西条市(旧)丹原町の町並み
平成の大合併によって市町村の名称は大きく変わったが、旧町名のほうがその土地になじんでいることが多い。全国いたるところで見られる現象である

道後温泉の街角
ホテルを出て少し先の風景。まっすぐ行った突き当りが繁華な商店街で、左に曲がってすぐのところに道後温泉本館がある

道後温泉、ビジネスホテルさくら
少し露地を入ったところにあるのでわかりにくい。ここから道後温泉本館まで5分もかからない。1泊(食事なし)3980円

愛媛県内の札所所在地

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石鎚山

予土線

予讃線

新居浜

今治

八幡浜

大洲

松山

国道11号線

国道33号線

国道56号線

愛媛県

瀬戸内海

宇和島

佐田岬

四国歩き遍路日記

40.観自在寺(かんじざいじ)    54.延命寺(えんめいじ)
41.龍光寺(りゅうこうじ)       55.南光坊(なんこうぼう)
42.仏木寺(ぶつもくじ)        56.泰山寺(たいさんじ)
43.明石寺(めいせきじ)        57.栄福寺(えいふくじ)
44.大宝寺(だいほうじ)        58.仙遊寺(せんゆうじ)
45.岩屋寺(いわやじ)         59.国分寺(こくぶんじ)
46.浄瑠璃寺(じょうるりじ)       60.横峰寺(よこみねじ)
47.八坂寺(やさかじ)         61.香園寺(こうおんじ)
48.西林寺(さいりんじ)        62.宝寿寺(ほうじゅじ)
49.浄土寺(じょうどじ)         63.吉祥寺(きっしょうじ)
50.繁多寺(はんたじ)         64.前神寺(まえがみじ)
51.石手寺(いしてじ)          65.三角寺(さんかくじ)
52.太山寺(たいさんじ))        
53.円明寺(えんみょうじ)

第25日目(2010年9月27日) 宇和島〜41.龍光寺42.仏木寺43.明石寺〜松屋旅館 約25Km
第26日目(9月28日) 松屋旅館〜十夜ヶ橋〜新町荘本店(内子町) 約32Km
第27日目(9月29日) 民宿〜農祖峠経由〜久万高原町、やすらぎの宿でんこ 約37Km 
第28日目(9月30日) 民宿〜44.大宝寺〜45.岩屋寺〜桃李庵(久万高原町) 約26Km 
第29日目(10月1日) 民宿〜46.浄瑠璃寺47.八坂寺48.西林寺49.浄土寺50.繁多寺51.石手寺〜ビジネスホテルさくら(道後) 約29Km 
第30日目(10月2日) ホテル〜52.太山寺53.円明寺〜コスタブランカ(浅海) 約28Km 
第31日目(10月3日) 民宿〜54.延命寺55.南光坊56.泰山寺57.栄福寺58.仙遊寺、宿坊 約31Km
第32日目(10月4日) 仙遊寺宿坊〜59.国分寺〜栄家旅館(西条市丹原町) 約22Km 
第33日目(10月5日) 旅館〜60.横峰寺61.香園寺62.宝寿寺63.吉祥寺〜ビジネス旅館小松 約26Km
第34日目(10月6日) 旅館〜石鎚神社〜64.前神寺〜松屋旅館(土居町) 約34Km 
第35日目(10月7日) 土居町旅館〜65.三角寺〜民宿岡田 約30Km new

愛媛県内の遍路日程

 愛媛県(伊予国)は四国遍路の中では「菩提の道場」と言われます。深い悟りを求めるための場所ということでしょうか。松山周辺などにたくさんの札所が集中している反面、一日歩いても一つも札所に出会わないという地域もあります。今回は秋に歩いたため、春に歩いた徳島、高知とはまた違う趣がありました。また、このあたりまで歩き遍路の人がやってくるには時期がまだ早いためか、お遍路仲間の少ない静かな旅になりました。

9月26日(日) 東京から宇和島へ、直行夜行バスの旅
 
いよいよ「四国歩き遍路 秋編」のスタートだ。春のうちに宇和島まで到達しているので、秋編は宇和島からのスタートになる。東京から宇和島までの交通機関は、直行の夜行バスを利用することにした。
 9月26日、19:10池袋東口発のバスに乗車した。乗客は5、6人である。このあと横浜(YCAT)に停車したが、ここからの乗客を合わせても全部で10名くらいだった。横浜からは東名高速に入り、足柄SAで休憩したあと、一気に四国の石鎚SAまで直行してしまう。車内は3列シートで座席に余裕があるので、ゆったりと座ることが出来る。足柄SAを出たあと、すぐに寝入ってしまい、気がついたときはもう四国の石鎚SAに着いていた。ここでしばらく休憩したあと、一般国道に降り、松山、大洲、卯之町などの停留所を経て終着の宇和島バスセンターに到着したのは27日の8:30頃だった。東京から宇和島まで約13時間、運賃14,500円のバス旅だった。

石鎚SA駐車場にて
周りの写真を撮っていたら、運転手さんが「撮りましょう」といってくれた

松山自動車道石鎚山SA
西条市の石鎚山SAに朝6時頃到着した。東名の足柄SAから寝入ってしまったので、もう四国に入っていることに驚いてしまった

9月27日(月) 宇和島から龍光寺、佛木寺、明石寺を経て卯之町まで  約25Km

宇和島バスセンターに着いたのは8:30頃。予定の時間より50分くらい早く着いた。今日は時間的にきびしいので、この50分の時間は、あとあと非常に助かった。バスセンターからJR宇和島駅までは春の旅のときにも歩いているので道は覚えている。宇和島駅の少し先で左に曲がり踏切を渡る。このあたりの道は町中の入り組んだ道で分かりにくいので、ガイドブックの地図を参照しながら慎重に進む。北宇和島駅を過ぎたあたりで再び踏切を渡ると、それから先は県道57号線の一本道になり、ようやく余裕を持って歩けるようになる。この県道沿いに「へんろ小屋・光満」があった。

県道57号線をしばらく進みJR務田(むでん)駅の手前で左に曲がる。鉄道線路を越え、まっすぐ行くと「四国のみち」の道標が現れる。さらに田園の中のまっすぐな道を行き道標にしたがって左に曲がれば第41番札所・龍光寺はすぐである。
第41番札所・龍光寺の山門は鳥居である。石段を登った正面に鳥居が建っているので、はじめてみると「あれ?」と思う。お寺の開基は807年弘法大師によるが、明治の廃仏毀釈により本堂が稲荷社となった。その後、その下に本堂が建てられ、十一面観音を祀り、現在の稲荷山龍光寺となったのである。

県道57号線脇にあるヘンロ小屋・光満
おへんろさん休憩所、「ヘンロ小屋・光満・第二十一号」という標柱が立っている

北宇和島駅先のJR踏切
この踏切を渡ると、一本道の県道57号線がほぼ線路に並行して続いている

龍光寺の納経をすませて門の外に出ると、近くに「四国のみち」案内板があった。これから先はこの表示にしたがって進む。あとで「へんろみち保存協力会編」の地図を見たが、この道は載っていない。へんろ道は県道31号線に出てまっすぐ県道を進むルートになっている。「四国のみち」の案内に従って進むと、大きな溜池「中山池」の周りを巡るハイキングコースになる。道はよく整備されていて歩きやすいが、本来のへんろ道である県道31号線ルートよりは遠回りになる。ハイキングコースをしばらく行くと休憩所が見えた。時計を見ると12:20、ちょうどよいのでここで昼食にした。

龍光寺本堂(左)と大師堂
稲荷社の下に現在の本道と大師堂が後から建てられたこのような経緯からこのお寺の山号は「稲荷山」という

第41番札所・龍光寺正面
石段を登ってゆくと正面に赤い鳥居が建っている。明治の廃仏毀釈により、それまでの本堂が稲荷社になってしまった

休憩所
中山池のほとりにある休憩所。ここで昼食にした

四国のみち
中山池の周りを巡る「四国のみち」。へんろ道とは別に自然探索路として整備されている

中山池
愛媛県には人口の溜池が多いが、これもその一つでかなり大きなものである

林間の道を抜けて田園の広がる道を行くが、ここに立っている案内板がなんとも分かりにくい。立ち止まってしばし考え、意を決して歩きはじめた。第42番札所・仏木寺(ぶつもくじ)に着いたのは13時頃だった。龍光寺から県道31号線をまっすぐに来ればもう少し早く着いたのだが遠回りしたので少々遅くなった。写真を撮り、納経を済ませて、早々に出発する。

仏木寺山門

第42番札所・仏木寺本堂(左)と大師堂

仏木寺山門を出て、県道31号線を行く。県道をしばらく行くと左に案内板が出ているのでここで左に曲がる。これから先、車道を通ったり、山道の古いへんろ道をたどったりしながら進んでゆく。要所にはへんろ道の案内板が出ているので安心して歩くことが出来る。今日は龍光寺に着くあたりから細かい雨が降ったりやんだりしている。
やがて歯長峠への登り口に着いた。ここに「歯長峠遍路道」の案内板が立っている。案内板には、「きついのは最初だけ 峠まで20分」と書いてある。ここからしばらくきついへんろ道が続くようだ。なお、ここで山道に入らずに車道(県道31号線)をそのまま進んでゆくと歯長トンネルで峠を越えることが出来る。ただ、トンネルを出たあとの県道はジグザグ道で距離がありそうなので、私は峠越えのコースを行くことにした。

登り口から少し入ったところに四国の道の休憩所がある。本格的な登りはこれから先である。休憩所を出てしばらくすると、きびしい山道になる。喘ぎながら登ってゆくと、20分くらいで峠の頂上に着いた。歯長峠は昭和の初期まで宇和と三間をつなぐ唯一の生活道で大勢の人の往来でにぎわったという。現在は県道31号線と歯長トンネルが開通し、峠道を歩く人はほとんどなくなった。

歯長峠遍路道への登り口
案内板には、「きついのは最初だけ 峠まで20分」と書いてある
県道を行けばトンネルで抜けることが出来るが私は峠の遍路道を行く

県道から左に入るへんろ道
県道31号線から左に曲がると、しばらく車道が続いたあと山道の古いへんろ道になる

峠の頂上は開けており、古い記念碑やお地蔵様などが立っている。かつて人の往来で賑わった名残だろう。近くに歯長峠の名前の由来を記した西予市教育委員会の説明板なども立っている。それによると、ここには歯の長さが一寸余もある巨人が住んでいたことから「歯長」の名前がついたという。

歯長峠越えの遍路道
休憩所の先は本格的な山道になる

四国の道の休憩所
登り口の少し先に建っている。本格的な登りはこれから先だ

峠の頂上に立つ小祠
中にはお地蔵様などの古い石造物が並べられている。散在していたものを一箇所に集めたのかもしれない

歯長峠頂上
頂上は開けており、古い記念碑などが建っている。古くから戦略上の要衝でもあり宇和と土佐勢の攻防の舞台ともなった

歯長峠の頂上を出発して30分くらいで県道に出た。これから先、明石寺までは約6Kmくらいである。この時点の時刻が16時近かった。時間を気にしながら県道29号線を進む。お寺近くの道が少々分かりにくく、第43番札所・明石寺(めいせきじ)に着いたのは16:50頃。納経所は17時には閉まってしまうので、まず納経所に行って御朱印と墨書を受ける。参拝はそのあとゆっくり行えばよいのだ。お寺から旅館まではまだ距離があるので、何とか時間に間に合ったのはラッキーだった。

明石寺の本堂、大師堂の参拝を終わり、山門を出て近くの売店に入った。実は、私は春の旅の最後の日、宇和島駅の付近で金剛杖を置き忘れてしまったのだ。したがって今日は杖なしでここまでやってきた。途中に杖を売っている売店がなかったのだ。このお寺の売店は大きく、ようやく杖を買い求めることが出来た。
ここで今日の宿である松屋旅館までの道順を聞いた。それによると、山道のコースと町の中を行くコースの二通りあるという。山道のほうが近く、20分くらいで行けるが、町の中の道は30分以上かかるだろうという。私は普通なら山道を行くのだが、雨が降って滑りやすいし、だんだん暗くなり始めているので町の中の道を行くことにした。ところが町の中で道に迷ってしまい、人に聞きながら宿に着いた時には、あたりはもう真っ暗になっていた。
本日の宿、松屋旅館は江戸時代創業という古い旅館で、卯之町の古い町並みの中にあり、看板なども薄暗い中では目につきにくい。はじめは通り過ぎてしまい、ウロウロした挙句、人に聞いてようやく裏口から入る始末だった。結局、宿に着いたのは18時を過ぎていた。すぐに風呂に入り、夕食の膳についたのは19時近かった。初日であり、バス旅の睡眠不足もあったので、20時頃には就寝してしまった。

