四国歩き遍路日記

香川県内の札所所在地

観音寺

屋島

坂出

徳島県池田町

香川県

瀬戸内海

瀬戸大橋

高松

高徳線

国道11号線

国道377号線

国道11号線

高松空港

琴平電鉄

予讃線

琴平電鉄

土讃線

88

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79

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66.雲辺寺(うんぺんじ、徳島県)    78.郷照寺(ごうしょうじ)
67.大興寺(だいこうじ)          79.天皇寺(てんのうじ)
68.神恵院(じんねいん)         80.国分寺(こくぶんじ)
69.観音寺(かんおんじ)         81.白峰寺(しろみねじ)
70.本山寺(もとやまじ)          82.根香寺(ねごろじ)
71.弥谷寺(いやだにじ)          83.一宮寺(いちのみやじ)
72.曼荼羅寺(まんだらじ)         84.屋島寺(やしまじ)
73.出釈迦寺(しゅっしゃかじ)       85.八栗寺(やくりじ)
74.甲山寺(こうやまじ)           86.志度寺(しどじ)
75.善通寺(ぜんつうじ)           87.長尾寺(ながおじ)
76.金倉寺(こんぞうじ)           88.大窪寺(おおくぼじ)
77.道隆寺(どうりゅうじ)

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南海電車で約1時間で大阪なんば駅に到着。高野山方面の電車は30分ほど待たなければならないので駅で昼食にした。12時なんば発の電車で高野線終点の極楽橋でケーブルカーに乗り換え、高野山駅に到着したのは13:40頃だった。今日はこれから奥の院に参詣し、元来た道を戻って大阪に出、新幹線で東京まで帰る予定である。あまり時間の余裕はないので駅からバスで奥の院前まで行く。バスを降りるとうっそうとした杉並木の参道が続いている。道の両側には様々な墓碑や供養塔などが建てられている。参道を進んでゆくとやがて御廟橋があり、これから先は弘法大師の御廟があるため写真撮影などが禁止となる。

御廟橋より奥の院弘法大師御廟方面を望む
正面遠くに見えるのが奥の院・弘法大師御廟。この橋から先は写真撮影禁止となる

ケーブルカーの様子
南海高野線の終点極楽橋駅から高野山駅まではケーブルカーとなる

霊山寺のお礼参りを済ませた後、すぐにJRの坂東駅に向かった。県道12号線を横切ってまっすぐ行くと、民宿阿波の前を通った。四国めぐりの初日、この民宿でSさん、Kさんと出会った。お二人との親交は現在も続いている。
電車で徳島駅に着いたのは17時ころだった。今日は徳島に泊まり、明日高野山に向かおうと思っているのだが、徳島での宿はまだ決めていない。駅の付近を歩いていると「徳島第1ホテル」という看板が目に留まったので、入って聞いてみると空いているとのことなので、ここに泊まることにした。やれやれ。


次回は高野山参拝の様子と巡礼旅全体を通じての感想を記すつもりです。

10月15日(木) 徳島港からフェリーで和歌山港へ。和歌山から南海電鉄で高野山へ。高野山奥の院に参詣後、新大阪から新幹線で東京の自宅へ。

この日はすべて交通機関を利用しての高野山参詣である。徳山からフェリーで和歌山に行き、和歌山から電車で高野山に登ろうと考えた。徳島港フェリーターミナル8:20発。天気がよく風も穏やかで久しぶりの船旅は快適だった。私はほとんどデッキに出て景色を眺めていたが、船室の中にはお遍路姿の人たちも結構いたようだった。
2時間近く船旅を楽しみ、和歌山港に着いたのは10:10頃だった。
和歌山から先の交通機関を調べていなかったので、とりあえずフェリーターミナル近くの南海電鉄和歌山港駅まで歩き、時刻表を見るといったん大阪まで出て南海高野線に乗り換えるルートがあり、ちょうどそれに適した特急が出るところだったので、それに飛び乗った。電車にはお遍路姿の人は見えなかったので、先ほど船の中で見た人たちはおそらく団体バスで高野山に向かったのだろう。

霊山寺本堂
旅を無事に完結できたことに対して感謝の言葉を頭の中で繰り返し、しばし頭を下げた。般若心経は読まなかった

第1番霊山寺仁王門
旅の最初であり、最後となった仁王門は前と変わらずに私を迎えてくれた。懐かしさを感じ、軽く会釈して門をくぐった

県道12号線をひたすら歩く。まっすぐな一本道を進めばよいので道の状況を気にする必要はなく頭の中は自由に考えを巡らせることができる。これまでの四国遍路を振り返ったり、今日のこれからの徳島での宿を考えたり、次から次に考えがわいてくる。しかし長時間同じ単調な道を歩いていると、疲れも出てきてだんだんとまだかなあという気持ちが強くなる。県道12号線を歩きはじめてから3時間くらいでようやく第1番霊山寺の仁王門が見えてきた。到着は16時ころだった。門をくぐってすぐに本堂にお参りし、巡礼が無事に完結したことを報告するとともに旅の安全を守っていただいたことを感謝した。この気持ちがお礼参りの心なのだろう。

県道12号線の様子
遍路道はこの道とほぼ並行して別にあるのだが、私は第1番霊山寺までこの県道をまっすぐに進んだ

第6番札所安楽寺前(県道139号線)
お寺のすぐ前が駐車場になっており、車遍路の人には都合がよい。私は今回は門前を通過した
十楽寺の境内で昼食を済ませ、寺をあとに再び歩きはじめる。少し行くと第6番安楽寺の大きな道路標識が見えてきた。道路のすぐ近くにお寺があるので、白装束のお遍路さんの姿が見える。私はそのまま門前を通過する。遍路道はやがて広い県道12号線と合流する。本日の目的地、第1番札所霊山寺はこの県道沿いにある。本来の遍路道はこの県道とほぼ並行して別にあるのだが、私は途中の札所をすべて無視してこの県道12号線をまっすぐに進むことにした。交通量の多い、殺伐とした道だが、とにかくこの道をまっすぐに行けばよいので大変わかりやすく、時間の短縮にもなる。

第7番札所・十楽寺
このお寺の宿坊はホテルのような建物だ。春の旅でこの宿に泊まったことを思い出した

県道139号線
このあたりの県道は昔の遍路道がほぼそのまま残っているのだろう

切幡寺から先は春の旅で一度歩いているが、今回は全部のお寺を回る必要はないので、ショートカットできるところはそちらの道を進む。さしあたり、第9番法輪寺はショートカットできるので、県道139号線をそのまままっすぐに進む。第8番熊谷寺も省略して県道139号線をどんどん進むと、やがて第7番十楽寺に着いた。ホテルのような宿坊のあるお寺で、春の旅では私もここに泊まった。時計を見ると12時半。ちょうど良いのでここで昼食をとることにした。

切幡寺への分岐点
切幡寺はここから山に向かって進み、また同じ場所に戻ってくる。春の旅で結構大変だったことを思い出した

切幡寺への道路標識板(県道139号線)
この道が県道139号線であることと、切幡寺の分岐が近いことがわかった
道路標識は道のj重要な手がかりだ

遍路道に入ってから道なりに進んでゆくと、やがて第10番切幡寺への案内板が出てきた。少し先に切幡寺への分岐点が見えた。切幡寺はここで曲がってかなり坂を上ったところにあるので、寺には寄らず分岐点を通過する。

10月14日(水) 大窪寺付近の民宿から第10番切幡寺を経由して第1番霊山寺へ。電車で徳島へ出て徳島泊。 歩行距離約29Km

この日は、いつもより早めに6:20には民宿八十窪を出発した。同宿の歩き遍路の人はすでに出発したという。しばらく歩くと国道377号線に出た。国道といっても山の中の道で、車がやっとすれ違えるほどの狭い道である。下り道なので、加速されて歩くスピードがだんだんと速くなる。朝早いので、車は全く通らない。やがて国道は広くなり、遍路道は右に分かれてゆく。この辺りには遍路道の道標が立っている。

民宿「八十窪」
大窪寺にすぐ隣接していてわかりやすい場所にある。建物、内装ともきれいだった
夕食はお赤飯で結願を祝福してくれた

納経が終わり、お寺を出て本日の宿「八十窪(やそくぼ)」に向かった。探すまでもなく、お寺に隣接してすぐそばにあった。改築したのか、思ったよりきれいな建物だった。部屋でゆっくりしていると、夕食ですよ、の声が聞こえた。食堂に行くと、本日の同宿者は私を含めて4人だった。二人が車遍路の人で、歩き遍路の人は私のほかに一人だった。宿では、お赤飯で結願を祝福してくれた。私はビールを飲みながら、歩き遍路を完了した人と話をした。この人は71歳で、もう何回かまわっているという。明日はここからバスで志度に出て、そこから高速バスで帰宅するという。私は明日は、第1番札所・霊山寺まで歩きで戻り、そこから電車で徳島に出て徳島で宿泊するつもりである。宿の人に、コースを確認すると、県道2号線経由で切幡寺に出て霊山寺に戻るのが一番早いということなので、そのコースをとることにした。地図上でコースを確認したあと、いつものとおり20時頃には就寝した。

大窪寺本堂
参拝者の数はそれほど多くはなく、歩いてとうとう到達したというような人は見かけなかった

第88番札所・大窪寺仁王門
ようやく最後のお寺の門に着いたというそれなりの感情の高ぶりはあったが予想したほどの感激はなかった

さらにどんどん下っていくと、15分くらいで第88番札所・大窪寺に着いた。16時近かった。。ああこれで全部終わりだなと思ったが、その時点ではまだ特別な感慨は湧かなかった。参拝者の数もそれほど多くないので気分が盛り上がらないのかもしれない。本堂、大師堂と結願感謝の念を込めて般若心経を読んだ。納経所で「結願の証」をもらった。もちろんこれは有料だが、88ヶ所すべてを巡って結願した証として、先ほどの完歩の証とともに自分にとっては大切なものだ。

