高知県内の札所と遍路日程(一部愛媛県を含む)

第10目(2010年3月18日) 海部町〜仏海庵〜民宿徳増  約27Km
第11日目(3月19日) 民宿〜室戸岬〜24.最御崎寺25.津照寺26.金剛頂寺 約26Km

第12日目(3月20日) 金剛頂寺〜27.神峯寺〜民宿きんしょう 約31Km 
第13日目(3月21日) 民宿〜安芸市〜民宿住吉荘 約25Km
第14日目(3月22日) 民宿〜28.大日寺29.国分寺30.善楽寺〜ホテル土佐路 約29Km 
第15日目(3月23日) ホテル土佐路〜31.竹林寺32.禅師峰寺33.雪蹊寺34.種間寺〜白石屋旅館 約28Km 
第16日目(3月24日) 旅館〜35.清滝寺36.青龍寺〜横浪スカイライン〜みっちゃん民宿 約26Km 
第17日目(3月25日) 民宿〜須崎〜土佐久礼・大谷旅館 約28Km 
第18日目(3月26日) 土佐久礼〜37.岩本寺、宿坊泊 約23Km 
第19日目(3月27日) 岩本寺〜黒潮町、民宿水鏡荘 約31Km 
第20日目(3月28日) 黒潮町〜四万十大橋〜下ノ加江〜民宿大岐マリン 約32Km 
第21日目(3月29日) 大岐〜足摺岬、38.金剛福寺〜民宿久百々 約37Km 
第22日目(3月30日) 久百々〜県道21号線、三原村経由〜39.延光寺〜民宿嶋屋 約31Km 

第23日目(3月31日) 延光寺〜宿毛〜松尾峠〜40.観自在寺〜民宿ドライブイン・ビーチ 約34Km 
第24日目(4月1日) 民宿〜宇和島、宇和島より夜行バスにて帰宅  宇和島まで約33Km 

県道21号線三原村下長谷標識付近
県道21号線もこの辺りになると民家もだいぶ増えてくる

芳井橋から下ノ加江川を望む
川沿いに2時間歩いたが、このあたりの川幅は歩き始めの頃とそれほど変わらない
橋を渡ると芳井集落になる

へんろ道が国道56号線と交差する地点は七子峠という。ここには「ななこ茶屋」というお食事処がある。現在は国道脇のドライブインになっているが、かつては峠のひなびた茶屋だったのだろう。地図で見るとこの地点の標高は287mある。これから先、へんろ道は国道とほぼ並行しながら進む。ここまでの急勾配がうそのようになだらかでのどかな田園風景になる。
民家の庭先のようなところを抜けてゆくと、昔のままの古道に出る。ここには手書きの説明板が出ていた。むかし空海がこの道を通ったとき、「この道はもったいなくて通れない」といったという。その意味は、この道には薬草が一面に生えていて、踏むことがもったいないということだ。それほど長い距離ではないが、空海になったつもりで歩いてみるのも面白い。

四国歩き遍路日記

高知県はお遍路の中では「修行の道場」といわれます。東西長い区間に札所が分散しているため、各札所間の距離は一部を除いて大変長くなり、これまでよりも1日あたり歩く距離が長くなりがちです。1日中長い国道を歩き続けることもみな修行のうちと思えてきます。ただ、徳島県内で身体も歩くことに慣れてきているので、長い距離もさして苦にならなくなるものです。

3月18日(木) 海部町(徳島県)から佐喜浜町(高知県)民宿徳増まで 約27Km

 この日は7:00に民宿海部を出発した。Sさんと同行である。宿のすぐ前が国道55号線だが、朝早いので車はあまり通らない。10分くらい歩くと国道脇にちょっと変わった形の新しい遍路休憩小屋があった。「ヘンロ小屋NASA39号」とある。我々はまだスタートしたばかりなので、写真だけとってそのまま通過した。少し先から海が見えはじめる.。大きな川の河口のようにも見えるが、地図で確認すると細長い形の湾で、那佐湾となっている。

国道をタンタンと歩いてゆくと、左手に「古道(旧土佐街道)」の案内標柱が見えた。へんろ道という案内はなく、ガイドブックにも載っていないが、我々はこの道を行くことにした。いかにも昔の土佐街道はこのような道だっただろうと思いながら4,5分歩くと、海岸べりに出た。道の跡は不明確だが、ここを古街道が通っていたことは明らかだ。海べりを少し行くと、岩がごろごろしている場所に出た。注意深く進んだのだが、不覚にも私はここでぬれた岩に足を滑らせ転倒してしまった。このときに首にかけていたカメラが岩角にぶつかり、破損してしまった。スイッチオンの状態で、レンズが出ていたのだが、オフにしてもレンズが引っ込まなくなってしまったのだ。これでも写真は撮れているようなので、この日1日はそのまま使用したのだが、自動焦点合わせ機能が働かず、ピンボケ状態になっている写真が多い。
昔のへんろ道も当然この道を通ったはずだが、ガイドブックなどで案内していないのは、このような危険な箇所があるためだろうと思った。この道を行く場合には十分に注意しましょう。

街道跡の危険な場所
私が滑ってカメラを破損した場所付近の様子

海岸べりの街道跡
左写真の旧街道は海岸べりに出る。この辺りは歩きやすい

旧土佐街道の様子
昔の街道を髣髴とさせる
すばらしい道がしばらく続く

国道に戻り少し行くと旧宍喰町(ししくいちょう)になる。現在は海陽町の一部になっているが、ここまでが徳島県である。少し先の国道脇に「道の駅宍喰温泉」という新しい建物があった。国道をしばらく行くとトンネルになり、このトンネルを抜けると高知県東洋町になる。左手に静かな海が見えてくるが、これは甲浦(かんのうら)である

甲浦(かんのうら)の様子
大小の島があり、静かな海辺である
既に高知県に入っている

国道55号線道の駅・宍喰温泉
道の駅が温泉になっている、珍しい形態だ
この町までが徳島県である

再び国道に出て、このあとは一路海岸沿いの国道を進む。どこまで行っても左は海、右は山の風景が続く。現在は山の斜面を切り取って国道が通じているが、この国道が出来る前は海岸の浜伝いの道だったのだろう。国道から浜に降りる階段が所々に設けられているので、我々は海岸におりて昔の旅人の気分を味わいながら歩いた。このあたりの浜辺は砂浜というよりも大きな丸い石がごろごろしていることが多い。岩が太平洋の荒波にさらされているうちに角が取れて丸くなったのだという。途中、大きな岩に腰掛けて太平洋を眺めながら昼食にした。12時頃だった。

同じような風景が続き少々あきてくるころ、国道から分かれてゆく旧道が現れる。この辺りは室戸市の入木集落である。この旧道沿いに小さな庵が建っている。これは番外霊場の佛海庵である。江戸時代、佛海上人がこの地に庵を結び、生涯に三千体もの仏像や地蔵を作ったといわれる。辰濃さんの「歩き遍路」にこの庵に泊めてもらったときのことが出ている。現在、よく整備された建物になっているが、人は住んでいないようだ。

国道を進んでゆくと東洋町の野根地区に入ってゆく。古いへんろ道が残っており、こちらを行くと道路沿いに小さなお寺がある。番外霊場の東洋大師・明徳寺である。小さな通夜堂に隣接して瞑想堂という畳敷きの小さな小屋があるが、善根宿として使われているようだ。小屋の出入り口付近に置かれた台の上にはお茶などの用意がしてあり、利用する人も結構多いように見えた。

東洋大師明徳寺
旧道沿いにある番外霊場。祝日でもないのに国旗が掲揚してあったのが印象に残っている

明徳寺の通夜堂と善根宿
通夜堂に隣接して小さな畳敷きの小屋があり、善根宿(無料宿)として使用されている

大きな岩の並ぶ海辺
海辺の様子は一様ではない。時折はこのような大きな岩がごろごろしている場所もある。この岩に腰掛けて昼食にした

左は海、右は山の続く風景
このような風景は室戸岬の先端まで続く。昔は浜辺の道なき道を歩いたのだろう
時折浜辺に下りて昔の旅人の感覚を味わう

入木集落の旧道は少し続いたあと再び国道に合流する。国道をタンタンと歩いてゆくと、やがて佐喜浜町になる。漁港があり、このあたりでは大きな町である。国道の山側に家並みがしばらく続いたあと前と同じ左は海、右は山の風景になる。町から30分くらい歩くと右側にロッジ尾崎が見えてきた。ここからさらに10分くらい歩いて本日の我々の宿舎、民宿徳増に到着した。16時頃だった。
この日の同宿者は6名で、それぞれ特色のある人たちで夕食時の会話が楽しかった。皆さん歩き遍路で、それぞれ一人旅である。若い女性は前にバスでまわったことがあるが、ぜひ歩いてみたくって、と張り切っていた。これまで途中で何回か見かけたハイスピードの人も同宿したが、この人の話を聞くと、四国八十八カ所のほかに二十の別格霊場を一気に回る予定という。今回で2回目という人は、歩きを主体に電車、バスなんでもありという気ままな旅のようだ。それぞれの人がそれぞれのやり方で歩いているが、同じ目的の人たちと語り合うのは楽しい。
この宿の食事は大変おいしかった。刺身、てんぷらなどの定番のほかにマンボウの煮付けをはじめて食べたが、白身で独特の歯ごたえで、大変おいしかった。久しぶりにビールを飲み、今夜は最高!の気分だった。
3月19日(金) 佐喜浜の民宿徳増から室戸岬の金剛頂寺まで 約26Km

朝5時頃起きて部屋でくつろいでいると、前の部屋のSさんが「もうすぐ日の出が見られますよ」と声をかけてくれた。私の部屋は山側で、気がつかなかったのだが、Sさんの部屋は海側で、二階の部屋のベランダからは太平洋が一望できる。やがて空が明るくなり、太陽が顔を出した。感激の一瞬だった。日の出は6:15頃だった。
 なお、私のメインのカメラは昨日破損してしまったので、今日からは予備に持っていったもう1台のデジカメを使用することにした。予備を持っていったのは大正解だった。