9月28日(火) 卯之町から十夜ヶ橋を経て内子町まで  約32Km

松屋旅館は、築文化年間という老舗である。パンフレットによると幕末から昭和初期にかけて多くの政治家、文化人などが訪れているという。部屋には犬養毅、尾崎行雄の残した書、その他の書画、俳句などが飾られている。食事をした部屋の欄間の飾り物なども大変価値の高いものらしいが、詳しいことは忘れてしまった。昨夜は到着が遅かったので、食事は私一人だったが、朝の食事でもう一人の宿泊客がいることがわかった。やはり歩き遍路の人である。宿の女将を交えていろいろと話をしたが、先に出発していった。
7:20頃宿を出たが、見送ってくれた女将さんが、「よく江戸時代からここまで続いてきたものですよ」と感慨深そうに話していたが、そのとおりと思う。建物も庭も、通りに面した門構えも昔の風情を残したままで営業を続けているのは大変な苦労があるだろう。ただ、宿泊料が2食付で7875円(税込み)という値段は、歩き遍路の人にはやや不満が残るだろう。普通の民宿などに比べて食事、サービスなどが特別よいとはいえないのだから。

松屋旅館の門前の通りは古い町並みがよく残されている。このあたりは平成21年に「宇和町卯之町保存地区」として国の「重要伝統的建物群保存地区」に選定されたばかりである。昨夜は暗くてまったく気がつかなかったのだが、朝見るとたしかに古い立派な建物が建ち並んでいる。朝まだ早いのでどこも開いていないが、案内マップをもらって一通り歩いてみた。通りの長さはそれほどないので、端から端まで歩いてもそれほど時間はかからないが、記念館、民具舘、開明学校などの建物内をじっくり見て回ったらかなり時間がかかるだろう。

開明学校、民具舘への入口付近
メイン通りから右に少し入ったところに国の重要文化財・開明学校、民具舘入り口などがある
朝早いのでいずれも開いてはいなかった

宇和町卯之町保存地区
平成22年12月8日に国の「重要伝統的建築物群保存地区」に選定されたばかりである
見所がたくさんあるので観光スポットとしても人気があるようだ

卯之町の古い家並は200mくらい続いて左に曲がる。これから先は普通の商店街で、まっすぐ行くと国道56号線に出る。国道に昨日乗った夜行の長距離バスの停留所があった。バスはこの56号線を松山から宇和島まで走ったのだ。今日はその道を逆方向に歩いている。車の通行の多い道をひたすら歩く。卯之町から2時間半ほど歩いて国道の鳥坂(とさか)トンネル入口に着いた。昔の遍路道は鳥坂峠を越えたが、現在は国道のトンネルで抜けることが出来る。トンネルの少し手前に峠道への分岐路があったが、私はトンネルの道を選んだ。このトンネルは国道の新しいトンネルにもかかわらず、トンネル内の歩道は狭く段差もない。車の通行も多く、恐ろしいトンネルの一つだ。トンネルの出入り口に蛍光塗料を塗ったタスキが置いてあり、自由に使えることが出来るようになっている。

国道の鳥坂トンネル
長さ1117m、トンネル内の歩道は狭く、段差もない。恐ろしいトンネルの一つだ

国道56号線
「四国のみち」の案内板があり、鳥坂峠へ2.1Kmとある

卯之町の国道56号線
近くにJR卯之町駅、高速バスの停留所などがある

国道56号線はやがて大洲(おおず)市に入る。国道56号線から441号線に移り、案内板に従って大洲旧市街に入ると、古い家並が残っている一画があった。大洲は藩政時代には伊予の小京都とも呼ばれ、多くの文化人を出した町である。国道の肱川橋からは復元された大洲城を望むことができる。肱川は大きなきれいな川で、夏には鵜飼が行われるという。岸辺にはたくさんの鵜飼舟などが繋がれていた。市内には観光スポットも多いようだが、寄り道せずに遍路道をまっすぐに進む。

肱川橋からの眺め
右手の丘の上に復元された大洲城が見える。肱川では夏に鵜飼が行われ、岸にはたくさんの鵜飼舟などが繋がれている

大洲旧市街の家並
遍路道は古い家並の残る一画を通る。大洲にはたくさんの歴史的遺産があるようだが、それらの見物は別の機会にしよう

肱川橋を渡り、国道56号線をしばらく進むと、十夜ヶ橋(とよがばし)という有名な橋がある。 橋の手前左側に番外札所の永徳寺というお寺があるので、まずここに立寄った。ここで今朝、松屋旅館で朝食をともにした人に出会った。30分くらい前に出ていたので、追いつくと思っていなかったが、この人は鳥坂峠を越えてきたので、トンネルを抜けてきた私が追いついたのだ。「やあ、どうも」ということで、これから先、ご一緒することになった。

橋を渡って橋の下に降りると、寝姿の弘法大師の像などがある。大同二年(807)、弘法大師がこの地方を通られた際に、一夜の宿を求めて歩き回ったが、宿を貸してくれるところがなく、寒い中、橋の下で野宿した。あまりの寒さに一夜が十夜にも勝る思いであったという。いつのころからか、橋の下に休まれる大師の睡眠を妨げてはならないという心遣いを遍路の戒めとして、「橋の上では杖をつかない」、を慣わしとするようになった。

明石寺山門

第43番・明石寺(めいせきじ)本堂

門から玄関にいたる通路の様子
玄関から門までの間の庭はよく手入れされ、旅館としての格式の高さをうかがわせる。ただ、格式だけでは時代を乗り切ってゆけないことは想像に難くない

松屋旅館の通りに面した門
昨夜は暗かったので「旅館松屋」と大きく書かれた木製の看板に気がつかず、通り過ぎてしまった。看板の両脇に松屋への来館、宿泊の有名政治家、文人などの名前がずらりと書いてある

十夜ヶ橋を出たあとは国道56号線を同行者と話をしながら歩く。この人は広島の人で、四国遍路は2回目。1回目は通し打ちで一気にまわり、今回は区切り打ちで、今日はJR内子駅まで歩くという。家が比較的近いので、勤めの合間を見て気軽に出かけることが出来るようだ。国道56号線をまっすぐに行き、JR内子駅の近くでお別れした。今日の私の宿、新町荘本店はそこから近い。素泊まりなので、近くのコンビニで夕食やビールなどを仕入れ、宿に着いたのは16:30頃だった。

橋下の全景
横たわる弘法大師の近くに暖かそうな布団などが奉納されている。納め札入れ、納経入れも設置されている

橋の下で野宿する大師の像
弘法大師がこの橋の下で野宿したという言い伝えに基づき、「橋の上では睡眠中の大師を起さないように杖をつかない」、という戒めが出来た

十夜ヶ橋
国道56号線に架かる何の変哲もない橋だが、弘法大師にかかわる有名な故事が伝わっている

番外(別格)札所・十夜ヶ橋永徳寺
十夜ヶ橋の手前に建っているお寺。国道に面しており、いつも大型バスが何台も駐車しているというが、この日は1台もいなかった

9月29日(水) 内子町から農祖峠経由で久万高原町、民宿でんこまで 約37Km

 この日は歩行距離が長いので、7時には宿を出発した。朝からよい天気だ。ガイドブックの地図を見ながら古い商店街の続く道を進むが、途中で分からなくなり人に聞いた。「みなさんよく間違えるんですよ」といわれたが、どこで間違えたのかよく分からない。教えられたとおりに行って、ようやく国道56号線と379号線の分岐点に出た。今日はこの379号線を進むのだ。内子町は昔の古い町並みが保存されている地域があるということをあとで知ったが、このときは知らずに通り過ぎてしまった。

国道379号線スタート地点
上を通るのが国道56号線。下をくぐってまっすぐ行くのが国道379号線。案内板には大宝寺まで43Km とある

内子町民宿付近の商店街
民宿付近の生活道。内子町には古い町並みの保存地区があるらしいが、残念ながら通らなかった

国道379号線は川沿いの静かな道になる。国道を1時間近く進むと長岡山トンネルに着いた。このトンネルは5,6分で通り抜けるが、トンネルを出てすぐ近くの国道脇に「お遍路無料宿」がある。戸が閉まっていたので中の様子は分からないが、野宿派には助かる施設だろう。

長岡山トンネル先の「お遍路無料宿」
長岡山トンネルを出てすぐ先の国道脇にある

国道379号線の様子
肘川の支流・小田川に沿って久万高原方面に通じる国道である

長岡山トンネルを出て1時間近く国道を進むと、新しい橋がありこれを渡ると大瀬の集落に入ってゆく。橋を渡ってすぐのところに休憩所があったのでザックを下ろして少し休むことにした。辺りを見回すと、道の反対側に植樹されたような木が立っていて、脇に小さな標柱が建っている。近寄って読んでみると、これには「ノーベル文学賞受賞記念」とだけ書かれている。この付近の出身者がノーベル文学賞を受けた記念に植樹したらしいのだが、誰だか分からない。
休憩所に戻って休んでいると、ちょうど歩き遍路の男性が通りかかった。この人は逆打ちの人で、私とは逆方向に歩いている。私が聞く前に、「この少し先に大江健三郎の生家がありますよ」と教えてくれた。そうか、あの文学賞受賞記念植樹は大江健三郎のものだったのだ。休憩所をあとに歩き始めると大瀬集落の家並が続き、その中に大江健三郎の生家らしい大きな家が見えた。看板とか表札が出ているわけではないのではっきりしたことはいえないが、さっきの人の話ではこの家のようだ。

大江健三郎生家
大江健三郎はここ(旧)大瀬村の出身で、近くの大瀬小学校、中学校を卒業している。1994年にノーベル文学賞受賞

「しんなるやはし」横の休憩所
橋を渡ってすぐのところにある休憩所。道の反対側に「ノーベル文学賞受賞記念」の植樹がある

大瀬集落を抜け、川沿いの国道379号線をさらに進む。大瀬から1時間半以上歩いたところで国道379号線と380号線の分岐点についた。昔からの遍路道もここで二つに分かれ、380号線ルートが「農祖峠(のうそのとう)遍路道」、379号線ルートが「鴇(ひわ)田峠遍路道」と呼ばれた。農祖峠(のうそのとう)遍路道の方が距離は少し長いが歩きやすく、山の中のきびしいアップダウンが続く鴇(ひわ)田峠遍路道よりも利用する人が多いようだ。私も歩きやすい380号線ルート(農祖峠遍路道)を行く。小田川沿いの国道380号線をしばらく進むと小田の集落に入る。山奥の割には大きな町だ。小田集落はずれの国道沿いにお遍路の休憩所があった。時計を見ると12:20。ちょうどよいのでここで昼食をとることにした。ここから先は山の中の長い国道歩きになる。

12:30に小田休憩所出発。国道はだんだんと狭い道になり、ゆるい登り坂が続く。1時間ほど歩くと三島神社に着いた。ここまで、それほどきつい登りではないが一本調子の登り坂なので結構きつい。神社の脇から細い歩行者用の山道になって国道のジグザグ道をショートカットする。この部分は結構きつい登り坂だ。この道はやがて国道に合流し、あとは今までどおり国道を歩く。少し先で国道の真弓トンネルを抜ける。これは710mと短いものだ。このあと、道はゆるい下り坂になる。

お遍路休憩所
小田町はずれの国道脇にある。ここで昼食にした

国道380号線小田町の入口付近
小田町は山奥の集落としては大きな町だ。町役場支所、小中高校、JAコープなど大きな建物もある

国道379号線と380号線の分岐点
379号線を行くと鴇(ひわ)田峠遍路道」、380号線を行くと「農祖峠(のうそのとう)遍路道」となる

国道の真弓トンネル
国道をショートカットした遍路道は再び国道と合流し、少し先でこのトンネルを抜ける。トンネルを抜けると国道はようやくゆるい下り坂になる

三島神社
ここまでの間、国道は登り坂が続くので結構しんどい。さらに神社の脇からは、歩行者はさらにきつい山道で国道のジグザグ道をショートカットする

トンネルから1時間ほどで国道と農祖峠遍路道への分岐につく。歩き遍路の人はここで国道と分かれて農祖峠に向かう。国道から分かれしばらく一般道を歩いたあと、いよいよ農祖峠への古い遍路道が始まる。ここには遍路道の案内板が立っている。この峠道への登り口についたのは15:30頃だった。それほどきびしくはない山道を登ってゆくと、30分くらいで峠の頂上に着いた。ここからはゆるい下りで、案内板にしたがって歩いてゆくとやがて広い国道33号線に出る。