山頂から下ってゆくとほどなく林道に出た。先ほどの女体山登山口から林道を歩いて来れば、厳しい登山をせずにここに出ることができる。ここには[四国の道」の道標が立っている。林道を渡ってさらにへんろ道を20分くらい進むと、女体山の全貌がよく見える場所に出た。山頂付近は岩肌が露出しているのがわかる。ここには「四国の道」の説明版が立っている。これによると、この場所の標高は590m、女体山山頂は776m、大窪寺は450mとある。

山頂にある休憩所
屋根のある休憩所で、雨の日などはホッとするだろう

女体山山頂
山頂は標高776m、ここまでの途中の岩場が嘘のように、木々に覆われたなだらかな場所だった

女体山の山頂は、意外なほどなだらかで木々に覆われた場所だった。標高は776m、地図によると、登山口の標高が490mだから、一気に300m近く登ってきたことになる。山頂到着は15時頃だった。山頂には屋根つきの休憩所があるので、少し休憩して下山にかかった。

やがて、道は先ほどの注意書きにあった通りの状況になってくる。大きな岩をよじ登るため鎖が設けられているところもあるので、両手を使わなければならない。鎖は設けられていないがしっかり岩をつかんで登るところもある。途中、新しい手すりが設けられている箇所があったが、平成22年完成とあった。できたばかりだ。だんだんと安全に配意した設備が整備されているが、やはりこれまでの山道とは違う恐怖感を覚えるところもある。雪の残る季節はもちろんのこと、荒天の日などもできればこのコースは避けて、林道を歩いたほうがよいだろう。苦あれば楽ありで、岩場を登りきった上からは下界の景色がひらけ、これまでの苦しさが吹っ飛ぶ。

登山道の様子
登山口から20分くらいで岩のごつごつした道になる

女体山への登山口
ここまでは車の通れる林道を歩いてきたが、ここから先は本格的な登山道になる

遍路道中物故者供養碑
比較的新しいものだが、碑としての風格がある

県道3号線と旧へんろ道との分岐点
この地点に建つ平成へんろ石には「大窪寺まで県道経由9.5Km、女体山経由5.9Km」とある。その少し先にへんろ途中で亡くなった人の供養碑が建っている。女体山コースはこの道をまっすぐにゆく

昼食も済み、お礼を言ってサロンを出ると、すぐ隣がへんろ資料展示館になっているので立ち寄った。資料館を出て歩き始めたのは12:30頃だった。県道3号線を歩いてゆくと、旧へんろ道が左に分かれてゆく。この地点に新しい大きな「平成のへんろ石」が立っている。これには「大窪寺まで県道経由9.5Km,女体山経由5.9Km」とある。女体山経由の方が距離的には4Kmほど近いが、岩のごつごつしたかなりの難路だと聞いている。今日は天気も良いし、私は躊躇することなく女体山コースを進むことにした。
へんろ石のすぐ先に「遍路道中物故者供養碑」が建てられている。昔は第88番結願寺の大窪寺を目前にして多くの人が力尽きて亡くなったが、それらの人々を供養するために近年建てられたものだという。

「歩き遍路認定書」(右写真)
正式には「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」となっている。「四国八十八ヶ所歩き遍路約1200Kmを完歩したことを証するとともに、四国へんろ文化を多くの人に広める遍路大使に任命する。」という内容だ。私も、HP作成などを通じて少しは役目を果たしているのかな

前山おへんろ交流サロン
左の白い建物が交流サロン、右の木造の建物がへんろ資料展示館になっている

やがて県道沿いに「前山おへんろ交流サロン」の建物が見えてきた。ここでは、はるばると歩いて遍路を続けてきた人に対して「四国八十八ヶ所を完歩した認定書」を出してくれるという。私もここまで歩いてきたからにはぜひ、それをいただきたいと思っていた。サロンの中に入ると職員が温かく迎えてくれた。ここまで歩いてきたということを伝えると、すぐに認定書を書いてくれた。「歩き遍路」の人は風体を見ればすぐにわかるのだろう。自分ではわからないが、それなりのたくましさのようなものが感じられるのかもしれない。ほかにお客はいなかったので話が弾んだ。時計を見ると12時近いので、休憩スペースで昼食をとらせていただくことにした。お接待のお茶をいただきながら、ゆったりとした時間を過ごした。

長尾寺を出て少し先におへんろさん休憩所があった。屋根つきのベンチといった感じだが、雨の日などにはありがたいだろう。そこからさらに30分くらい歩くと前山ダムが見えてきた。前山ダムは治水や灌漑のために作られた多目的ダムである。県道3号線は前山ダム湖を回り込むように進んでゆく。

長尾寺本堂と大師堂
本堂のすぐ右隣に大師堂がある。長尾寺は88ヶ所の中では珍しく天台宗のお寺である

仁王門前の経幢(きょうどう)、弘安6年、9年の銘がある。国重文に指定

第87番札所・長尾寺仁王門と経幢
仁王門の前、左右に屋根に覆われた経幢が一基ずつ立っている

まっすぐな県道を4Km近く進むと番外霊場の玉泉寺の前を通る。そこからさらに30分くらいへんろ道標に従って歩いてゆくと第87番札所・長尾寺に着いた。9:30頃だった。仁王門の前、左右両側に経幢(きょうどう)が一基ずつ立っている。経幢というのは経文を埋納保存する施設、あるいは供養の標識として各地に建てられるようになったという。ここの経幢にはそれぞれ弘安6年(1283)、9年(1286)の銘があり、国の重要文化財に指定されている。長尾寺の本堂は仁王門からの参道をまっすぐにゆくと突き当りにある。大師堂はそのすぐ隣にある。

JR高徳線踏切と県道3号線
しばらくの間、この県道をまっすぐに進む

第86番札所・志度寺門前の様子
志度寺は昨日納経を済ませているので、門前で軽く一礼して通り過ぎた

本日の宿、栄荘
へんろ道沿いにあり、便利である。志度寺は5分くらい歩いた先なので、宿に荷物を置いて軽装で参拝に出かけた

10月13日(水) 志度寺付近の民宿から長尾寺を経て大窪寺へ。大窪寺門前の民宿泊。 約29Km

志度寺の納経を終えて本日の宿、栄荘の着いたのは17時頃だった。今日の宿泊者は私一人だった。明日はいよいよ四国八十八寺めぐりの最後のお寺、第八十八番札所大窪寺だ。いよいよ終わりかという気持ちがわいてくる。洗濯をして、明日の準備を整え、20時頃には就寝した。

志度寺五重塔
仁王門の左手すぐ奥のところに建っている。昭和50年に再建された

志度寺大師堂
本堂のすぐ右に隣接して建っている

本堂を参拝し、続いてすぐ隣の大師堂を参拝する。納経所もすぐ近いので、16:50頃にはご朱印を受けることができた。このころになるとさすがに境内に人はほとんど見られない。境内は大変広く、案内図によれば藤原氏ゆかりの遺跡や書院、宝物館、庭園などがあるようだが、時間も遅いのですべて割愛した。仁王門の左手すぐのところに新しい五重塔が建てられているが、これは昭和50年に再建されたものである。

志度寺本堂(国重文)
1671年初代高松藩主・松平頼重により寄進、造営された。国重文。本堂のすぐ右隣に大師堂が建っている

第86番札所・志度寺仁王門(国重文)
金剛力士像の前には巨大な草鞋が奉納されている。仁王門は、本堂、大師堂などとともに寛文11年(1671)に建立され、現在に至っている。国重文

平賀源内旧邸の少し先に地蔵寺、その少し先の旧道沿いに本日の宿、栄荘があった。第86番札所・志度寺はここから少し先なので、宿に荷物を預けてそのまま先に進むことにした。宿の前の道をそのまままっすぐに5分くらい歩くと第86番札所・志度寺に着いた。16:40頃だった。納経所は17時までなので、ぎりぎりセーフといったところだ。
志度寺は香川県では最も古く、推古30年(625)に創建されたという。藤原氏との関係が深く、681年藤原不比等の妻で海女の墓を立てた。691年には不比等の息子、房前が行基とともに訪れ、堂宇を建設するとともに寺名を「志度寺」と改めた。弘法大師が訪れたのは弘仁年間(810-824)で、伽藍の修復をした。1671年に初代高松藩主松平氏が仁王門、本堂、大師堂などを寄進造営して現在に至っている。境内は大変広く、藤原氏ゆかりの遺跡なども残されている。

平賀源内旧邸
この建物は昭和54年3月、平賀源内200年祭にあたり修復された

志度の海岸より小豆島を望む
ここから見ると小豆島は島とは思えないほど大きい

へんろ道はやがて国道から分かれ、海寄りの旧道を進む。途中、海辺から大きな小豆島の姿を望むことができた。さらに少し行くと、平賀源内の旧邸がある。数奇な運命をたどった平賀源内は高松藩の軽輩の子としてここ志度町で生まれた。長崎に留学し、医学、本草学などを修め、帰郷後は藩に新風を送り込んだが、受け入れられず江戸に出た。江戸では数々の発明や発見を行い、世人を驚かせた。戯作、絵画など多くの作品を残し、多才な人だった。最後は江戸伝馬町の獄中で52歳の生涯を終えた。

琴電八栗新道駅前
へんろ道はここで国道11号線に合流する。ここからしばらく国道を歩く

八栗寺から続くへんろ道
車も通る道だが狭いので観光バスは通れない。緩い下り坂なので快調にどんどん下ることができる

本堂で参拝したあと、すぐ横の納経所で先にご朱印をもらう。こうしておけば大師堂を参拝したあとそのままお寺を出ることができる。お寺を出たのは14:50頃だった。少し先にケーブルカーの八栗山上駅があるので道は広い。その少し先には駐車場もあるが観光バスはここまでは登ってこれない。へんろ道は車が1台やっと通れるくらいの舗装道になってくる。この道をどんどん下ってゆくと、やがて琴電の八栗新道駅前に出た。ここでへんろ道は道は国道11号線に合流する。

