タージ・マハル・ホテル
1903年建築の歴史的建物。現在は横に高層の新館も建っている

インド門
1911年建造。高さ28m
英国要人到着の折、ここで歓迎式典が行われた

ヴィクトリア・ターミナス駅外観
外に出て駅建物の外観を見てまた驚いた。とても駅の建物とは思えない。この建物はイギリス統治時代の遺産で、当初から駅として建築されたものだという

ヴィクトリア・ターミナス駅コンコース
室内は教会の聖堂風で、窓ガラスはステンドグラスになっている。とても駅とは思えない建築物だ。

ヴィクトリア・ターミナス駅ホーム
この駅は長距離列車の終着駅でもあり、少し離れて長距離特急列車も止まっていた。この駅にも改札口はなく、自由に外に出ることができる
ムンバイ市役所庁舎
イギリス統治時代の遺産で、現在はムンバイ市役所として使用されている。ちなみに、現在のムンバイ市はヒンドゥ至上主義の極右政党が多数派で、旧ボンベイからムンバイへの改称を推進したという。駅の名前やその他の公共的な施設の名前などをヒンドゥにちなんだ名前に順次変えてきているのも同じ考えからだろう

(ムンバイその2)

3月6日(火)
今日は、ムンバイ観光の目玉の一つであるインド門から船に乗り、エレファンタ島の見物をする。
ホテルでの朝食の後、ヒロが迎えに来るまで少し時間があるので、ホテルの周辺を妻と一緒に散歩した。
(朝の散歩)
ホテルの正面入口前は、比較的車も人通りも少ない道である。ここでチャイ売りのおじさんの写真をとらせてもらった。そこから数十メートル先は、車と人がひしめく大通りである。私たちはこの道を散歩した。
後で分かったのだが、この道は鉄道の駅に通じている。歩き始めた時間は9:30頃、通勤時間帯のピークがが何時頃なのか分からないが、勤め人らしい人たちがせかせかと歩いている。私たちも通勤者の群れと一緒になってせかせかと歩いていった。道沿いの商店も、露天の店も準備にあわただしい。すべてがあわただしく動いているのだ。一方、車道のほうは、相変わらす車の列は途切れることなく、警笛の音がやかましい。駅が近いせいか、バスもひっきりなしに通る。歩道が狭くなり、歩行者が車道にはみ出るところもあるが、人と車が互いに相手の動きを見ながらサッサと歩いてゆく。人と車であふれかえる大通り、そこには今のインドを象徴するような熱気と活気にあふれていた。

チャイ売りのおじさん
ホテルの前で周辺の写真を撮っていると、チャイ売りのおじさんが、「とって、とって」というように自分を指さす。格好の被写体なので、さっそく撮らせてもらった言葉はわからないが、とても気さくなおじさんでこのあと妻と並んで記念撮影をした

朝の大通り風景@
歩道が広くなっているところには、露天商が店をひろげる。その脇を通勤者がせかせかと通り過ぎる。歩道の幅は一定ではないので、狭いところでは車道に人があふれるところもある

朝の大通り風景A
大通りの商店が飾りつけの準備をはじめている。左の集団は信号を待っている人たち。インドの信号は警官がいないと青でも渡れないことが多い。逆に車が少なくなれば赤でも人は渡りはじめる
要するにインドの人は信号をあてにしていない

(サンタクルズ駅)
人の流れにしたがって進んでゆくと、やがて鉄道の駅に着いた。サンタクルズ駅である。大通りから陸橋で駅舎に上り、そこからホームに直接下りてゆくことができる。ここには改札口はなく、そのまま電車に乗り込める。ホームに電車が止まっているが、電車の扉は動き出しても開け放されたままで、扉付近にはたくさん人が立っている。通勤者の邪魔になってはいけないので私たちはホームには降りず、しばらく陸橋の上から人と電車の流れを眺めていた。写真をとった後、陸橋の上からそのまま引き返しもとの道をホテルにもどった。

