フランス大周遊の旅

第8日目(4月16日) パリ: ルーブル美術館〜ノートルダム寺院〜ヴェルサイユ宮殿〜パリ自由散策〜セーヌ川クルーズ

今日は1日パリ観光である。南のニースからはるばるやってきたおのぼりさんが花の都パリに着いて、これから憧れのパリを見物しようとワクワクしている図が想像できる。私たちもパリは初めてである。丸1日かけてルーブル美術館、ノートルダム寺院、ヴェルサイユ宮殿などのメイン施設を巡り、最後にはセーヌ川クルーズで川からのパリを眺めようという趣向である。夕食までの間、3時間くらい自由時間があるのも楽しみである。

ホテルからエッフェル塔前を経てルーブル美術館

ホテルを8:30に出発する。今日は日曜日でそれほど車も多くないので、バスはスムーズに市街を走る。やがてエッフェル塔のよく見えるところでバスは停まった。写真タイムである。ここで今回のツアー参加者全員の集合写真を撮った。エッフェル塔は日本人にもおなじみだし、何よりこの辺にはそれほど観光客が多くないので集合写真の場所として適切なのかもしれない。近くに「平和の壁」というガラスの壁が立っていて、平和という言葉がいろいろな国の言葉で書かれている。その一番上の目立つところに大きく「平和」と日本語で書かれている。ここで写真をとることの多い日本人へのサービスかもしれないと思った。後ろを振り向くと塔屋に三色旗のはためく建物が見える。陸軍士官学校である。ナポレオンはこの学校を1785年に卒業している。写真をとった後、バスに乗り込みルーブル美術館に向かう。

エッフェル塔をバックに
1889年、フランス革命100周年を記念して建てられた。はじめは20年の期限付きで建設されたが、その後アンテナ塔として存続されることになった

陸軍士官学校
エッフェル塔に向かい合って建っている。1785年にナポレオンが卒業している

ルーブル美術館

バスはルーブル美術館の地下駐車場に停まった。美術館の入口は地下にある。ナポレオンホールといわれるこの広場にはすでにたくさんの人が集まっている。このホールの上はガラスのピラミッドとなっており、ホールには自然光がさしこむ。少し待った後チケットを渡され、いよいよ中に入る。

チュイルリー公園方面よりルーブル美術館を望む
12世紀に城砦として建てられたルーブルが美術館となったのはフランス革命後の1793年。開館200周年となる1993年を機に大改造が行われ、中庭にガラスのピラミッドが新設され、リシュリュー翼が新しい展示翼としてオープン。現在のコレクション数は30万点以上

我々のルーブル美術館見学予定時間は1時間である。効率的に回るため16、7人ずつの二つのグループに分け、それぞれのグループに日本人ガイドがついた。1時間で「ルーブルを見た」という満足感をもたせなければいけないのだから、ガイドの役割は大変大きい。
それぞれのガイドに率いられて、走るがごとく見学が始まった。まず、1階の古代ギリシャ美術室からである。少し奥まったところに「ミロのヴィーナス」像があった。ここまでの途中にごく平凡なヴィーナス像があり、それとの比較でこのミロのヴィーナスの優れた点を説明してくれた。確かにすばらしい。次に「サモトラケ島のニケ」。これは2階の階段を登ってすぐのところに展示してある。躍動感がすばらしい。ふと映画タイタニックの一場面を思い出した。

次にモナリザの部屋に入った。さすがに人が多い。ここでは撮影禁止ということで写真は撮れなかったが、撮れたとしてもこれだけ人が多くては撮影は無理だ。モナリザは特殊な防弾ガラスに守られて永遠の微笑で我々を見つめていた。次に見たのは「聖母子と聖ヨハネ」(ラファエロ)。この絵もよく見る絵だが、実物を見るのは初めてだ。その後もいろいろな絵の前をさっと通ったが、ガイドさんの説明があったのはまず、「ナポレオン1世の戴冠式」(ダビッド)。ナポレオンが妻ジョセフィーヌに王冠を授ける場面を描いたものである。ナポレオンは自分をよりよく見せるために、実際とは違うことを描かせているというような説明があった。次に印象に残ったのは「民衆を導く自由の女神」(ドラクロア)。この絵もよく見る絵だ。1830年、7月革命の時に描かれた。