民宿徳増
国道の右手で、国道を挟んで太平洋を望むことが出来る

佐喜浜町付近の国道55号線
左手は佐喜浜漁港になっている。
民宿徳増はこのあたりから40分くらいである

民宿徳増の二階から望む日の出
二階ベランダから太平洋の水平線に現れる日の出をバッチリと見ることができる

民宿を7:30頃出発した。朝からすばらしい晴天である。今日も海沿いの国道55号線を室戸岬の先端に向かって歩くのだが、昨日と同じ左は海、右は山の道が続く。ほかに道を作りようがないのだ。時々山が引っ込むと小さな集落があり、それを過ぎるとまた、海と山の風景となる。国道には時折大きなトラックなども通るが、それほど交通量は多くない。歩道の付いているところも多い。一緒に歩いているSさんとは歩調がよく合う。それぞれが自分のペースで歩いてお互いに負担を感じないのだ。平坦な国道なので1時間に5Kmくらいのペースだろう。

国道をタンタンと歩いてゆくと小さな漁港を過ぎ、さらにしばらく行くと山の麓に大きな青年大師像が見えてくる。この辺りはもう室戸岬の先端に近い。室戸岬先端付近の海岸は岩礁地帯で、国定公園として遊歩道などが整備されている。ビシャゴ岩、エボシ岩をはじめ、弘法大師行水の池などというのもある。いずれも太平洋の黒潮に洗われて長い歳月をかけて出来上がった景観だ。弘法大師が修行していた時代と周囲の景観はそれほど変わっていないのだろう。遊歩道をのんびりと歩き、潮の香を胸いっぱいに吸い込む。
遊歩道を散策して海岸風景を堪能したあと国道に戻り、すぐ先の御蔵洞(みくろど)に向かう。19歳の空海がこの場所で修行し、その後の人生に重大な影響を及ぼすような体験をしたという場所である。
御蔵洞(御厨人窟、みくろど)の入口は国道に面して少し引っ込んだところにある。中に入ると大変広く、じめじめした感じはなく、居住空間として不都合はなさそうだ。空海の時代、ここまで来る人は皆無だっただろうから瞑想にふけり、修行を行うのには最適の場所だっただろうと推測される。洞窟から外に出れば広大な海が広がっている。
御蔵洞内を見学したあと国道に戻る。国道はそのまま岬の最先端を回ってゆくが、最御崎寺へのへんろ道は国道から分かれて山道になる。お寺は標高165mのところにあり、海岸線から登るので結構きびしい坂道である。
最御崎寺(ほつみさきじ)に着いたのは11:30頃だった。三日前に薬王寺にお参りしてから久しぶりの納経である。納経手順が終わり、山門を出て少し先に小さな駐車場があり、ここからの眺めがすばらしかった。ちょうど12時頃で時間もよいので、ここで景色を眺めながら昼食にした。眺めはよいし天気はよいし、Sさんと感激しながらの昼食だった。

最御崎寺からの下りは自動車道路を行く。ジグザグの自動車道からは室戸の海と町をどこからでも思う存分に眺めることが出来る。眺望を楽しみながらどんどん下ってゆくと、やがて国道に合流する。この国道は最も海岸に近いところを走っており、広い歩道には熱帯樹が植えられており、ハワイあたりの海岸を髣髴とさせる。すばらしい風景を眺めながら国道を進んでゆくと、室戸の町に入ってゆく。
第二十五番津照寺(しんしょうじ)は、お寺とその周辺の写真がまったく残っていないので、詳しい状況ははっきりとは覚えていないのだが、近くでウロウロした記憶がある。納経帳に御朱印が残っているので参拝したことはたしかであるが、室戸の海岸風景に圧倒されてボーっとしていたのかもしれない。

空海と室戸岬
私は昨年四国のお遍路をはじめようと思ったとき、空海という人について知りたくなった。あまり宗教色の強くない本ということで、司馬遼太郎の「空海の風景」を読んだ。このときに一番印象に残ったのは、若き空海が室戸岬の洞窟で修行したときに、明星が口の中に飛び込んできたという件だった。その洞窟が現在もそのまま残っているということで、これをぜひ見てみたいと思っていた。
空海の時代、阿波の国から室戸岬まで海岸伝いに通れる道はなかった。海岸はほとんど崖か岩礁で絶えず激浪がとどろき、とても人の通行を許さない。結局は山路を行くことになるが道なき道を進まねばならなかった。修行の場を求めて山中をさまよう旅を続けた空海はようやく室戸岬の岩盤上に立った。そこで空海は風雨から身を守るための洞窟を発見し、この中で修行を始めた。空海はこの修行中に明星が口の中に飛び込んでくるという奇怪な体験をしたという。「この超事実がこの19歳の若者をしてのちの空海たらしめるところの重大な出発点になった」と司馬遼太郎は著書「空海の風景」のなかで記している。「空海」という名前もこの修行中の強烈な体験からつけられたという。

御蔵洞付近から見た太平洋
山中を彷徨して室戸岬の先端に到達した空海はこのような風景を眼にしたのだろう。青い海と明るい照葉樹が印象的だ

御蔵洞(みくろど)
19歳の空海はこの洞窟で修行した。この洞窟の入口から明星が入来
空海の口の中に飛び込むという奇怪な体験をしたという

室戸岬の西海岸風景
室戸岬の先端を過ぎると、緩やかに弧を描く海岸線が続いている。海岸沿いに走る国道には熱帯樹が植えられ、南国ムードいっぱいである。右手に室戸の町が広がりその中央付近に第二十五番津照寺がある。また、遠くに見える行当岬の台上に第二十六番金剛頂寺がある

室戸岬の海岸で写真を撮ったあとの写真は金剛頂寺付近で撮った左下のものである。この二つの写真の間には約2時間半のブランクがある。第二十五番津照寺(しんしょうじ)はなんとなく上の空で参拝し、再び国道を歩いて民宿うらしまのあたりから国道と分かれ、その少し先から急なへんろ道が始まった。そのへんろ道を登りきったあたりからの風景が下の写真である。ここから見ると室戸岬の先端の様子がよく分かる。金剛頂寺についたのは15:10頃だった。室戸岬先端からここまで約3時間かかったことになる。
金剛頂寺には宿坊があり、私たちは本日はここに宿泊することにしている。大きなきれいな建物で、食事、サービスとも申し分なく、しかも値段が安いということでお勧めの宿である。ここでは昨日徳増で一緒だった若い女性のお遍路さんとも同宿だった。

第二十六番金剛頂寺
行当岬の台上、標高165mの所にある。最御崎寺と同じ大同二年に建立された。最御崎寺を東寺というのに対し、こちらは西寺といわれる

行当岬台上からの風景
すぐ近くに金剛頂寺がある。遠くの室戸岬の台上からここまで歩いてきたのだ

那佐湾の様子
国道の対岸は岬になっており、細長い湾がかなり長く続いている。大きな河口のように見える

ヘンロ小屋NASA39号
はじめNASAの意味が分からなかったが、このあたりの地名が那佐である。例の歌さんの建てた休憩小屋で、39番目のものだ。屋根の形がユニークである

佛海庵
宝暦十年(1760)に佛海上人がこの地にとどまり、地蔵菩薩像や佛海庵を建てた。近在住民の帰依厚く、難渋する遍路の援護にも功績があった

入木集落の様子
近くに入來川が流れており、この川の堆積地に集落ができた。土佐東海岸では貴重な平坦地だ

夫婦岩付近から太平洋を望む
天気もよく、穏やかな海である

国道から夫婦岩方面を望む
国道55号線は景色のよい海沿いの道である

室戸阿南海岸国定公園
国道から降りてゆくと岩礁の間に遊歩道が設けられ、安全に散策することが出来る。中央少し先の大きな岩がエボシ岩

青年大師像
昭和59年11月、真言宗豊山派の人たちにより建立された。高さ21メートルのニューセラミック仕上げの白亜の、弘法大師19歳の青年像である

最御崎寺付近からの眺望
太平洋、室戸町、室戸漁港などが一望できる。遠くに見える行当岬の台上にはこれから訪れる金剛頂寺がある

第二十四番最御崎寺(ほつみさきじ)本堂
室戸岬先端の標高165mの台地上にある。大同二年(807)、唐から帰国した空海が嵯峨天皇の勅願により建立した

3月20日(土) 金剛頂寺から神峯寺(こうのみねじ)まで。 約31Km

 この日は7:30に金剛頂寺宿坊を出発した。お寺の境内を通らないで宿坊の出口から直接へんろ道に出た。左に曲がって細い自動車道を下ってゆくと、茶畑などがあり遠くに昨日見た室戸岬の景色が見える。昨日のようなよい天気ではないが、風もなく暖かい日和である。しばらく歩いてゆくと、金剛頂寺の石段登り口に出た。少し先で地図を確認すると、どうもスタートから道を間違えているようなので引き返すことにした。結局これで30分くらいのロスとなった。

大平洋

高知県内の札所所在地

24

土佐くろしお鉄道

国道56号線

国道55号線

久百々

宿毛

四万十川

中村

桂浜

39

38

37

36

35

34

33

32

31

30

29

28

27

26

25

高知

足摺岬

室戸岬

32.禅師峰寺(ぜんじぶじ)
33.雪蹊寺(せっけいじ)
34.種間寺(たねまじ)
35.清滝寺(きよたきじ)
36.青龍寺(しょうりゅうじ)
37.岩本寺(いわもとじ)
38.金剛福寺(こんごうふくじ)
39.延光寺(えんこうじ)

24.最御崎寺(ほつみさきじ)
25.津照寺(しんしょうじ)
26.金剛頂寺(こんごうちょうじ)
27.神峯寺(こうのみねじ)
28.大日寺
29.国分寺
30.善楽寺
31.竹林寺

金剛頂寺付近の茶畑から室戸岬方面を望む
付近には、それほど規模は大きくないが茶畑が広がっている。その先には昨日見た室地岬の風景を望むことが出来る

金剛頂寺宿坊の全景
道を間違えたおかげで、宿坊を下から見上げる形で宿坊の全景を見ることが出来た。新しい大きな建物である

スタート地点に戻り、正しい道を進む。我々は宿坊出口から左に曲がってしまったのだが、右に曲がるのが正解である。少し先で細いへんろ道になる。案内に従いどんどん下ってゆくと、やがて国道に出た。また海岸沿いの国道歩きが始まる。

