外劇場、バラ園、ホテル、プールなどがあり、休日には多くの市民でにぎわっている

くさり橋を渡ってペスト地区へ
漁夫の砦からの眺望を満喫したあと、我々は王宮広場近くの民芸品店に案内された。買物タイムが終わると再びバスに乗り、ペスト地区に向かう。バスは来たときと同じ道を戻り、今度はくさり橋を渡る。バスの車窓から堂々たる大河・ドナウ川を間近に見ることができた。上流側にはマルギット橋、そして大きな中州のマルギット島が見える。

ドナウ川のこと
ドナウ川の源流は、スイス国境に近いドイツにある。私たちは今回の旅でドイツを流れるドナウ川をちらりと見た。まだまだ小さな川だった。やがてオーストリアに入り、ウィーンでは「美しく青きドナウ」と称えられる大河となる。その後、チェコ国内を少し流れたあと、ハンガリーに入ってくる。ハンガリーに入ってすぐのところで、それまで東に流れていた川は大きく南に向きを変える。私たちがブダペストで見たドナウ川は北から南に向かって流れているのだ。ハンガリーを出たドナウ川は、ユーゴスラヴィアに入ってからまた東に向きを変え、そのあとルーマニア、ブルガリア、ロシアを経て黒海に注ぐ。全長2840km、ヨーロッパではヴォルガ川に次ぐ第二の大河である。

ブダペスト市街の様子
レストラン付近の大通りで、車の交通量も多い。建物は住居が主で、暗い色調のものが多いようだ

ブダペスト市街の大通りの様子
通りには路面電車が走る。両側の歩道には商店が建ち並ぶが、あまり賑やかではない

正面の国会議事堂方面を望む
ドナウ川の対岸はペスト地区である。川沿いに建つ国会議事堂は、17年の歳月を費やし1902年に完成。外観はネオ・ゴシック、中央ドームはルネサンスと様々な様式を取り混ぜている。中央ドームにはイシュトヴァーン国王以来代々受け継がれた王冠が飾られ見学できる

国会議事堂周辺
バスはくさり橋を渡り、ペスト市街に入ってゆく。まずは国会議事堂周辺へ。車窓から外観を見学する。建物の前には観光客の姿も多い。つぎにバスは目抜き通りを通って聖イシュトヴァーン大聖堂に向かう。

くさり橋よりドナウ川下流方向を望む
くさり橋の近くに船の発着所が見える。向こうに見える橋はエルジェーベト橋。ブダペストのドナウ川には全部で6本の橋がかけられている

くさり橋よりドナウ川上流方向を望む
国会議事堂はドナウ河畔のすぐ近くに建っている。マルギット橋は中州のマルギット島にも立寄る形でかけられている。間近で見るドナウ川は堂々たる大河である

議事堂付近の街路の様子
商店が軒を連ね、賑やかである

国会議事堂正面
1902年に17年の歳月をかけて完成したネオゴシックの建物である

聖イシュトヴァーン大聖堂
聖イシュトヴァーン大聖堂の近くで我々はバスを降りた。ブダペストでの最後の見学地である。この聖堂はハンガリー建国1000年を記念して、約50年の歳月をかけて造られたネオルネサンス様式の教会。聖堂内には、「聖なる右手」と呼ばれる聖イシュトヴァーンの右手のミイラが安置され、見学できるようになっている。

ペスト市街を通り、再びくさり橋を渡って一路ウィーンへ
聖堂見学後はペスト市街を車窓から眺め、再びくさり橋を渡って一路ウィーンへ向かった。イシュトヴァーン聖堂を出発したのが15:30頃、往路と同じ道を通ってウィーンのホテルに到着したのは19時頃だった。
かくしてブダペストの一日観光は終わった。はじめにも記したように、この日はウィーンの一日自由行動か、ブダペスト観光かどちらかを選択するのだが、結果としてブダペストの観光を選択したのはよかったと思っている。何よりもドナウ川の雄大な流れを見ることができたのが最大の理由である。しかし、こちらへ来たためにウィーンでの観光時間が少なすぎたという不満も残る。ウィーンできちんと見学したのはシェーンブルン宮殿だけなのだから。パリとウィーンは、私の「もう一度訪れたい都市」のリストに入れておきたい。(実現の可否は別として)

ハンガリー国内の高速道路
ブダペストからウィーンに向かう高速道路の様子である

ペスト市街の様子
ペストで一番の繁華街、アンドラーシ大通りが始まる辺りの様子

ドイツ・オーストリア旅行記

ウィーンから帰国の途へ。成田到着

本日は、いよいよウィーンを離れる日である。ウィーン空港を昼頃飛び立ち、コペンハーゲンを経由して成田に到着するのは明日の朝になる予定である。


ウィーンでのホテルの様子
ウィーンでは、同じホテルに連泊した。「アパートメントホテル ウィーン」というホテルで、その名の通り部屋の一角に調理台が設けられ、自炊ができるような造りになっている。ホテルの周りは大きな緑地となっており、朝の出発までの間、散歩したが、散歩やジョギングしている人を何人も見かけた。
今回のツアーのホテルはすべて郊外の静かな環境にあり、バス旅行の利点がよく生かされていた。

ホテル周辺の散歩道
広い緑地となっており、散歩やジョギングをする人を多く見かけた。ピンクや白のマロニエの花がきれいだった

アパートメントホテル ウィーンの室内
長期滞在に便利なように調理台、水道、コンセントなどが設備されている

ウィーンからコペンハーゲン経由で成田へ
ホテルを8:30頃出発し、ウィーン空港に着いたのは9:30頃。諸手続きを終えて出発は11:40の予定だったが、結局1時間遅れて12:40頃にウィーン空港を飛び立った。途中、コペンハーゲンで乗り継いで、成田に到着したのは、日本時間で5月16日9:30頃だった。



無事、旅行を終わって

無事、旅行を終わって振り返ってみると、期間的にはあっという間の出来事でした。しかし、旅行を終わって長い時間をかけて写真を整理し、場所や名前、関連の事項をいろいろと調べてゆくと、旅行のとき知らなかったことなどもいろいろと分かってきて、旅の興味がさらに増します。
私は、旅行の際には、とにかく目についてこれはと思ったものは、すべて写真にとってしまうことにしています。もちろんデジカメなので、あとで不要と思えばいつでも消すことができます。写真さえあれば、後日これを頼りに関連の資料を調べることもできるし、撮影日時も記録されているので時間を追って旅を振り返ることもできます。
このようにして出来上がったのがこの旅行記です。これからこの地域を旅行してみようと思われる方には、大体こんなもんだということが分かっていただければよいし、既にこの地域を旅行された方にも、ああそうだったのかということがいくらかでもあればうれしく思います。
長い間、この旅行記をご覧いただき、ありがとうございました。


                    2008.6.29  尺取虫 記

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