農祖峠頂上付近
峠の頂上は標高651m、ここまでゆるやかな登り坂が続く

農祖峠(のうそのとう)遍路道登り口
ここから大宝寺まで6.8Kmの案内が出ている。ここについたのは15:30ころだった

大宝寺への遍路道は国道33号線と平行した旧道である。途中に建替えたばかりのような新しい久万小学校があった。この地点でちょうど17時頃、大宝寺まではまだ距離があるので、本日の納経はあきらめ宿に向かう。今日の宿、「やすらぎの宿でんこ」は国道33号線沿いにある。地図を見ながら宿に到着したのは17:20ころだった。

久万高原町の遍路道
国道33号線と並行して続いている。第44番大宝寺はこの道から少し入ったところにあるが、納経時間に間に合わないので通り過ぎて宿に向かった

久万高原町立久万小学校
建替えられたばかりのような新しい建物だったので印象に残った

本日の行程は、小田の休憩所で昼食を食べて以降、約5時間ほとんどだらだらした国道の登り坂で、黙々と歩き続けたので少々くたびれた。18時から食堂で夕食になった。先に席についている人が、どうもどこかで見たような人である。疲れたような顔をしているが、春のお遍路の阿波路でしばらくご一緒したKさんである。声をかけると向こうも気がついて、「やあ、どうも」ということになった。
Kさんも秋のお遍路を第43番・明石寺から再開するということは知っていたのだが、まさかここでお会いするとは思っていなかった。近況と今後の予定などを情報交換したが、Kさんは前回の旅で痛風が出て、歩きすぎると足が痛くなり、あまり無理は出来ないのだという。今回の旅も私とはペースが違い、行動を共にすることは出来ないようだった。ビールを飲み、しばし歓談して大変楽しいひと時を過ごした。遍路旅にはこのような出会いと別れが繰り返されるのだ。

9月30日(木) 久万高原町、民宿でんこから大宝寺、岩屋寺を経て久万高原町の民宿、桃李庵まで 約26Km

民宿でんこに戻り、一息入れてから再スタートしたのは9時頃だった。1時間半のロスである。気を取り直して昨日歩いた道を戻り、大宝寺に向かう。まだ雨は降っているが、いくぶん雨足は弱くなっている。30分ほどで第44番札所・大宝寺に着いた。大きな古い山門をくぐり、坂道を上り、さらに石段を上ると本堂と大師堂がある。大宝寺は四国八十八ヶ所のうちの四十四番目で、ちょうど真ん中になるので「中札所」とも呼ばれる。ようやく、数の上では中間点に達したのだ。予定が遅れているので、早々に納経を済ませ次の岩屋寺に向かう。

第四十四番札所・大宝寺本堂
山の中のお寺で、周りは鬱蒼とした樹木が生い茂っている。四国八十八ヶ所のちょうど真ん中に当たるので「中札所」とも呼ばれる

第44番札所・大宝寺山門
山の中の古刹といった立派な山門である。本堂はここからさらに坂道、石段を上ったところにある

国民宿舎・古岩屋荘
県道12号線沿いに建っている。県道と古い遍路道が合流する地点にあり、隣接して休憩所、トイレなどがある

大宝寺山門から少し戻り、駐車場の横で右に曲がり、県道12号線に出る。これから先、次の岩屋寺まではこの県道をまっすぐ歩き、また同じ道を引き返すことになる。地図では途中で古い遍路道が分かれてゆくが、雨が降っているし、とにかく分かりやすいほうがよいと思い、行きも帰りもこの県道を歩くことにした。とにかくロスした1時間半を取り戻そうと、雨の県道を必死に歩いた。
アップダウンのある雨の県道を2時間近く歩き続けて、ようやく国民宿舎・古岩屋荘前についた。この付近で古い遍路道と県道が合流するので、休憩所やトイレなどがある。少し休憩してから歩き始めると、向こうからKさんがやって来た。Kさんは私より早く出発し、その後、私はかなりロスタイムがあったので、納経を終えたKさんとここで出会うことになったのだ。Kさんは往路は山の遍路道を歩き、復路は県道を歩くという。雨も降っているので、少し立ち話をしてお別れした。

古岩屋荘からしばらく県道を行くと、古岩屋トンネルがある。これを抜けて川沿いに少し行くと、岩屋寺へ向かう遍路道が分かれてゆく。この道をしばらく行くと赤い橋があり、これを渡ると岩屋寺への参道になる。土産物屋などの並ぶ一角を過ぎると山門があり、その先に長い石段が続いている。この石段は終わったかと思うとまた次の石段が現れるといった具合で、本堂まで相当長く続く。これが結構きつく、休み休み登って20分近くかかった。岩屋寺は山のお寺である。

岩屋寺本堂への石段
「南無大聖不動明王」の赤、青の幟が立ち並んでいる。この石段を上りきると、また別の石段が現れる

第45番札所・岩屋寺山門
山門をくぐってすぐ先から長い石段が始まる。車遍路の人も皆、この石段を登らなければ本道まで行けない

第45番札所・岩屋寺の本堂は山の岩盤を背にして建っている。この場所は標高700m近くあるが、昔から修験者が山岳霊場にしていたという。本堂の近くに「法華仙人堂跡」というのがあるが、昔、法華仙人という行者が修行していた跡だという。本堂には弘法大師が彫った不動明王が納められているが、ご本尊は背後の山そのものだという。このため本堂は小さく、本堂に隣接して建っている大師堂のほうが大きい。

岩屋寺・大師堂
大師堂のほうが本堂よりも大きいが、このお寺は山そのものが本尊なので本堂は小さいのだという。山岳信仰の名残だろう

第45番札所・岩屋寺本堂
弘法大師は815年にこの地を訪れ、二体の不動明王を彫った。木彫りの一体は本堂に、石堀の一体は奥の院の岩窟に納められた

本堂、大師堂とお参りして時計を見ると12時半ごろ。適当な場所があれば昼食にしたいと思ったが、雨が降っているので適当な場所がない。仕方ないので石段を下りはじめると、途中に屋根付の小屋があったので、ここの軒先を借りて昼食にした。目の前を参詣の人が通るが贅沢は言ってられない。おなかもいっぱいになったので、ようやく元気を取り戻し、さらに続く石段を下り始める。下の納経所で御朱印をもらい、岩屋寺をあとにしたのは13時ころだった。復路も同じ道をほとんどわき目もふらずに歩いて、民宿「でんこ」に帰り着いたのは16:30頃だった。ここから今日の宿泊予定の「桃李庵」まではまだ4Km以上ある。でんこで荷物を受け取り、少し休んで出発する。
この頃にはようやく雨もあがった。今朝、間違えて歩いた国道33号線を今度は背中に荷物を担いで歩く。一本調子のゆるい登り坂で、疲れた体には結構きつい。1時間近く歩き、国道から少し入った脇道の近くに目指す民宿・桃李庵はあった。道の脇に小さな表示板が立っているのだが、少し離れたところに工事用の飯場みたいな建物があるだけである。しばらく回りをウロウロしていると人が出てきたので聞いてみると、これが桃李庵だという。さっそく中に招じ入れられると、驚いたことにストーブが焚かれている。歩いていたので寒さは感じないが、日が沈むと急に冷えてくるのだという。9月末で、もう暖房を入れなくてはならないことにまず驚いた。でも、ぬれた雨具などをストーブの周りにならべ、暖まっているうちに、ようやく人心地がついてきた。ふぁー、疲れた。今日は一日、雨の中をよく歩いた。

やすらぎの宿でんこ
国道33号線沿いで、国道側がレストラン、奥が宿泊室となっている。食事はレストランで取るが、料理は大変よい。二食付6500円

今日は、朝から雨がザーザー降っている。しばらく様子を見たが、止みそうもないので7:30頃出発した。この日は、まず第44番・大宝寺に向かい、そこから第45番・岩屋寺へ行き、同じ道を戻って民宿「でんこ」に戻る予定である。宿泊は少し先の「桃李庵」を予約してあるのだが、同じ道を戻るので背中の荷物はここに預かってもらうことにした。
宿を出る前に地図を見直すと、岩屋寺への近道が目についた。少しでも近道を行こうという気になり、この道でまず岩屋寺にゆき、それから大宝寺に回ろうと予定を変更した。でんこの前の国道33号線をしばらく先に進み右に曲がれば、岩屋寺への道に出るはずだ。右へ曲がる分岐を探しながら歩いたがそれらしい道がない。雨の国道を30分以上も歩き、さすがにおかしいと思い、地図を取り出して確認すると、かなり行過ぎていることが分かった。そこで近道ルートは断念し、振り出しの民宿「でんこ」に戻り、当初の予定通りのルートを行くことにした。激しい雨の中、ほとんど足元しか見ないで歩き続けたので、とんだ大失敗をやってしまった。

民宿・桃李庵
外観はまさに工事用の飯場だが、内部はきれいに改装され、一般の民宿の部屋と変わりない。標高の高い場所にあるので、寒さはきびしいようで外には薪が山と積まれている。この日も夜冷えるからと、夕方からストーブが焚かれていた。1泊2食付6500円

食事のときにご主人からいろいろな話を聞いた。
「46歳のとき脱サラしてこの仕事を始めました。トンネル工事の飯場を土地ごと買取り、改修して3年前に開業しました。借金なしで開業できたので、何とかやっていけます。平成20年6月には菅(直人)さんがお泊りになりました。まったくの一人で、全部歩いて回っているということでした。その後、53番・円明寺で中断したと聞いています」
食堂の目につく場所に菅さんの色紙が飾ってあった。菅さんも、四国を歩いているときには、自分が総理になるとは考えていなかっただろうな。中断したお遍路はいつごろ再開できるのだろうか、などと話を聞きながら考えていた。

10月1日(金) 久万高原、桃李庵から浄瑠璃寺、八坂寺、西林寺、浄土寺、繁多寺、石手寺を巡って道後温泉ビジネスホテルまで 約29Km

 この日は7時頃民宿・桃李庵を出発した。昨日の雨はすっかりあがり、気持ちのよい朝だ。建物のすぐ先から登山道が始まる。結構きつい道だが、15分くらいで昨日別れた国道33号線に合流する。国道に出てしばらくすると道の脇に休憩所があった。ここにはトイレなども設置されている。ここで休んでいると男性のお遍路さんがやってきて、大きな荷物を置いて私に話しかけてきた。昨日はこの休憩所の近くの空地に野宿したが、1日中雨に降り込められて動けなかったという。この人の話は大変興味深い話だったので、下に紹介しておこう。

この人は、「覚有情」と名乗った。今回で53回目の歩き遍路だという。「大体、年に8回巡っています。1めぐりが45日くらいです。これを6年半続けています。」「冬よりも夏のほうがきついですね。今年の夏は特にきつかった。いつも午前中に行動し、午後はあまり動かないようにしていました。」「50回でやめようと思っていたが、回ってきてくれという人も多く、まだやめられないで続けています。大体、年寄りの愚痴を聞くことが多いですね。」「知り合いもないところでは、苦しいこともありますよ。あるご住職に、もう寺は回らなくてよいから、檀家を回ってくれないか、といわれている。迷っているが、ちょうどよい機会かもしれない。」等々、いろいろな話をしてくれた。なぜ四国を巡り始めたのかは話さなかったが、日常的にお遍路を続けている人の生活の一端を垣間見ることが出来、大変興味深く聞かせてもらった。
別れるときに、右の写真のような金色の納め札をもらった。一般的に50回以上巡った人が使用するもので、めったに見られるものではない。この札の裏面にこの人の住所と年齢、本名などが書かれていた。千葉県の人で、66歳とあった。
このお札をもらったときに「お気持ちで結構なんですが、カンパをお願いできますか」といわれた。「カンパ」という言葉がおかしく、私は笑いながら、お礼の気持ちで2000円を渡した。こういうお金も貴重な生活資金なんだろうな、と思いながら。