吉良川町の町並み(重要伝統的建造物群保存地区)
国道を30分くらい歩くと旧道が右に分かれてゆく。この道を進んでゆくと、格式のありそうな古い家が建ち並んでいる一画に出た。このあたりは吉良川町である。私ははじめ古い宿場町がそのまま残っているのかと思ったが、それにしては建物が立派すぎる。家並みの中に「吉良川まちなみ館」というのがあり、パンフレットなどが置いてある。それによると、この地は特に明治期から昭和にかけて良質の備長炭の集積地として発展した。吉良川の伝統的建造物の多くがこの時期に建築されたという。

この地区は平成9年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、町並みの保存に努めている。我々はざっと通り過ぎたが、時間があればもう少しじっくりと見たいところだ。保存地区の伝統的建造物の総数は163棟にも及ぶそうだ。

吉良川町の町並みB
白壁に取り付けてあるのは「水切り瓦」といい、暴風多雨の土佐地方独特のものである

吉良川町の町並みA
通りに面して重厚な外観を残している建物

吉良川町の町並み@
旧道に面して古い家並みが続いている

吉良川の町並みを過ぎ再び国道を歩く。今日はどんよりとした空模様で、空と海の境界が昨日のように明確ではない。タンタンと歩いてゆくとへんろ道は右に分かれて行く。へんろ道はやがて峠道となって峠の頂上に出た。地図で見ると羽根岬の頂上で標高100mくらいである。峠道からは海岸線を望むことができる。へんろ道はやがて、岬の先端を回って来た国道と合流する。

羽根岬の峠道から室戸方面を望む
空と海の境界がはっきりしないが、ここまで歩いて来た道筋をたどることが出来る

吉良川町先国道から進行方向を望む
前方遠くに見える岬は羽根岬で、へんろ道は峠道で岬を越える

再び海沿いの国道を進む。途中景色のよい海辺で昼食にした。昼食もすみ、元気に歩いてゆくと奈半利(なはり)町に入ってゆく。このあたりでは大きな町で、土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線がここまで通じている。歴史のある町のようだが、国道で通過してしまったので詳しいことは分からない。国道で奈半利川を渡ると隣の田野町に入る。この町の旧道を歩いてゆくと岡御殿という大きな屋敷があった。このあたりにも伝統的な建物が多く残されているようだ。

田野町の岡御殿
旧道沿いにある。江戸時代の豪商・岡家の屋敷跡。現在一般公開されている

奈半利川を国道の橋で渡る
左に見えるのは土佐くろしお鉄道の鉄橋である。この鉄道は高知市から奈半利まで通じている

奈半利町、田野町を過ぎ、安田町に入ってゆく。国道から分かれ、のどかなへんろ道を行くとだんだん雲行きが怪しくなり、とうとう雨が降り出した。本日の目的地、第二十七番神峯寺(こうのみねじ)は標高430mという山の上にある。しかも、山に登って同じ道を引き返さなければ宿泊する場所はない。我々は、麓の民宿に荷物を預けて、最小限の荷物を持って札所まで往復することにしている。国道沿いの民宿きんしょうに着いたのは14:30頃だった。ここから神峯寺まで行って帰るには2時間くらいかかる。あまり休んでもいられないので、雨具をつけて出発する。
民宿をスタートしてはじめのうちは比較的緩やかな自動車道を行く。身軽なので割合気楽に歩いていたが、そのうちだんだんと傾斜がきつくなり、本格的な登山道がはじまった。雨が降っているのでポンチョを身に着けており、汗で下着はぬれ、靴の中も水が入っている。今日はここまでに既に27、8Km歩いている。その累積した疲れも出てきた。さいごには少し歩いてすぐに休むというような状況で、荷物を背負っていないのにこのときの山道ほどつらいことはなかった。

神峯寺への登山口
歩きへんろ道の入り口。ここから約1.3Kmの登山道はきつかった

民宿きんしょう
国道沿いにある。民宿に着いた頃には雨が降り始めていた

きつい山道を休みやすみ登り、お寺の山門が見えたときには本当にうれしかった。境内に入り、しばらく休んでから本堂への石段を登りはじめた。同行のSさんは既に到着して納経手順を進めているようだ。私より5歳ぐらい若いだけに、さすが元気だ。私もようやく納経手順を終わり、待っていてくれたSさんとお寺をあとにし山を下りはじめる。この頃に雨もほとんどやんだので雨具もはずし、登りとはうってかわって楽に歩くことが出来た。

山を下って民宿きんしょうに着いたのは16:50頃だった。この民宿は国道に面した1階部分は飲食店兼食堂になっており、宿泊する部屋はいったん外に出てそこから階段で下に降りたところにある。
18時頃から夕食になった。この日の同宿者は我々二人を含めて六名である。一昨日民宿徳増で同宿した若い女性は昨日の金剛頂寺でも一緒だったが、今日も同宿となった。ただ、到着したのが遅かったので、今日は山には登らず、明朝一番に出かけるという。もう一人の女性歩き遍路の人は尼崎の人で、これまでにも何度か出会い話をしている。もう何回目かのお遍路で、途中、気に入ったところではスケッチをしたり、のんびり気ままな旅のようだ。車で回っているというご夫婦は、暇が出来たら二人で歩いて回ろうといっていたのだが、親の介護が終わりホッとしたら奥さんが足を痛めてしまい、車で回ることにしたという。話し好きの宿の女将さんも加わり、楽しい会話が続いた。

3月21日(日) 民宿きんしょうから安芸市を経て民宿住吉荘まで。 約25Km

 朝6時頃、例の若い女性が「お先に行ってきまーす」と元気に挨拶して出て行く声が聞こえた。我々は7:30に民宿きんしょうを出発した。雨は降っていないが、曇りで風が強い。
しばらく国道を歩いてゆくと、浜千鳥公園というところに出た。近くに童謡「浜千鳥」の碑と説明板が立っているのだが、折からの強風、荒波で歌のイメージとは程遠い、荒々しい磯風景だった。

浜千鳥の碑が建っているあたりの様
青い月夜の浜辺には 親をさがして鳴く鳥が
波の国から生まれ出る ぬれた翼の銀のいろ

弘田竜太郎(安芸市出身) 曲
鹿島鳴秋 詩

民宿きんしょう付近の国道55号線の様子
雨は降っていないが、朝から非常に風が強い日だった

浜千鳥公園の少し先から海岸の防波堤沿いに遊歩道がつけられているので、この道を進む。天気がよければすばらしい風景なのだろうが、この日は強い風と曇り空で、あまり快適な道とはいえなかった。夜のニュースによると、強い風に乗って大陸から黄砂が飛んできたということだ。防波堤沿いの道が3Kmくらい続いたあと国道に戻り、安芸市の市街に入ってゆく。安芸市はこの地方の中心になる大きな町である。Sさんはこの町で郵便局に寄ったあと、買い物をするということで、ここで別れた。宿は同じなのでしばしの別れである。

安芸市中心部の国道55号線
安芸市は高知県東部の中心的な町である

防波堤沿いの遊歩道を行く
このような道が約3Km続く。強い風と黄砂の飛ぶ空であまり快適な道とはいえなかった

安芸市の市街地を抜けたあたりから青空が広がってきた。相変わらず風は強いのだが、黄砂の飛び方が少なくなったのかもしれない。やがて国道と並行して立派な遊歩道が見えてくる。これは現在歩行者と自転車の専用道路となっており、歩き遍路の人にとっても大変ありがたい道である。安芸市から香南市まで約15Kmにわたって続いている。歩いているときには私は知らなかったのだが、この道はかつての「土佐電気鉄道安芸線」の軌道跡だという。この軌道跡とほぼ平行して、現在は「土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線」が走っている。

土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線
2002年に全線開業した。JR後免駅と奈半利を結ぶ全長42.7Kmの鉄道。海岸近くを走り、景色がよいことで知られる

自転車・歩行者専用道路の様子
この道はかつての土佐電鉄安芸線の軌道跡で、約15Kmにわたって続いている。左に見えるのは現在の土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の軌道である

自転車・歩行者専用道路(以下サイクリングロードという)は海岸に近いのでとにかく風が強い。笠が飛ばされないよう手で押さえながら歩く。やがて道の右手に木造平屋建ての結構大きな建物が見えてきた。「お接待所」と書いた手書きの大きな看板が出ている。
入口の引き戸を開けて中に入ると、五人の等身大の人形がにこやかに迎えてくれた。左から二番目の女性の横に「こんにちは いらっしゃいませ 英子」と書いある。この人がこのお接待所のご主人らしい。この左となりの人も「こんにちは 休んでいて下さい」という紙片を掲げている。右の三人はお遍路姿で、休んでいる人たちだろう。部屋はかなり広く、いすとテーブルがいくつか置いてある。壁面には心に残る言葉などが、ちょっとした絵を添えてたくさん貼ってある。そのほか、女性らしい細やかさでいろいろなものが壁際に並べられている。
部屋の中は風も入らず暖かいし、テーブルなども置いてあるので、私はここで昼食をとらせていただいた。ちょうど12時頃だった。
テーブルの上にはノートが置いてあり、たくさんの感謝の言葉が綴られていた。私もお礼の言葉を残してきた。それにしても、これだけの施設を個人で維持管理しているのだろうか。相当な信念がなければ出来ることではない。

お接待所内部の様子
内部はかなり広く明るい。いすやテーブルが置かれ、ゆっくり休息できる。壁面には所狭しと書画などが貼られている。花や人形なども飾られ、くつろげる雰囲気である

お接待所に置かれていた等身大の人形
左から二番目の女性の横に「こんにちは いらっしゃいませ 英子」と書いてある。この人がこのお接待所のご主人なのだろう
もてなしの心が伝わってくるようだ

お接待所を出て、さらにサイクリングロードを進んでゆくと琴ヶ浜の松原が見えてくる。このあたりの海岸線一帯には松原が広がっている。藩政時代には防風や潮害防止のために積極的に松林が植林されたという。このあたり一帯は県立の自然公園となっている。サイクリングロード沿いに無料宿舎(善根宿)と休憩所がある。道のすぐ横、くろしお鉄道の高架下ということで、利用しやすい施設と思われる。

