フランス大周遊の旅

第5日目(4月13日) リヨン〜ブールジュ〜ロワール地方〜トゥール

今日はリヨンからトゥールまでフランス中央部を貫いて約550Kmのバスの旅である。途中、ブールジュの大聖堂とロワール地方のシュノンソー城を見物する。

リヨンからブールジュまで

今日も8時にホテルを出発する。リヨンの市街は昨日夕方に着いて今日の朝早くにはバスで通り過ぎてしまったので、大きな町の割にはあまり印象に残らなかった。
リヨンからブールジュまでは約370Km、東京から仙台までくらいの距離がある。行程表では約5時間バスに乗り続けることになっている。この区間はちょうどフランス国土の中央部で、中央高地といわれる地域を横切るようだ。道には緩やかな起伏があり、遠くには山並みが続いている。しかし、車窓から見る限りではあまり高い山は見られない。ゆるい斜面には牧草を食む牛の姿がそこかしこで見られる。牛は全身真っ白いものが多く、時々白と茶のブチのものも見かける。日本の牛とは種類が違うようだ。

リヨン〜ブールジュの車窓風景A
ゆるい斜面には牧草を食む牛の姿があちこちで見られる。ほとんど白い牛だ

リヨン〜ブールジュの車窓風景@
遠くに中央高地の山々が見えるが、あまり高い山はないようだ

ブールジュ

途中何回かのトイレ休憩をはさみながら、ようやくブールジュの町に着いた。鄙びた小さな町だ。鉄道の駅の前でバスが停まってしばらく動かない。レストランの場所が分からないので、案内の車が来るのを待っているのだという。無事レストランに着いて昼食となった。メニューはポテトペストリー、魚料理、ケーキ。、それに、私たちは水代わりのロゼ・ワインを必ず注文する。
昼食後、バスで少し移動し、ブールジュ大聖堂(サン・テティエンヌ寺院)へ。ゴシック様式の大きな聖堂だ。普通、聖堂は十字架型に交差する部分があるのだが、この建物はそれがない。そのため内部は非常に広く感じる。この寺院のもう一つの特徴は、ほとんどすべての窓が鮮やかな色彩のステンドグラスで飾られていることだ。昔は、この絵を用いて牧師さんが物語や説教をしたのだという。なお、この聖堂の西正門には、最後の審判を描いたタンパン(半円壁)があるというが、残念ながら修復工事中で見ることはできなかった。

ブールジュ大聖堂(サン・テティエンヌ寺院)

ブールジュの町角にて
街道沿いの小さな町といった感じだ

聖堂内部のステンドグラス
色鮮やかなステンドグラス。昔はこれらの絵を用いて牧師さんが物語や説教をした

ブールジュ大聖堂の内部
建物に十字架型の交差部分がないので、内部が広く感じる

ブールジュからトゥールへ

ブールジュからトゥールに向かう。高速道路に入り、まずはトゥール近郊のシュノンソー城を目指す。そこまで115Km、約2時間半のバスの旅である。車窓からは果てしない緑の田園が広がっている。
フランス中央高地に源を発し、大西洋に注ぎ込むロワール川という川がある。フランスを東から西に流れ、長さ1000Kmに及ぶフランス一長い川である。この川に沿って、オルレアン、トゥールなどをはじめとする数々の町が栄えた。このロワール地方はフランスの王侯たちに愛され、ロワール河畔には数々の城館が建てられた。ここに今も残る壮麗な宮殿や城は、フランスの大きな魅力になっている。

シュノンソー城

高速道路を降り、しばらく一般道路を走るとシュノンソー城の入口に着く。このお城はロワール地方に残る数々の城館の中の一つである。
入口の門を入るとプラタナスの並木道がまっすぐに続き、その先に白い城館が小さく見える。すばらしい並木道をゆっくりと歩いてゆくと、お城がだんだんと大きくなり全貌を現す。建物の正面右側にはルネサンス風の彫刻を施した入口がある。入口までの間に小さい橋を渡る。実は、この建物は川の中に建てられているのだ。この川は、ロワール川の支流、シェール川である。かつてこの場所には大きな水車があり、その基盤の上にこの建物を建てたのだという。建物の前方、道の両側にはよく手入れされた広い庭園がある。

シュノンソー城正面の様子
右側の主塔の下が入口になっている
道の両側には広い庭園が広がっている

シュノンソー城の入口門から続く並木道
並木の先に城館が小さく見える。昔はこの道を馬車で走り抜けたのだろう

シュノンソー城側面の様子
この建物はロワール川の支流、シェール川の上に建てられている珍しい構造だ

城の前面に広がる庭園
庭園は左右両側にあり、それぞれ様相が違う。城主の本妻と愛人がそれぞれに作ったのだという

この城は16世紀に新興の財産家によって作られた。彼は川の上に城館を建てるというアイデアを出したが、忙しかったので妻がもっぱら設計や工事の指図をした。彼女は銀行家の娘であり、それまでの城館建築の常識に反することを二つ行なった。その一つは階段をまっすぐにしたことである。それまでの城館では、敵の侵入を防ぐ目的から階段は必ずラセン階段になっていた。この時代にはもうその必要性はなくなっていたのに、そのまま踏襲されていたのである。この建築の後は、まっすぐな階段はフランス中に広がったという。
二つ目は、建物の中に廊下を設けたことである。それまでの建物には廊下という概念がなく、部屋から部屋を渡り歩かなければならなかった。お客が一番奥の部屋に通されるまでに舞台裏がすべて見えてしまいプライバシーの保護ができない。というわけで、直接目的の部屋へ行ける廊下を設けた。これは女性ならではの発想だっただろう。ただし、これはあまりすぐには普及しなかった。この城より150年後に建てられたヴェルサイユ宮殿にも廊下はない。
このお城はその後フランス国王アンリ2世の所有となり、その愛人のディアーヌ・ポアチエに贈られた。彼女は立派な庭園を造った(左側の庭園)。その後、本妻のカトリーヌが住み、右側の庭園を造成した。
さらにその後、所有者が転々とし、18世紀になって資産家のデュパンに引き継がれた。その夫人は城を昔の姿に復元することにつとめるとともに、フランス当代一流の文化人を招いた。ジャンジャック・ルソーは夫人の秘書になり、その息子の家庭教師も勤め、有名な教育論「エミール」を書いた。彼の著書の中にはこの城で過ごした満ち足りた日々のありさまが述べられているという。(以上、「フランスの城と街道」紅山雪夫著より)
長々とお城のことを書いてしまったが、このようないろいろな歴史をもった建物だと思って眺めると、また新たな感興がわいてくる。

天蓋つきのベッドのある寝室
数あるお城の中には今はホテルになっていて、このような部屋に泊まれるところもあるらしい

城内の廊下
この廊下の両側に部屋が並んでいる。この建物以前には廊下という概念はなかった

トゥール

シュノンソー城を見学した後、トゥールのホテルに向かう。トゥールの町の歴史はローマ時代までさかのぼるが、第2次世界大戦で強烈な爆撃を受けたために町はあらかた破壊されたという。
バスは町の中心部を走らなかったので、町の様子はよく分からなかった。我々が宿泊したホテルは閑静な住宅地にある規模の小さなホテルだった。夕食はホテルにて。メニューはベーコンのサラダ、ポークカレーソース、パイナップルのカルパッチョ。
今日は合計550Kmもバスに乗り、その間ずっと緑の大平原が続いていた。フランスの国土の広さを実感した1日だった。