ヒマラヤの山々のこと・・・・・・・・・・・・ダウラギリ、アンナプルナを中心に
ネパールの人々のこと・・・・・・・・・・・思い出に残る人々
マオイストとは何者か・・・・・・・・・・・・ネパール政治の最新事情

ネパールはアジアの最貧国か・・・・ネパールの最新経済事情
ネパールとODA・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本とアジアのODA最新事情
ネパールに自然環境破壊はあるか・・・地球環境報告Uより
ヒンドゥー教とはどのような宗教か・・・ネパールの宗教事情
あとがき
今回の旅は、同行者に恵まれ天候にも恵まれて、非常に印象深いすばらしいものでした。たかだか16日間の旅でしたが、単なるトレッキング以上に人々とのふれあいを感じた旅でもありました。このHPの最後に、「ネパール雑感」としてヒマラヤの山々のこと、ネパールの人々のこと、そしてネパールの政治、経済、宗教などについて気が向くままに記してみたいと思います。
(ネパール略史)
ネパール雑感
ヒマラヤの山々のこと
今回の旅の主目的は、ヒマラヤの山々を眺めながら山の街道を歩くということでした。広大なヒマラヤの山々のほんの一部だけですが、この目的は達することができたと思っています。ただ、今回はかなり遠くから眺めた感じなので、もう少し近づいて山の巨大さを感じたいなという気持ちが出てきたことも確かです。

最近、「63歳のエベレスト」(渡邉玉枝著、白水社、定価1500円)という本を読みました。この方は、2002年に63歳でエベレストの登頂に成功しました。これは女性登頂者の世界最高齢記録だそうです。私は、はじめ63歳という年齢にびっくりしたのですが、そこまでにいたる過程を読んでゆくと、それまでの山登り人生の当然の帰結のようにエベレストに挑戦し、気負いもなく淡々と行動して成功したということがよく分かります。それにしても、63歳という年齢でも体力的に可能なのだという実例を残してくれたことはすばらしいことです。私も61歳になったけれど、まだまだやるぞ〜という気持ちが湧いてきました。

この本の中に、1997年にダウラギリT峰に登頂したときの記録があります。今回我々が遠くから眺めたあのダウラギリです。このときの遠征隊はカトマンズから空路ポカラにゆき、そこから飛行機を乗り継いでジョムソンまで飛び、そこから先は徒歩で山頂を目指しています。遠征隊の荷物はどのように運んだのでしょう。実は、このときの荷物は、我々が通ったあの街道を通っているのです。ナヤプルまではトラックで運び、そこから先はロバの背に積んで運んでいます。ちなみに、このときは77頭のロバの隊列になったそうです。我々も泊まったゴレパニの峠をこのようなロバの隊列が越えていったと想像するだけで、何か楽しくなってしまいます。

ヒマラヤの登山に適した時期は、モンスーン前の4、5月ころかモンスーン明けの8月末から10月はじめくらいまでのわずかな期間のようです。その時期が過ぎると山は冬になり風雪が強くなって人間を寄せつけなくなる。我々が眺めた11月下旬は、山は危険で登れない時期だったわけです。ちなみに、渡邉さんたちがダウラギリの登頂に成功したのは10月1日のことです。
ダウラギリとは、サンスクリット語で「白い山」の意味。標高8167mで、1960年にスイス隊によって初登頂されている。
プーンヒルから眺めたダウラギリT峰
ダウラギリに登るための物資の運搬はロバの背によった。ナヤプル〜ジョムソン間は、ゴレパニ峠経由で通常4日かかるという。
ゴレパニ峠の様子
今回眺めた山のうちでダウラギリの次に高いのがアンナプルナT峰(8091m)です。プーンヒルから見ると手前のアンナプルナ・サウスのほうが高く見えますが、後ろに聳えるT峰の方が1000m近くも高いのです。この山は、1950年に人類初の8000m峰としてフランス隊により登頂されました。このときの壮絶なドラマは名著「処女峰アンナプルナ」に記録されています。私はまだ読んでいませんが、いつか読んでみようと思っています。
また、特徴のある山容で人気のあるマチャプチャレ。この山は標高は6993mですが、その鋭い山頂の様子は見ごたえがあります。この山もまた、もう少し近くで眺めたいなという気がしています。
トレッキングのコースとしては、標高4000mのアンナプルナ内院と呼ばれるところまでは比較的楽に行けるようなので、いつの日かぜひ行きたいなと思っています。
左から、アンナプルナT峰、アンナプルナ・サウス、ヒウンチェリそれぞれは尾根続きになっている。
アンナプルナ連峰
ネパールの人々のこと
このホームページ「ネパール街道歩き旅」も、当初の予定ではトレッキングの様子を記して1月はじめくらいには終了するつもりだったのですが、書いているうちにだんだんとネパール自体に興味が湧いてきてここまできました。私は今まで仕事の上では外国とはあまりかかわりがなく、外国旅行といえば中高年世代に入ってからの観光旅行が主でした。すべて団体ツアーの一員としての観光で、その国の人々とじかに接触するという機会はほとんどありませんでした。今回の旅は比較的自由な行動日程で、かつ、現地の人と言葉が通じた(同行者の通訳によりますが)ということで特に印象が深かったのだと思います。