五剣山・八栗寺本堂
背後にそびえるのは五剣山((366m)。かつては修行者たちの行場となっていたが、現在は危険なので入山禁止になっている

第85番札所・八栗寺山門
門をくぐって参道をまっすぐ行くと本堂、すぐ左手に納経所、右手後方に大師堂がある

石段を登り、左右に旅館が並んでいる参道を行くとその先に山門がある。山門前に着いたのは14:35だった。山門をくぐると正面に本堂が建っており、その右手後方に大師堂がある。本堂の後ろの山は剣のような峰が五つそびえており、五剣山という。かつては修行者たちが命がけで修業した行場だったが、今は危険ということで入山を禁止しているという。

洲崎寺から先の道はわかりにくく、へんろシールに導かれて歩くことになる。このような時はシールを一つ見落とすとわからなくなってしまうので、細心の注意が必要だ。途中に立派な平成のへんろ石が立っていた。ここから八栗寺まで2.1Kmとある。へんろ道は広い県道と合流し、やがて八栗登山口に着いた。ここから山上までケーブルカーが通じている。バスは山上まで行けないので、バスによる団体参拝の人たちはここでケーブルカーに乗り換えなければならない。ケーブルカーに並行して立派な登山道が整備されており、歩いても30分くらいで山上に登ることができる。かなりきつい山道だが、屋島の登りほど長くはないので、一気に登ってしまった。山を登りきると、お寺の山門まで長い石段があるので、さらにもうひと頑張りが必要だ。

洲崎寺
源平合戦のときに討死した佐藤継信の菩提寺となっており、毎年3月19日に慰霊法要が行われている

高橋から望む屋島の姿
この辺りは源平屋島合戦の古戦場である。埋め立てなどにより付近の風景は大きく変わっているが、屋島自体の姿はほとんど変化はないのだろう

屋島へんろ道の様子
急な坂道で一気に山を下る。古い山のへんろ道で途中には丁石も残されている

へんろ道がドライブウェイと交差する付近
ドライブウェイを車に注意しながら渡ると、八栗寺への案内矢印が立っている。ここからかなり急な坂道が続く

へんろ道は屋島ドライブウェイを横切るとどんどん下ってゆく。かなり急な道で滑りやすいので雨の日には注意が必要だ。ただ、それほど長い距離ではないので、ゆっくりと慎重に下ってゆく。途中には丁石なども残されている。山道を下り終わり、へんろ道案内板にしたがって右に曲がれば平坦な県道になる。

屋島へんろ道(屋島ドライブウェイ付近)からの東方向の風景
対岸に見えるのは庵治(あじ)半島。次の第85番札所・八栗寺は右方の山(五剣山)の中腹にある。屋島(手前)と庵冶の間の海は壇ノ浦といい、源平合戦の古戦場である。屋島に陣取っていた平氏軍は源義経軍の奇襲を受け、壇ノ浦の浜から海上に逃げ出した。その後平氏軍も盛り返し、熾烈な戦いになった。義経に古くから付き従っていた佐藤継信も義経の身代わりとなってここで戦死する。夕刻になり休戦状態になると、平氏側から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発する。那須与一が活躍するおなじみの名場面はこの地で繰り広げられた

十分に景色を堪能したあと、もとの道を屋島寺山門前まで戻った。次の85番へはどのように行ったらよいのか地図を見た。地図によるとここまでの登山道をそのまま戻って、かなり下ったところで左に曲がるコースと、山門からすぐ左に曲がって古いへんろ道を下るコースの二つが記されている。私は古いへんろ道を行くことにし、山門前の道を少し行ったところで左に曲がった。広い道を20分ぐらい歩くと、ケーブルカーの乗り場に着いた。屋島ドライブウェイが開通する前はこのケーブルカーが多くの乗客を運んだのだろうが、現在は営業していないようだ。道を間違ったことに気がついたので、来た道を少し戻り右に曲がるとへんろ道に合流することができた。しばらく急な山道を進むと屋島ドライブウェイに出た。この辺りからは屋島の東側の景色がよく見える。眼下に見える浜と海は源平合戦「屋島の戦い」で名高い古戦場である。

屋島北嶺展望台から西方向を望む
写真左上の方にかすんで見えるのが昨日歩いてきた五色台。さらにその右手奥に白い橋脚がおぼろげに見えるのが瀬戸大橋。中央に黒く見える大きな島は女木島(めぎじま)である。その向こうには中国地方の山地を望むことができる 

屋島には南嶺と北嶺がある。屋島寺は南嶺にあり、ここから海は望めない。お寺の納経を済ませてから私はお寺を出て、海の見える北嶺に向かった。南北二つの嶺といってもほとんど高さは違わないので、お店などの建ち並ぶ遊歩道を歩いてゆくと、簡単に北嶺に着いてしまう。北嶺は展望台になっており、ここからの瀬戸内海の眺めは素晴らしい。ハッと息をのむような光景が広がる。この日は天気も良く、遠くまで見通すことができた。昨日歩いてきた五色台、さらにその先には瀬戸大橋の姿がややかすんではいるが確認できる。写真撮影が一段落し、あたりを見渡すと、ベンチや休憩所、売店などがある。11:30頃だったが、ちょうどよいので、ここのベンチで昼食をとることにした。食事、休憩には最高の場所だ。

屋島寺本堂
朱色の柱で瓦葺の本堂は鎌倉時代に建てられたもの。その後何回か修理を重ね、現在に至っている。国の重文に指定されている

第84番札所・屋島寺仁王門
厳しい表情の仁王様が立っている。この門をくぐった先にも門がある

屋島は地図で見ると標高284mと、さして高い山ではない。しかし、海のすぐ近くから登り始めるのだから結構きびしい。山道をやっと登りつめた先に第84番札所・屋島寺の山門が見えてきた。山門前に着いたのは11時頃だった。これから少し先にさらに大きな門があり、この門をくぐって参道をまっすぐ行くと屋島寺の本堂がある。唐から招かれた鑑真和上が奈良に向かう途中屋島に立ち寄り、北嶺を霊地とし、弟子の恵雲が伽藍を建設したという。その後、815年に弘法大師が現在の場所に伽藍を移し、本尊を安置した。

屋島登山道(へんろ道)の様子
ここからは歩行者専用の登山道が始まる。ハイキングコースとしてよく整備されている

屋島登山道(遍路道)案内板
「合流地点です。約30分山上に向かって頑張ろう」と書いてある。丁石なども昔のままに残されている

登山道はしだいに勾配がきつくなり、急カーブが連続するようになる。道はよく整備され、ハイキングコースにもなっているので、この道を毎日運動のために上り下りする人も多いようだ。実際、ウォーキングスタイルでずんずん登ってゆく年配の人を何人か見かけた。息をはずませながら登ってゆくと、やがてへんろ道の案内板が現れた。ここから歩行者専用の道がはじまる。この案内板にはここから山の上まで約30分と書いてあった。

県道14号線で琴電の踏切を渡る
国道からこの県道に入り、まっすぐ進んでゆくと次第に山道になる

春日川の橋から屋島の全景を望む
源平合戦の行われたころは島だったが、現在は陸続きになっており、歩いて頂上に登ることができる

途中、春日川の橋から屋島の全景がよく見えた。これからあの山の上まで登るのだ。ここから見るとすごく高く、また、かなり遠いように思える。さらにしばらく国道を進み、地図に従って左に曲がり、県道14号線に入る。少し先で琴電の踏切を渡り、さらにまっすぐに進むと次第に登山道の様相を呈してくる。車も通る道だが、あまり通行は多くない。

国道11号線と並行して走る琴電志度線
今日の行程はこの電車の終点、志度まで歩くことになる

高松市中心部の様子(中新町交差点)
東横インの少し先の国道11号線中新町信号付近の様子。大変交通量が多い

この日は行程が約21Kmとやや短いので、いつもより少し遅い出発とした。ゆっくりと荷物の整理をし、サービスの朝食を食べてホテルを出発したのは8:30頃だった。ホテルの前の広い通りは国道11号線である。少し行くと中新町の交差点があるが、大変に交通量が多い。やはり高松は大都市だ。国道11号線は少し先で右に曲がる。ここからしばらくの間はまっすぐに国道を進む。途中、高松琴平電鉄(琴電)志度線が並行して走っている。今日の旅は、この電車の終点・志度まで歩くのだ。

東横イン高松(中新町)
10月も半ば近くなり18時前で少し薄暗くなり始めていた。この日はいろいろな割引が重なり、2食付で3675円という格安の値段でこのホテルに泊まることができた

一宮寺を出た後は県道172号線をまっすぐに進む。地図で大体の距離を測ると約6.5Kmくらいである。一直線の道で道を間違えようもないので、一心不乱に脇目も振らずに歩いた。今日の宿泊予定は栗林公園近くの東横イン高松(中新町)である。申し込みの時、先着30名様カレー無料サービスというのが記憶に残っていた。どうせなら早く着いて無料サービスにありつこうという気持ちもあった。ひたすら歩いてホテルに到着したのは17:40頃だった。チェックインのとき聞いてみると、まだカレーの無料サービス中だという。また、この日は祝日(体育の日)なので60歳以上の人は宿泊料2割引きということで、素泊まり1泊3675円ですんでしまった。明日の朝食も無料サービスなので2食付でこの値段となり、内心おおいに喜んだ。ちょうどうまいサービス日にぶつかると、こういうこともあるものだ。

一宮寺大師堂
本堂の右奥にある。一宮寺の境内は大きな境内林がなく明るい

第83番札所・一宮寺本堂
創建は大宝年間(701-4)と古く、その後讃岐一宮の田村神社の別当寺となり、さらに江戸時代に一宮寺として独立寺となった

休憩所を出て地図とへんろシールを頼りに歩いてゆくと、やがて大きな川に出た。ここで橋を渡るコースと橋を渡らずに川沿いにゆく道の二つが分かれる。橋を渡るコースの方が昔からのへんろ道のようなので、私はこちらの道を行くことにした。橋を渡るとすぐに香川高専のキャンパスがある。この後、へんろシールに従ってかなり複雑な道をたどった。地図ではあまり細かい道は書いてないので、へんろシールだけが頼りになる。このシールを見逃すと先がわからなくなってしまう。わからなくなって元のシールのあるところまで戻り、改めて次のシールを探すということも何回かあった。かなり神経を使いながらようやく一宮小学校までたどり着き、この後も人に道を尋ねたりしながら、目指す一宮寺に着いたのは16時を過ぎていた。根香寺を出てから4時間ほど経っている。
第83番札所・一宮寺は町の中の比較的こじんまりとした明るいお寺だった。隣に田村神社があるが、一宮寺はかつてはこの神社の別当寺だったという。納経を済ませ一宮寺を出たのは16:20頃だった。