サイクリングロードとくろしお鉄道の高架
高架下に休憩所、無料宿泊所などが建ち並んでいる。自然公園の中でもあり、利用しやすい施設だろう

琴ヶ浜松原
サイクリングロードから松原越しに海を望む。このあたり一帯は県立自然公園になっている

本日の宿は住吉漁港のすぐそばの民宿住吉荘にとってある。到着したのは14:30頃だった。驚いたことに安芸市で別れたSさんが既に到着していた。あまりに風が強いので、海寄りのサイクリングロードを避けて国道を通ってきたのだという。
まだ時間が早いので宿の周りを少し散歩してみた。すぐ近くに「震洋隊」の像と碑が建っていた。一般にはあまり知られていないが、太平洋戦争末期、この地に「震洋隊」が駐留し、水上特攻艇のための訓練をしていたのだという。結局一度も出撃しなかったのだが、終戦の翌日に弾薬庫の爆発事故で多くの人命が失われたのだという。夕方、もう一度海辺に出てみた。ちょうど日が沈むところだった。

夕暮れの住吉漁港
このあたりは手結岬というちょっとした岬になっており、夕日を望むことが出来る

震洋隊の像と慰霊碑
太平洋戦争末期、本土決戦に備えて震洋隊がこの地で日夜訓練を行っていた。終戦の翌日事故により111名の人命が失われたという
18時頃から夕食がはじまった。食事の場所は宿泊の建物とは別で、料亭のようなつくりの店になっている。食事は新鮮な海産物がいろいろと並び、ビールを飲みながら心ゆくまで味わった。炊き込みご飯も大変おいしく、大きな茶碗で山盛りのお代わりをした。今回の四国遍路では自分でも驚くくらい食欲がある。
高知県に入ってからの宿の予約は、3、4日前に取っているのだが、ここまでの宿はすべてSさんお勧めの宿である。Sさんは事前にネットで調べてあり、ここは星印ですよというようにすすめてくれる。ここまでのところ、その評判どおりといえるようだ。

神峯寺大師堂
本堂と大師堂までは山門からかなり長い石段が続いている。最後の胸突き八丁だ

第二十七番神峯寺(こうのみねじ)山門
このお寺は標高430mの山の上にある。麓の宿に荷物を置いて登るのだが、一日の最後の行程だけにかなりつらいものがある

このページのトップに戻る

四国歩き遍路日記(1) 徳島県編 へ戻る




3月22日(月) 民宿住吉荘から大日寺、国分寺、善楽寺を回って高知市内のホテル土佐路へ。 約29Km

この日は朝7時頃に民宿住吉荘を出発した。サイクリングロードに戻って昨日の続きを進む。20分くらい歩くと、「夜須町サイクリングターミナル入口」の案内板が出ている。ここから400mくらい左に入ったところにサイクリング用のターミナルがあるのだ。実際に行っていないので詳しくは分からないが、安く泊まれる宿泊施設もあるようだ。私もここまでの間、何人かの若者が自転車で旅を続けているのを見かけた。10日くらいかけて四国を回るのだといっていたが、こういう若者たちを強力に支援する施設といえるだろう。もちろん歩きの野宿派の人などにとってもありがたい施設のはずだ。

案内板から少し先でサイクリングロードはトンネルに入る。この道が鉄道の軌道跡だという証拠だ。サイクリングロードのためにトンネルを掘るはずがない。私は、奥の細道の旅で北陸地方を歩いているとき、ここと同じようなサイクリングロードを歩いたことがある。直江津から糸魚川まで45Kmも続く「久比岐(くびき)自転車歩行者道」で、その道にもこのようなトンネルがいくつもあった。当時、私は軌道跡とは知らずに歩いていたのだが、HPに掲載したあと鉄道愛好家の方から、「あの道は旧北陸線の軌道あとです」と教えていただいた。今回の土佐でも「そうじゃないかな」と思いながら歩いていたのだが、このトンネルを見るに及んで軌道跡と確信するにいたった。トンネルを出てから少し先で出会った地元のおじさんに、この道は軌道跡ですねと念を押したら、「そうです。昔の土佐電鉄のあとです」、と教えてくれた。

夜須町サイクリングターミナル入口付近
ここから400mほど左に入ったところにサイクリングターミナルがある。宿泊設備などもあるようだ

民宿住吉荘
看板が出ているのは海鮮料理店のほうで、宿泊の部屋は道をはさんで向かい側にある。料理店の二階からは住吉漁港が見える

高架橋の上を進むサイクリングロード
鉄道軌道跡の高架橋がそのままサイクリングロードになっている。この少し先で地元のおじさんにこの道が軌道跡であることを確認した

サイクリングロード用のトンネル
もともとサイクリングロード用に掘られたものではなく、昔の土佐電鉄のトンネルである。現在の土佐くろしお鉄道は山側に別の長いトンネルを掘ったので、このトンネルは不要になった

サイクリングロードはやがて国道55号線と合流する。近くに「道の駅やす(夜須)」がある。国道を進んでゆくと、これまでの海岸風景は消え、商店や家並みが続くようになる。だんだんと高知県の中心部に向かっているという感じがしてくる。高知黒潮ホテルの大きな看板が見えてくるとへんろ道は国道から分かれ県道22号線に入ってゆく。次の目的地、大日寺はこの県道を右に曲がるので、道標を探しながら注意深く歩いたのだが結局見つからず、かなり行きすぎてからおかしいと気づき、地図を確認して何とか道筋の見当をつけることが出来た。大日寺までは道標もなく、地図を見ながら歩いても分かりにくい道だ。

県道22号線野市付近
我々はくろしお鉄道野市駅の先の四国銀行のところで右に曲がったが、この辺の道は大変分かりにくい

国道55号線赤岡付近
国道は海岸線を離れ、これまでとは違う市街地風景となる。だんだんと高知市の経済圏内に入って行くようだ

途中何回か道を尋ねて、ようやく第二十八番大日寺の山門前に到着した。県道22号線の右手(山側)に「四国霊場第二十八番大日寺参道」という大きな細長い石標が建っており、ここから少し先に山門がある。到着したのは10:20頃だった。道探しで30分くらいロスしているようだ。
大日寺は高知県に入ってから5日目で5番目のお寺である。今日はこれから国分寺、善楽寺と全部で三つのお寺を廻る。ようやく本来のお寺めぐりに戻った感じである。

第二十八番大日寺本堂
弘法大師により中興されたが、明治初年の神仏分離令により廃寺、明治17年に再興された

大日寺参道入口の大きな石標
県道22号線をとにかくどんどん進んで行けば、道の右手に参道入口の大きな石標が見えてくる
少し高いところに見えているのが大日寺の建物

大日寺の納経を終わり次の第二十九番国分寺に向かう。大日寺から先は道標がしっかりしており迷うことはない。のどかな田圃道で、菜の花などが花盛りである。しばらく歩いてゆくと「松本大師堂 へんろ小屋」という割合新しい建物があった。中にはベンチが置かれ何人かの人が休んでいた。若い女性の二人連れがいたが、中国系のアメリカ人で、日本語はまったく分からないようだが、四国を全部回るという。この小屋のオーナーらしき人が大師堂のいわれなどいろいろと話をしてくれた。お礼を言って外に出ると、すぐ先に大きな桜の木があり、いまや満開だった。

松本大師堂近くのみごとな桜の大樹
このあたりでは群を抜いて大きな桜の木で、ちょうど満開でみごとだった

松本大師堂 へんろ小屋
建物は建替えられたようで新しい。奥に祭壇があり、手前にはベンチがあって、休憩できるようになっている

道標にしたがって歩いてゆくと、やがて国分寺に着いた。町の中の分かりにくい場所にあるが、道標のおかげでスムーズに探し当てることが出来た。納経が終わり、時計を見ると13時近い。ちょうど時間もよいので境内で昼食をとることにした。本堂前付近には見事なしだれ桜が何本か植えられ満開である。天気もよく、穏やかな日和でのんびりと食事をすませた。

土佐国の国分寺本堂
天平十一年(739)聖武天皇の勅願を奉じて行基が開基、後に弘法大師が中興した。境内ではちょうどしだれ桜が見ごろだった

第二十九番国分寺仁王門
国分寺は四国に四ヶ寺あり、それぞれ札所になっているが、これは土佐国の国分寺である

国分寺を出たあと、へんろ道はしばらくのあいだ田圃の中の道となる。今日はお寺を三つ回るが、お寺とお寺の間はこのようなへんろ道が多く、徳島県の歩き始めの頃のへんろ道を思い出させてくれる。やがて県道に出て、しばらく行くと道の脇にヘンロ小屋があった。「ヘンロ小屋第五号蒲原」となっている。第三十番善楽寺は、ここからもうすぐである。

ヘンロ小屋第五号蒲原
何人かのお遍路さんが休憩していた

国分寺付近のへんろ道の様子
田圃の中を行く昔ながらのへんろ道である。田圃の水張りがはじまっている

国分寺から90分くらい歩いて第三十番善楽寺に着いた。本堂などの建物は新しいようだ。善楽寺はもと土佐神社の別当寺であったが、明治初年の神仏分離令により廃寺となってしまった。このとき本地仏の阿弥陀如来を近くの安楽寺が祀り、第三十番札所を名乗るようになった。その後、昭和四年に善楽寺も再興され、こちらも第三十番札所を名乗ったので、三十番が二つになってしまった。平成六年になってようやく二つが統一され、善楽寺を三十番とし安楽寺はその奥の院ということで決着がついたという。午前中に回った大日寺も一時廃寺になったが、土佐では明治初年の廃仏毀釈運動はすさまじかったらしい。

土佐神社楼門
土佐神社は土佐一の宮で歴史が古い。善楽寺はかつてこの神社の別当寺であり、現在も神社と敷地はつながっている

第三十番善楽寺本堂
善楽寺の本堂建物は比較的新しい。善楽寺は明治初年に廃寺となり、昭和四年に再興された

さて、本日の私の宿はビジネスホテルのホテル土佐路・高須にとってある。1泊4200円という格安料金で、この料金の部屋はすぐに予約一杯になってしまうので、東京でネット予約しておいたものである。
一方、Sさんは数日前にデジカメを落として撮影不能となってしまったので、高知市内でカメラ屋を見つけて新しいものを購入しようとしている。そのようなこともあり、まだ今日の宿を決めていないのだが、とりあえず善楽寺近くのレインボー北星という民宿に当たってみたところあいているということなので、そちらに泊まることになった。このあと、Sさんとは4日後に岩本寺宿坊で再会することとして、しばらくの間お別れとなる。