サンタクルズ駅A
停車中の電車も、動いている電車も扉はすべて開いたままで、近くにたくさん人が立っている

サンタクルズ駅@
陸橋の上から眺めていると、ローカル列車がかなり短い間隔で発着しているのが見える。ピークは過ぎたようだがまだ客は多い

ホテルに戻ってほどなく、ヒロが迎えに来た。これからヒロのアパートに寄り、そこから改めて皆でタクシーまたは電車でインド門に向かい、そこから船でエレファンタ島に渡ることになっている。
ムンバイという都市は細長い半島状の地形をなしている。その先端付近の賑やかな地区をフォート地区といい、観光名所インド門はその地区の中にある。フォート地区まではタクシーで行くこともできるが並行して走る鉄道を利用することもできる。今日の道路の様子を見るとかなり渋滞しているようだし、私はインドのローカル鉄道にぜひ乗ってみたかったので、鉄道を利用することになった。まずは、アパート前からタクシーで鉄道の最寄駅、バンドラ駅に向かう。

(インドのタクシー、オートリキシャー)
インドの都市におけるもっとも手軽で役に立つ乗物は、タクシーまたはオートリキシャーと呼ばれる小型の自動三輪車である。ここで、この二つについてまとめて紹介しよう。

タクシーで鉄道のバンドラ駅に着いた。ヒロとサクラは通常この駅を利用して鉄道で都心にある音楽学校に通っているという。
駅舎の階段を上ってゆくと小さな切符売り場があり、人がたくさん並んでいる。切符の購入はヒロにまかせ、残りの者は近くで待つ。私は駅や列車の写真をとっていたら、警官とおぼしき人が近づいてきて「国はどこ」と聞く。ジャパンと答えると、つぎに「カメラをシールドしなさい」といっているようだ。私はあわててカメラをバッグにしまった。警官はそのまま離れていったのでホッとしたが、駅で写真をとってはいけないとは知らなかった。ムンバイは昔から反政府運動とかイスラムなどのテロの多いところで、主な駅には警官が常駐しているようだ。そういえば、切符売り場の近くで警官が二人椅子に腰掛けてなにやら話しているのをさきほど目にした。私も不審人物の一人とうつったのかもしれない。切符も購入し、電車がやってきたので乗り込む。これから約1時間のローカル列車の旅である。

(ローカル列車乗車体験記)
列車には女性専用車がついており、妻とサクラはそちらに乗り、私とヒロは一般車両に乗り込んだ。車内はそれほど混んではいないが、座席は空いていない。つり革につかまりながら車内の様子を観察する。扉は走行中も閉まらない。扉口は広く、真中に金属のつかまり棒が1本立っている。扉口近くの人はそれにしっかりとつかまっている。開いた扉の近くには人が多いが、要するに扉口の近くは風が入って涼しいのだ。だから乗客はそこに立ちたがるのだ。決して列車が混んで人が扉の外にあふれているのではない。(そういうこともあるのだろうが)

途中の駅で一人のやや貧しい身なりの女性が乗り込んできた。列車が走り出すと、その女性が大きな声で歌を歌いだした。何事かと思って聞いていると、やがて小さな子どもがそばにきて手を差し出した。インドのローカル列車では時々楽団が乗り込んで車内で演奏をするとガイドブックに書いてあったが、これもその一種だろう。そのうち別の車両に移ったのか聞こえなくなった。
10分くらいすると前の席が空いたので腰掛けた。鉄製の硬い椅子である。窓は開け放してあるが、頑丈な鉄製の格子がはめられており、窓から外の景色は見にくい。外の景色を見るには扉の前に立つのがよいのだろうが、既に何人か人が立っているし、私にはやはり開いた扉の前に立つのはためらわれた。