ネパールに関する某ホームページの掲示板に、ネパール人評として「人々はのんきで明るくて親しくなりやすいです」という書き込みがありました。これは私も同感です。さらに付け加えるなら、「人なつこく、何か懐かしい感じ」のする人が多い、といえるかもしれません。もちろんネパールの中でも地域によって人々の感じは違いますが、特にトレッキング途中の山間部で出会った人々にはそのような感じを抱きました。

ここで、思い出すままに出会った人々のことを記してみましょう。まずは今回もっとも長く付き合ったガイドのバドリー君のこと。彼は、昨年SAKURAのネパール旅行でのガイドを務めたこともあって、はじめから大変フレンドリーでした。明るく、楽天的なネパールの青年です。我々がゴレパニでマオイストに出会ったとき、彼は彼らと和やかに談笑しながら交渉を進め、要求額をかなり引き下げたという実績もあります。後で彼は、人間誰でも相手のことも思いやりながら愛情を持って話せば分かり合えるものだというようなことを言っていました(楽天的ですね)。また、ネパールには仕事がない、日本で皿洗いのような仕事でもいいから何かないかな、と冗談とも本気ともつかないことを話していました。ポカラの彼の家にお邪魔したとき、奥さんは大きなお腹をしていましたが、1月に女の子が生まれたという便りをSAKURAから聞きました。
次に、ポーターのナラヤン君。彼はあまり話はしませんでしたが、バドリー君とは友達で、なかなかよく気の付く好青年でした。宗教上の理由からということで、お酒は全く飲みませんでした。彼のピンクの帽子は新婚の奥さんが編んでくれたものだそうです。ポーターの仕事がそれほど多いわけではないだろうし、本来の仕事は何かは分かりません。
山の街道などで人に出会うとお互いに「ナマステ」というあいさつを交わします。これは、現在では「こんにちは」とか「やあ」とか軽いあいさつとして使われています。本来は合掌しながら「ナムアミダブツ」と唱えるのと同じ意味を持っているようですが、近頃では地元の人も単なる気軽なあいさつとして使用しているようです。子供達も笑顔で「ナマステ」、外国人同士でも「ナマステ」です。

子供といえば、どんな山の小さな村にも必ず小さな子供達の笑顔がありました。こういう子供達を見ると、人々はここで着実に生活しているのだなあという気がします。中にはお菓子をちょうだいというように手を差し出してくる子もいましたが、大多数はのびのびと生活しているように見えました。

村には若い人は少ないようですね。やはり、都会にあこがれて出て行ってしまうのでしょう。農業といっても山間地ではそれほど土地があるわけではなし、出て行かざるを得ないのかもしれません。今回巡った中では、ガンドルン村などは比較的豊かで例外的かもしれません。