善楽寺からホテルまでは約5Kmくらいで、16:30ころ到着した。すぐ前が国道32号線になっており、近くには大きなスーパーマーケットやコンビニなどもあり、何かと便利である。しばらく休んでから近くのスーパーに出かけ、これから先の食料品の買い出しをした。それからホテルに戻り、時間をかけて荷物の整理を行い、これから先の旅に不要と思われる物を選び出した。破損したカメラや、余分な衣料など合計で2Kgくらいになった。近くのコンビニで荷物を自宅に送り、夕食と缶ビールを購入して本日の予定は終了。あとは風呂に入って夕食を食べて寝るだけだ。

3月23日(火) ホテル土佐路から竹林寺、禅師峰寺、雪蹊寺、種間寺を廻って土佐市の白石屋旅館まで。 約28Km

 ホテル土佐路では簡単な朝食がサービスでついている。6:50頃にはこの朝食を済ませ、7時にホテルを出発した。今日は朝から雨が降っている。国道32号線を200mくらい進むと左に曲がる細い道があるのでこの道を進む。まっすぐ行くと橋があり、これを渡って右に曲がれば本来のへんろ道に出る。これから先は道標があるのでこれに従って進めばよい。

家並みを抜けたへんろ道は細い山道になる。昨日背中の荷物を約2Kg減量したこともあり、すこぶる快調である。山道を上りきったあたりに牧野富太郎記念館が見えてくる。付近一帯は牧野植物園になっている。かなり広大な敷地には季節の花々がいっせいに咲き乱れている。特に、植物園の広場にあった桜の大樹はみごとだった。

植物園のみごとな桜
広場に数本の桜の大樹があり、今まさに見ごろを迎えていた

牧野植物園広場付近から温室方面を望む
へんろ道は植物園の中を通っている。下の広場に牧野富太郎博士の像が建っている。背後の白い建物は温室。右手奥には竹林寺五重塔の先端が見える

植物園を抜けると自動車道路に出るが、竹林寺はそこからすぐである。山門を入ると林の中に参道が続いている。石段を登ると本堂、大師堂があり、さらにその少し上に五重塔が建っている。本堂建物とご本尊の文殊菩薩像は国の重要文化財に指定されている。竹林寺は高知の中でも随一といわれる名刹である。

竹林寺本堂
本堂の屋根は柿葺(こけらぶき)で、本尊の文殊菩薩像とともに国の重要文化財に指定されている

第三十一番竹林寺山門
名刹にふさわしい重厚な山門である

竹林寺の納経を済ませ、次の第三十二番禅師峰寺(ぜんじぶじ)に向かう。要所には道標が出ているので迷うことはない。途中で同じ方向に歩いてゆく二人連れのお遍路さんに出会った。二人はたまたま一緒になったようだが、歩くスピードが大変速い。私も追いついてしばらく歩きながら話をしたが、先頭を歩いていた人はMさん(通称・藻城さん)といい、今後何回も出会うことになる。このときはあまり話すことは出来なかったが、四国の歩き遍路が今回で24回目だと聞いて本当にびっくりした。毎年春と秋にそれぞれ八十八ヵ所すべてを廻るのだという。おへんろ道では知る人ぞ知る有名人であり、おへんろ道の生き字引のような人だ。しばらく一緒に歩いて、私は歩調をゆるめて後ろからゆっくりついてゆく形になった。左手に大きな池が見えてくると禅師峰寺はもうすぐである。

国道から左に曲がる細い道
この道をまっすぐ行けば橋があり、本来のへんろ道に合流できる。正面の丘の上に牧野植物園や竹林寺がある

ホテル土佐路・高須
国道32号線沿いにある。近くには大きなスーパー、コンビニ、郵便局、銀行などがあり、便利である

第三十二番禅師峰寺(ぜんじぶじ)は山道を少し登ったところにある。標高82mとあるからそれほど高い場所ではない。納経が終わり来たときと同じ山道を下ってゆくと、途中で登ってくるSさんに出会った。Sさんは昨日は宿の近くでデジカメを購入することができ、今朝はいつもと同じくらいの時間に宿を出発することが出来たという。お互いの情報を交換し、三日後の再会を約して別れる。

禅師峰寺大師堂
本堂、大師堂前には参拝者が結構多かった

第三十二番禅師峰寺(ぜんじぶじ)山門

禅師峰寺から第三十三番雪蹊寺までは途中に浦戸湾という海があるため、渡船に乗るか浦戸大橋という橋を渡る必要がある。普通は渡船を利用することが多いようだが、私は橋を渡ることにしている。海岸沿いを走る県道14号線は大変交通量の多い道である。雨の長い県道をこれも修行のうちとばかりに黙々と歩く。1時間以上かかってようやく浦戸大橋に着いた。長いアーチ型の橋である。両側に細い歩道が付いているので安全だが、歩いている人などはいない。大きな車が通ると橋がかなり揺れる。橋の上から渡船のコースが見えた。

橋から見た浦戸湾の様子
県営の無料の渡船が右手の種崎から左手の長浜まで就航している。乗船時間5分くらいで1時間に1本くらいだという

浦戸大橋
歩道が付いているので安心して渡れるが、大きな車が通るとかなり揺れるので気持ちが悪い。渡りきるのに10分くらいかかる

橋を渡りきったところで、へんろ道は右に曲がり坂道をどんどん下ってゆく。途中まで道標が出ていたのだがその後見失い、地図を見たり人に聞いたりして、ようやく第三十三番雪蹊寺(せっけいじ)に着いた。13時頃だった。納経を済ませ、屋根のある休憩所で昼食をとった。雨は降り続いており止む気配はない。しばらく様子を見ていると、午前中に出会ったMさんが見えた。今日はどこに泊まるのですかと聞かれ、白石屋旅館ですと答えると、それではこの人と同じだ、といって一人の人を紹介してくれた。これから先、種間寺を経て土佐市の旅館まではまだ13Km以上ある。雨も降っているし心細くなっていたところなので、この人と同道させてもらうことにした。

雪蹊寺を出たのは13:30頃だった。同道したのは北海道から来たTさんで、はじめてのお遍路で通し打ちの予定だという。はじめのうちは雨もそれほどひどい降りではなかったので、気楽にいろいろと話しながら歩いた。Tさんも歩くことや山登りが好きで、62歳のときに日本百名山を登りはじめ、その後10年(1年ブランクがあったので実質9年)ですべて登りきったという。最後に登った山はどこですかと聞いてみると、「四国の石槌山です」ということだった。その印象から四国の札所を廻る気持ちになったようだ。街道も東海道、中山道などを歩いたというのでうれしくなってしまった。私も、五街道のほか「奥の細道」を全部歩きましたといったら、それはすごいですねと感心してくれた。
話をしているうちに第三十四番種間寺(たねまじ)に着いた。私が納経帳に御朱印をもらっていると、Tさんは「私は納経帳は持っていません」という。自宅で般若心経を写経し、それを各札所に納経しているのだという。たしかに札所には「納札入れ」と「写経入れ」の二つの箱が並んでいる。この箱の中に写経したお経を納めれば本来の意味の納経になるわけで、御朱印をもらうかどうかは趣味の問題になるのだろう。「八十八枚の写経をするのに2週間かかりました」とTさんは笑っていた。
種間寺を出ると雨が本降りになってきた。地図を広げることも出来ないし、眼鏡が曇って道標もよく見えなくなるし、このときは同道者の存在が本当にうれしかった。仁淀川を渡ったあと、土佐市の旧市街に入ってゆくが、この道も分かりにくく、本日の宿、白石屋旅館を探し当てたときにはホッとした。宿に着いたのは17時頃。びしょぬれ状態なのですぐ風呂に入り、ようやく人心地がついた。

土佐市旧市街の町並み
土佐市の新市街はもう一本西側の通りでこの道は昔ながらの町並みである。白石屋旅館はこの一角にある

第三十四番種間寺本堂
弘法大師がこの寺を開創したとき、中国から持ち帰った五穀の種子を蒔いたということから、種間寺の名がついたという

第三十三番雪蹊寺
雨は止みそうもないので、境内の屋根のある所で昼食をとった

橋を渡った先のへんろ道から橋を望む
このあと道を間違え地図のコースどおりに歩くことはできなかった

石土池畔から禅師峰寺方面を望む
県道の左手に見えてくる大きな池である。禅師峰寺は前方の山を少し登ったところにある

禅師峰寺に向かう県道247号線
前方は石土トンネル。前を歩いている二人連れの先頭がMさん。Mさんとは今後あちこちで出会うことになる

3月24日(木) 土佐市旅館から清滝寺、青龍寺を廻り、横浪スカイラインを通って池ノ浦のみっちゃん民宿まで。 約26Km

 6:30頃から朝食になった。同宿者はTさんと私の二人だけである。食事が終わってしばらくするとTさんは出発していった。私の出発はいつもより少し遅くなり、7:50頃のスタートとなった。今日も朝から雨である。第三十五番清滝寺は旅館から約3Kmくらいで、同じ道を戻ってくることになる。旅館に荷物を置いていってもよいのだが、いつものとおり荷物を背負って出発する。
旅館の前の旧道をどんどん進み、しばらく歩いたところで右に曲がる。このあたりの道は分かりにくく、道標もないので地図と首っ引きで進む。すぐ先で国道56号線を横断し、高知自動車道の下をくぐると、へんろ道は田園の中の一本道となる。この道の途中で清滝寺の参拝を終わって戻ってくるTさんに出会った。

清滝寺に向かうへんろ道
第三十五番清滝寺は前方左手の山腹にある

旧街道の古い建物
旧街道沿いには古い建物はほとんど残っていないのだが、かろうじて残っていた古い建物

やがてへんろ道は登り坂になる。振り返ると過ぎてきた集落の様子が見えるが、靄にかすんではっきりとは見えない。参道を進み石段を登ったところに第三十五番清滝寺(きよたきじ)の本堂があった。旅館からここまで約1時間かかっている。納経を済ませすぐに下山する。同じ道を戻るので、旧街道まではスムーズに歩くことが出来た。