民衆を導く自由の女神(ドラクロア)
1830年、7月革命の年に描かれた。自由の女神の左側、銃を持った青年はドラクロア自身だとも言われている

ナポレオン1世の戴冠式(ダビッド)
実際には出席していない母を描いたり、人の所作、表情なども自分に都合のよいように画家に描かせたという

サモトラケ島のニケ
風にひらめく衣のひだが躍動的ですばらしい

ミロのヴィーナス
一瞬人込みがきれ、シャッターチャンスがきた。実物はかなり大きなものだ

その後も走るがごとくいくつかの部屋をめぐり、スタート地点のナポレオンホールに戻ったのはほぼ1時間後だった。これでなんとなくルーブル美術館が分かったような気にさせるのだから、ガイドさんの力はたいしたものだ。実際、次に来る時には個人でも回れる自信がついた。
ところで、家に帰ってから録画してあったNHKの「夢の美術館 ルーブル美術館」という番組を見直した。前にも一度見ているのだが、実際に行ってきてから見ると見方がまったく違う。紹介されている作品が前よりも身近に、親しみやすく感じられるのだ。
なお、この番組で最後に視聴者の選んだ「私の好きな作品」の順位を発表していた。参考までに結果を記しておくと、1位「サモトラケ島のニケ」、2位「モナリザ」、3位「ミロのヴィーナス」、4位「ナポレオン1世の戴冠式」、5位「民衆を導く自由の女神」だった。ガイドさんが説明してくれた作品と不思議に符合している。

ノートルダム寺院

ノートルダム寺院はセーヌ川の中の島、シテ島に建っている。ルーブル美術館の地下駐車場からバスに乗り、セーヌ川を渡ればすぐにノートルダム寺院に着く。
今日、4月16日(日曜日)はイースター(復活祭)の当日である。寺院の中では復活祭のミサが盛大に行われていた。我々が入った時にはちょうど神父さんがお説教をしていた。人が多く要所にはモニタテレビが設置されている。中を一回りしようと人の間をかき分けるように進んでゆくうち、賛美歌の斉唱が始まった。演壇の独唱者に女声のバックコーラスがついて会場の全員が斉唱する。天上的なすばらしい響きだった。

ノートルダム寺院ミサ風景
今日は復活祭当日。参会者全員の賛美歌斉唱風景

ノートルダム寺院側面
セーヌ川対岸から見たノートルダム寺院

ノートルダム寺院正面
ノートルダム寺院はセーヌ川の中の島、シテ島に建っている

日本食レストランで昼食

ノートルダム寺院見学後、再びバスに乗り、昼食のレストランに向かう。場所はルーブルの近く、オペラ座通りに並行して一本裏側の通りにある日本食レストランである。それほど広くない店内では、すでに日本人団体客が食事をしていた。フランスに来てから8日目、そろそろ日本食が恋しくなる時期だ。メニューは刺身、焼き魚、てんぷらなどごく普通のおかずにご飯と味噌汁である。。これまでのフランスの料理に慣れた感覚からすると、テーブルの上に所狭しとすべてのものが並んでいる光景は異質に感じる。「いただきまーす」と皆、物も言わずに黙々と食べる。目の前にすべての料理が出ているのだから、食べることに専念するしかない。最後にデザートが出て、短い食事時間は終わった。