山道が国道と合流するあたり
桃李庵から山道を15分くらい歩くと国道33号線に合流する

山道から桃李庵を望む
桃李庵のすぐ先で山道になり、建物がどんどん小さくなってゆく

休憩所をあとに私は国道を歩きはじめた。「覚有情」さんは気持ちのよい人で、後味は悪くなかった。お年寄りがこの人の回ってくるのを待っているというのも、分からないではない。道は三坂峠に向かうゆるい登り坂だが、歩きはじめたばかりなので元気に登ってゆく。しばらく行くと国道の脇に茶店のような店があった。実は、この店のすぐ先で遍路道が右に分かれてゆくのだが、道の反対側を歩いていた私は気がつかずに通り過ぎてしまった。峠の頂上を過ぎてから遍路道が分かれてゆくと思い込んでいたのだ。しかし、峠の頂上を過ぎてもなかなか分岐点が出てこない。20分くらい行きすぎてから、おかしいと思い国道を戻ることにした。先ほどの茶店まで戻り、店の人に道を尋ねると、店のすぐ近くに分岐点があるのが分かった。立派な道標があるのに、大きな黄色い道路標識に幻惑されて目に入らなかったのだ。

遍路道の分岐点付近の様子
大きな道路標識のすぐ下に案内板が立っている。黄色い道路標識に目がいって、へんろ道の道標を見落としてしまった。すぐ近くに最初通り過ぎた茶店がある

国道33号線の三坂峠頂上
古い遍路道は、この頂上のずっと手前で右に分かれるのだが、私は気がつかずにここまできてしまった
このまま国道を進んでも次の浄瑠璃寺までは行けるのだが、私はここから国道を戻ることにした

三坂遍路道に立つ「へんろ道」案内板
見慣れた「へんろ道」の赤い案内板が立っていた。遍路道の整備、案内板の設置などに尽力した宮崎建樹氏が2010年末に亡くなったということをあとで知った
享年75歳、氏の大きな功績を思い、心からご冥福をお祈りいたします

三坂峠遍路道に入るとすぐに鬱蒼とした林になる。昨日の雨で下草はまだぬれており、道は滑りやすい。少し先に「へんろ道」の見慣れた案内板があった。この案内板は「へんろみち保存協力会」が立てたもので、私もこれまでどれだけお世話になったか分からない。この「へんろみち保存協力会」というのは宮崎建樹さんという人が個人で始めた仕事で、遍路道の整備を行い、案内板やガイドブックなどを作成した。四国を歩いてお遍路する人で、この人のお世話にならない人はないといえる。
余談だが、2011年の元旦に、四国で宿泊した民宿、旅館などからいくつかの年賀状をいただいた。その中に「年末に遍路道整備に御尽力された宮崎建樹様の訃報が届きました。」という一節があった(香川県観音寺市の若松家別館からの年賀状)。私はこれにより、宮崎氏が亡くなったことを知った。

あとで調べたところによると、宮崎氏は2010年11月8日、自宅を車で出たまま行方不明となり、12月10日に東温市内の山道で遺体が発見されたという。警察では、宮崎氏は山道で誤って滑落したのだろうとみて調べているとのことだ。

三坂峠遍路道に入って少し行くと休憩所がある。ここを過ぎてしばらく林の中の細い道を下ってゆくと、やがて道は車の通れる一般道になる。ここには「四国のみち」の道標が立っており、三坂峠2.6Km、浄瑠璃寺5.9Kmとある。さらに舗装された急な道をしばらく行くと榎という集落になり、道の脇に大きな石とお堂がある。真っ黒な大きな石だが、よく見ると網目のような複雑な筋がたくさんついている。説明板には「弘法大師の網掛け石」とある。ここで少し休憩した。

弘法大師網掛け石
弘法大師が大きな石を二つ網に入れ、担い棒を担いでいたが折れてしまい、一つがここに飛んできたという。石の表面に網目のような筋がたくさん入っている

三坂峠遍路道が一般道に出るあたり
「四国のみち」の道標があり、三坂峠2.6Km、浄瑠璃寺5.9Kmとある

網掛け石から1時間くらいで第46番札所・浄瑠璃寺に着いた。11時過ぎだった。今日は、このお寺を含め六つの札所を巡ることになっている。すでに松山市内に入っており、市内にはたくさんの札所がかたまっているのだ。納経を済ませて寺を出ると、次の八坂寺まで1Kmの道標が立っていた。
浄瑠璃寺から八坂寺までの道は畑や田圃が続き、道の脇には背の高いコスモスが揺れていた。今日は風はあるが暖かい日和だ。秋の旅も4日目になり、ようやく心にも余裕が出てきたようだ。ふと春の阿波路で同じような風景を見たのを思い出した。あのときも暖かい日で、菜の花があちこちに咲いていた。
コスモスのゆれているのを見て、歩きながら俳句を考えた。最終的に次の句になった。

        コスモスのゆれて心のへんろ旅  (尺)

コスモスのゆれるのを見て、朝、話を聞いた「覚有情」さんの揺れる心を思った。また、秋の旅はこれから先、自分の心を見つめなおす旅にしたいという気持ちを込めているつもりだ。

浄瑠璃寺から八坂寺にいたるへんろ道
あたりは田や畑が広がり、路傍にコスモスが揺れていた

第46番札所・浄瑠璃寺本堂
和銅元年(708)行基により開基、大同二年(807)弘法大師により再興、以降興廃を繰り返し、天明五年現在の堂塔になった

やがて第48番札所・八坂寺に着いた。山門をくぐり、石段を登った上にコンクリート作りの大きな本堂が建っている。本堂、大師堂と参拝し、納経所で御朱印を受けて次のお寺、西林寺に向かう。県道194号線に出てしばらくすると、番外霊場・札始大師堂の案内が出てくる。このお堂に着いたのは12:20頃だった。休むのにちょうどよい場所なので、ここで昼食をとることにした。昼食を済ませてから説明板をじっくりと読んでみた。それによると、「ここは四国遍路の元祖・衛門三郎ゆかりのお堂で、ここに滞在していた空海を追ってここまで来た衛門は、上人の帰るのを待ったが、なかなか現れない。そこで、国所氏名などを書いた札を堂に貼って、上人を尋ねる旅路についた。それゆえに当所を『衛門三郎札始所』という。」というようなことが書いてある。

番外札所・札始大師堂
四国遍路の元祖・衛門三郎がこのお堂に札を貼り付けたあと旅に出たことから、「札始」の名前がついたという
.。建物の横に「お大師さまお泊跡」という大きな石標が建っている

第47番札所・八坂寺本堂
大宝元年(701)文武天皇の勅願により建立、その後弘仁六年(815)弘法大師により再興された。その後、焼失再建を繰り返し現在に至っている

札始大師堂の少し先で広い県道40号線に出る。大きな川を渡り、松山自動車道の下をくぐると少し先に古いへんろ道が右に分かれる。これを進むと第48番札所・西林寺の大きな山門が見えてくる。山門をくぐると正面に本堂、右手に大師堂が建っている。今日巡るお寺はすべて町の中の寺で、距離は短いが数が多い。納経を手際よく済ませ、西林寺を出たのは13:10ころだった。
西林寺を出て県道40号線を行くと、すぐ先にへんろ道の案内板が出ている。あとはこの案内板と地図をたよりに歩いてゆく。鉄道の踏切を渡り、県道を越えると第49番札所・浄土寺の仁王門が見える。仁王門をくぐると、先ほどの西林寺と同じような感じで本堂と大師堂などが建ち並んでいる。私が着いたときにはほとんど人がいなかったのだが、しばらくしたら団体参拝の人たちがやってきた。納経所が込み合わないうちにと、参拝を早々にすませ納経所に向かった。

第49番札所・浄土寺本堂
立派な仁王門の正面に本堂が見える。私が参拝していると団体参拝者がやってきた

第48番札所・西林寺本堂
西林寺は町の中の寺で、山門、本堂、大師堂などの建物がほどよい間隔で建ち並んでいる

浄土寺から次の繁多寺との間は約2Kmと短いが、町の中を抜けて最後に坂道を登る。第50番札所・繁多寺はちょっとした高台の上にある。納経を済ませお寺を出たのは15時頃だった。坂道を下ってゆくと松山市の市街地がよく見える。いよいよ、あとは道後の石手寺を残すだけだ。坂を下って県道40号線に出ると車の通行が大変激しい。道後や松山市街が近くなって来たのだ。県道を進んでゆくと石手川があり、橋を渡るとすぐ先に石手寺の大きな石標と山門などが見える。

第51番札所・石手寺は大きくて立派なお寺である。衛門三郎に関する説話から石手寺と改名されたという。山門を入ると少し先から長い回廊が本堂に向けてまっすぐ続き、両脇には土産物屋などが軒を連ねている。このお寺にはお遍路さんだけでなく、地元の参詣者や一般観光客なども多いようだ。参道を進んでゆくと立派な仁王門がある。これは鎌倉期に造られたもので、国宝になっている。仁王門をくぐると右手に三重塔、正面に本堂がある。そのほかに重文などのいろいろな建物や宝物舘などが建っているが、ていねいに見ている時間はないので、本堂と大師堂で参拝し、納経所で御朱印をもらってお寺をあとにした。

第51番札所石手寺山門と大きな石標
石手川を渡って正面が大きな石手寺の境内になり、山門や石標が建っている

第50番札所・繁多寺本堂
石段を上ると仁王門があり、立派な仁王像が立っている

石手寺の納経を終わり、今日の宿泊地道後温泉に向かって歩き始める。県道187号線に出て、この道をまっすぐに進んで行く。地図をたよりに、まずは道後温泉本館を目指す。道後温泉近くになると道が入り組んでわかりにくくなるので、人に聞いたりしてようやく道後温泉本館を見つけた。私は道後温泉は初めてなので、写真の通りの本館建物を見たときには感嘆した。まさに漱石も通ったという明治の建物だ。ただ、周りの風情が昔とはあまりに変わっているので、坊ちゃんのイメージはまったく湧いてこない。本館の場所を確認した上で、本日の宿舎「ビジネスホテルさくら」を探した。人に聞きながらビジネスホテルに到着したのは16:30頃だった。部屋で一休みしてから、さっそく道後温泉本館までブラブラと歩いていった。本館まで賑やかな商店街を通って5分もかからない。
入浴料400円を払って中に入り、ロッカーの鍵などを受け取って広い浴室に入る。中には大きな浴槽がいくつもあり、昔の銭湯の雰囲気がそのまま残っている。私はゆったりと湯船につかり、今日一日の疲れを癒した。この温泉に入ることは、私にとって秋の旅の大きな期待の一つだったのだ。

道後温泉本館入口
ここで入場料を払って中に入る。料金は、入浴のみなら400円。休憩室利用の場合は800円と1200円がある。入口を入って一階の左側が男湯、右側が女湯となっている。二階は休憩室になっているが、私はこちらには行かなかった

道後温泉本館全景
県道を歩いてくるとまずこの風景が目に飛び込んでくる。建物全体としてはかなり大きなものだ。建物は明治27年(1894)建築で、国の重文に指定されているという。写真左側が入口で、前が広場になっており、ここから土産物屋などが連なる商店街がはじまる

第51番札所・石手寺仁王門(国宝)
この仁王門は1318年に建てられた。二層入母屋造りの本瓦葺。国宝に指定されている。

石手寺本堂
729年に行基により開基された。はじめは安養寺といったが、892年に衛門三郎の説話から石手寺と改名された。

10月2日(土) 道後ホテルから太山寺、円明寺を巡って浅海(あさなみ)の民宿まで 約28Km

この日は、7時に道後のビジネスホテルを出発した。ホテル付近の道は込み入っていて分かりにくいので、とりあえず県道187号線に出て地図上の位置を確認する。地図にしたがって歩いてゆくと、松山大学グランド前を通り、これから少し先で国道196号線に出た。国道に出てから二つのルートに分かれるが、私はそのまままっすぐに国道を進んだ。

国道をかなり歩いたところで道を尋ねた。教えてもらった通りに国道を左に曲がり、県道40号線に入る。しだいに田園風景になり、やがてJRの踏切を渡る。線路に沿ってしばらく行くと小さな神社があった。大将軍神社といい、まわりは小さな公園になっている。ここに着いたのがちょうど9時頃。歩きはじめてから2時間たっているので、ここで少々休憩することにした。