第三十五番清滝寺(きよたきじ)本堂
養老七年(723)行基により開基、その後、弘仁年間に弘法大師が入山し、修行している

山道から集落方面を望む
へんろ道は山道となり、振り返ると集落が靄にかすんでいた

旧街道を白石屋旅館まで戻ればよかったのだが、手前で右に曲がってしまったらその先の道が分からなくなってしまった。自分の歩いている場所が地図の上で確認できなくなってしまったのだ。市街地の一般道路なので道路案内標識も参考にしながらようやく須崎に向かう県道39号線に出た。ここまで来ればあとはこの道をまっすぐに進むだけである。
まっすぐの県道39号線を40分くらい歩いてゆくと、久しぶりに「へんろ道」の案内標識が見えてきた。ここから峠越しのへんろ道が始まるようだ。すぐ近くに休憩所が見え、トイレもある。荷物を下ろして地図を確認すると、少し先にトンネルがあり、峠道をトンネルで抜けることが出来る。雨が降っているし、ここまでに時間のロスもあったので、私はこのトンネルを利用することにした。時計を見ると11:20.。少し早いがここで昼食にした。

トンネルを抜けてしばらくすると宇佐湾に出るので県道は右に曲がる。これから先は海沿いの道となる。防波堤内には漁船がたくさん停泊している。その先には長い宇佐大橋が見える。
宇佐大橋から奥の海は浦の内湾という細長い内湾になっている。へんろ道はこの内湾沿いの道と大橋を渡って太平洋沿いのスカイラインを通る道の二つのコースに分かれる。第三十六番青龍寺はこの橋を渡った先にあるので、内湾沿いのコースを行く場合にはお寺での納経がすんだ後、再び橋を渡って元の道に戻ってくる必要がある。スカイラインコースの場合は戻らずにそのまま先を続ける。

塚地坂トンネル
トンネルの右手に登り道が見えるが、特に案内板はない
へんろ道に出るのかどうかはわからない

休憩所とミニ公園
県道の脇に休憩所があり、付近は水車などのあるミニ公園になっている。近くにトイレもある

へんろ道案内標識付近
県道から右に曲がる峠越えのへんろ道がある

宇佐大橋から浦の内湾方向を望む
浦の内湾は細長い湾で、一番奥は宇佐大橋から直線距離で約9Kmにもなる

宇佐漁港と宇佐大橋
宇佐には大きな漁港やマリーナがある。宇佐大橋は細長い浦の内湾の湾口にあたる

宇佐大橋を渡ると県道47号線になるが、この道は横浪スカイラインと呼ばれる。太平洋を望む高台を走るためこの愛称がついたのだろう。第三十六番青龍寺(しょうりゅうじ)はこの道をしばらく進むが、途中、戻ってくる人に何人か出会った。この人たちは再び宇佐大橋を渡って浦の内湾沿いのコースを行く人たちだ。へんろ道の案内にしたがって県道を右に曲がると、それまでの海岸風景とはうって変わって野辺を行くへんろ道となる。

青龍寺に向かうへんろ道
県道を案内標識に従い右に曲がると、昔ながらのへんろ道となる
桜が満開だった

横浪スカイライン
県道47号線は宇佐大橋を渡ってしばらくの間は海岸沿いを通るが、次第に登り坂となり、太平洋を望むスカイラインとなる

第三十六番青龍寺(しょうりゅうじ)に着いたのは13:10頃だった。仁王門をくぐると長い石段があり、その上に本堂、大師堂などが並んで建っている。
空海は三十一歳のとき、遣唐使の一員として唐に渡った。唐に渡った空海は、長安の青龍寺というお寺で恵果(けいか)和尚から真言密教の秘法をことごとく伝授される。日本に帰国後、土佐のこの地に寺を建立し、恩師を偲んで寺号を青龍寺としたという。

第三十六番青龍寺(しょうりゅうじ)本堂
本堂の左に大師堂、右に薬師堂が並んで建っている。本尊は伝弘法大師作の波切不動明王

青龍寺仁王門
仁王門をくぐるとすぐ先に長い石段が続いている
納経を済ませ、納経所の人にここからスカイライン経由で本日の宿、みっちゃん民宿までの道順を尋ねた。大変親切な人で、寺からスカイラインまでの道と、スカイラインからみっちゃん民宿までの道順を詳しく教えてくれた。これから先、人に会うことは期待できないので、ここでの情報は大変貴重なものだった。
納経所を出てから、教えてもらったとおりにまず奥の院に向かう。細い登りの山道だが、所々に奥の院への案内表示が出ているので、これを見失わないように進む。雨の山道は薄暗く、誰にも会わないのでなんとなく心細い。ようやくの思いでスカイラインに出た。奥の院はもう少し山道を登った先のようだが、これは省略し、スカイラインを進む。
スカイラインは100m以上の標高を走っているので、時々視界が開けると海がはるか下に見える。天気が悪いので空と海の境ははっきりしない。時々車が走り去るが、もちろん歩いている人の姿など見えない。スカイラインはアップダウンが大きいので歩き遍路にはあまり人気がないようだが、時々現れる海の風景は天気がよければすばらしいはずだ。

やがて浦の内福良への分岐案内が出てくるので、ここで左に曲がる。少し戻る感じで下ってゆくと丁字路になるがこれは右に曲がる。ここで右と左を間違えないようにと納経所の人に念を押されたところだ。海岸線に向かってどんどん坂を下ってゆくと、小さな漁港と集落が見えてきた。民宿のある池ノ浦である。
スカイラインの分岐から15分くらい歩いて池ノ浦の集落に着いた。小さな漁村で、戸数は40戸くらいだという。ここに宿屋が二軒ある。一つが私の泊まる民宿みっちゃんであり、もう一つは旭旅館である。旭旅館は表通りに看板が出ているのですぐわかるが、みっちゃんのほうは少し裏手になるのでわかりにくい。少し探してみたがわからないので、人に聞いて探し当てた。到着したのは16時頃だった。
今日も1日中雨で、2日間続けて雨の中でカメラを使用していたせいか、海浜の写真を撮っていたら急にカメラが動かなくなってしまった。電池を取り替えたり、ドライヤーで乾かしたりしたが回復しなかった。先に破損したカメラは送り返してしまったし、これが壊れてしまったらもう予備はない。天気がよくなれば回復するかもしれないと、一縷の望みをいだきながらもショックは大きかった。

池ノ浦集落の様子
ほとんどの人が漁業関係の仕事に従事する。戸数40戸、人口160人くらい。「世の中景気が悪いのに、魚まで獲れなくなってしまったようですよ」と、みっちゃんは話す

池ノ浦集落を望む
スカイラインの分岐点から少し下ったところから池ノ浦集落を望む。防波堤の内側に漁船が停泊しているのが見える。池ノ浦は漁業の集落である

18時ころから夕食になった。本日の客は私一人である。民宿の女将さん・みっちゃんは辰濃和男さんの著書「四国遍路」、「歩き遍路」(参考書参照)にも紹介されている。
食事の給仕をしながら、みっちゃんはいろいろと話をしてくれた。辰濃さんの本にも出ているが、ご主人は若い頃海の事故で亡くなった。しばらく一人で漁船に乗ったがその後、民宿業に転向した。三人の子供を抱えて大変な時期だったらしい。現在、左足が曲がらなくなっているのだが、その頃の無理がたたったのだろうと言っていた。また、昨年は脳の手術を五回やったといって頭を見せてくれた。たしかに骨が少しくぼんでいる。くも膜下出血、脳梗塞だったが発見が早かったので助かったという。これだけの病気をして回復し、まだ一人で民宿を切り盛りしているのだからたいしたものだ。時々娘さんが来てくれるという。辰濃さんが書かれているときにくらべるとさすがに元気はなくなったようだが、まだまだお元気です。 私も、みっちゃんの話を聞きながら、充実した夜を過ごすことが出来た。

最後に、階下のトイレに貼ってある5カ条の「心の智恵」を紹介しておこう。(うろ覚えのところもあります)
 一..日々の暮らしを大切にして生きがいを持て
 二.人のためになることを
 三.時間を無駄にするな
 四.常に喜べ絶えず祈れ 
 五.すべてのことに感謝せよ
みっちゃんの人生は、この心の智恵を実践することによって充実したものになったのだろう。「すべてのことに感謝せよ」というのは、お遍路を続けていると自然にそんな気持ちになってくる。

横浪スカイラインからの眺望A
このあたりは帷子崎(かたびらさき)という展望台になっている

横浪スカイラインからの眺望@
時々視界が開けると、このような景色を望むことができる

3月25日 (木) みっちゃん民宿から須崎市街を経て土佐久礼の大谷旅館まで 約28Km

朝起きてすぐにカメラのスイッチを入れてみた。何度かやってみたが、やはりだめだ。朝食が終わり、7:30頃民宿を出た。みっちゃんがスカイラインの分岐点まで車で送ってくれるというので喜んでお願いした。みっちゃんは左足が不自由だが車の運転は出来る。途中の路傍に山桜が咲いていたが、「この辺は潮風が直接当たるから、あまり桜は育たないんですよ」とみっちゃんは言った。5分くらいでスカイラインとの分岐点に着いた。みっちゃんは車から降りて、ていねいに挨拶し、最後に合掌した。私もお礼を言い、自然に合掌を返した。みっちゃんの5カ条は生きている。

今日も朝から雨が降っている。カメラも壊れてしまったし、本当なら暗い気持ちになるところだが、みっちゃんと挨拶を交わして、なんとなくさわやかな気持ちになった。元気に雨のスカイラインを歩きはじめる。スカイラインの景色は昨日と同じで、あまり海も見えず変化がない。しだいに下り坂になる道を約2時間ほど歩いて、浦の内湾沿いのへんろ道、県道23号線と合流した。県道23号線はやがて須崎市の中心部に入ってゆく。地図上のへんろ道は国道56号線を行くようだが、私は県道で市の中心部に入った。JR須崎駅付近を通ったが、その少し先に須崎市役所や国の出先機関などが集まっている。途中に大きな郵便局があったので、ここでこれから先の旅行費用を補給した。少し行くと栄町公園があり、屋根付の休憩所があったのでここで昼食にした。12時頃だった。雨は少し小降りになったが、まだ降り続いている。
昼食もすみ、歩き始めるとすぐに国道56号線に合流した。これから先はしばらくの間、国道56号線を歩くことになる。国道を歩きながらカメラのことを考えた。今回の旅の様子は帰ってからHPにまとめようと思っているので、写真がなくては話にならない。歩いているうちにケータイのカメラを使ってみようと思い至った。私はこれまでケータイのカメラはほとんど使ったことがなかったので、ここまで思いつかなかったのだ。さっそく撮ってみると、何とか使えそうだ。今日のこれから先の写真は、みなケータイで撮ったものである。