また、本文の中でも記しましたが、山の街道にはチベットのみやげ物を露天で売る人を多く見かけます。チベットがすぐ近いこともあるし、チベットの難民としてネパールに住んでいる人も多い。この人たちも同じモンゴロイドとして何か懐かしい感じのする人たちです。いずれ機会があったらチベット方面にも行ってみたいなという気もします。(いつになるか分かりませんが)

ゴレパニのロッジで1日のんびり過ごした日は夕方から飲み会をやりましたが、このときロッジのご主人も時々話しに加わりました。この人はどう見ても40歳台くらいの風貌なのですが、自分では28歳だといっていました。奥さんと2人でロッジを経営し、兄さんはポカラで事務員をやっているというような話をしていました。ひょうきんな、人なつこい素朴なネパール人という感じがしました。なお、このロッジには食事室にいろいろな写真やポスターなどが貼られていましたが、ここにあった前国王夫妻の写真が印象に残っています。前国王夫妻は2年程前に殺害されたのですが、ネパールの人々の間ではまだまだ人気が高いのだなという感じがしました。
都市部に目を向けてみましょう。地元の人との接触は、やはりカトマンズのタメル地区でのことが多かったです。店に入れば何がしかの会話をせざるを得ない。特にこの地区ではおじさん4人グループで行動することが多かったので、言葉もすべて自分達で対応しなければなりませんでした。
この中では、お茶屋のおじさんとの対応が大変印象に残っています。商品の勧め方も上手でしたが、お茶を量りながら結構いろいろな話をしました。我々の拙い英語でも何とか意思は通じ、最後には「日本の年配の方はなかなかしゃべろうとしないのに、あなた方は積極的で立派ですよ」などと誉められてしまいました。
私も若い頃には英会話のテープを買ったりして、勉強しようとしたこともありましたが、全く物にならないままここまできてしまいました。最近、もう一度少し勉強しようかななどと思い始めてきました。片言英語でも何とか意思は伝わるという経験をしたからです。

カトマンズに到着した次の日はガイドつきの市内観光をしました。このときは、NATURE EXPRESSという現地のトラベル・エージェントに依頼しましたが、ここで市内観光のガイドの手配からポカラまでの航空券の手配まですべてやってくれました。事務所の場所もわからなかったので今いる場所を説明して迎えに来てもらいましたが、このときの会社の応対もなかなか親切なものでした。こういうところに頼めばトレッキングのコース相談とかガイドの手配などもすべてやってくれるようです。個人旅行だとこういう自由さがあるので、日本で日程やコースをがちがちに決めてくる必要はありません。相談するための必要最低限の英会話力は必要ですけれど。
マオイストとは何者か・・ネパール政治の最新情勢
外国人旅行者にとってネパールの国内情勢、特にマオイストと呼ばれる1派の動向は大変気になるところです。そこで、、この問題を含めたネパールの政治の現状について調べてみました。以下は主に「世界年鑑2003」(共同通信社、2003.3.28)を参考に記述します。また、「ネパール情報なら、ビンティ!」というサイトに毎日のネパールの新聞の要約が簡潔に記載されています。これも、ネパールの今を知るためには大変貴重な情報源です。

現在のネパールは立憲君主制です。憲法では国王は国家、国民の統合の象徴と規定されています。議会は上院、下院の二院制となっています。また、主要政党は次のとおりです。(党名はビンティによる。2004年現在)
 ・コングレス党(コイララ総裁)
 ・RPP党(ラナ総裁、タバ現首相)
 ・UML(統一共産党、ネバル書記長)