大将軍神社
まわりは小さな公園になっており、トイレもある。荷物を下ろして少々休憩した

県道40号線風景
次第にのどかな田園風景になり、まっすぐ行くとJRの踏切を渡る
大将軍神社から少し先で県道183号線に出る。太山寺へはここで左に曲がり西方向に行くのだが、太山寺から次の円明寺へはここまで同じ道を戻り、ここで東にまっすぐ進むことになる。県道を少し行くと大きな道路標識が立っている。この標識のすぐ先に背の高いシンプルな門が建っているが、これが第52番札所・太山寺の一ノ門である。

太山寺一ノ門
一ノ門をくぐって自動車の通る一般道をまっすぐに進むと仁王門(二ノ門)がある

県道183号線の様子
結構交通量は多い。少し先に大きな道路標識があり、右に曲がると太山寺方面である

一ノ門から200mくらい進むと石段があり、その上に二ノ門(仁王門)が建っている。これは鎌倉時代の建築物として国の重文になっている。この門をくぐると先は車も通る急な参道が続いている。樹木の生い茂った参道を10分くらい登ると石段になり、それを登ったところに山門がある。この山門を入るとようやく本堂、大師堂などいろいろな建物が見えてくる。正面の大きな木造建築物が、第52番札所・太山寺(たいさんじ)の本堂である。これは鎌倉時代(1305)の建築で、国宝に指定されている。右手に鐘楼、石段を登った上に大師堂が建っている。

太山寺参道
結構急な坂だが車も通れるようになっている。両側には樹木が生い茂り静かな道だ

太山寺ニノ門(仁王門)
ニノ門(仁王門)は鎌倉時代の建築で国の重文となっている。車は門の脇を通り抜けられるようになっている

本堂、大師堂を参拝し、坂を下って納経所で御朱印を受ける。ここから一ノ門まで戻り、先ほどの県道183号線を通って次の円明寺に向かう。
183号線を進み、大将軍神社に向かう分岐を過ぎて少し行くと和気公民館がある。ここで、「少し休憩してゆきませんか」と声をかけられた。毎月1日と2日、この公民館で地区の人がお接待をしているのだという。中に入るとまず、甘酒をご馳走になった。見ると先客に外国人の女性お遍路さんがいた。この人はオーストリアの人で、一人で野宿しながら四国を回っているという。大きく、がっちりした体格でパワーあふれる感じの人だ。女性一人で言葉もわからず、よくやれるもんだと思うが、当然のことながら詳しい英文のガイドブックを利用しているということだ。若い学生のような男性が同伴しているが、この人はたまたま一緒になった人で、道案内をしているそうだ。英語はあまり出来ないのだが、携帯の翻訳機を使っているという。
しばらく話をしていたが、「ありがとうございました。さよなら」といって二人で出て行った。荷物を持っていないが、円明寺に預けてあるのだという。先に円明寺に行き、荷物を預けて太山寺へ往復するらしい。私はさらに、コーヒーとお菓子をご馳走になり、すっかり長居をしてしまった。
第53番札所・円明寺(えんみょうじ)には公民館から10分くらいで到着した。円明寺は町の中のお寺で、すぐ近くにJR予讃線の伊予和気駅がある。現首相の菅直人さんが、このお寺まで一人で四国遍路を続けたという話を久万高原の桃李庵で聞いた。私は、今回の旅ですっかり菅さんびいきになっている。現在の政局を見るにつけ、どうぞ自信を持って難局に立ち向かってください、とエールを送りたい気持ちだ。
円明寺は町の中の寺だけに敷地がコンパクトで、山門から本堂、大師堂がすぐ近くにある。納経所も空いており、15分くらいですべてが終わった。お寺を出たのは11:20ころだった。

円明寺(えんみょうじ)本堂
天平勝宝年間に行基により開基された。当初和気の海浜にあったが、江戸時代に現在地に移転、再興された

第53番札所・円明寺山門
町の中のお寺で、敷地はコンパクトだ。山門の少し先に中門、その少し先に本堂が見える

次の第54番札所・延命寺までは約34Kmもあるので、今日は手前の浅海(あさなみ)の民宿に宿泊する予定だ。円明寺からの道がちょっと分かりにくかったが、人に聞きながら県道347号線に出た。この県道は旧国道のようで、交通量が多い。堀江町を過ぎると海岸沿いの景色のよい道になる。秋の旅ではじめて見る海だ。この海は瀬戸内海で、春に見た太平洋とは違い、近くに小さな島や中国地方の山並みなどが見えるようになる。

海岸沿いを通る県道347号線
このあたりから先はずっと海岸沿いを通る。瀬戸内海の穏やかな海岸風景が続く

県道347号線、堀江町付近
少し離れた山寄りに国道196号線が通っているが、昔はこの県道が国道だったのだろう

おなかも空いてきたので、適当な休憩場所を探しながら歩いてゆく。岩がごつごつしているが座れそうな場所を見つけたので、ここで昼食をとることにした。12:40ころだった。空はどんよりとしてあまり見通しはよくないが、近くの島や遠くの中国山地などが見える。風は弱く暖かな日和だ。
昼食もすみ、元気に歩きはじめる。海岸沿いの道が続くが、伊予北条の町並みに入ると少し海から離れる。北条の街道沿いには古い家もちらほらと見える。近くに太田屋ビジネス旅館というのがあったが、ここもお遍路さんがよく利用するようだ。私は先の浅海(あさなみ)町まで歩くことにしているので通過する。

北条の街道沿いの古い家
JR予讃線の伊予北条駅が近い。昔は宿場町だったのだろうか

昼食をとった海辺
道の近くで、座れる岩場が見えたので、ここで昼食にした。瀬戸内海の景色がよい

北条の町並みを過ぎると県道は国道196号線と合流し、これから先は国道となる。ガイドブックの地図では山よりの道をへんろ道としているが、私は海岸沿いの国道を進むことにした。もう少し海を見ながら歩きたいのと、今日の宿泊する民宿、コスタブランカは国道沿いにあるためだ。国道をしばらく歩くと海辺に休憩施設が見えた。ここから遊歩道がのびており、その先に道の駅「風早の里風和里」がある。そこから国道は登り坂となり、すぐに下ってもとの海岸沿いの道になる。そろそろ疲れたなと思う頃、浅海(あさなみ)の町に入った。近くに漁港があり、漁業の町のようだ。民宿「コスタブランカ」は国道沿いにあり、すぐに分かった。宿に到着したのは16時頃だった。1階がレストランで、上が宿泊の部屋となっている。食事はレストランでとるが大変おいしく、質が高い。これで1泊2食付4850円というのは大変お安く、おすすめの宿だ。

民宿「コスタブランカ」
国道沿いで、1階がレストランになっている。宿泊者の食事もこのレストランでとる。駐車場も広く取ってあり、結構はやっているように見えた

道の駅「風早の里風和里」付近の海岸
道の駅から遊歩道が続いており、休憩施設が建っている

太山寺大師堂
本堂、大師堂は山の中腹にあり、一ノ門からここまで約700m、15分くらいかかる

第52番札所・太山寺本堂(国宝)
鎌倉時代(嘉元三年、1305)の建築で、入母屋造り、本瓦葺きで国宝に指定されている
本尊の十一面観音像も国指定重文となっている

10月3日(日) 浅海町民宿から今治市の延命寺、南光坊、泰山寺、栄福寺を経て仙遊寺まで。仙遊寺宿坊泊 約31Km

この日は宿にたのんで6時からの朝食にしてもらった。宿泊者は私一人だったが、朝食後にサービスのコーヒーをいただき、出発寺にはバナナと菓子などを持たせてくれた。お礼を言って出発したのはちょうど7時だった。今日は、まず国道196号線をまっすぐに15Kmくらい歩く。左は穏やかな海で、時折小さな漁港が現れる。右にはJR予讃線が走っている。朝早いので車はそれほど多くない。

浅海町の小さな漁港
この先にも国道沿いの海岸に小さな漁港が時折現れる

国道196号線風景(浅海町はずれ)
左は瀬戸内海の穏やかな海、右にはJR予讃線が走っている
少し先で松山市から今治市に入る

気持ちのよい海岸沿いの国道を1時間近く歩くと、今治市の菊間町に入る。ここには鬼瓦などを生産する工場や店がたくさんある。店などはまだ開いていないが、道沿いに大きな鬼瓦が無造作に並べられている。いかにも瓦の生産地という感じだ。町に入って少し行ったところにお接待所があり、中にかわいらしい焼き物が並べられている。瓦製作と同じ原料で作られたものだ。自由におとりくださいとあるので、小さな草履の形をしたアクセサリーを一つもらってウェストバッグに取り付けた。ノートが置いてあったのでお礼を記入しておいた。

お接待所にあった中学生の作品
中学生の作ったかわいらしい作品が並べられ、ご自由におとりくださいとあったので一つもらった。ノートにはお礼の言葉がたくさん書かれていた

国道脇に並べられた鬼瓦
店などはまだ開いていないが、道沿いに鬼瓦が並べられていた

今治市菊間町
鬼瓦の生産で有名なところで、工場や店などが国道沿いにも多い

今日はとりあえず海岸沿いの一本道なので、あまり歩くことに気を使わなくてもよい。こういうときは、いろいろなことを考えながら歩く。今回の旅で考えることの中心は、お遍路の旅らしく「般若心経」についてである。この旅の間に、般若心経をすべて暗記しようという目標を立てた。本文の文字数が266文字という短いお経なので、その気になれば覚えられないことはない。春の旅のときにも同じような目標を立てたのだが、まだまだ達成にはほど遠い。
秋の旅で新しい金剛杖を買ったと前に書いたが、この杖には般若心経の全文が書いてある。歩きながら、これをちらりちらりと見ながら暗記してゆくのだ。これを続けてゆくうちに、各フレーズは割合スムーズに口をついて出るようになったのだが、各フレーズのつながりがわからなくなって詰まってしまうことが多い。長い文章の丸暗記はこの年になると無理だ。そこで、それぞれのフレーズの意味を考え、そのつながりで次のフレーズを引き出すという方法をとった。解説書などは持ってきていないので、これまでの知識を総動員して自分なりに意味を考えてゆくしかない。時間には制限がないので、あちこちに思考が飛び、結構楽しい時間を過ごせた。
海の眺めのよいところでは立ち止まり、浜におりられるところは浜辺までおりる。瀬戸内海は本当に穏やかだ。やがて「星の浦海浜公園」というところについた。10:30頃だった。休憩施設やトイレがあるので、荷物をおろしてしばらく休憩した。向かいの湾岸に大きな船と林立するクレーンが見えるが、来島(くるしま)ドックらしい。そういえば、途中に「タオルと造船の町、今治」という立看板があった。

星の浦公園を過ぎると道は今治市街地に入り、海からは離れてゆく。市街地に入ってしばらく行くと、「大西ショッパーズ」という大きなスーパーマーケットがあったので、昼食用のパンやウィスキー小瓶、つまみ類などを購入した。
第54番札所・延命寺は今治市延喜陸橋の先で左に曲がるが、私は少し行過ぎてしまい、人に聞いてようやく到着した。納経をすませ時計を見ると13時近い。境内にベンチが置いてあるのでここで昼食にした。

第54番札所・延命寺本堂
延命寺は720年に行基により創建され、弘法大師が再建した。もと近見山山頂にあったものが江戸時代に現在地に移転した

延命寺山門
山門を入ってまっすぐのところに本堂が見える。本堂までの参道に売店が並んでいる

昼食を済ませ、元気に延命寺を出発する。今治市内には札所がかたまっており、これから先、南光坊、泰山寺、栄福寺、仙遊寺と四つのお寺がほぼ3Kmくらいの間隔で続いている。延命寺からは案内にしたがって旧へんろ道を進む。高速道路の下をくぐると道は登り坂になり、まわりにはお墓が多くなる。このあたりは大谷霊園といい、山全体が霊園となっている。へんろ道はお墓の間を縫うようにして続いている。やがて道は下り坂になり、交通量の多い県道38号線に出る。この県道をしばらく行くと別宮大山祇神社(べっくおおやまずみじんじゃ)前に出る。この神社は元第55番札所であったが、明治の神仏分離令により神社とお寺が分離し、西隣にあった別当寺の南光坊が札所になったという。