列車に約1時間ほど乗り、やがて終着駅に着いた・この駅はもとヴィクトリア・ターミナス駅といったが現在はチャートラパティ・シヴァーシー・ターミナス(略してCST)駅と改名されている。この駅の駅舎はイギリス統治地時代の遺産で、まるで寺院の聖堂のような建物である。

(フォート地区)
この駅の建っている辺りはムンバイの半島の南端部分にあたり、イギリス統治時代の建物などが多く遺されている。ここにはかつてイギリスの砦があったことから、今でもフォート(要塞)地区という名前で呼ばれているのだという。駅の建物と道路をはさんで向かい側にも大きな歴史的な建物が建っている。これは現在ムンバイ市役所の庁舎として使用されているという。

駅前の屋台で、サトウキビのジュースを売っていた。大きなサトウキビをミキサーにかけるとすぐに甘いジュースが出来上がる。キビをそのままジュースにしただけでもかなり甘い。少しスパイスを加えているようだが、氷をいれてあり冷たくて結構おいしかった。一休みした後、タクシーでインド門方面に向かう。
エレファンタ島へはインド門の前から船に乗ってゆくのだが、島にはまともなレストランはないということなので、インド門近くのレストランで昼食をとることにした。ヒロとサクラがインドの在留邦人の方から聞いて知っていたというイタリアレストランで、店内は広くはないが洒落た感じのよい店だった。この周辺は、アラブ人の店が多く、一帯がアラブ人街になっているという。

アラビア語の看板が並ぶ大通り
イタリア料理店から大通り出るとアラビア語の看板の店が並んでいる。この辺はアラブ人街なのだという

インド門近くのイタリア料理店
ちょっと分かりにくいところにあっるが、前に二人が来たことがあるということで入った。なかなか洒落た店だった

(インド門、タージマハル・ホテル)
食事が終わり、海沿いの道をインド門に向かって歩く。インド門は1911年に英国王ジョージ5世とメアリー王妃が、インド訪問をしたのを記念して建造された。以来、本土から英国要人が訪れた際には、この門で歓迎式典が行われた。現在では、エレファンタ島へ向かう連絡船の発着所となっている。

インド門と道を隔てて向かい側に大きな建物が建っている。これは、タージ・マハル・ホテルである。1903年建築の歴史的な建物で、インテリアは豪華絢爛だという。現在は、この建物の脇に高層の新館が建っている。ちなみに、ヒロとサクラは新婚旅行でこのホテルに泊ったという。

(船でエレファンタ島に渡る)
インド門の前からエレファンタ島への連絡線に乗る。ここから島まで約1時間半の船旅である。はじめのうち静かだった波と風は陸から離れるにしたがって次第に荒く強くなり、しぶきがかかるようになった。しかし揺れはそれほど大きくなく、船酔いすることもなく無事エレファンタ島に到着した。

エレファンタ島の船着場に近づく

インド門前の乗船所

(エレファンタ島)
船着場から島にのびている長い遊歩道を通って島に入ると、ちょっとした場所にみやげ物や簡単な飲食店などが並んでいる。さらに進んでゆくと長い石段の山道になり、両側には縁日の屋台のようなみやげ物やなどが続いている。岩山の高さは200mあるというから、結構のぼりでがある。途中の山道には猿が現れるが、だいぶ観光客になれている感じだ。ようやく石段を登りきると頂上は広い。少し先に岩をくりぬいて造られた石窟寺院が見えてくる。石窟の中は暗くてはじめはよく見えなかったのだが、眼が慣れてくると岩をくりぬいた中に大きな像が彫られているのが見えてきた。