飯田休憩所の内部
入口を入ってすぐ前に明るい広い部屋がある。手前右側に立派なトイレもある

おもてなしステーション・飯田休憩所
JR鬼無駅近くにある立派な休憩所の建物。平成18年7月建立と書いてあった

走るがごとく歩いてきたので同行の人とあまりゆっくり話せなかったが、鬼無(きなし)の町に入ってくると道も普通の道になり、ゆっくりと話しながら歩いた。やはり、退職後何回かに分けて四国を歩いており、ようやくここまで来たという。鬼無は盆栽で有名な町で、道沿いにも盆栽用の植木を栽培している農園が多い。同行の人は盆栽が趣味なのでゆっくりと見てゆくということで、農園の近くでお別れした。
JR予讃線の踏切を渡り、少し行くと立派な休憩所があった。「おもてなしステーション・飯田休憩所」とある。中に入ると明るい大きな部屋と立派なトイレがあった。部屋には靴を脱がないと入れないので、トイレを借りただけで出発した。

鬼無に向かって下る県道からの眺望A
標高200m位だろうか、高松市街の様子が見える。遠くに見える平らな山は屋島だろう

鬼無に向かって下る県道からの眺望@
標高350mくらいだろうか、瀬戸内海に浮かぶ島々の様子がはっきりと見える

境内で昼食を食べ終えてスタートしようとすると、やはり境内で食事をしていたらしい人が話しかけてきた。千葉の人で、今日はこれからJRの鬼無(きなし)駅まで下って、そこからいったん帰宅するのだという。同じ道なので鬼無まで同行することにした。
へんろ道を先ほどの県道との分岐点まで戻り、そこから先は鬼無に向かってまっすぐに県道を下ってゆく。地図で見るとこの辺りの標高は400m、鬼無駅付近は標高55mとあるから一気に350mくらい下ることになる。車のほとんど通らない広い県道を走るがごとく下ってゆく。所々で視界がひらけると、瀬戸内海の眺望が素晴らしい。県道がジグザグになっているところはショートカットのへんろ道がつけられている。半分くらい下ったあたりで、高松市街方面を一望に見渡せる場所に出た。

十九丁を過ぎるとへんろ道は厳しい登り坂になり、やがて県道180号線に出る。案内道標には白峰寺まで3.2Km、根香寺まで1.4Kmとある。県道の中山休憩所の少し先に第82番札所・根香寺(ねごうじ)への新しいへんろ石がある。ここで旧へんろ道に入る。ここまでくれば根香寺はもうすぐである。

県道から旧へんろ道に入る地点
根香寺まで775mと書いた新しいへんろ石が立っている

旧へんろ道が県道180号線に出る地点
道標には白峰寺まで3.2Km、根香寺まで1.4Kmとある。ここからしばらく県道を歩く

先ほどの道標のところまで同じ道を戻る。まっすぐに進んでゆくとへんろ道の脇に「閼伽井(あかい)」と書いた標石と丁石(ちょうせき)が立っており、そばに説明板があった。「閼伽井(あかい)」とは神にささげる水の湧く井戸のことだというが、近くに水は見えない。丁石は一丁ごとにおかれる舟形の地蔵さんで、お遍路さんのために寄進されたものだ。五色台にはたくさん残っているという。閼伽井を過ぎ、薄暗い山のへんろ道をしばらく進むと広い場所に出た。ここは十九丁と呼ばれベンチなども置いてある。国分寺方面に向かう道がここから分岐している。

さらに道を下ってゆくと、白峰寺の山門前に出た。大きな駐車場があり、観光バスなども停まっている。山門を入って石段を登った先に本堂と大師堂がある。第81番札所・白峰寺本堂に着いたのは9:30頃だった。
保元の乱に敗れ讃岐に配流になった崇徳天皇は1164年に当地で崩御せられ、ここで荼毘に付された。本堂から少し離れたところに御陵が営まれている。歴史を思いつつ、私が納経を済ませて白峰寺を出発したのは10時頃だった。

石造笠塔婆
白峰寺境内に達した地点に建てられている。塔身に下乗の文字が見える

白峰寺に向かう山のへんろ道
県道から分かれるとこのような昔のへんろ道になる。左に700mで白峰寺、右に1.7Kmで根香寺の案内板が立っている

県道180号線は緩い登りになっているが、先ほどの山のへんろ道のように急坂ではないのでゆったりとした気持ちで歩くことができる。自衛隊の演習地が近くにあるようで、長い柵が続いている。やがて、へんろ道の案内板が見え、ここで右に曲がると昔ながらの山のへんろ道になる。へんろ道に入ると少し先で丁字路になり、左に行くと第81番札所・白峰寺、右に行くと第82番札所・根香寺になる。ここでは左に曲がりまず白峰寺に向かい、参拝後ここまで戻り、ここから根香寺に向かうことになる。白峰寺への道を下ってゆくと、途中に石造の笠塔婆が建っていた。「下乗」の文字があり、ここからは白峰の聖地に入るため一切の乗り物を禁じたという説明板が立っている。

キノコ採りの収穫物
この大きなキノコは「ホンタケ」というのだと教えてくれた。ちょうどキノコ採りに良い時期なのだ

山の県道180号線
しばらくの間、へんろ道はこの県道と一緒になる。この辺の路上にはキノコ採りの車がたくさん駐車していた

餌もなくなったのでヤマガラに別れを告げ先に進む。少し先で広い県道に出た。地図でH380と記してある地点だ。ここからしばらくの間この県道を歩くことになる。少し先にマイカーがたくさん路上駐車している。なんだろうと思って近寄ってみると、どうやらキノコや山菜取りに来ている人たちの車らしい。近くに人がいたので聞いてみると、キノコ採りだといって籠の中の収穫物を見せてくれた。このキノコは「ホンタケ」というそうだ。

私の指の先にとまったヤマガラA
ヤマガラという鳥を初めてこんな近くで見たが、なかなかきれいな鳥だ。大きさはスズメくらいでかわいい

私の指の先にとまったヤマガラ@
指の先にちょんと止まり、餌をついばむ。野生の鳥がこんなに慣れているなんてびっくりしてしまった

ご主人が「やってみますか」と言って、私にヒマワリの種を少し分けてくれた。私も同じように手を差し出すと、どこからともなく1羽の小鳥がやってきて指の先に止まり、種をついばみ始めた。ヤマガラという鳥をこんな近くで見たのは初めてだし、何より野生の鳥が自分の掌に乗るなんてびっくりし、感激してしまった。入れ替わり立ち代わりで何羽かが飛んできて、種は全部なくなってしまった。私のところにも小鳥がやってくるのを見届けて、ご夫婦は山を下って行った。もしかしたらこのご夫婦が長年かけてこの場所で餌付けをしたのかもしれないなと後で思った。

へんろ道の休憩所
この場所で野生のヤマガラに手の上で餌を与える体験をした

山のへんろ道からの展望A
時々展望が開け、高度の変化を実感できる。この辺で300m位だろうか

このあたりから厳しい登り坂が続き、高度をどんどん上げてゆく。喘ぎながら登ってゆくと、東屋のような休憩所が見えてきた。休憩所に着くと、年配のご夫婦がいて、話しかけてきた。「この辺のヤマガラは、手の上に乗りますよ」と言って実際にやって見せてくれた。掌にヒマワリの種を乗せて前に差し出すと、すぐに小鳥がやってきて種をついばみ始めた。

山のへんろ道からの展望@
展望が開けるところにベンチが置いてある。この辺りで標高100mくらいだろう

「へんろ道」案内表示のある山のへんろ道
今日のコースは古い山のへんろ道が多いが、案内表示がしっかりしているので、これを見失わなければ迷うことはない

10月11日(月) 国分寺付近の民宿から白峰寺、根香寺、一宮寺を経て高松市中心部の東横イン高松まで  約30Km

第80番札所・国分寺山門
立派な山門で、門をくぐると広い参道が本堂まで続いている

国分寺本堂
741年、行基が開基した。本堂は鎌倉時代に再建され、国の重文になっている

第79番札所・天皇寺本堂
崇徳天皇の棺が一時この寺に安置されたことから「天皇寺」と改号されたという

白峰宮鳥居と天皇寺の石標
お宮とお寺が一体となっているようだ。かつては白峰宮が札所ったが、明治の神仏分離令により、天皇寺が札所となった

JR予讃線鴨川駅付近で川を渡り、へんろ道は川沿いの道になる。この道をしばらく進むと国道11号線に合流する。国道の標識には高松まで15Kmとある。明日はいよいよ高松だと思いながら国道をタンタンと歩いてゆく。この日は天気も良く、道も比較的わかりやすいので、久しぶりに般若心経の暗唱をしながら歩いた。時々暗唱しないと、前に覚えたところも忘れてしまう。

郷照寺を出ると少し先で大東川という川を渡り、さらに道なりに進んでゆくと広い県道33号線に合流する。へんろ道表示に従って進んでゆくとJR予讃線の坂出駅前に出た。本州から瀬戸大橋を渡ってやってくる電車は長い編成のものが多く、特急も停車するので大きな駅である。駅前を過ぎてしばらくすると踏切を渡る。これから先はこれまでと違う田園風景が広がる。地図を見ると「八十場(やそば)の水」という記載があるが、私は気が付かないで通り過ぎた。
ちなみに、「八十場の水」というのは霊場の一つで、讃岐の国に流された崇徳上皇が崩御されたとき、都から確認の役人が来るまでこの清水の中に棺を漬けておかれたという。へんろ道から近いようなのでちょっと寄ってみればよかった。