別宮大山祇(べっくおおやまずみ)神社
元はこの神社が札所になっていたが、明治の神仏分離令により別当寺であった南光坊のほうが札所になった

大谷霊園の中を通るへんろ道
大谷霊園は山全体が霊園になっているような広大な墓地だ。その中を車も通るへんろ道が続いている

大山祇神社の大きな鳥居の前を過ぎ、少し先で右に曲がると第55番札所・南光坊の山門が見える。山門を入ると正面に本堂が建っている。このお寺は今治市街地のど真ん中に位置するお寺だが、隣の神社と合わせて敷地も結構広い。本堂、大師堂と参拝して納経所に行くと、係りの男性が大変話し好きの人で、私の住所が渋谷区の笹塚ということが分かると、「実は私も渋谷区の代々木に住んでいたことがあり、あのあたりはよく知っていますよ」という。遠く四国の今治で東京のローカルな話が盛り上がってしまった。

第55番札所・南光坊本堂
南光坊が札所になったのは明治になってから。それまでは隣の大山祇神社が札所だった

第55番札所・南光坊山門
山門は国道317号線に面している。今治市街地の真中に位置しているが、神社とあわせた敷地は広い

納経所の人との話が長くなったので、適当に切り上げてお寺をあとにした。20分くらい歩いてから納経所に杖を忘れてきたことに気がついた。しかたないので取りに戻るが、30分以上のロスだ。次の泰山寺へはほぼまっすぐな道で分かりやすいのだが、すぐ近くまで行ったところで行き過ぎてしまった。戻って道脇の売店に尋ねるとそこから少し右に入ったところだという。第56番札所・泰山寺(たいさんじ)は、石段を上ると門柱が立っており、すぐにお寺の境内になる。本堂、大師堂、納経所などがまとまって近くにあるので、納経も短時間で済ませることが出来た。

第56番札所・泰山寺入口
市街地に近いお寺で山門はなく、石段を上るとすぐに境内になる

第56番札所・泰山寺(たいさんじ)本堂
こじんまりした敷地内に本堂をはじめ、大師堂、鐘楼、納経所などがまとまって建っている

泰山寺を出ると、道は蒼社(そうじゃ)川に向かってまっすぐに続く。この古いへんろ道には江戸時代に立てられた手差しの案内標石がいくつか残されている。へんろ道はやがて蒼社川に突き当たる。昔は大水の出ることもあり、住民を困らせたので、弘法大師が土手を築いたという。土手の少し手前に「四国遍路無縁墓地」と新しい石標といくつかの古い小さな墓があった。お遍路を続けながら道半ばで倒れ、最後にこのような場所に葬られる人も昔から多かったのだろう。

四国遍路無縁墓地
路傍の一角に新しい「四国遍路無縁墓地」標石が立っており、まわりに昔からの小さな墓標がたくさん立っている

江戸時代に建てられた手差しの石標
石標の正面に方向を示す指と「へんろ道」の文字、側面に「天保十五辰九月建立」とある

旧へんろ道は川に突き当たるとそのまま徒歩で川を渡ったらしいが、今は少し川に沿って歩いてから橋を渡る。橋を渡ると次の栄福寺への案内が出ているので、これにしたがって進む。第57番札所・栄福寺は小さな府頭山の中腹にある山寺である。境内はそれほど広くはないが森につつまれた静かな雰囲気である。永福寺に到着したのは16時頃だった。今日の行程はいよいよあと仙遊寺を残すだけになったが、登り坂で疲れたので境内で少々休憩した。

第57番札所・栄福寺本堂
明治以前は山上の岩清水八幡宮が札所だったが、神仏分離令により現在地に移転、栄福寺となった

第57番札所・府頭山栄福寺
栄福寺は府頭山という小さな山の中腹にあるこじんまりした山寺である

栄福寺で少し休憩してからいよいよ本日最後の仙遊寺に向かう。距離は約2.5Kmと短いのだが、約250mほど登らなければならない。栄福寺を出て細いへんろ道を行く。左手に犬塚池という池を見て次の国分寺に向かう一般道越えると、ここからはかなりきびしい山道になる。一日の最後の行程としてはかなりきつく身体にこたえる。ようやくの思いで仙遊寺の仁王門についたが、ここから先もさらに長い急な石段、坂道がこれでもか、これでもかというように続く。休み休み登り、頂上にある宿坊にたどり着いたのは17時過ぎだった。すぐに宿坊の受付をし、部屋に案内された。団体客が多いようで、私は宿坊本棟からは離れた建物に案内された。風呂も食事も一旦建物の外に出て本棟まで歩かなければならない。

夕食のとき隣室の男性と一緒になった。名古屋の人で、9月1日に第一番を出発し、3日間だけ中断してここまでやってきたという。現在失業中で、途中の3日間の中断は失業保険を受けるための手続きで、どうしても戻らざるを得なかったのだという。51歳で独身ということもあり、わが道を行くというような感じの人だ。はじめてのお遍路だというが、いろいろと私の知らない情報などももっており参考になった。団体さんは埼玉の真言宗信徒さんたちで、バスで高野山を含めて全札所を一気に巡ってしまうという。皆さん和気藹々と大変元気な人たちだった。若いお坊さんが先達さんで、全部で20名くらいだっただろうか。
夕食は麦飯で、肉、魚類は一切なし。完全な精進料理だ。今まで何回かお寺の宿坊に泊まったが、完全な精進料理というのは初めてだ。お酒も飲めないし、料理としてはあまりおいしいものではない。

星の浦海浜公園
公園には休憩施設やトイレなどがある。近くに大きな船が停泊し、湾岸にクレーンが林立しているのが見える。来島ドックのようだ

瀬戸内海風景(今治市大西町付近)
瀬戸内海は本当に穏やかだ。近くの小島や対岸の中国山地などが望める

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10月4日(月) 仙遊寺宿坊から国分寺を経て丹原町の栄家旅館まで 約22Km

この日は朝6時からお勤めがあるということで、皆さんが本堂に集まった。一通りお経を読んだあと、ご住職の話があった。ご住職がこの寺に来たときからの苦労話が主だったように思う。副住職としてこの寺に入ったときは古い本堂と大師堂しかなかったものを、現在のようないろいろな施設を造りあげた。また、「四国へんろ道を世界遺産に」という運動を続けているという。埼玉の団体の先達は若いお坊さんで、ご住職と仏像や仏画の話が始まった。皆さんはまだ残っているのだが、私は適当に切り上げて食堂に向かった。
食事を済ませ、出発の支度を整えて受付で宿泊代を支払おうとすると、アルバイトの若い女性しかおらず、金額が分からないので奥さんが戻るまで待ってくれという。本堂の裏手が駐車場になっており、奥さんはそこまで団体さんを見送りに行っているという。隣室の人はすでに出発しており、残っているのは私一人だけだ。今日は比較的距離が短いので、それほど急ぐ必要はないのだが、待たされるといらいらしてくる。コーヒーをサービスされたが、結局10分近く待たされ、7:10頃寺を出発した。
お金を支払い、木々の間から下界を見下ろすと、このお寺が高い場所にあることがよく分かる。標高差200m以上あるだろう。出発時にいろいろなことがあったので、このあとやるべきことをすっかり忘れてしまった。このことに気がついたのは、ずっと後、帰りの新幹線の中でだった。

第58番札所・仙遊寺本堂
本堂、宿坊などは標高281mの作礼山の中腹にある。昭和22年、山火事の類焼に遭い全山焼失したが、漸次再建され現在の姿になったという

第58番札所・仙遊寺仁王門
長く急な坂道を登ってここまで来て一安心するのは早い。ここから本堂、宿坊までは急な石段、坂道などをさらに10分くらい登らなければならない

仙遊寺境内から今治市内方面を望む
お寺がかなり高い場所にあることが分かる。昨日の旅の最後にここまで登ってくるのは大変だった

仙遊寺本堂内部
朝6時からここでおつとめが行われた。ご住職の話の後、埼玉の団体の若いお坊さんとの仏像、仏画談義が始まった。お二人とも仏画を描くようだ

昨日苦労して登った石段や急坂をらくらくと下って仁王門についた。門の近くからまた山道の古いへんろ道がはじまる。5、6分歩くと「五郎兵衛坂」という坂道になる。さらに山道を20分くらい行くと車の通る一般道に合流する。今日は天気もよく、静かな山の道だった。

山道のへんろ道と一般道の合流地点
山道を20分くらい歩いたあとは一般道と合流する

五郎兵衛坂
仙遊寺の仁王門から5、6分のところに古いへんろ道が残っている。道の脇に「五郎兵衛坂」の名前の由来が書かれている

一般道を歩いてゆくとやがて国道196号線を横切り、JR予讃線の踏切を渡ってまっすぐ行けば第59番札所・国分寺に着く。9:50頃だった。納経を済ませ境内を見ると、仙遊寺で隣室だった名古屋の人(Nさんとする)が休んでいる。そこで、またしばらく話をした。このときの話も興味深かった。
今年の夏は異常に暑く、四国のお遍路さんが暑さのために歩行途中に亡くなった、という話を私はどこかで聞いていた(全国ニュースでも伝えられたという)。Nさんは、その第一発見者である高知県の民宿「星空」のご主人からそのときの様子を直接聞いたという。これは、そのときの話である。
「それは8月のある日、民宿・星空(土佐清水市)から少し行った先での出来事でした。連絡を受けて私が現場に行ってみると、道の脇に一人の男性が倒れていました。ぐったりして動けない様子で、近くにはもう一人の人が呆然としていました」。装備はしっかりしており、水分補給もきちんとしていたらしい。それ以上にあまり詳しい話はわからないが、普通の装備で、水分補給もしっかりしていてもこのようなことは起こりうる、ということが私にはショックだった。
私は、水分補給はのどが渇いたらすぐにスポーツ飲料水を飲むことにしているが、これも必要だろう。しかし、何よりも大事なことは、真夏の行動はなるべく午前中に済ませ、午後の日盛りは歩かない、ということだろう。お遍路のベテラン(覚有情さんなど)は、このことを実践しているのだ。

国分寺を出たのは10:20頃だった。お寺の前の県道156号線をしばらく行くと、国道196号線に合流する。交通量の多い国道をしばらく行くと「道の駅 今治湯ノ浦温泉」に着いた。湯煙の出る温泉のモニュメントがあり、立派なベンチもあるので、ここで昼食にした。ちょうど12時頃だった。
昼食も済み、元気に歩きはじめる。へんろ道は少し先で国道から別れ、今治小松自動車道に沿った道になる。この道をしばらく進むと、世田山栴檀(せんだん)寺の案内が出てくる。今日の行程は、あと10Kmほどで時間の余裕があるので、このお寺に立寄った。番外霊場だが、724年に行基が創建し、弘法大師も逗留されているという。ここで、またNさんと一緒になった。今日泊まる宿が私と同じ「栄家旅館」ということがわかったので、ここから先はご一緒することとした。

国分寺境内
かつての七堂伽藍の礎石などが残っている。境内左手の書院には初期の国分寺に使われた瓦、文書、仏画などが収蔵されている

第59番札所・国分寺本堂
天平13年(741)聖武天皇の勅願により、行基が創建した伊予の国分寺である。再三の兵火に遭い、再建焼失を繰り返したが、寛政元年(1789)に金堂が再建され、以降、順次復興拡充が続いている

番外霊場・世田山栴檀(せんだん)寺
ご本尊が薬師如来で、「病封じ」の寺として知られている
境内でしばらく休憩した

道の駅 今治湯ノ浦温泉
国道196号線沿いの道の駅。湯浦温泉の入口になっているが、温泉街は丘の上で少し離れているようだ。温泉のモニュメントとベンチがあり休憩によい

栴檀寺を出たあと、へんろ道を進んでゆくとJR予讃線の踏切を渡る。道なりに歩いてゆくと分かりにくい分岐点があり、立ち止まって考えていると、後から来た人が「こっちですよ」と教えてくれた。いかにも「遍路慣れ」しているように見えたので、「どのくらい回っているのですか」と聞くと「51回です」とぶっきらぼうに言った。親切そうな人だったので、もう少し話を聞こうとしたが、歩調を速めて先にスタスタと行ってしまった。
やがて西条市丹原町に入り、家並も増えてくる。地図を見ながら本日の宿・栄家旅館に着いたのは15:30頃だった。早く着いたので、風呂に入ってから明日のコースををじっくりと検討した。明日は石鎚山の中腹という高い場所にある横峰寺に登るので、コースの様子をよく頭の中にいれておこうというわけだ。