JR安和(あわ)駅付近を通過し、JRのガードをくぐるとへんろ道は右に分かれてゆく。この道は焼坂遍路道といわれる道で、分岐点には案内標識が立っているはずだが私はこれを見落とした。この日は天気も悪いし、カメラも使えないので峠越えの遍路道ではなく国道のトンネルを歩こうと思っていたので、あまり注意していなかった。少し先で国道の焼坂トンネルがはじまる。全長約1000mで、通過に約15分かかった。
トンネルを出てしばらくすると、「へんろ道 添えみみず」というへんろ道案内板が出てきた。ここから「そえみみず遍路道」が始まるのだ。この辺の道はちょっと分かりにくいのだが、私が歩く予定の「大坂遍路道」はもう少し先で、本日はその途中の土佐久礼町の宿屋に泊まる予定である。

土佐久礼の旧道沿いにある大谷旅館に着いたのは15時頃だった。時間がたっぷりあるので、このところの雨でたまってしまった衣類の洗濯をはじめた。洗濯が終わり、部屋に落ち着いてから、再びカメラのスイッチを入れてみたところ、なんと、動くではないか。ちゃんとレンズが出て、写真が撮れる。何回も繰り返してやってみたが、本当に直ったらしい。やはり、湿気のいたずらだったのだろうか。私は、一人旅の時には歩き始めのときと宿屋に落ち着いたときの1日2回、必ず家にケータイで連絡することにしているが、このときは「カメラ直ったよ!」が宿屋からの第一声だった。

「添えみみずへんろ道」の案内板
「添えみみず」とはどういう意味だろうと思いながら写真を撮った
国道56号線の脇に立っていたもの

国道56号線の焼坂トンネル
へんろ道は峠を越えるが、国道はこのトンネルで通り抜ける。全長996mと、長いトンネルだ

3月26日(金) 土佐久礼から大坂遍路道を通って第三十七番岩本寺まで。 約23Km

 宿泊した大谷旅館というのは昔ながらの大きな旅館だ。昨夜は、少し離れた大広間で遅くまで宴会が続いていた。安眠妨害とまではゆかないが、何だこれはと思いながら寝入った。宿泊した様子はないから近在の人の寄り合いだったのかもしれない。
この日の行程は約23Kmといつもより短かめだったので、8時頃の出発とした。宿泊者は私のほかにもう一人男性がいたが、あまり話を交わすことはなく先に出発していった。宿の支払いをするので値段を聞くと7800円ですと、聞き取りにくい声で言う。高いなと思ったので後日ネットで調べてみたところ、この旅館の値段は、1泊2食付6500円〜7000円(サービス料別)となっていた。このサービス料というのがくせものだ。遅くまでの騒々しい宴会でも分かるように、サービスなんて水準以下だし、食事も設備も普通の民宿などと変わらない。それなのに今までのなかで最も高いとはどういうことだ。歩きはじめてからしばらく不愉快な気持ちがおさまらなかった。少々高くても満足感があればよいのだがそれがない。
この日は久しぶりに朝からよい天気になった。土佐久礼というのは昔の街道の宿場町のようで、旧道沿いには古いつくりの家も残っている。やがて家並みが途切れ、へんろ道らしくなってくる。宿を出てから20分くらいのところにお遍路用の休憩所があったが、歩き始めてまだ間もないのでこれは通過した。

へんろ道は、大坂谷川沿いの桜並木の道になる。歩いているうちに気分は爽快になってきた。久しぶりの天気に感謝、すばらしい桜並木に感謝、カメラが直ったことに感謝。やはり感謝、感謝で行こう。工事中の四国縦断自動車道の下をくぐり、やがて本格的な山道にさしかかる。この道は大坂遍路道といわれる道で、かなりの距離が昔のままに残っている。

お遍路用の大坂休憩所
土佐久礼の中心部から20分くらい歩いたところに休憩所がある

土佐久礼の中心部の様子
土佐久礼は昔は宿場町だったのだろうか。街道沿いに古い家がいくつか残っている

へんろ道と工事中の四国縦断自動車道
工事中の高速道路は、須崎から窪川までの延伸工事のようだ

大坂谷川沿いの桜並木
川沿いのへんろ道には桜並木が続く。四国はこの時期、どこへ行ってもちょうど桜の見ごろだ

大坂遍路道登り口の案内板には、「大坂休憩所3.7Km 七子峠へ2.0Km」とあった。ここから2Kmの間、昔のままのへんろ道が続く。はじめのうちはそれほどきつい登りではないが、そのうちだんだんときびしくなってくる。特に最後の部分は階段状でかなりきつい登りになる。喘ぎながら登ってゆくと、ひょいと国道に出る。国道56号線はジグザグを繰り返しながらここまで登ってくるのだ。

大坂遍路道の様子A
このあたりが特にきびしい登り道だ。ここを登りきると国道56号線に出る

大坂遍路道の様子@
昔のままのへんろ道がそのまま残っている。空海もこの道を歩いたのだろう

へんろ道はやがて国道56号線と合流する。国道を少し歩くと休憩所があった。「四阿 雪椿」という新しい大きな看板がかかっている。時計を見ると11:40。ちょうどよいのでここで昼食にした。小屋の脇に「第三十七番札所岩本寺まで10Km」という案内表示があった。これから先はずっと国道56号線を歩くことになる。昼食も終わり、国道を歩いてゆくと道の反対側に茅葺屋根で大きな水車のある家が見えた。国道の脇に一軒だけ残っており、現在では何かちぐはぐな感じだが、昔は街道沿いにこのような家が並んでいたのだろう。母屋の隣に小さなへんろ小屋が建っているが、国道を渡らなければならないので、ここは写真だけ撮って通り過ぎた。このあたりは影野である。

七子峠の少し先に残る古道
昔、空海がここを通ったとき、薬草が一面に生えていて、「もったいなくて通れない」といったという伝説が残っている

七子峠の頂上にある「ななこ茶屋
現在は国道脇のドライブインになっているが、昔はひなびた峠の茶屋だったのだろう

茅葺の家と大きな水車(影野付近)
母屋の隣に小さな「お遍路さんお休み処」があるが、道の向こう側だったので写真だけ撮って通過した

国道脇の 「四阿 雪椿」 
雪椿というのは樹齢350年にもなるというヤブツバキで、これにまつわる伝説の説明板が近くにある。この休憩施設は新しいようだ

影野を過ぎてからJR土讃線が国道と並行して走るようになる。また、国道と並行して清流が現れ、すばらしい景観を見せてくれる。やがて国道の脇に大きな道の駅「あぐり窪川」が見えてくる。これを過ぎてしばらくするとへんろ道は国道から分かれて旧窪川町に入ってゆく。現在は四万十町と名前を変えている。第三十七番岩本寺はこの町の中心部にあり、観光の目玉になっているようだ。

四万十町(旧窪川町)の様子
商店街の店は閉じているものも多く、活気がない

国道56号線からの風景
このあたりには川が多いが、いずれも四万十川に向かって流れているようだ。JR土讃線の鉄橋が見える

地図をたよりに町の中を歩き、ようやく岩本寺に着いた。岩本寺に着いたのは14時頃、とりあえず宿坊に荷物を預け納経をすませた。本堂前など境内には巡礼姿ではない一般の観光客も多い。JRの窪川駅からも近いし、国道56号線からも容易入ってくることができ、お寺に隣接して大きな駐車場も完備している。一般観光客も多くなるわけだ。さらに四国縦貫自動車道が、この町の近くまで延伸工事中である。
時間がまだ早いので、納経が終わってから少し町の中を散策してみた。もともとは門前町なのだろうが、商店街などはまったく活気がない。町役場近くの掲示板に、四万十川を集客の目玉として町おこしをしようというようなことが書いてあった。四万十町と名前を変えた理由はここにあるのだろう。

岩本寺本堂付近の様子
巡礼姿の人に混じって一般観光客の姿も多い。交通の便がよく、気軽に来ることができるお寺だ

第三十七番岩本寺山門
門前商店街の先に短い石段があり、その上に山門がある。岩本寺は町の中のお寺である

町の散策から帰って宿坊に入ると、ロビーにMさんがいた。Mさんとは前に何度かお会いしているので、気軽に声をかけた。Mさんは24回も歩き遍路をしている人だから、この宿坊の従業員とも顔なじみで、特別のお接待を受けていたのだが、私もそのお接待のお相伴にあずかりながらいろいろと話をした。私が昨夜は土佐久礼の宿屋に泊まったといったら、「そういえば、その宿屋に泊まったという人が洗濯代として1000円もとられたとブツブツ言ってましたよ」と教えてくれた。やはり7800円請求され、内訳を聞いたところ、洗濯機使用代を含めたサービス料として1000円いただきますという説明だったらしい。また思い出してしまったが、こういう情報というのは伝わるのが早いものだ。Mさんとしばらく話をしていると、4日前に善楽寺で別れたSさんが到着した。その後それぞれ別の行動をしてきたのだが、ここで再び合流したのだ。
18時頃から大広間で食事が始まった。ざっと数えてみたところでは三十数名いたようだ。団体巡礼のグループあり、一般観光客、車巡礼と思われるグループあり、我々のような歩き遍路のグループあり、と大体グループごとにおのずから席が分かれたようだ。私はSさんと別れてから後の情報交換をした。また、これから先の日程なども相談した。そのあと、歩き遍路の人たちはMさんを中心にいろいろな話題で大変盛り上がった。

3月27日(土) 岩本寺から黒潮町の民宿水鏡荘まで。 約31Km

 岩本寺では6時からお勤めがあり、私たちはこれに参加した。30分間みっちりとお勤めをしたあと、ご住職から天井に描かれている絵などについての話があった。このお寺本堂の天井にはびっしりと絵が描かれている。ご住職の話では、昭和五十三年の本堂新築の際に天井画の寄進を広範囲にお願いしたところ、八歳の女の子から八十歳のお年寄りまでがそれぞれの絵を寄進してくださったという。全部で575枚あるということだが、ざっと見た感じでは特にテーマはなく、それこそ雑多である。これほどユニークな天井画はこれまで見たことがない。ただただ感嘆しながら天井を見上げた。
本堂でのお勤めのあと、大広間に移動して朝食となった。食事が終わった後、ご住職の奥さん手作りの小物入れをお接待としていただいた。ありあわせの布で作ったシンプルなものだが、色もデザインも違うたくさんの中から選ぶ。そういえば、この奥さんは今日から四国八十八ヶ所の歩き遍路に出発すると聞いている。四国札所の奥さんで、すべてを歩いて廻るというのはここの奥さんぐらいですよと昨夜、Mさんが教えてくれた。お目にはかかれなかったが、大変精力的な方のようだ。