第78番札所・郷照寺本堂
ちょうど大人数の団体参拝の人たちと一緒になった

郷照寺境内より海の方向を眺める
お寺は高台にあり、遠くに瀬戸大橋の白い大きな橋脚が見える

国道の向かい側にある大きなスーパー
国道を挟んで向かい側に大きなスーパーがあり便利だ。私もここでこれからの食料などを調達した

民宿「あずさ」と食堂
食堂の隣に「民宿あずさ」と案内の出た建物があるが、閉まっていた。実際に泊まったのはこの建物の裏の一軒家だった

今日の宿泊は、国道沿いの「あずさ」という民宿に予約してある。地図を見ながら国道に出て、探しながら歩いてゆくとすぐに見つかった。食堂があって、その隣に民宿の表示のある建物があるのだが、扉が閉じていて入れない。食堂も休みなのか閉じていて入れない。困ったなと思って電話すると、これから行くので待っていてくださいという。しばらく待っていると自転車に乗った兄さんがやってきて、部屋に案内してくれた。食堂裏の一軒家で、食事は少し離れた自宅から運んでくるという。広い部屋にお客は私一人で、なんとなく落ち着かないが、時間になったら先ほどの兄さんが食事を運んできてくれた。 1泊2食付5000円で、食事もまずまず。洗濯機なども自由に使えるので、格安料金といえるだろう。国道を挟んで向かい側に大きなスーパーストアがあるので、これから先の食料など必要なものを買い揃えておいた。

国道11号線坂出市郊外
道路標識には高松まで15Km,徳島まで89Kmとあった

綾川沿いのへんろ道
JR鴨川駅付近からへんろ道は綾川沿いの快適な道になる

第78番札所・郷照寺の本堂に着くと、ちょうど団体参拝の人たちと一緒になり、大きな読経の声が聞こえた。大師堂は本堂後ろの階段を登ったところにある。こちらにも人が多かった。納経を済ませて時計を見ると12時近い。ちょうど良いので、境内で昼食をとることにした。このお寺は少し高台にあり、境内から振り返ると町の様子が俯瞰できる。海の方をよく見ると白い大きな橋脚が見える。さて、何橋だろうと思って、いつも見ている保存協力会の地図帳を見るが、この地図には橋まで入っていない。「分県地図帳」をひろげて確認すると、「瀬戸大橋」だった。時々大きな縮尺の地図で確認しないと、現在自分がどの辺を歩いているのかわからなくなってしまう。

第78番札所郷照寺山門
山門を入って少し先の階段を登ってゆくと本堂などが建ち並んでいる

郷照寺近くのへんろ道
県道から右に曲がるとこのようなへんろ道になる。電柱におへんろシールが貼ってあるので、見落とさないようにしよう

土器川を渡ってしばらく行くと遍路道は右に曲がり、第78番札所・郷照寺はもうすぐである。遍路シールに従って歩いてゆくと郷照寺の山門に着いた。この山門をくぐって少し先の階段を登ってゆくと、よく手入れされた境内になり、本堂や大師堂が建ち並んでいる。

丸亀市中心部の様子
JR予讃線の丸亀駅が近いようだ

へんろ小屋・丸亀城乾(じょうけん)
県道沿いにある比較的新しい施設で、ここでしばらく休ませてもらった

道隆寺から次の78番郷照寺までは約7Kmあるが、ほとんど車の多い県道である。1時間くらい歩くと道の脇にへんろ小屋・丸亀城乾(じょうけん)があった。ちょうど良いので、ここでザックを置いて休ませてもらった。10:20頃だった。この辺りは丸亀市の中心部のようで、商店などが建ち並んでいる。

金倉寺を出て次の道隆寺に向かう。国道11号線を横断し、遍路道を行く。のどかな田園の道を行くと葛原正八幡神社がある。鬱蒼たる森に囲まれており、あたり一帯は県指定の自然記念物になっている。ここを過ぎると民家の立ち並ぶ一本道になり、これを道なりに進んでゆくと第77番札所・道隆寺の仁王門前に出る。門を入ると、正面に本堂、右手に大師堂が建っている。

第77番札所・道隆寺本堂
仁王門を入ると正面に本堂がある。本堂までの参道の両側に石造の観音様がずらっと並んでいる

自然記念物・葛原正八幡神社社叢
神社の境内林は常緑広葉樹の大木が多く、県指定の自然記念物になっている

第76番札所・金倉寺(こんぞうじ)本堂
町の中の比較的こじんまりとしたお寺である

金倉寺仁王門
金倉寺に着くと、仁王像に迎えられる
門を入ると正面に本堂が建っている

この日は朝から天気が良かった。今日は総行程が30Km近くあり、しかも5つのお寺を巡るので少し早めに出発することにした。6:30頃には朝食を済ませ、6:50に旅館を出発した。善通寺の赤門から続く参道をJR土讃線の善通寺駅方向に向かってまっすぐに進む。線路を越え、左に曲がり高松自動車道の下をくぐって少し行けば第76番札所金倉寺(こんぞうじ)に着く。金倉寺に着いたのは7:50頃だった。本堂、大師堂にお参りし、納経帳にご朱印をもらってすぐに出発する。

10月10日(日) 善通寺門前旅館から金倉寺、道隆寺、郷照寺、天皇寺、国分寺を経て国分寺近くの民宿泊  約29Km

香川県内の遍路日程

第36日目(10月8日) 民宿〜66.雲辺寺67.大興寺68.神恵院、69.観音寺〜若松屋別館 約24Km
第37日目(10月9日) 旅館〜70.本山寺71.弥谷寺73.出釈迦寺72.曼荼羅寺74.甲山寺75.善通寺〜山本屋本館(善通寺門前) 約25Km 
第38日目(10月10日) 善通寺門前旅館〜76.金倉寺77.道隆寺78.郷照寺79.天皇寺80.国分寺〜民宿あずさ 約29Km 
第39日目(10月11日) 民宿〜81.白峰寺82.根香寺83.一宮寺〜東横イン高松 約30Km
第40日目(10月12日) ホテル〜84.屋島寺85.八栗寺86.志度寺〜栄荘(志度) 約20Km 
第41日目(10月13日) 旅館〜87.長尾寺88.大窪寺〜民宿八十窪 約23Km 
第42日目(10月14日) 民宿〜切幡寺〜1.霊山寺(〜徳島第一ホテル) 約29Km 
第43日目(10月15日) 徳島〜フェリーにて和歌山〜電車にて高野山〜電車にて帰京。旅のまとめ new

今日の宿泊は善通寺の宿坊に泊りたかったのだが満杯だったので、門前の山本屋本館に予約してある。赤門から外に出るとメインの参道が続いており、すぐ近くに目指す旅館があった。到着したのは16:30頃だった。この日は15人くらいの宿泊客があったが、一般の観光客が多いようだった。今日はほぼ一日雨で、廻ったお寺の数も多かったので、なんとなくくたびれた。

赤門から続くメインの参道
宿泊した山本屋本館は左側すぐ近くにある。1泊6500円

善通寺赤門
その名の通り赤い門である。改修したばかりなのか新しい
メインの参道に続く門である

第75番札所・善通寺本堂(金堂)
813年に弘法大師が唐の青龍寺を模して堂塔を建てた

中門より善通寺境内を望む
中門から入ると左手に本堂(金堂)、右手に五重塔が見える

大師堂で参拝し、周りを少し廻ったあと、道を隔てた東院に向かう。中門を入ると広い境内が見渡せる。左手に本堂、右手に五重塔などが建っている。こちらが弘法大師自らが建立した、もともとの善通寺である。大師が密教を学んだ唐の青龍寺を模して813年に完成した。
朝から降ったりやんだりしていた雨もこのころにはようやく上がったので、本堂に参拝したあと少し境内を巡ってみた。参拝客もお遍路さんだけでなく、一般の観光客の姿も多い。

善通寺大師堂(御影堂)
弘法大師は774年、佐伯善通の子としてこの場所で誕生した。当時、ここには佐伯家の邸宅があった

善通寺仁王門
弘法大師が誕生したといわれる大師堂に至る門である。門を入ると大師堂まで回廊が続いている

甲山寺から第75番札所・善通寺までは1.6Kmと短い距離である。善通寺は広いお寺で、一般道を隔てて西院と東院に分かれている。境になっている道を歩いてゆくと立派な仁王門があったので、この門から境内に入った。門から回廊が続いており、その先が「御影堂(大師堂)」となっている。周りにもいろいろな建物が建ち並んでいる。この一帯が西院で、弘法大師の出身である佐伯家の邸宅跡だという。弘法大師はこの場所で生まれたといわれている。

甲山寺本堂
ここまで短い距離にたくさんのお寺を巡ったので、あまり印象に残っていない

第74番札所・甲山寺(こうやまじ)山門
町の中の普通の新しいお寺のような山門だ。境内に古い山門も残されている

出釈迦寺を出て、同じ道を曼荼羅寺付近まで戻り、次の第74番札所・甲山寺(こうやまじ)に向かう。このお寺までの距離も約2Km位で30分くらいで着いた。山門は町の中の普通の新しいお寺の感じだが、境内に入ると古い山門も残されている。ここまで短い距離の間に次から次にお寺を巡ったので、どうしてもそれぞれの印象が薄くなってしまう。納経を済ませて、次に向かう。次はいよいよ弘法大師の生誕地といわれる善通寺だ。