日本食レストランの並ぶ一角
ルーブル美術館からほど近い通りに日本食のレストランが集まっている一角がある。「らーめん」などの看板がなつかしい

日本食レストラン「口悦」
我々の入ったレストラン。それほど大きくはないが、日本人団体客でいっぱいだった

ヴェルサイユ宮殿

昼食後は再びバスに乗りヴェルサイユ宮殿に向かう。ヴェルサイユはパリ市内から少し離れたところにある。パリ郊外の小村にすぎなかったこの地に1662年、太陽王ルイ14世が絢爛華美な宮殿の造営を開始した。多くの貴族とともに宮廷がパリから移され、以降フランス革命までの間、政治、経済の中心として栄華を極めた。
館内にはたくさんの見所がある。ここも見学時間は約1時間である。ルーブルと同じように2班に分かれてガイドさんに案内してもらう。館内の1室にルイ14世、ルイ16世、王妃マリー・アントワネットなどの大きな肖像画が掲げられていた。それぞれに特徴のあるそれらしい風貌である。ルイ14世は太陽王といわれ、王政の絶頂期を生きた。ルイ16世は無能王などとあだ名され、不幸な生涯だった。在位中の1789年にフランス革命が勃発し、その後国外に脱出しようとして捕らえられ、結局は断頭台の露と消えてしまう。マリ・アントワネットはオーストリアのハプスブルグ家からルイ16世に嫁ぎ、1789年の民衆暴動の一因ともなったといわれる女性である。他の部屋ではナポレオンの戦勝の場面、戴冠式の場面などナポレオン関係の大作の絵がずらりと並べられていた。有名な「鏡の間」は修復工事中で、全貌を見ることはできなかった。
見学を終わって館内への入口方面を見ると、長蛇の列である。我々が入った時間は13時少し過ぎたくらいの時間でそれほど混んでいなかったが、少しの時間差で大変な混雑になっていた。
我々はこれから再びパリ、ルーブル美術館前に戻り、そこで約3時間の自由時間となる。

ヴェルサイユ宮殿庭園
宮殿の裏側に広がる100万uに及ぶ大庭園。フランス式庭園の最高傑作といわれている

ヴェルサイユ宮殿内部の様子
この部屋には大作の絵が展示されていた。ルーブルで見たナポレオンの戴冠式の絵もあったが少し違うようだ

自由散策  ルーブル美術館前〜オペラ座〜ヴァンドーム広場〜チュイルリー公園〜コンコルド広場〜シャンゼリゼ大通り〜凱旋門付近〜ルーブル美術館前

バスはパリ市内に戻り、ルーブル美術館前の免税店の前で停車した。ここで下車し、まずこの免税店に案内されてから後は約3時間自由時間となる。店はブランド品が中心で高価なものばかりなので、私たちはすぐに店を出て付近を散策することにした。すぐ目の前がオペラ座通りなので、まずこの道をまっすぐ歩きオペラ座まで行く。途中にはブティック、雑貨店などが並び観光客も多い。この通りの突き当たりにオペラ座がある。オペラ座の前からは斜めの道を戻る。途中にヴァンドーム広場があり、真ん中にはナポレオンの立てた大きな記念柱が建っている。周りには高級宝飾店などが並び、その一角に超高級ホテル、リッツがある。
さらにまっすぐ行くとチュイルリー公園にぶつかる。ルーブル美術館の前から続く細長い公園である。ここにはかつてチュイルリー宮殿があったが、1871年のパリコミューンで建物は焼失し、庭園だけが残った。現在はその跡が緑豊かな公園となっている。公園を進んでゆくと前方に大きなオベリスクが見えてくる。このオベリスクの建っている場所がコンコルド広場で、革命後ここにギロチンが設置され、ルイ16世、マリーアントワネットをはじめ多くの政敵が処刑された。恐怖政治の時代、1793年4月から1794年7月までの間に2600人以上の処刑が行われ、最後には恐怖政治の主導者ロベスピエールも断頭台の露と消えた。

コンコルド広場の先からは、シャンゼリゼ大通りがまっすぐに凱旋門までのびている。広い車道の両脇には広い遊歩道が続いている。私たちはこの遊歩道をのんびりと歩いた。凱旋門は遠くに見えているが距離は結構ありそうだ。途中で妻がギブアップ。ベンチで休んでいるから一人で行ってきてという。私はそこから5分ぐらい歩いたが、凱旋門まではまだ距離がありそうなので途中で引き返した。凱旋門の前はバスで通ったので様子は分かる。門の周りはロータリーとなっており、たくさんの観光客の姿が見えた。この凱旋門はナポレオンがオステルリッツの戦勝を祝して建てさせたものだが、彼が生きている間にこの門をくぐることはなかった。
このあと私たちはシャンゼリゼ大通り、チュイルリー公園をまっすぐに戻り、ルーブル美術館前に出た。チュイルリー公園もこのあたりの人出が最も多い。花壇や噴水の向こうにルーブル美術館の全景が見える。写真をとった後、集合場所の免税店前に戻る。まだ集合時間までには30分ぐらいあるので、美術館の地下商店街に足を運んだ。ナポレオンホールに隣接したこの区域には、みやげ物店、飲食店などが並んでいる。