そして、この他に非合法政党として「ネパール共産党毛沢東主義派」があります。これがいわゆるマオイストと呼ばれている組織です。
マオイストは1996年に武装闘争を開始し、この内戦で7000人以上が死亡しているといいます。2001年11月には政府との和平交渉が決裂、国王は同下旬、国家非常事態を宣言しています。
なお、この間の2001年6月には皇太子が当時のビネンドラ国王夫妻を含む王族9人を王宮内で射殺し、自分も自殺するという大事件が起こっています。この辺の状況についてはビンティの「その他のデータ」の中の「王宮内殺人事件ドキュメント」に詳しいので、興味のある方はそちらをご覧ください)
1769年  現王朝成立、国家統一
1814年 英国との戦争に敗れ、領土割譲
1951年 トリプバン国王が王政復古立憲 君主制に
1960年  マヘンドラ国王、憲法停止し国王  親政に
1990年  ビレンドラ国王複数政党制復活、新憲法公布
1991年  32年ぶりの総選挙実施。NCP(コングレス党)のコイララ政権成立。
2001年6月 王宮内でビレンドラ国王夫妻ら王族9人が射殺される
2002年  ネパール共産党毛沢東派との対立激化
この事件は、皇太子の結婚問題が原因とされていますが、本人も死んでしまい真相は闇の中のようです。結果として王位は弟のギャネンドラが継いでいますが、この人は前国王の民主化路線には消極的のようです。
1991年の民主化以降の10年余りの間に11回首相が交代するなど、党利党略・党内対立に明け暮れ,汚職を蔓延させ、治安の悪化を招いてきた諸政党に対する国民の失望は強く、国王親政に期待をかけるという皮肉な現象も見られるということです。
マオイストはプロレタリア人民共和国の樹立を目指しているようです。
マオイストはネパール西部方面で勢力が強く、現時点でも国軍との衝突が繰り返し報じられています。最近、国連が両者の仲介に乗り出しているようですし、マオイストがやや弱体化してきたなどの情報もありますが、いずれにしろ全面的な内戦状態にならないうちに平和的な解決を図ってほしいものです。
ネパールはアジアの最貧国か・・・ネパールの最新経済事情
誰かがネパールはアジアの中で最貧国だよ、といっていました。何をもって貧しいというのかは難しいところですが、数字で表せるものとして一人当りのGNPの値を比較してみました。下の表の数字は「世界年鑑2003」によるもので、いずれも2001年度の数字です。
左の表で見る限り、一人当りのGNPの値では最下位になります。この表に載っていないほかの国を比較してみてもやはりアジアの中では順位は変わらないようです。全世界を見渡すと、アフリカの諸国の中にはこれより低い数値の国は結構あります。
というわけで、一人当りのGNPの値の低さをもって貧しいと定義するならネパールはアジアの中で最貧国といえるかもしれません。

私の目に映ったネパールは、貧富の差がそれほどあるように見えないし、年間を通じて洪水や旱魃などの自然災害に苦しめられている様子もない。一部に内戦状態もあるが、大々的に巻き込まれているわけでもない。人々は明るく生活を送っている。そういう意味では、非常に貧しいという実感はありませんでした。

しかし、当然のことながら、貧困撲滅が政府の最重要課題の一つになっています。ヒマラヤの山々を観光資源とする観光業が外貨獲得の重要な手段ですが、マオイストとの長引く内戦などで外国人観光客が減少し、2001年には29万8000人になっているそうです。

2001年の国内総生産(GDP)の成長率は5.9%。同年の輸出は、既製服、カーペットなど7億3700万ドル、輸入は石油製品、機械類など14億7300万ドルでした。アジアの他の諸国に比べて、地理的条件から外国企業の進出が少なく、安い労働力を生かす強みが発揮できないのが、GNPが伸びない原因のような気がします。

ところで、せっかくなので上の表をじっくりと眺めてみましょう。私自身、これまであまりアジアの国々に目を向けてこなかったので、これだけの表でも新鮮に感じます。
まず、正式な国名を見るとその国の政治形態がほぼ分かります。人口では、インドネシア、パキスタン、バングラディシュの人口の多さが目を引きます。一人当りのGNPでは、やはり韓国の躍進が目立ちます。中国も大躍進中ですが、人口が多い分だけ一人当りにすると数値は低くなるようです。また、マレーシア、タイ、フィリピンなど外国資本の進出の激しい所も伸びているようです。これらの国々を含め、アジアでは開発に伴う環境破壊なども大きな問題になってきているようです。この問題については後で触れたいと思っています。