ちなみに、エレファンタ島の名前の由来は、16世紀にポルトガル人がこの島でゾウの石像を発見したことから名づけられた。この石像は19世紀前半に破壊されたが、のちに復元され、現在はヴィクトリア庭園にあるという。残念ながら、この島には現在は存在しないとうことだ。
船で島に到着したのが16:30ころ。このとき最終の船が18時発と聞いたので、一通り石窟を見学してから直ちに引き返す。石段の両側の屋台の店も片付けをはじめている。石段を下りきり、後は遊歩道をまっすぐ歩けばよいので私はどんどん先に歩いていったのだが、後に続く3人がなかなか現れない。少し心配になって戻りかけると、ヒロが追いついてきて、女性二人はトロッコ列車に乗ってくるという。遊歩道の脇をおもちゃのような列車が走っていて、それに乗ってくるというのだ。せいぜい1Kmくらいの区間だが、一度乗ってみたかったようだ。少し待っていると、二人がニコニコしながら到着した。

インド門前の同じ場所に下船し、ここからは往路とは反対サイドの海岸沿いをタクシーで帰ることになった。道路はかなり渋滞し、途中のレストランで食事をしてからホテルに帰り着いたのは22時頃だった。明日は朝早い飛行機でバンガロールに向かい、このホテルは引き払う予定である。そのため旅行用の大きなスーツケースは今夜のうちにヒロのアパートに運んでおくことにした。荷物の整理をし、ヒロとサクラに渡したのは23時近くなっていた。彼らはこれからタクシーでこの荷物を家まで運ばなければならない。ご苦労様。

次回、バンガロール、マイソールへ

  



タクシー
オートリキシャーとならんでポピュラーな乗物である。リキシャーと同じ黄色と黒で塗り分けられた車体なのですぐに分かる。乗車人員は、大人4人まで乗れる。乗用車なので、扉がある分リキシャーよりは安全だが、運転は同じように荒っぽい。ムンバイ市では市の中心部へのオートリキシャーの乗り入れが規制されており、この地区ではタクシーしか乗ることができない。
メーター制、時間制、プリペイドなどがある

オートリキシャー
インドの都市でもっともポピュラーで、庶民に最もよく利用される乗物だろう。街のいたるところで、せかせかと走り回っている。メーター制で、初乗り運賃9ルピーと安い。(タクシーは12ルピー、1ルピーは2.8円くらい)。小型の自動三輪車で、乗車人員は大人3人、これ以上は物理的に無理だ。屋根には幌がかけてあるが、扉はないので振り落とされないようしっかりつかまっていなければならない。ムンバイでは都心部への乗り入れは規制されているので注意しなければならない。

石窟の中のシヴァ神像
石窟の中の神像は破壊されているものが多いが、第1窟のシヴァ神像は完全な形で残っており、貴重な遺産である。じっくりと目を凝らしてみると三面のシヴァ神像が見えてくる

エレファンタ島の石窟寺院
長い石段の山道を登った頂上にこのような石の建造物が7つ造られている。岩をくりぬき柱で支えられたもので、6〜8世紀に造られたヒンドゥ教の石窟寺院である

ムンバイ・フォート地区の夕焼け(連絡船上より)

我々が船に乗り込んでからも何組かの乗客が乗り込み、船は少し遅れて出発した。帰りも風が強く風上側ではかなり水しぶきがかかっているが、それも一時でやがて静かになる。町が近づくにつれ夕暮れが迫り、夕焼けの中に街がシルエットで浮かび上がり、なかなか魅惑的な光景となった。

遊歩道の脇を走るトロッコ列車

船着場から島に通じる遊歩道

バンドラ駅プラットホーム風景
通勤時間帯は過ぎているがホームは結構混んでいる。ホームに入るのに改札のようなものはない。切符の確認は降りた駅のホームで時々駅員によびとめられて確認されることがある。無賃乗車が発見されたら何倍もの料金を払わなければならない

バンドラ駅の駅舎風景
階段を上ったところに小さな切符売り場があり、たくさん人が並んでいる

バンドラ駅に停車中のローカル列車
列車は結構頻繁にやってくる。この列車は我々が向かう方向と逆方向に向かう列車。列車には女性専用車が3両連結されている。この列車の写真をとっているときに警官に声をかけられたので、これ以後列車の写真はとらなかった