出釈迦寺境内より下界を望む
出釈迦寺は曼荼羅寺よりも高い場所にあり、眺めがよい

第73番札所・出釈迦寺大師堂

第72番札所・曼荼羅寺に着いたのは14:30頃だった。今日は朝から雨が降ったりやんだりで、このお寺に着いたときにも結構強く降っていた。ちょうど団体さんと一緒になり、そそくさと納経を済ませ、次の第73番に向かう。
第72番曼荼羅寺と第73番出釈迦寺との間は700mくらいしか離れていない。曼荼羅寺を出て坂道を少し登ってゆくと出釈迦寺に着いた。高い場所にあり、境内からの眺めがよかった。
弥谷寺の納経を済ませ、次の曼荼羅寺に向かう。分岐点には立派な石の道標が建っており、曼荼羅寺へ3.1Kmとある。しばらくの間は深い竹藪の道が続く。薄暗く蛇がよく出るという話もあり、ちょっと不気味な感じだ。やがて高松自動車道の下をくぐり、大池の脇を通って国道11号線に出る。ここまでくれば第71番札所・曼荼羅寺はもうすぐだ。

本山寺を出た後、少し先で国道11号線に出る。しばらく国道を歩き、小さな池が見えてきたあたりで遍路道は左に分かれてゆく。この辺には池が多い。第71番札所・弥谷寺(いやだにじ)が近づいてくると登り坂が続くようになる。石の道標を過ぎ、急な坂道を登ってゆくとやがて弥谷寺の仁王門に着いた。ここから一番奥の本堂までは500段余の石段が断続的に続く。仁王門で一息入れて、石段を一歩一歩登り始める。まだ雨が降っているので、雨と汗でびっしょりだ。最後の急な石段を登ってようやく本堂に着いた。12:30頃だった。
本堂での参拝を済ませ、近くに食事のできるような場所がないか探してみたが、雨を防げるような場所はない。仕方ないので同じ道を戻る。はじめの石段を下ったところに小さな納屋が建っていたので、その軒先を借りて食事をとることにした。ここで、朝お接待で頂いた大福餅を取り出した。とにかく大きい。早速いただくと塩味がきいてなかなかおいしい。昼食はこの二つの大福餅といつもの小さなアンパンで済んでしまった。おばさん、ありがとうございました。

財田川左岸の道
しだいにコスモスの咲き乱れる気持ちの良い川辺の散歩道となる。後ろから来た軽トラックのおばさんから大きな大福餅のお接待を受けた

財田川左岸の道
初めのうちは低い堤防が続いているが、そのうち堤防は途切れる

この日は朝から雨が降っていた。雨足が少し弱まるのを待って、7:40頃宿を出発した。観音寺は昨日お参りしているので、旅館から直接次の本山寺に向かう。地図では財田川の右岸、左岸どちら側を歩いてもよいようになっているが、左岸沿いに歩いた方が途中の分岐がないのでわかりやすい。堤防がやがて途切れ、川辺の道にはコスモスが咲き乱れ、気持ちの良い散歩道となっている。このような道を快調に歩いてゆくと、軽トラックが私の横に止まって中からおばさんが顔を出した。「お疲れさま。これ、食べてください」と、何か紙に包まれたものを渡してくれた。受け取ってみると、大きな大福餅が二つ入っている。「ありがとうございます」とお礼を言うと、すぐに走り去ってしまった。とても大きなものなので、お昼に頂こうとザックに入れ、歩き始めた。今日は朝から雨だが、何かほのぼのとした気持ちになった。

香川県(讃岐国)は、四国遍路の中では「涅槃の道場」と言われてきました。四国遍路最後の行程で、いよいよ悟りの境地に入るための道場ということでしょうか。第八十八番札所・大窪寺は、宿願成就する「結願」の寺です。私はここで四国の旅の感慨にふけったあと、次の日お礼参りのため第一番霊山寺まで戻りました。これで、歩いて四国一周を成し遂げたことになります。約1200Km、,42日間の歩き旅でした。

奥の院御廟前で今回最後の般若心経を読む。私は四国巡礼に出るまでは般若心経にあまり縁がなかったのだが、今回の旅では何回唱えたことだろう。まだ全部暗記するまでには至っていないが、すらすらとよどみなく読むことができるようになった。
御廟に参拝したあと先ほどの御廟橋まで戻り、橋の手前の納経所で最後のご朱印と下の写真のような弘法大師の御影をいただいた。これまでの札所ではそのお寺のご本尊の御影だったが、ここ高野山奥の院では弘法大師自身がご本尊ということだろう。

和歌山港方面を望む
淡路島の近くを通り過ぎ、ようやく和歌山市街の建物が見えてきた

フェリーより徳島市街方面を望む
徳島のシンボル、眉山の上にはたくさんのアンテナが見える

徳島自動車道を望む
県道2号線はこの高架道の下をくぐる

県道2号線大影相栗付近
道のわきに屋根つきの休憩所があり、ベンチがあるので少し休憩した

遍路道はやがて広い県道2号線と合流する。少し先にベンチのある休憩所があったので少し休んだ。8時ころだった。この後は県道2号線をひたすら歩く。1時間半くらい歩くと前方に徳島自動車道の高架が見えてきた。この高架道を越えた少し先で遍路道は左に曲がるのだが、この曲がり道が少々わかりにくかった。

四国八十八ヶ所結願の証
四国八十八ヶ所をすべてめぐって結願した証として、記念になるものだ。大事に保管しておこう

女体山の全容を望む
女体山は花崗岩、片麻岩などを多く含み、浸蝕により起伏に富んだ地形となっている

女体山から下ってきた道が林道と交差する地点
ここには四国の道の道標が立っている。まっすぐにへんろ道を行くと大窪寺。女体山登山口から林道をたどれば、この地点でへんろ道と合流する

登山道の様子
鎖場や足場の悪い場所などは写真を撮っている余裕がなく、安全な道の写真しか残っていない
頂上までもう少しの地点

よじ登った岩場からの眺め
ここまで鎖や手すりなどの助けを借りながら登ってきた。視界がひらけ展望がよい

分岐点からは女体山方面に車の通れる林道が続いている。結構傾斜のきつい登り坂である。30分くらいで女体山への登山口に着く。林道を進んでも女体山まで行けるがこの登山口から山のへんろ道を登ればかなりショートカットできる。ここには道標や情報案内板などが立っている。案内板にはへんろ道を通って女体山頂上へ向かう場合の注意事項が記されているので記しておこう。

「女体山頂上・大窪寺方面へ向かう方へ
女体山頂上付近は急こう配で道が狭くなります。岩場を登る個所や、崖に近接した箇所、路肩が弱い箇所がありますので、注意しましょう。・・・・女体山山頂の近くは標高が高く、気温が低い時期には雪が積もることもあります。防寒対策や足元対策をして歩きましょう。なお、雪が多いときには危険ですので歩くのを控えてください。」

要するに、天候が悪い日や雪が残っているようなときは女体山頂上を目指さずに、林道経由で歩いたほうが安全ですよ、と呼びかけているのだ。

前山ダム
治水や灌漑などのために造られた多目的ダムで、細長い湖になっている

おへんろさん休憩所
長尾寺からへんろ道を少し行ったところにある。屋根つきのベンチといった感じだが、雨の日には助かるだろう

さあ、今日はいよいよ四国八十八ヶ所巡礼結願の日だ。なんとなく身の引き締まる気がする。ただ、結願寺の第88番・大窪寺に着いた後、明日は徳島の第1番・霊山寺まで歩くので、歩き旅としてはまだ終わるわけではない。まだ、「これで終わりだ」という気持ちは湧いてこない。
この日巡るのは第87番・長尾寺と第88番・大窪寺の二寺だけなので、少し遅く7:50頃民宿を出発した。民宿から3分くらいで志度寺の門前に着いた。納経は昨日済ませているので、門前で軽く一礼して通り過ぎた。道は志度寺の門前で右に曲がり、少し先でJR高徳線の踏切を渡る。あとは県道3号線をまっすぐに進んでゆく。

八栗寺山門前の長い石段
ケーブルカーと並行した登山道を登ってくると、最後に石段があり、この先に山門がある

平成のへんろ石
八栗寺までの間、へんろ標識はよく整備されている。この地点で八栗寺まで2.0Km、屋島寺まで5.3Kmとある

平坦な県道をしばらく行くと高橋に出た。ここで屋島寺から来たもう一つのへんろ道ルートと合流する。地図を見ると、私の通ってきた山道経由の方が急坂が続くので1.7Kmほど短いようだ。この橋を渡ってすぐ先に洲崎寺がある。この辺りは源平屋島合戦の古戦場となっており、義経の身代わりとなって討死した佐藤継信の亡骸が、戦火によって焼け落ちた本堂の扉に乗せて源氏の本陣まで運ばれたと伝えられており、継信の菩提寺となっている。

第82番札所・根香寺(ねごろじ)に着いたのは12時頃だった。白峰寺から約2時間かかっている。山の道というのは距離だけでは時間は予測できないものだ。このお寺は山号を「青峰山」という。五色台というのは黄峰、青峰、赤峰、白峰、黒峰と五つの峰があることから名づけられたが、ここ根香寺は青峰に建っていることから「青峰山」と号している。白峰寺はもちろん白峰に建っている。山門を入ると石段が続いている。登りきった一番上に本堂がある。手前に回廊があり、回廊を左に進むと壁際に全国から寄進されたたくさんの観音像が安置されている。回廊を進んでゆくと本堂がある。本堂、大師堂とお参りし、納経所でご朱印をもらってから、ちょうど時間も良いので境内で昼食にした。

根香寺(ねごろじ)大師堂
本堂の写真は位置的に撮りにくかったのか残っていない。この建物は大師堂だろうと思うが屋根の形が通常のものとちょっと違うような気もする

第82番札所・根香寺(ねごろじ)山門
五色台の青峰に建つので山号を「青峰山」と号し、山門に大きな掲額がある

十九丁付近のへんろ道の様子
十九丁はちょっとした広場になっており、ベンチなども置いてある。ここで国分寺方面への道が分岐する

閼伽井(あかい)と丁石(右)
丁石には次の札所までの丁数が刻まれている。五色台には数多く残されているという

白峰寺大師堂
石段を登った場所に本堂と並んで建っている

第81番札所・白峰寺本堂
団体へんろの人たちの姿が多かった

JR国分駅前を通過し、少し先で左に曲がると第80番札所・国分寺に着く。到着したのは16:10頃だった。立派な山門をくぐると、本堂まで広い参道が本堂まで続いている。本堂、大師堂と参拝し、納経帳にご朱印をもらって、今日の予定はすべて終了。今日は約30Km歩いて5か所のお寺を巡った。