(世界年鑑2003による。いずれも2001年度の数字)
アジアの主要国の人口と一人当りGNP
国名 人口 一人当りGNP
インド 10億1754万人 460ドル
インドネシア共和国 2億1484万人 680ドル
カンボジア王国 1331万人 270ドル
シンガポール共和国 413万人 2万730ドル
タイ王国 6291万人 1970ドル
大韓民国 4734万人 9400ドル
中華人民共和国 12億7627万人 890ドル
日本 1億2647万人 410万円
ネパール王国 2359万人 250ドル
パキスタンイスラム共和国 1億4497万人 420ドル
バングラディシュ人民共和国 1億4037万人 370ドル
フィリピン共和国 7713万人 1050ドル
ベトナム社会主義共和国 8000万人 410ドル
マレーシア 2263万人 3640ドル
ラオス人民民主共和国 540万人 310ドル
ネパールとODA・・・・・・日本とアジアのODA最新事情
ODA(Official Development Assisitance、政府開発援助)という言葉をネパールで初めて聞いたのは、バドリー君から「山の街道の石段は比較的近年に整備され、これにはODAやパーミット(入域料)などが活用されている」という話を聞いたときです。ゴレパニ峠までの登り道のほとんどにしっかりした石段が設置されており、貧しいネパールでどうしてこのようなところまでお金がまわるのだろうかと思っていたので、この話を聞いて納得しました。
日本に帰ってから、ODAについて少し調べてみました。日本はアジアにおけるODA供与国としてアジアの開発途上国に深く関わっています。ネパールについても日本は最大の援助国となっています。
日本としても2003年度でODAに対する支出は総額1兆1600億円、一人当り1万円にもなる(「ODA]渡辺利夫他著 中公新書)ということですから、それがどのように使われているかは大いに気になるところです。
街道の石段の例のように、皆に利用され感謝されるものに使われるなら、そしてそれが(日本からの)援助によるものだと意識されているなら
、供与国としては大変うれしいわけです。

実は、この後もう一度ODAという言葉をネパールで聞きました。ロイヤルネパール航空の遅延について会社の責任者がエベレストホテルで事情説明をして帰った後です。このとき立ち会っていた日本大使館の人が、「あの連中にODAなんていったってわかりゃしないよ」とつぶやくように言っていました。話の前後は忘れてしまったのですが、ロイヤルネパールという会社は、何せ国際線を2機の飛行機で運営し、そこに5000人以上の人がぶら下がっているということですから、当然何がしかの援助を受けていると思われ、その辺の事情を知っている大使館の人が、ふと漏らした言葉だと理解しています。

ODAについての日本、そして世界の考え方もだんだんと変わってきているようです。日本のODAの従来の考え方は、・東アジア重視・インフラ重視・経済成長重視ということでやってきました。また、供与形態としては、円借款という低金利の資金の貸し出しという形が多く、これが大規模開発などに使われるということが多かったようです。最近における開発に伴う環境破壊の問題がクローズアップされるのに伴い、開発プロジェクトの環境への配慮などが大きな供与条件となってきています。
開発途上国というのは、多かれ少なかれどこの国でも統治能力(ガバメント)に問題があり、供与された金の使途が不明確になったり、一部の人間の私腹を肥やすなどの例もあとをたたないようです。いずれにしろ、ODAというのは奥が深く、難しい問題です。興味のある方は、「ODA 日本に何ができるか」(渡辺利夫、三浦有史著、中公新書 2003.12.20)に詳しいので、そちらをご覧ください。
ネパールに自然環境破壊はあるか・・・・「地球環境報告U」より
ODAに関する本を読み終えたあと、開発に伴う地球環境への影響に興味を持ち、「地球環境報告U」(石 弘之著 岩波新書 1998.12.21)を読みました。はっきりいって、この本は恐ろしい本です。地球環境の破壊がここまで進んでいるということが分かり、恐ろしくなるのです。この著者は、10年程前に同じ題名の本を書き、その改訂版を出そうと調べていったらとても改訂ではすまず、すべて書き直したということをまえがきで書かれています。それだけこの10年だけ見ても破壊の進み方が激しいということでしょう。
それでは、まずネパールに自然破壊はあるかということについてみてゆきましょう。
ネパールでは1960年当時、国土の70%を占めた森林が、現在では22%しか残されたいないといいます。1975〜85年には森林の30%が消失して世界でもっとも森林消失が激しい国に数えられました。開墾と薪取りがその主な理由です。こうした水源地帯の森林破壊は斜面の崩壊を招き、下流に大量の土砂を押し流すことになる。この土砂のかなりの量が河口のバングラディシュまで運ばれて堆積し、河床を浅くして簡単に水が溢れ出す構造になっているといわれています。これに対してネパールは、ヒマラヤは地質学的にみて活発に活動している若い山脈で、大規模な地滑りや浸食を起こしやすいので、森林伐採の影響は自然の活動から見れば取るに足りないと反論しています。いずれにせよ、ネパールはガンジス川、プラマプトラ川の水源になっており流域の5億人の命運を握っていることになる、と述べています。