コンコルド広場
広場の中央にエジプトから贈られたオベリスクが建つ。この場所にかつてギロチンが設置され、多くの人の血が流された

チュイルリー公園
ルーブル美術館前から凱旋門方面に向けて細長く続く公園。美術館前付近は特に人が多い。遠くにオベリスクと凱旋門が見える

オペラ座通り
ルーブル美術館からまっすぐにオペラ座までのびている通り。沿道にはブティック、雑貨店などが建ち並び観光客も多い

凱旋門
歩いて到達はできなかったが、バスで前を通った。門の周りはロータリーになっており、観光客に開放されている

シャンゼリゼ大通り
コンコルド広場の先からまっすぐ凱旋門まで続く大通り。パリを代表する道といえるだろう

シャンゼリゼ大通り遊歩道
車道の両脇には広い遊歩道がつけられ、たくさんの人々が歩いている。この辺りには小さな屋台の店などが見られるが、大きな商店はない

ガラスのピラミッド
ナポレオンホールはこの下にある。地上からはここから階段を下りてナポレオンホールに出て、そこから館内に入ることになる

ナポレオンホール
ルーブル美術館への入口である。入口はここしかないので、もし迷子になったらここで待っていてくださいといわれた

集合時間となり、バスでレストランに向かう。メニューは、まず前菜にエスカルゴが出た。フランス料理といえばエスカルゴが連想されるのだが、私はまだ食べたことはなかったし、食卓の上のエスカルゴも見たことがなかった。大きなお皿の上に、1テーブル分としてエスカルゴが12,3コのって出てきた。大きいので、いわゆるカタツムリという感じがしない。私は食材としてすんなりと受け入れられたが、中には食べられないという人もいて、その人たちの分があとから私たちのテーブルに届けられた。料理方法は、一旦中身を殻から取り出し白ワインで蒸した後、つめなおすのだという。これにニンニクや香草などの入ったバターをかけオーブンで焼く。食べ方も食感もサザエのようだ。味は、香草などの香りがやや強いようだったがおいしかった。その後、ポークのトマトソース、デザートにチョコレートケーキが出てフランス最後の夕食は終わった。


セーヌ川クルーズ

夕食もすみ、再びバスに乗ってセーヌ川クルーズの船乗り場に向かう船乗り場はエッフェル塔にほど近いバトー・ムッシュ。ここからセーヌ川をさかのぼり、ノートルダム寺院のあるシテ島の先で引き返し、エッフェル塔、自由の女神像の前まで行って元に戻るというコースである。定時は30分毎の出発だが、人が多いので定員になれば順次出発するという状況だった。船は甲板にいすが並べられ、ここに座れば視野が広い。だんだんと寒くなり、下の船室に入る人も多かったが、私たちは最後まで甲板に陣取り、約1時間のクルーズを楽しんだ。暗くなった夜空の中にフル・イルミネーションで聳え立つエッフェル塔は、フランスでの最後の夜を飾るにふさわしいものだった。

パリの自由の女神像
セーヌ川グルメル橋のたもとに建っている。フランスがアメリカに自由の女神像を贈ったことの返礼としてアメリカ人がフランス革命100周年を記念して贈った。この像は、1998.4.29から1999.5.9までの間、東京のお台場に旅をしたことがある。パリに戻ってきた時、パリっ子たちは「家出娘が帰ってきた」と喜んだそうである。なお、お台場にはその後レプリカが設置され、東京人に親しまれている

フル・イルミネーションのエッフェル塔
エッフェル塔のフル・イルミネーションは1時間毎ぐらいに時間を限って行われるらしいが、我々が近づいたときはまさにその最中だった。チカチカする塔全体のイルミネーションが幻想的ですばらしい!

オルセー美術館を望む
かつて鉄道の駅だったというオルセー美術館が照明に照らされて浮かび上がって見えた

シテ島、 ノートルダム寺院方面を望む
ノートルダム寺院のあるシテ島を通過。手前の建物はパリ警視庁のようだ。シテ島の先のサンルイ島を回って船は引き返す

かくしてフランス最後の夜は終わった。私には、まだ「フランス周遊の旅」の余韻が残っている。次回は「フランス周遊の旅・総集編」を記してみたいと思っている。

ルイ16世
フランス革命勃発後、宮殿を脱出して捕らえられ、結局断頭台の露と消えた

ルイ14世
太陽王といわれフランス王政絶頂期にパリからヴェルサイユに宮殿を移した

ヴェルサイユ宮殿外観
我々が入館したときはそれほどでもなかったが、見学が終わって元に戻った時には長蛇の列になっていた