大時計塔通り
土曜日でもあり、観光客が多かった。時計塔の上部は工事中。時計自体は意外と低い位置にあった

大聖堂前の広場
大聖堂正面扉の向かい側、写真左のアパート2階の一室からモネは大聖堂の連作を描いた

旧港周囲の様子
港の周囲は古い建物や屋台などが並び、観光客や地元の人で賑わっている

オンフルールの旧港風景
旧港というのはどこでも大型プレジャーボートの係留地になっているようだ

フランス大周遊の旅

第7日目(4月15日) モンサンミッシェル〜オンフルール〜ルーアン〜パリ

今日は、モンサンミッシェルからオンフルール、ルーアンを経てパリまで、総行程約390Kmのバスの旅である。


モンサンミッシェル〜オンフルール

今日は8:30にホテルを出発する。いつもよりは少しゆっくりだ。バスは一般道路を少し走ってから高速道路に入る。これから向かうオンフルールは古い小さな港町である。このあたりはノルマンディー地方といわれる。海の向こうはもうイギリスであり、昔からイギリスとのかかわりは深かった。14〜15世紀には英仏100年戦争が起こり、この地方は激戦地となった。途中に小さな半島があり、バスは海岸線を通らないが、この半島の先端のシェルブールからカンの間の海岸線は第2次世界大戦で連合国によるノルマンディー上陸作戦が行われた場所である。
車窓からの風景は昨日までと同じように緑の牧草地が続き、牛や馬が牧草を食んでいる。途中のトイレ休憩をはさみ、やがてバスは高速を降りオンフルールの町に着いた。

オンフルール

オンフルールでは、まずレストランで食事をしてから町の観光をする予定である。バスの運転手が昨日代わり、迅速な運転に気を使ったようで、今度は目的地への到着が早すぎてしまった。レストランの準備がまだできていないというので、とりあえずバスに乗って港の見えるところまで行って時間をつぶすことになった。
オンフルールは小さな港町である。バスの駐車したところは新港の岸壁で、観光船や小さな貨物船などが停泊していた。また、この町はセーヌ川の河口に位置するのだが、港を囲む防波堤などで河口の様子は見えなかった。(右写真は新港岸壁から外海方面を望む)
ところで印象派の画家モネは、オンフルールとセーヌ川をはさんで対岸にあるル・アーブルの町で子供時代を過ごし、画家になってからもしばらくこの付近に住んだ。オンフルール付近の海岸や村の様子を描いた絵もたくさん残されており、また機会があったら描かれた場所を訪れてみたいと思った。

適宜時間をすごした後、レストランに着いた。メニューは、ムール貝のノルマンディー風、クレープきのこクリーム、メレンゲ。このときのムール貝は非常に印象に残っている。めいめいの大きなお皿にワイン蒸しされたムール貝がてんこ盛りである。私はこの旅行で料理の写真は1枚も撮らなかったが、この写真だけはとっておけばよかったなと思うほどだ。皿いっぱいの視覚的効果もあり、貝だけでおなかいっぱいになってしまった。味も大変おいしかった、

満ち足りた気持ちで食事を終わり、バスで再び先ほどの場所に戻る。ここから町の観光開始である。少し歩くと旧港が広がり、港の周りには古い建物が建ち並んでいる。これまでの旧港でもそうだったが、旧港というのはほとんど大型ヨットなどプレジャーボートの係留場所として使用されているようだ。これは周囲の風景ともマッチしており、フランス風のよい活用方法なのかもしれない。

旧港から少し歩いたところにサント・カトリーヌ教会がある。この教会はフランスでは珍しい木造の教会である。船大工の技術を駆使して建てられたという港町らしいエピソードがある。その隣にある鐘楼は教会の建物とは別棟で、これももちろん木造である。