「八十場(やそば)の水」付近の様子
JRの踏切を渡ると田園風景が広がる。この付近に「八十場の水」があるらしい。

JR予讃線坂出駅
本州から瀬戸大橋を渡って長い編成の電車が入るので、大きな駅である

やがて白峰宮の鳥居が見えてくる。そのすぐ隣に「天皇寺」の大きな石標が建っている。お宮とお寺が渾然一体となっている。元は白峰宮が札所だったが、明治の神仏分離令で宮の末寺であった高照院が札所となった。かつて崇徳天皇の棺が安置されたことから「天皇寺」と呼ばれる。石標には第79番札所天皇寺となっているが、「へんろみち保存協力会」の地図、資料では高照院となっている。どちらが正式名称なのだろうか。納経を済ませ、天皇寺を出たのは14:30頃だった。

第71番札所・弥谷寺(いやだにじ)本堂
このお寺は天平時代に行基が創建した。弘法大師は幼少時代この岩窟で学問をしたという。大師は807年に唐から帰国後入山し、本尊を刻んだ

弥谷寺仁王門
ここまでも厳しい坂道が続くが、これから先も本堂まで合計500段余の石段が断続的に続く。弥谷寺は標高382mの弥谷山の中腹にあるのだ

10月8日(金) 民宿岡田から雲辺寺、大興寺、神恵院、観音寺を経て観音寺町の旅館まで 約24Km

この日は、民宿岡田屋のご主人と若女将の見送りを受けて6:30ころ出発した。民宿のある池田町佐野の集落は旧道に沿って長く続いている。10分くらい歩くと雲辺寺の登山道の入り口に着いた。道はここで左に曲がり、だんだんと登り道になってゆくが、まだ自動車の通る道である。

高野山は私としては四国巡礼の最終地として位置づけているので、奥の院を参拝することによって目的を達したといえる。帰りは奥の院から一の橋までの参道を歩く。約2Kmあるがこの間ずっと杉並木が続き、両側には墓碑や各種慰霊塔などが並んでいるのは来た時の道と同じである。今日はこれから東京まで帰る予定なので、一の橋バス停からバスでケーブルカー駅に向かう。高野山ケーブル駅に着いたのは15:30頃。ここからは来た時と同じルートで大阪まで戻り、新大阪18:17発の新幹線に乗ることができた。

新幹線の座席に座り、落ち着いてから納経帳を取り出してながめ始めた。第1番霊山寺から順番にページをめくってゆき、そこに至るまでの道中やお寺の様子などを満ち足りた気分で思い返していた。
ページを順番にめくってきて第58番まで来て私は目を疑った。このページの墨書、ご朱印の欄が真っ白なのだ。ここに至って初めて私はこのお寺の納経を忘れたことに気が付いた。このお寺は仙遊寺。この時の状況を思い出した。到着した時は17時を過ぎており、かつ疲れていたので納経のことを全く失念していた。次の日の朝は出発の時に少しいらいらすることがあり、その時もすっかり忘れてしまった。いまここで見るまで全く気が付かなかったのだ。念のためこれから後のページも調べたが、抜けているのはここだけだった。私は少々落ち着かない気分になった。旅の目的は納経帳を完成させることではないが、ここだけ抜けているのは何とも気分が悪い。その時は事情を説明して郵送でご朱印をいただき、そのまま返送してもらおうかとも考えたが、結局その後何もしていない。また何かの機会に完成させればいいさと考えるようになったのだ。



四国お遍路を終わって
2010年3月に四国お遍路を始めて10月に完了した。今、この文章を書いている2012年5月時点で約2年がたった。ようやく旅日記も完成したので、私にとっての四国お遍路とは何だったのかを最後に記しておこう。


@お遍路同期会の実施
お遍路を始めた日から約2年後、一番最初の宿で一緒になった3人が再会する機会を持った。お遍路が終わった後もメールや年賀状などで交流を続けていたのだが、ぜひまた会いしましょうということになり実現することになったのだ。集まったのは
・S(斎藤)さん: 埼玉県宮代町在住。私と3月にお別れした後さらに旅をつづけ、5月に通し打ちですべて完了。
・K(草野)さん: 兵庫県明石市在住。区切り打ちで翌年の3月にすべて完了。
・私は東京都渋谷区在住で、同じ年に春秋2回に分けすべて完了。
というわけで、皆さん自分のペースで八十八か所をすべて踏破している。

同期会は私が企画して、2012.5.7〜8に浜松で行った。それぞれ西と東から集まるので、中間点の浜松を選び、ホテルで1泊して十分に旧交を温めることができた。次の日は旧東海道の舞阪宿、新居関所跡などを私の案内で見物した、


A四国お遍路のまとめ 〜私にとっての四国遍路とは〜
四国八十八か所をすべて歩き通しその日記も完成した今、私にとっての「四国遍路」とはなんだったのかを考えてみた。

・四国お遍路をすべて歩ききって何か大きな変化があったか?
→初めてお遍路を達成した人が「人生観が変わった」というような感想をよく聞くが、私にとってはそのような大きな意識の変化はなかった。

・お遍路を完全踏破して何が一番よかったか?
→四国八十八か寺のお遍路をすべて歩ききったという達成感である。「奥の細道」の旅でもそうだったが、私はこの「達成感」のためにこれまで旅を続けてきた。

・お遍路から得たことは何か?
→同じ目的を持って歩いている人たちとの折にふれての交流はその後、何物にも代えがたい思い出として残っている。また、実際に歩いて回ることにより、昔からの文化としてのお接待、なかば職業的にお遍路を続ける人の存在などを見聞し、自分の世界が広がった気がする。

→八十八か所のお寺を巡り、その度に般若心経を唱えているうちに、「色即是空」を主軸とする仏教の考え方になじむようになった。旅を終えた後でも自分の意識の中に一定の存在感を占めるようになっている。

・もう一度四国お遍路を行う考えはあるか?
→旅の終了後の「達成感得ること」を第一の目的とする私としては、今のところもう一度すべてを回りたいという気持ちはない。行くとしても、いくつかをピックアップした旅になるだろう。


                                          2012年5月 尺取虫 記

昨日見た国道11号線の道路標識では高松まで15Kmとあったが、今日歩くへんろ道は五色台という山塊の上にある白峰寺と根香寺の二つのお寺をめぐるためアップダウンも多く、総行程は30Km位になる。少し早めに宿を出発したいと思ったが、食事を運んできてくれるのが6:30になるということなので、宿を出発したのは7時頃だった。
国道11号線を少し戻ってへんろ道に入ると、はじめのうちは車の通る一般県道だが、そのうち山のへんろ道となる。宿を出てから40分くらいで市街地を望める展望の良い場所に出た。この場所には休憩用のベンチもあり、ちょっと休むのにちょうどよい。

曼荼羅寺大師堂
ちょうど団体さんと一緒になった。雨が結構強く降っていた

第72番札所・曼荼羅寺本堂
弘法大師の実家、佐伯家の氏寺であったものを後
に大師が拡充し、両部曼荼羅を安置して曼荼羅寺と改称した。

0月9日(土) 若松屋別館から本山寺、弥谷寺、曼荼羅寺、出釈迦寺、甲山寺を経て善通寺まで。  約25Km

本山橋で財田川を渡ると第70番札所・本山寺の五重塔が見えてくる。お寺に到着したのは9:50頃、雨も降っており、境内に人影はまばらだった。このお寺は四国八十八ヵ所のうちで唯一、馬頭観音がご本尊で、弘法大師が彫ったものだという。写真を撮り、納経を済ませて次に向かう。

10月12日(火) 高松市内ホテルから屋島寺、八栗寺、志度寺を経て志度町の民宿へ 約21Km

竹藪の中の遍路道
この辺りは昼でも薄暗く、よく蛇が出るのだという。少々不気味な道だ

曼荼羅寺への方向を示す道標
曼荼羅寺へ3.1Km,出釈迦寺へ3.3Kmとある

雲辺寺への登山口入口
民宿から10分くらい旧道を歩くと、雲辺寺への登山口が左に曲がってゆく。曲がり角に登山口標識が立っている

池田町佐野集落の家並み
旧道に沿って細長く家並みが続いている。背の高いコスモスが咲いていた

自動車の通る山道を登ってゆくと、集落の集会所がある。へんろ道は、ここのすぐ先から細い山道になる。岡田屋のご主人の手書きマップで「間違い多し 気をつけて」とコメントの書いてある場所である。私は坂道を下を見ながら歩いていたので、見事に行き過ぎてしまった。少し先で高速道路高架が見えてきたのですぐに気がつき、引き返した。あまり大きなロスタイムはなかったが、せっかく気をつけるようにと注意されたのに間違ってしまい、引き返しながら苦笑してしまった。それから先はマップをしっかりと見ながら歩いたので、間違いはなかった。わかりにくい細い道で標識も少ないので、手書きマップがなかったらこれだけスムーズには歩けなかっただろう。コンクリートの細い道で高速道路の高架下をくぐる。この辺りは高速道路の工事の関係で道がわかりにくくなっているのだろう

高速道路の下をくぐる遍路道
このあたりの遍路道はコンクリートになっているが、高速道路の工事で付け替えられたのだろう

自動車道路から細い山道への入口
集会所のすぐ先で細い山道が右に分かれてゆくが、わかりにくく、間違えやすい

高速道路の下をくぐった後、遍路道は高速道路を見下ろす場所に出る。このあたりの道もコンクリートの石段などが設置されており、高速道路の工事の影響なのだろう。へんろ道は自動車道を横切り少し石段を登ったあと、いよいよ本来の山道になる。