私は、これを読んでびっくりしました。確かに山の斜面が削られて、段々畑になっているのをいたるところで見ました。人間の営みのすばらしさと感じていたものが、下流の国から見れば洪水の元凶として非難されることになる。ゴレパニ峠から先の山道にはジャングルがあり、ネパールの森林のすばらしさに感嘆したものですが、これが残り少ない森林の一部だったとは!実は、これに類したことは世界各地で起きており、しかも深刻な事態になっているということも分かってきました。

ここで、この本に書かれている主な事例を紹介します。
事例 状況 主な原因
・火災による熱帯雨林の消滅
・1997年、ボルネオ島で森林火災により約300万ヘクタール消失
・東南アジアの熱帯林地域は近年の開発ブームに翻弄され、焼き放題、切り放題の状態にあるという。
・エルニーニョなど異常気象
・大農園開発のための放火など
・流れが途絶えた黄河

・アラル海が消えてゆく
・1997年、河口から約600Km上流の開封市まで流れが消えた。断流日数226日間
・1960年ごろ6万8千平方キロあったアラル海湖面が現在では4万平方キロになってしまった
・上流の潅漑などによる過取水
・ヨーロッパを襲った大洪水
・バングラデシュの恒例の大洪水
・1997年、ポーランド、チェコ、ドイツなどの河川が氾濫し、1月も水が引かなかった。
・バングラデシュでは1998年の洪水では国土の三分の二以上が2ヶ月に渡って冠水し、3000万人が家を失った。このような災害が数年に一度は起きる。
・異常気象
・酸性雨による森林の枯死(黒い三角地帯)

・開発、乱伐による森林の消滅
・サンゴ礁の死滅

・漁業資源の枯渇

・マングローブ林の壊滅
・東南アジア海域のサンゴ礁が広範囲で死滅している。
・漁業資源が枯渇し、ますます違法漁がはびこる
・マングローブ林を剥ぎ取り、大規模なエビ養殖池にする
大規模になりすぎ病気が蔓延し、また新しい養殖池を切り開く。悪循環。
・毒薬を使用した違法漁による海洋汚染

・効率的なエビ養殖方式の普及による大規模化。
・やせ細る氷河

・南極棚氷の大崩壊
・氷河の後退が世界各地で観測されている。ヒマラヤ山脈の湖の水位が雪解け水のため上昇し、5〜10年後に決壊し大規模な水害が起きるという警告が出されている。(特にブータンの湖)
・温帯で気温が1度上がると、高緯度地方ではその3倍も上昇する。1998年に南極半島の大棚氷が崩壊したのが確認されている。
・地球温暖化

上の表の例はほんの一例です。この本にはまだまだ具体的な例がいろいろと書かれています。著者が実際に現地に行って見聞し、しかも同じ場所の10年前と比較しているだけに非常に説得力があります。
この本を読んで、我々一人一人がもう少し地球環境のことを真剣に考える必要があるなということを強く感じました。