教会の内部
木の太い柱がフランスでは奇異に感じる
右写真は隣接する木造の鐘楼

サント・カトリーヌ教会正面
木造教会で、フランスでは最大規模である

オンフルールからルーアン

オンフルールからルーアンまでは76Km、約1時間半の行程である。セーヌ川はオンフルール付近で海に注ぐが、ここから遡ればこれから向かうルーアン、パリへと達する。オンフルールからルーアンの間はセーヌ川の左岸を走るのだが、バスの車窓からはこれまでと変わらず平原と丘陵地帯が続くだけだった。この間でセーヌ川は大きく何回も蛇行しており、高速道路はこれを避けて川から離れたところをまっすぐに延びているのだ。やがてバスは高速道路を降り、セーヌ川を渡ってルーアンの旧市街に入った。

ルーアン

ノートルダム大聖堂の前の広場でバスを降り、ここから徒歩で市内を見物する。あいにく小雨模様の天気である。目の前の大聖堂は14世紀の建築で、フランボワイヤン・ゴシック様式の代表作といわれている。この聖堂の美しさに魅せられた画家モネは、このルーアン大聖堂の連作を描いた。この連作に取り組むのは1892年と翌93年の2回で、作品は全部で30枚にも及んだ。描く位置はほとんど同じで、季節や時間、天候による光の違いを描き分けている。右下の写真は作品のうちの1枚で、「アルバーヌの塔と正面扉口、曇り日」と題されている。ちょうど今日と同じような天候なのだろうか、光の具合が似ている。

大聖堂の前は広場になっており、今日は土曜日で観光客が多い。大聖堂正面のちょうど向かい側のアパートの一室からモネは大聖堂を観察し、季節や時間、天候によって変化する大聖堂の連作を描いた。大聖堂の内部を見学してから広場を横切り、大時計通りに向かう。この通りは歩行者専用で、やはり観光客が多かった。時計塔の下をくぐって通るのだが、塔の上部が修復工事中だったので最初は時計に気がつかなかった。大時計は意外に低い位置にあった。

ルーアンといえば、ジャンヌダルクが処刑された場所としても有名である。我々は次に、彼女が火焙りの刑に処せられたという場所に向かった。オルレアンの少女ジャンヌダルクは、1429年5月、オルレアンを包囲していたイギリス軍から町を解放し、フランス史上もっとも愛されるヒロインとなった。しかし、その後不運が重なって彼女はイギリス軍に引き渡され、1431年にここルーアンで魔女として火焙りの刑に処せられた。
ジャンヌダルクが火焙りの刑に処せられたという場所には説明板が立ち、周囲は花でおおわれている。そのすぐ横には彼女の栄光をたたえる新しい教会が建てられた。この建物はごく現代的な三角ドームの建物で、内部の様子も古い伝統を取り入れながらも現代風のつくりであった。

ルーアン〜パリ

ルーアンの見学を終わり、バスに乗ってパリに向かう。パリまでは130Km、約2時間のバス旅だ。パリに近づくにつれ、遠くの丘陵地帯に建つ家の数もだんだんと増えてきたようだ。やがて高速をおり、パリ市街の道を走る。平日だと帰宅ラッシュで大混雑するのですよという道をすんなりと抜け、市内のホテルに着いたのは19時頃だった。夕食はホテル内でメニューは、テリーヌの前菜、ビーフのデミグラスソース煮込み、フルーツタルト。さあ、いよいよ明日は花の都パリの見物だ。

教会内部の様子
外観と同じように内部も大変に斬新だ。ステンドグラスなどの伝統は守っている

ジャンヌダルク教会
彼女の栄光をたたえるため処刑の場所に隣接して新しく建てられた教会

ジャンヌダルクが処刑された場所
周囲にはは花が植えられ陰惨な印象を払拭している
バックの木組みの壁の家が美しい

モネ「アルバーヌの塔と正面扉口 曇り日」
同じ位置から色彩を変えたもの、少し違う位置からのものなど全部で30枚もの連作の1枚

ノートルダム大聖堂正面
フランボワイヤンとは「炎」の意味で尖塔の装飾などはまさに炎のようだ
モネはその美しさに魅せられ色の変化する連作を描いた