自動車道と遍路道の交差地点
石段を上ってきた遍路道はここで自動車道と交差する。ここからも少し石段が続いた後、本格的な山道になる

へんろ道より徳島自動車道を眺める
このあたりの遍路道は高速道路の工事の影響で、コンクリートや石段の付け替え道である

ようやく道は本格的な山道になった。ここまでのコンクリートや石段の細い道はおそらく高速道路の付け替え道だろう。山道になってから結構急な坂道もあったが、朝の歩きはじめで元気だったせいだろうか、大変だったという記憶があまりない。このような山道を1時間近く歩いて、ようやくマンダ(曼陀)峠から雲辺寺に至る一般道に出た。ここには「四国の道」の道標が立っており、雲辺寺まで2.2Kmとある。岡田屋マップによればこの地点の標高は650m、登山口からの標高差400mとなる。ここに到着したのはちょうど8時。岡田屋を出てから1時間半だ。

一般道に出てからは歩きやすくなるが、しばらく行くとまた山道になる。この辺りは「四国の道」の道標が整備されており、間違えることはない。雲辺寺の近くで駐車場からの道が一緒になるが、車へんろの人も駐車場からこの山道を1Km近く歩かなければならない。歩きなれない車へんろの人はここでかなり難儀するようだ。これが嫌な人はロープウェイを利用する手もある。ようやく雲辺寺に着いた。雲辺寺は標高910mの場所にあり、四国八十八ヵ所の札所のうちで最も高所にあるお寺である。境内の開けた場所から下界を見下ろすと、山の深さを感じさせてくれる。苦労して登ってきた甲斐があるというものだ。

マンダ峠からの一般道と合流する地点
山の遍路道はここでマンダ峠を経由してくる道と一緒になり、後は雲辺寺までこの道を歩くことになる

昔のままの山の遍路道
このような山道を約1時間ほど歩く
暗い感じの道で、結構傾斜が急なところもある

雲辺寺境内からの眺め
雲辺寺は標高910mにあり、四国八十八ヵ所札所中、最も高所にある。さすがに山の深さを感じることができる

雲辺寺近くの遍路道
車へんろの人たちも駐車場から1Km近くこのような道を歩かなければならない。これが嫌な人はロープウェイを使うこともできる

下界の景色を眺め一休みしたあと、本堂からお参りをはじめた。高い山の上にあるのだがロープウェイが通じているのでシーズン中は結構人が多いようだが、この日はまだシーズンには早く、天気もあまりよくないせいか、お参りの人は少なかった。納経を済ませお寺を後にしたのは9:40頃だった。

雲辺寺大師堂
弘法大師は大同二年(807)嵯峨天皇の勅願を奉じ再度入山した。大師堂の前に「勅願 嵯峨天皇 清和天皇」の石標が建っている

第66番札所・雲辺寺本堂
延暦八年(789)弘法大師が開創した。天正年間長曽我部の兵火に遭い焼失し、長らく荒廃していたが阿波藩主の手で再興された

雲辺寺を出て少し先の道路沿いにたくさんの羅漢さんが並んでいる。それぞれに顔も形も違い今にも動き出しそうなたくさんの羅漢さんを見ていると時間の経つのを忘れてしまう。すぐ近くににロープウェイのりばの案内標識が立っている。乗り場はここから少し坂を上ったところにあるようだ。一般車両はお寺まで入ることはできず、車へんろの人も800mくらい山道を歩かなくてはならないので、ロープウェイを利用する人も多いようだ。

ロープウェイ駅付近までは自動車の通れる道が続いているが、その付近を過ぎると道は昔のままの遍路道になる。これから先はきびしい坂道はなく、一本調子のゆるい坂道が続いている。地図で見ると、ちょうどこのあたりの稜線が徳島県と香川県の県境になっている。雲辺寺は徳島県にあるが、その少し先の稜線上で香川県に入るようだ。私の旅もいよいよ最後の讃岐路に入った。このような道を40分くらい下ってゆくと、ちょっと休憩できるような場所があり、舟形のお地蔵さんが立っている。説明版によると、この石造物は「丁石(ちょうせき)」といい、札所と札所の間に大体1丁(約109m)ごとに立てられたという。平地の遍路道では次第に姿を消してしまったが、山の遍路道ではこのように貴重な文化財として残っているところもある。

「丁石」とその説明版
道の脇(写真右)に立っている舟の形をしたお地蔵さんが「丁石」と呼ばれ、昔は札所と札所の間に1丁ごとに立てられた

雲辺寺から先の山の遍路道
このあたりは稜線で、徳島県と香川県の県境になっている。木々に覆われた暗い感じの山道が続く

山道をどんどん下ってゆく。それほど厳しい坂道ではないが滑りやすいところも多いので、雨の降っている日などは注意が必要だ。途中、展望の開ける場所があった。ここはもう香川県で、香川県の特徴である小さなため池が点在しているのが見えた。この日は今にも降り出しそうな空模様だったが、山道を下りきるまで何とかもってくれた。山道が終わり、車の通る県道に出たころから雨が降り出した。これから以後はずっと降り続けたから、タイミング的に大変ラッキーだった。

山道から県道に出る付近の様子
ちょうどこのあたりで雨が降り出した。山道で降られなかったのはラッキーだった

山道の途中から下界を望む
ここはもう香川県で、小さなため池が点在しているのが見える

雨の降りだした県道をひたすら歩く。県道を70分くらい歩くと第67番札所・大興寺に着いた。山門を入り、本堂、大師堂とお参りし、納経を済ませて時計を見ると12:30頃。ちょうどよい時間なので境内で食事にしようと場所を探したが、雨が降っているので適当な場所がない。仕方ないので、山門の脇の雨のかからないところで昼食をとらせてもらった。

第67番札所・大興寺本堂
弘仁13年(822)弘法大師が開創し、本尊の薬師如来を刻んで安置したのが始まりとされる。現在の本堂は慶長年間に再建されたもの

第67番札所・大興寺山門
納経が終わってから、この山門の脇の屋根の下で昼食をとらせてもらった。雨は本降りになっていた

大興寺からは車の通る一般道を歩く。雨が降り続き、目新しい風景もないのでひたすら歩く。かなり歩いたなと思う頃、JR予讃線の踏切を渡った。この後、道が少しわかりにくいので、町の人に観音寺への道を聞いた。今日の宿は第69番札所・観音寺の少し手前の若松屋別館に予約している。雨も降っているし、宿に荷物を置いてからお寺をめぐることにして、まずは旅館を探す。地図を見ながら宿に着いたのは15:30頃だった。傘を借りて参拝用品だけを持ってすぐに出発する。
旅館を出てすぐ先に財田川という大きな川が流れている。昔、「青春デンデケデケデケ」という映画があった。観音寺の町に住む高校生の仲良し4人組がベンチャーズの影響を受けてロックバンドを結成し、ロックに明け暮れる生活を描いたものである。いろいろな出来事があるが、彼らが高校卒業前のある日、この川の堤防際で将来のことを語り合うシーンがある。印象に残るシーンで、私はあのシーンはどの辺で撮ったのかななどと思いながらあたりを眺めた。

財田川堤防付近の様子
昔、「青春デンデケデケデケ」という映画があったが、主人公たちが高校卒業前のある日、堤防際で将来のことなどを語り合うシーンがあった(もっと下流かもしれない)

財田川にかかる三架橋
海に近いので川幅は広い。観音寺、神恵院へはこの橋を渡る

橋を渡り、観音寺、神恵院を目指す。少々わかりにくい道だが案内板などにしたがって歩いてゆくとちょっとした石段があり、その上に古い仁王門が建っている。ここは、一つのお寺の敷地内に68番神恵院(じんねいん)と69番観音寺(かんおんじ)の二つの札所がある。観音寺は市の名前にもなったほど栄えたお寺である。まずは先に69番札所・観音寺の本堂にお参りした。すぐ近くに納経所があるので、先に納経処理をしてしまう。ここでは一つの納経所で二つの札所の納経をやってくれるのだ。

第69番札所・観音寺本堂
大宝年間日証上人によって開創された。第7代住職となった弘法大師は聖観音像を刻み、それを安置する堂宇を建立し、寺号を観音寺と改めた

68番、69番共通の仁王門
同じ敷地内に68番神恵院、69番観音寺と二つの札所があるので、この門は共通の門となる

二つの札所分の納経処理を終えてから68番札所・神恵院(じんねいん)をお参りした。本堂はコンクリートの壁の入口をくぐり、石段を少し登った先にある。この神恵院はもともとすぐ近くにある琴弾八幡宮の別当院だった。もとはこの琴弾八幡宮が札所だったのだが、明治の神仏分離令で琴弾八幡宮のご本尊は神恵院に移され、こちらが68番札所となった。

16:10ころ本日の宿、若松屋別館に着いた。この宿は昨日、岡田屋のご主人に勧められて予約した。急な予約だったが宿泊者は私一人だった。夕食の時に女将さんといろいろ話をした。物静かな中にもしっかりした考えを持った人だと思った。この旅館から届いた今年(2011年)の年賀状で、へんろ道の整備に尽力された宮崎建樹さんが亡くなったということを知った。

ロープウェイのりば標識
ここから少し坂を上ったところに乗り場がある。ここからの参道沿いに五百羅漢像が並んでいる

五百羅漢像
ロープウェイ乗り場から雲辺寺までの参道沿いにたくさんの羅漢像が建っている。今にも動き出しそうなたくさんの羅漢さんを見ていると時間の経つのを忘れてしまう

第68番札所・神恵院本堂
もとは琴弾八幡宮の別当院だったが、明治の神仏分離令によりご本尊がこちらに移され、第68番札所となった

神恵院(じんねいん)入口
分厚いコンクリートの壁が本堂への入口となっている。これをくぐって階段を上ると本堂がある

本山寺五重塔
当寺は創建当初から大きな戦火や出火などの罹災がなく、創建当初の姿を伝えているという

第七十番札所・本山寺(もとやまじ)本堂
八百七年、平城天皇の勅願を受けた弘法大師が開基した。ご本尊の馬頭観音は弘法大師が彫ったという

国道と遍路道の分岐点
国道はここで左に分かれてゆき、遍路道は狭い道になる
少し先に見慣れた道標が立っている

山の国道377号線
民宿八十窪の少し先で国道に出るが、山の中の道で車幅は狭い