この項をもう少し続けます。ネパールからはちょっとはなれて、地球温暖化について考えてみたいと思います。私自身、これまでこの問題に大きな関心を持っていなかったので、この際、少し関連の知識をまとめておきたいという意図がありますので、やや堅い話になります。


地球温暖化について

1.地球温暖化とは

 大気中には、二酸化炭素(CO2)、メタンガスなどの温室効果を有するガスが含まれており、これらのガスの温室効果により、人間や動植物にとって住みよい大気温度が保たれてきました。ところが近年の人間活動の拡大に伴ってこれらのガスが人為的に大量に排出されることにより地球が過度に温暖化する恐れが生じています。

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の2001年に発表された第3次報告書では、
 @20世紀中の全地球平均気温(地表の平均気温)は0.6±0.2℃上昇している。このうち、過去50年間に観測された温暖化の大部分が人間活動に起因している。
 A2100年には全地球平均気温は、現在より1.4℃〜5.8℃上昇する。また、ほとんどすべての陸地、特に北半球高緯度の寒冷地で、全球平均よりも急速に温暖化する可能性が高い。
 ということが指摘されています。

さらに、同報告書では地球温暖化による世界的な影響として次のような点があげられています。

2.地球の温暖化による世界的な影響
@海面の上昇
 海水の膨張や極地および高山地の氷の溶融により、海面が上昇する。1990年から2100年までの間に平均海面水位は9〜88cm上昇することが予測されている。海面水位が40cm上昇すると、沿岸の高潮などにより水害を被る世界の人口は、年平均で7500万人から2億人の範囲で増加すると予測されている。

A経済格差の拡大
 地球温暖化により多くの開発途上国で経済的損失が生じ、温暖化が進行するほど損失も大きくなることが予測されている。先進国では、わずかな気温上昇では、経済的利益・損失両方とも予測されるが、より大きな温暖化では損失となることが予測される。この影響予測によれば先進国と開発途上国との貧富の差が広がり、温暖化が進行するほどその格差が大きくなる。

B食糧危機
 中緯度の一部地域での農作物生産にとって数℃以下の温暖化では一般に好影響となるが、それ以上の温暖化がおきると悪影響がおきることが予測されている。数℃以上上昇した場合、地球規模での食料需要の増加に対して、供給の拡大が追いつかないことによる食料価格の上昇が予測されている。

C生態系への影響
 平均気温が2℃上昇すれば、地球上の全森林の三分の一で植生の変化が起き、それに伴い動物や微生物を含めた生態系が大きく変化する。21世紀には現在「深刻な危機に晒されている」と分類されている一部の種は絶滅し、「危機に晒されている、または脆弱である」と分類されているものの大多数は希少種となって、絶滅に近づくと予測される。

D健康への影響
 マラリアとデング熱は、現在世界人口の40〜50%に影響を及ぼしているが、気候変化によりその伝染可能性の地理的拡大が予測されている。また、熱波の増加により熱に関連した死亡や疫病の増加が起こり、洪水の増加により溺死、下痢、呼吸器疾患、特に開発途上国では飢饉や栄養失調となる可能性が増加すると予測される。

3.わが国における温暖化の影響
 気象庁の観測によると、わが国でも年平均気温はこの100年間で約1.0℃上昇しています。特に1980年代からの上昇が著しくなっています。平成13年の報告書「地球温暖化の日本への影響」によれば、今後100年間の気温上昇は、南日本で4℃、北日本で5℃と予測されています。
また、今後の温暖化の進行により、水資源、農林水産業、生態系、沿岸域、エネルギー、健康などの広範囲にわたり様々な影響が生じることが予測されています。

4.地球温暖化対策
 1997年12月に地球温暖化防止京都会議が開かれ、先進国は2008〜2012年に1990年比で平均5.2%の二酸化炭素を削減することで合意しました。その後、EU、日本などが批准を行いましたが、アメリカは2001年3月に離脱を表明し、今後ロシアが批准するとようやく京都議定書発効の条件が整います。
しかし、日本でも1990年の排出レベルで凍結するはずが1997年までに10%以上も増えています。これでは本気で取り組む気があるのかといわれても仕方がありません。