夕食のときにご主人にいろいろと教えてもらった。私が明日は小松の旅館に泊まるというと、「それなら、途中の国道11号線脇のファミリーマートに頼んで、荷物だけ旅館に運んでもらうといいですよ」と教えてくれた。次の60番・横峰寺は石鎚山の中腹にあり、標高が745mもある。これを登って下る覚悟をしていたが、背中の荷物を別に送ってもらえるなら、どれだけ助かるかしれない。この情報で、ふっと気持ちが軽くなった。

10月5日(火) 丹原町旅館から横峰寺、香園寺、宝寿寺、吉祥寺を経て小松の旅館まで 約26Km

この日はいつもより少し早く6:40ころ宿を出発した。Nさんも同道である。丹原の家並を過ぎ、中山川という川を渡る頃には前方に山々が見えてくる。晴れていれば石鎚山も見えるのだろうが、今日は曇り空で遠くの山は見えない。さらにしばらく進むと、国道11号線に出る。我々はこの国道を渡りまっすぐ山に向かって進むのだが、実は、ここで山に向かわずに左に曲って国道11号線を2Kmくらい進めば、一つ先の61番札所・香園寺に着いてしまうのだ。ガイドブックでも、大雨のときなどはこの国道を利用して先に61、62、63番を巡り、そのあとに60番の横峰寺を目指すことを勧めている。今日は大雨の恐れはないので、我々は順番どおり60番・横峰寺を目指す。
国道との交差点付近にファミリーマートがある。昨夜、宿のご主人に聞いた店だ。ここで昼食などの買い物をしてから、「小松の旅館まで荷物を運んでもらえますか。」とお願いすると、「いいですよ。」と快く無料で引き受けてくれた。これから先に必要なものは、宿でウェストバッグに入れ替えてあるので、背中のザックを送ってもらうようにお願いした。

栄家旅館
へんろ道から少し外れているが、このあたりにほかに旅館はなく、貴重な存在だ

県道147号線、中山川を渡る
これからまっすぐ山に向かって進む。右手奥のほうが石鎚山になるのだろうが、雲が厚くて見えない

丹原町中心部
丹原中町というバス停があった。このあたりが町の中心なのだろうか

ファミリーマートに荷物を預け、私は身軽ないでたちで山に向かう。同行のNさんは本日泊まる宿をまだ決めていないので荷物を送るわけにはゆかず、いつものとおりである。国道を過ぎてから県道はゆるい登り坂になる。30分ほど歩くと休憩施設があったが、まだあまり疲れてはいないので通過した。このあたりから道は細い妙谷川に沿って進むようになる。大雨が降るとこの川があふれ、時として危険な状態となってしまうようだ。へんろみち保存協力会編の地図(第8版、2007年発行)には、次のように書かれている。

「平成20年1月現在、上流5橋は完成しており通行可能であるが、雨天の際は水量が急増し、溢水の急・激流で危険大。通行不能となることがある。下流の妙谷川の流水量を注目。川底や岩の見える状態は可。川幅一面に流水のときは強行を控え、国道11号線を61番香園寺〜63番吉祥寺と打ち、車道経由で60番横峰寺を打ち戻り、64番前神寺の順路をとるのが妥当。」

県道に沿って流れる妙之谷川
大雨が降ると川が溢れ、危険な状態になることもあるという

県道脇の休憩施設
国道から30分くらいのところにある休憩施設。車の通る立派な道だが、ここまで来る車は少ない

休憩所からさらに1時間近くゆるい登り坂の県道を行くと、車の通れる広い道は終点となる。ここには駐車場、休憩所、トイレなどがある。これから先は歩行者だけが通れる細い山道になる。駐車場に中高年のご夫婦がいた。ご主人は四国の人で、今までお遍路をやりたいと思っていたが、ようやく実現する時間が出来たという。ただ、身体に自信がないので、車を中心にして歩きたいところだけ歩くというスタイルにするという。今日は、ここから横峰寺まで歩いて登り、香園寺側に降りる。奥さんがその下り道の途中まで車で行って待っているという。一人で登るので、奥さんも心配そうだったが、本人はやる気満々である。「お気をつけて」と挨拶して我々は先に出発した。
登山道入口の案内板には横峰寺まで2.2Kmとある。急な坂道が続くが、背中のザックがないのでずいぶんと助かった。山道の脇には古い石造物の見られるところもあり、古いへんろ道の面影が残っている。

10:50頃横峰寺を出発した。山門を出て車の通れる広い道をゆくが、途中で開けた場所があり下界を見下ろすことが出来た。700mを越える標高ということで、山が深く人里などは見えない。少し先で第61番香園寺に向かうへんろ道が車道から別れてゆく。分かりやすい標識は立っているが、下ばかり見て歩いてゆくと見落とす恐れもあるので注意しよう。このまま車道を歩いてゆくと第63番吉祥寺に出るが、かなり距離が長くなる。私はここで山のへんろ道に入り香園寺に向かう。

山のきびしいへんろ道を1時間ほど歩くと、第60番札所・横峰寺の山門に着いた。10:30ころだった。横峰寺は標高745mという四国の札所の中では三番目に高い場所にある。石鎚山と横峰寺とは谷を隔てて13Km余の距離だという。山門を入り石段を登ると本堂があり、その左手に大師堂などが建っている。境内にあまり人の姿は見えなかったので、少し休んだあとゆっくりと参拝した。

山の古いへんろ道の様子
道の脇に古い石造物(お墓?)も見られ、へんろ道の面影が感じられる

県道の終点付近の様子
車の通れる道はこの辺りで終わりである。休憩所やトイレなどがある
ここで車と歩きを併用しながら回っているというご夫婦のお遍路さんに出会った

横峰寺山門
車道の終点からきびしい山道を1時間くらい歩いて横峰寺山門に着く

横峰寺本堂
弘法大師は大同年間(806〜810)にこのお寺を訪れ、修法を行った。明治の神仏分離令により石鎚神社横峯社となったが、明治42年に横峰寺として復活した

第61番香園寺に向かうへんろ道分岐点
歩き遍路の人はここで山道に入り第61番・香園寺に向かう。車の人はこのまま下ってゆくと第63番・吉祥寺に出る

横峰寺山門付近より下界を望む
標高700m以上あり、山が深く人里は見えない。石鎚山山頂は反対側になるので望むことは出来ない

へんろ道は、はじめ細い道で背の高い草や笹などが生い茂っているところもある。季節や天候によっては少々歩きにくいかもしれないが、私の歩いた時期は特に問題なかった。そのうち普通のハイキングコースのようによく整備された道になる。約1時間ほど歩くとベンチがあり、休憩できるような場所があった。時計を見ると12時ちょっと前である。ちょうどよいのでここで昼食にした。

昼食をとったベンチのある場所
分岐から1時間ほど下った場所にあるベンチ。ここで昼食にした

へんろ道の様子
車道から分かれてしばらくの間、細い道で草や笹が生い茂っているところもある

食事も済み快調に下ってゆくと、途中に休憩所があった。さっきの場所から30分ほど下ったところなので、初めからわかっていればここで昼食にしてもよかった。近くに展望所への案内が出ていたので寄ってみた。ここからの風景は先ほどの山の上とは違い、市街地や遠くの瀬戸内海なども望むことが出来る。もうずいぶん下ってきたのだ。

展望所からの風景
小松の市街地や遠くの瀬戸内海などを望むことが出来た

へんろ道の休憩所
近くの案内標識には「横峰寺4.9Km、香園寺奥の院2.0Km」とあった

休憩所から30分くらいで香園寺の奥の院に着いた。横峰寺から香園寺への道の途中にあり、休憩施設やトイレがあるので立寄った。お寺の建物はコンクリート造りの新しいものだ。建物の裏手のほうに修行のための白滝という滝があるようだが、あまり印象に残っていない。トイレを借りてすぐに出発する。近くの案内標識には香園寺まで2.4Kmとあった。さらに下ってゆくと、大谷池という池の周りを巡る道になる。
途中で朝、横峰寺への登山口で話をした車遍路の奥さんに出会った。ご主人が横峰寺までの山道を歩いて登り、奥さんが車で下山路まで迎えに来たのだ。「道はどんなでしたか」と聞かれたので、「結構きつい登りですけど、道標などがしっかりしているので心配はありませんよ。危険なところはありません。」と応えた。

池の畔の一本道を進み、松山自動車道の少し先で右に曲がる。このあたりで小松の町と背後の山々がよく見えた。今日はあの山槐を登って降りてきたのだ。大きな高鴨神社の周りに沿って歩いてゆくと、やがて第61番札所・香園寺(こうおんじ)が見えてくる。
香園寺に着いたのは14時頃だった。境内に入ってまず目についたのは、巨大な鉄筋コンクリートの建物である。案内もないので、どこに何があるかよく分からず、ウロウロしてしまった。この巨大な建物が本堂のようだ。まず1階で手を合わせ、続いて外の階段で2階に登ると、大きな大日如来の像などがあり、たくさんの椅子などが置いてある。大変広く、まさに大聖堂といった感じだ。さらっと眺めてから外の納経所で御朱印を受け、次の第62番・宝寿寺に向かった。

第61番札所・香園寺(こうおんじ)本堂
鉄筋コンクリート造り、二階建ての巨大な建物で、大聖堂といった感じだ

香園寺付近から小松市内と後の山々を望む
横峰寺は後方左の山中にあるのだろう。右から左に登って、こちら側に降りてきた

第62番札所・宝寿寺は、香園寺から1.3Kmと大変近い場所にある。国道11号線に沿って少し行けばお寺に着く。先ほどの香園寺と違い、町の中のこじんまりしたお寺といった感じだ。本堂は修理工事中で、隣の大師堂のほうにご本尊が移されているようだった。今日の宿・小松ビジネス旅館はこのお寺から近いのだが、次の第63番吉祥寺も近いので、先にこちらの参拝を済ませてから宿を探すことにした。

国道11号線の様子(吉祥寺付近)
宝寿寺から次の吉祥寺まではこの国道11号線を行く。朝荷物を預けたファミリーマートからここまでは国道で2Kmくらいである

第62番札所・宝寿寺大師堂
本堂が修理工事中で、ご本尊はこの大師堂に移されていた

国道11号線を20分くらい歩いて第63番札所・吉祥寺(きっしょうじ)に着いた。香園寺からは短時間のうちに3つの札所を巡ることができた。今日のお寺めぐりはここまで。ここからは国道11号線をJRの伊予小松駅付近まで戻り、ビジネス旅館小松を探す。地図をたよりに歩いてゆくと、すぐに見つけることが出来た。旅館に着いたのは15:30ころだった。送ってもらった荷物は届いており、部屋に運んであった。お遍路さんはいなかったが、名前の通りビジネスで長く逗留しているお客も多いように見受けられた。料金は1泊2食付5200円と安く、食事、サービスもよい。

ビジネス旅館小松
JR予讃線伊予小松の駅からも近い。ビジネスで長逗留する人も多いようだった

第63番札所・吉祥寺(きっしょうじ)本堂
国道11号線沿いのお寺。ちょうど車遍路の人たちと出会った

大谷池
へんろ道はこの池の畔を通る。四国によく見られる灌漑などのための溜池だ

香園寺奥の院
奥の院は香園寺から約2.5Km離れているが、へんろ道は奥の院を先に巡ってから本院に回ることになる。

10月6日(水) 小松町の旅館から前神寺を経て土居町の松屋旅館まで 約34Km

この日は少し距離が長いので6:30頃宿を出発した。国道11号線に出て、昨日すでに参拝した吉祥寺前から国道と別れて旧道に入る。今日は天気がよく、さわやかな朝だ。途中の道の脇にたくさんの彼岸花が咲いており、その赤い色が印象的だった。

途中で見かけた彼岸花の群落
へんろ道に沿って彼岸花が今を盛りと咲いており印象的だった

へんろ道の様子
吉祥寺から次の前神寺までの間は国道と並行して古いへんろ道が残っている

へんろ道を歩いてゆくと、やがて大きな石の鳥居が見えてきた。その奥には立派な神門が見える。これは石鎚神社である。案内図を見るとかなり大きな神社である。昔はこの神社が札所だったが、明治の神仏分離令により当時石鎚神社の境内にあった前神寺が別の場所に移され、現在はこちらが札所になっている。
神門を入ると大きな社務所などの建物があり、少し先から長い石段が本殿まで続いている。本殿まで行くかどうか少し迷ったが、朝のうちでまだ元気なので本殿まで長い石段を登って参拝した。