日本には、先に見たような世界的レベルでの大規模な自然環境破壊はないといえるでしょう。それだけに地球環境に対する危機感が欠如しており、対策への怠慢が生じているようです。
CO2の排出減のためには、現在の快適な生活をレベルダウンすることも求められます。経済に対する影響も少なくはないでしょう。しかし、何もしないでいたらバブル経済と同じように環境や資源がはじける。
今、世界で起きている自然環境破壊に危機感をもち、これをバネにして多少の不便を覚悟で、できることから取り組む必要があるということを強く感じます。自分として何ができるのかは、もう少し時間をかけて考えたいと思っています。

以上、「地球温暖化」については、「平成15年版 環境白書(環境省編)」などを参考にしました。
ヒンドゥー教とはどのような宗教か・・・ネパールの宗教事情
ヒンドゥー教は、信者数はキリスト教、イスラム教に次ぐ数ですが、分布はほぼインドに集中しており、その中身についてはあまり知られていないというのが実情でしょう。私も、これまでこの宗教については、ほとんど無知といってもよい状況でした。
ネパールは人口の86%がヒンドゥー教の信者で、ヒンドゥー教が国教になっている国です。この国での見聞をもとにして、ヒンドゥー教の一端に触れてみたいと思います。
「ヒンドゥー教の世界では、輪廻転生の考え方が現在でも生きている。彼らは、生と死のすべてを自然の大きなめぐりと観じ、霊魂は肉体の死後も生き続け、天界の楽土に赴き、祖霊たちと再会した後、やがて再びこの世に生まれ変わるのだと信じている。したがって、魂の抜けた亡骸には何の未練も持たない。死体は空の器に過ぎないのであり、蛇の抜け殻のように不要である。こうして彼らは墓を作らず、遺骨は砕いて灰とともに天国に通じる聖なる川に流すのである。この魂の輪廻の思想は、現世での善行、悪行はその結果として来世での幸・不幸に結びつくのだとの「業」の思想と一体化して、ヒンドゥー固有の宗教的倫理観を形成してきた。」

「輪廻転生」という考え方は、昔から日本人にとってもなじみが深いものですが、この考え方はヒンドゥー教に起源をもっているようです。この他、仏教独特のことと思っていることでも、ヒンドゥー教からきているというものが意外に多いようです。

ヒンドゥー教というとカースト制度とか、何か得体の知れない行者の存在など、どうしてもインドにまつわる話が多くなります。「ネパール雑感」としてはヒンドゥーの話題はこのくらいにしておきます。今度、いつの日かインドを訪れ、ヒンドゥーの実態をこの目で見てみたいと思っています。そのときにこの話題を続けましょう。

ネパールでのカルチャー・ショックは、やはりパシュパティナートでの火葬のシーンです。積み上げた薪の上に遺体を乗せ、見物人の見ている前で火をつける。燃え盛るにつれ、辺りには異臭が漂い、遺体は炭化し灰になってゆく。最後まで見ていたわけではありませんが、日本人の感覚では、特に親族などは見ていられないだろうと思うのですが。
このシーンからヒンドゥー教とはどのような宗教だろうかと興味を持ち、「ヒンドゥー教ーインドの聖と俗」(森本達雄著、中公新書)を読みました。以下は、この本からの受け売りです。
ネパールの長い旅が終わりました。ネパールから帰ってきて、ほぼ毎週のようにこのHP作成にかかり、ようやく終着駅に到達したという感じです。東海道をはじめて歩いたときにも、HPを作ることによって街道を二度歩いたような気がしましたが、今回もこのHPを作ることによって、ネパールという国をよりよく理解できたたような気がします。
また、ネパールという国を通じて、アジアそして世界の現実の一端を感じ取ることができたのも、今回の旅の大きな収穫だったと思います。今後ともこの感覚を忘れずに、新しい世界に興味を持ちつづけてゆきたいと考えています。

ここまで、長い間お付き合いいただきありがとうございました。ご感想などありましたら、メールをお寄せください。

                          2004.3.14  尺取虫 記


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あとがき

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