石鎚神社本殿
石鎚山を神体山として仰ぐ四社の一つで、こちらは口之宮本社という

石鎚神社神門
立派な神門を入ると社務所などの建物が建ち並んでいる

石鎚神社大鳥居
近くに大きな案内図があり、大きな神社であることが分かる

第64番札所前神寺は石鎚神社のすぐ先にあった。到着したのはちょうど8時頃だった。町の中なのに境内に入ると山の中にいるような気分になる。元は石鎚神社の一部であったということで、今でも石鎚山に登る行者もよく訪れるという。本堂は一番奥のほうにあるが、私が訪れたときは本堂付近は工事中で入れなかった。ご本尊は薬師堂に安置してあるということなのでそちらをお参りした。

前神寺仮本堂(薬師堂)
本堂が工事中なので、薬師堂が仮本堂となっていた

第64番札所・前神寺本堂
本堂の前に屋根をつけたり、周囲に回廊を設ける工事を行っており本堂付近に立ち入ることは出来ない

前神寺の納経を済ませ、お寺を出て旧道を少し行くと、道は国道11号線に合流する。ここからはしばらくの間国道を歩く。少し先で大きな加茂川橋を渡る。石鎚山がこのあたりで大きく見えてもよいはずなのだが、雲に覆われてはっきりとは分からなかった。橋を渡ると西条市の中心部に入ってゆく。タンタンと国道を進んでゆくと、やがて旧街道が右に分かれてゆく。

国道と並行して旧道が長く続いている。中萩小学校を過ぎて少し先にアーケード付の商店街が見えてきた。定休日なのか、ほとんどの店が閉じていたが、途中に広い公園がありベンチやトイレがある。時計を見るとちょうど12時なので、ここで昼食をとることにした。

商店街の途中にある公園
新しく整備された公園のようで、ベンチ、トイレなどがある。ここで昼食にした

旧道のアーケード付商店街
立派なアーケードがついているが多くの店のシャッターが閉じられており、活気がなかった。

昼食も済み元気に歩いてゆくと小さな川を渡った。ここから遠くに望む山の形が石鎚山に似ている。地図から見ると方向的にはよいのだが、付近にいくつかの同じような高さの山があるので違うかもしれない。確認は出来なかった。やがて旧街道は国道と合流し、またしばらくの間国道を歩くことになる。

国道11号線船木付近
旧街道はこのあたりで国道と合流し、これからしばらくの間国道歩きが続く

新居浜市から石鎚山方面を望む
雲がかかっているが、山の形と方向からして石鎚山かもしれない。確認はできなかった

旧街道が再び国道と分かれ、旧土居町(現四国中央市)に入ってゆく。旧道沿いに古い集落が続いている。旧街道沿いに延命寺休憩地があったので荷物を下ろして休憩した。15:30頃だった。休憩してからすぐ近くにある別格第12番札所・延命寺にお参りした。

別格第12番札所・延命寺本堂
旧街道沿いに延命寺の休憩地があり、その少し奥に延命寺がある

旧土居町の家並みと火の見櫓
旧街道沿いに古い集落が続いている

延命寺の少し先にJR予讃線の伊予土居駅があり、その少し先に本日の宿泊場所・松屋旅館がある。このあたりで後から来た車から声をかけられた。見ると昨日横峰寺登山道入口でお会いしたご夫婦だ。横峰寺からの下山の途中でご主人を迎えに行く奥さんと出会い、道の状況などをお話したのだが、「あのあと主人と無事会うことが出来ました」とお礼を言われた。今日はこれから少し先の宿に泊まるという。
松屋旅館に到着したのは16時頃だった。夕食は17時からで、この日の宿泊客はお遍路さんは私1人、ほかに仕事で逗留している人が6人ほどいた。

土居町の松屋旅館
旧道沿いで分かりやすい場所にある

土居町、松屋旅館付近の様子
JR予讃線伊予土居駅の近くで、旧道沿いには民家や商店なども多い

国道と旧街道の分岐点
旧街道は国道とほぼ並行して長く続く。このあたりは新居浜市に入っている

国道11号線加茂川橋より上流方向を望む
国道11号線を歩いてゆくと大きな加茂川橋を渡る。この川の上流方向に石鎚山があるはずだが、雲に覆われて見えなかった

10月7日(木) 土居町の旅館から三角寺を経て徳島県池田町の民宿岡田屋まで 約30Km

この日は5時に起床、6時に朝食をとって6時40分に宿を出発した。宿を出ると昨日と同じ旧道がまっすぐに続いている。道沿いに人家は多いがまだ朝早いので行き交う人は少ない。天気もよく快適に歩いてゆく。ところが、3、40分するとだんだんとおなかが痛くなってきた。しばらく歩くとラッキーなことに道沿いの神社にトイレがあり助かった。さらに歩いてゆくと、また痛くなってきたが、今度もうまい具合にコンビニがあり事なきを得た。そのあとは腹痛も治まり普通にウォーキングを続けることができた。長期間歩いていると何回かはこういうことはあるものだ。

村社・村山神社
旧道沿いにある中規模の神社。敷地内の小公園にトイレがあり、助かった

旧道の家並み
国道11号線にほぼ並行して旧道が長く続いている。道沿いに民家も多い

なおも同じような感じの旧道を歩いてゆくと、古い造りの大きな家が建ち並んでいる一画に出た。近くに寒川(さんがわ)郵便局があった。旧街道沿いなので、昔は栄えたのだろう。そこからしばらく行くと、路傍に古い遍路石があり、脇に説明板が立っている。それによると、この遍路石は天明八年(1788)に建てられたものだという。このころ近在の村が三角寺への道を整備し、集落ごとに若者や女性たちがお遍路さんのために道標を建て始めたという。少し先の中之庄に入るとさらに数が多くなり、説明版によると特に中之庄からは1丁(109m)ごとに建てられた。

中之庄の道標
中之庄からは一丁ごとに道標が建てられている

天明八年に建てられた遍路石
天明のころから集落ごとに道標をたくさん建てはじめたという

寒川(さんがわ)町の古い家並み
旧街道沿いで大きな家も多い。昔は栄えたのだろう

松山自動車道の下をくぐり、自動車道に沿って進んだ後、右に曲がると少し先に戸川公園がある。ここにはトイレもあるのでザックを下して休憩した。公園を出て車道を少し行くと山道の古い遍路道になる。ずっと登り坂だがそれほど厳しくはないので、歩きやすく気持ちのよい道だ。

古い遍路道
戸川公園の少し先から山道の古い遍路道が残っている

戸川公園
休憩施設やトイレがあり、休憩にちょうどよい

古い遍路道を30分くらい歩くと再び自動車道と合流する。少し先に「四国の道」の案内標識が立っているが、ここからは、伊予三島の市街地や瀬戸内海の眺めが大変よい。ここまで知らない間にずいぶんと登ってきているのだ。

「四国の道」標識のあるあたりからの眺め
車の通る遍路道の脇に「四国の道」の案内標識が立っている。ここからは三島市街や瀬戸内海が望める

自動車道に合流後の遍路道
古い遍路道はやがて自動車道に合流する。ここまでにかなり登っている

さらに自動車道を行くと三角寺門前の駐車場に出た。観光バスと客待ちのタクシーが何台か駐車していた。駐車場のすぐわきから長い急な石段が始まり、その上に山門がある。ようやく山門にたどり着くと、この山門には鐘楼が付属した形になっている。門を入るときに鐘を撞き鳴らすことができるのだ。山門をくぐると、右手に納経所、左手に本堂や大師堂が建っている。一通り納経を済ませて時計を見ると12:20ころ。ちょうどよいので境内で昼食をとることにした。

三角寺山門
山門と鐘楼が合体している珍しい造りだ
山門をくぐるときに鐘を撞くことができる

三角寺門前駐車場より山門を望む
道のすぐわきに駐車場があり、そこから長い急な石段が山門に向かってのびている

三角寺大師堂
大師堂は本堂の右手、ちょっとした石段を上った上にある
境内は緑が豊かだ

第65番札所・三角寺本堂
天平時代、聖武天皇の勅願を奉じ行基により開創。弘仁6年(815)弘法大師が入山し修法された。その後兵火に焼かれたが嘉永2年(1849)に再建された

昼食も済ませ駐車場まで戻って、さてこれからどの道を行ったらよのだろうかと地図を見ながら考えた。案内標識もないし、道を聞こうにも近くに店などもない。うろうろした挙句、駐車場で客待ちをしていたタクシーのドライバーに「次の66番にはどの道を行ったらよいですか」と聞いてみた。教えられたとおりの道をゆくと、道はどんどん下ってゆく。この道は市街地への最短路だが、遍路道ではないことに途中で気が付いたが、そのまま進むことにした。どんどん下ってゆくと、国道192号線に出た。地図で見るとこの辺りは上分町である。この国道を進めば本来の遍路道と一緒になるので間違いではないのだが、高台をゆく本来のへんろ道より約3Km遠回りになってしまう。

国道192号線上分町付近
三角寺から国道192号線の通る上分町まで一気に下ってしまった。

三角寺から一気に下る道から海と市街を望む
タクシーの運転手に聞いた道を歩いてゆくと一気に下ってしまった。途中からの三島市街や瀬戸内海の眺めがよかった

国道を90分ほど歩いて椿堂常福寺の案内板が立つところまできた。国道を歩いてきた私は、ここでようやく本来の遍路道と合流することになる。椿堂は遍路道を少し戻ることになるので、省略してそのまま先に進むことにした。国道はだんだんと登り道になり、やがて境目トンネルの入り口についた。トンネルは境目峠を一気に通り抜けてしまうが、峠を越える古い遍路道も残っている。トンネルは855mあり、結構長い。名前のとおりトンネルの中で愛媛県から徳島県に入る。

境目トンネル
全長855m。トンネルの中で愛媛県から徳島県に入る
境目峠の遍路道も残っているが、私はトンネルを利用した

国道192号線、椿堂の案内板の立つあたり
ここで高台を通ってきた遍路道と国道が合流する。国道経由のほうが3Kmくらい遠回りになる

トンネルを出ると道はゆるい下り坂になる。30分くらい歩くと民宿岡田のある佐野集落への分岐になる。ここで国道から別れ、集落の中に入ってゆく。ここは高校野球で有名な池田高校のある徳島県の池田町である。旧道に入って少し行くと大きく「民宿」と看板の出ている家があった。店の前で中を覗っていると奥さんが出てきて裏の離れに案内してくれた。宿に到着したのは16:40ころだった。
この民宿岡田屋は雲辺寺のふもとのへんろ道沿いにあり、近くにほかの民宿もないので歩き遍路には非常に人気が高い宿である。シーズン中は予約が取れないことも多いので、計画が決まったら早めに予約を取ったほうがいいですよ、というアドバイスを受けていたので、私は1ヵ月も前に予約していた。しかし、私が泊まったこの日はまだシーズンの初めだったせいか、宿泊者は私一人だけだった。

辰濃さんの著書「歩き遍路」によると、民宿岡田の名物女将の信子さんは2000年に亡くなったと書いてあった。現在は息子さん夫婦がこちらに移り住んで民宿の手伝いをしているという。先ほど案内してくれたのは若女将だったのだ。女将さんが亡くなった後、ご主人の明さんは民宿をやめるかどうか悩んだそうだが、息子さん夫婦が入ってくれて、ようやく民宿も安定することができた。この地域にはほかに民宿はなく、我々歩き遍路の人たちにとっても大変な朗報だったのだ。
夕食の時にご主人の明さんと話をした。とても話好きな人で、これまでの経験や役に立つ情報などをいろいろと話してくれた。特に、次の日の民宿から雲辺寺までの道順は手書きの地図で丁寧に教えてくれた。ガイドブックには載っていない間違えやすい個所などコメント入りで表示されており非常に役に立つ。次の日の朝、出発する前にご主人と若女将が見送ってくれた。親切とまごころが心に残る宿だった。

民宿岡田屋
道路に面して雑貨などを販売する店があり、民宿は店の裏手に建っている

国道192号線から佐野集落への分岐点
国道から旧道が分かれ、佐野集落に入ってゆく

民宿岡田屋の若女将と
現在は息子さん夫婦が民宿を手伝っており、料理や接客などは奥さんに任されているようだ。若ご主人にお会いする機会はなかった

民宿岡田屋のご主人、岡田明さん
次の日の出発のとき見送ってくれた。話好きで、まごころの感じられる人だ