天井画の一部
絵の内容はそれこそ種々雑多である。この写真の中だけでも能面、花、鳥、猫、風景などが見られる。別の場所にはマリリン・モンローの顔なども見つけることが出来る

岩本寺本堂内部の様子
この本堂の天井絵は大変ユニークである。全国から公募したという575枚の絵で
天井に曼荼羅絵を創りあげるという発想が新鮮だ

7:30頃岩本寺を出発した。久しぶりにSさんと同行である。今日は朝から天気がよく、風はないのだが少々寒い。町の中を抜けて国道56号線に出る。今日はほとんどこの国道を歩くことになる。国道を5Kmくらい歩くと登り坂になり、国道は迂回してゆくが、へんろ道はまっすぐに登ってゆく。この区間だけ古いへんろ道が残されているが、しばらくするとまた国道に合流する。この合流地点に「四国のみち(四国自然歩道)」の案内板が立っている。地図で見ると、このあたりの標高は100mである。少し休憩したあと下り坂となる国道をハイペースで下ってゆく。途中に小さな拳ノ川(こぶしのかわ)休憩所あったが通過する。二人で歩くとしだいに歩くペースが速くなる。

国道をどんどん下り続け、土佐くろしお鉄道中村線の伊与喜(いよき)駅付近を通過する。その少し先から古いへんろ道が残っているので、こちらを進む。このへんろ道の途中に、明治時代に出来た古い「熊井トンネル」が残っている。「明治三十八年(1905)に完成し、昭和十四年(1939)までは県道として使われたが、現在はわずかに土地の人の通行に使用されているのみである」という説明板が立っている。土地の人だけでなくお遍路さんの役にも立っている、と付け加えたいところだ。熊井トンネルを抜けたへんろ道は下り坂となり、やがて土佐くろしお鉄道の線路を渡りその少し先で国道56号線に合流する。

拳ノ川休憩所
小さな休憩所だが、この付近には何もないのでありがたい存在だ

市野瀬の「四国のみち」案内板付近
一部残っていた古いへんろ道もこの付近から先は再び国道と合流する

熊井トンネル付近の道の様子
昭和十四年まではこの道がこの地方のメインルートだったわけだ

熊井トンネル
長さ90m、明治三十八年に完成。「トンネルというものは入口は大きいが出口は小さいものぢゃのう」といった人があるという

へんろ道は土佐くろしお鉄道の土佐佐賀駅前を過ぎ、町の中の道を通るようになる。この町は町村合併前は佐賀町といったが、現在は周辺の町村をひっくるめて黒潮町となっている。だんだんと昔の地名が消えていく中で、鉄道の駅名とか郵便局の名前などにかろうじて名前が残される。これは平成の大合併のあと、全国どこにでも見られる現象だ。
家並の途切れたところに川があり、土手の上も広くてきれいなので、ここで休憩をかねて昼食にした。12:10頃だった。今日は大変天気がよく風もないのだが、気温が低く、休んでいると汗が冷えてきて寒くなるほどだった。食事を済ませて早々に出発する。

伊与木川のほと
海が近いので川幅が広いが、青いきれいな水である。土手に座って昼食にした

黒潮町(旧佐賀町)の家並み
くろしお鉄道土佐佐賀駅付近の町の様子。このあたりはあまり特徴のない家並だ

やがて道は鹿島が浦という波の静かな海岸に出る。国道に合流して少し行くとちょっとした高台になり、付近一帯はよく整備された公園になる。なだらかな芝生があり、その先に青い海が広がっている。国道の脇に海のよく見える休憩所があったので、ここで少し休憩して景色を眺めた。国道56号線は海沿いの少し高いところを走っているので、しばらくの間大変景色がよい。時々海の景色に眼をやりながら、Sさんと私は快調に国道を歩き続ける。

佐賀公園
この辺一帯は臨海公園になっているが、正式名称は「土佐西南大規模公園」という。国道沿いに長く続く、よく整備された公園だ

鹿島が浦の風景
国道から旧佐賀町方面を振り返って撮ったもの。小さな島と防波堤に囲まれ波の静かな海である

海沿いの気持ちのよい道を進んでゆくと、遠くに井の岬が見えてくる。国道はこの井の岬をトンネルで抜ける。トンネルを抜けしばらく歩くと国道はまた海沿いの道となる。途中に「ヘンロ小屋・大方(おおがた)」があった。小さな小屋だが、側面に描かれたかわいいクジラの絵が印象的だった。そういえば、屋根の形もクジラをイメージしているのだろう。このあたりから鯨が見えるのだろうか。ここまで来れば本日の宿、民宿水鏡荘はもう近い。

ヘンロ小屋・大方(おおがた)
国道脇に建っている小さな小屋。側面にかわいらしいクジラが描かれている。屋根の形もクジラをイメージしているのだろう

国道から井の岬方面を望む
奥のほうに見えるのが井の岬だ。国道はこの岬の先端を回らずにトンネルで抜ける

本日の宿は当初、Sさんの情報により「民宿みやこ」にしようと思っていたのだが、満員で断られてしまった。近くの別の民宿に当たってみたが、いずれも満員とのことだった。予約の電話を入れたのが昨日だったので、ちょっと無理だったかもしれないが、少しあわててしまった。その後、少し先の「民宿水鏡荘」に電話してみたところ、いとも簡単に「はい、いいですよ」といわれたので、逆にちょっと心配になるくらいだったが予約した。そのような経緯があって、本日の宿、民宿水鏡荘に15:30頃到着した。
この宿は国道沿いにあり、ここから先のへんろ道沿いには適当な宿が見当たらないので、これを過ぎると面倒なことになる。そういう意味ではよい場所にあるのだが、どうも宿の経営者がやる気がないように見えた。建物の外壁は塗装がはがれ、「民宿 水鏡荘」の文字はかすれてよく読めない。建物内の設備も同様な感じだ。これでも主人のもてなしの心が感じられればよいのだがそれもない。かつては輝いていた時代もあったのだろうが、今は老夫婦が仕方なく商売を続けているという感じだ。しかし、1泊2食付5500円という宿泊料は文句なく安い。これが唯一の取柄だが、ほかの諸不満をかなりやわらげてくれることはたしかだ。

民宿・水鏡荘
設備、サービスに多々不満があるが、国道のすぐ脇で、かつ宿泊料が1泊2食付5500円と安いのが大きな取柄だ

民宿水鏡荘前の国道56号線
民宿は国道のすぐ脇に建っている。すぐ先に道の駅「ビオスおおがた」の大きな案内板が立っている

3月28日(日) 黒潮町から四万十川を渡って民宿大岐マリンまで。 約32Km

 この日、Sさんと私は7時頃民宿を出発した。国道56号線を少し行くとへんろ道は左に分かれる。荒野の静かな道を少し行くと小さな川があり、新しい橋でこれを渡る。橋を渡ると海岸沿いの松林の続く道となり、やがて入野県立自然公園付近を通過する。ガイドブックでは、このあと国道56号線に出て中村市街を通って渡川大橋を渡るコースも記載されているのだが、我々は市街地をバイパスし、四万十大橋を通るルートを行く。中村は小京都といわれるように、歴史と伝統が色濃く残った町だという。普通の観光旅行であれば、中村に1泊して町の旧跡と四万十川の風景をゆっくり見物したいところだが、今回の旅は八十八ヵ所札所めぐりが主体なので、中村市街観光は次の機会にしよう。

入野県立自然公園を過ぎると県道42号線に出る。地図をたよりにタンタンと歩いてゆくと、やがて大きな川が見えてきた。これがかの有名な四万十川だ。ここに架かっている橋は四万十大橋で、四万十川の橋の中では最も海寄りに架かっている。架橋年月は確認できなかったが、比較的新しいようだ。橋の上から上流、下流を眺めるとカヌーを漕いでいる人も多く見られる。四万十川はカヌーを愛する人のメッカになっているのだ。私はできれば、今回の旅で見残した場所を中心とした四国旅行をまた計画してみたいとも思っているが、そのときは四万十川をもう少し丹念に歩いてみたいと思う。ともかくも、今日は四万十川を見ることができて満足した。

入野付近の海岸沿いの道
このあたりは古いへんろ道といった感じだ

国道から分かれたあとのへんろ道風景
周辺は海に近く、田園というより荒野といった感じだ。前方の白い斜張橋を渡る

四万十大橋より下流方向を望む
四万十川は、カヌー愛好家のメッカともなっており、このあたりにもたくさんのカヌーが見られるここから海は見えないが、この先、海までの間に橋はない

四万十大橋より上流方向を望む
四万十川は全長196Kmで、四国では最長である。中央左側遠くに中村市街を望むことが出来る

四万十大橋
架橋された年月が確認できなかったが、比較的新しいようだ。歩道は下流側だけについている。それほど大きな橋ではない

左岸より四万十大橋を望む
四万十川左岸土手上から四万十大橋を望む
写真には入っていないが、近くに休憩施設がある

大橋を渡りきると道は国道321号線に合流する。これからしばらくの間は、この国道321号線を歩くことになる。この国道は足摺岬方面に向かい、土佐清水市、大月町を経て宿毛市に至る幹線道路である。しばらくの間、四万十川右岸の川沿いを進むが国道は結構交通量が多く、川の風情はあまり感じられない。やがて、国道脇に「田吾作」といううどん屋が見えたので、時間は少し早いがここで昼食にした。11:30頃だった。四万十川で採れる青海苔(岩海苔)の入ったうどんを注文したが、なかなかおいしかった。店を出ると近くに「大文字山」が見え、近くに説明板が立っていた。説明板によると、今から五百有余年前、前関白一条教房(のりふさ)は京都の戦乱を避けて家領の中村に下向し、京都に模した町づくりを行った。この大文字山の送り火もこのころ始まったもので、現在も旧盆の十六日には地元の人々によってその伝統が受け継がれている

国道はやがて伊豆田トンネルに入る。長さは1620mあり、通り抜けるのに20分近くかかった。トンネルを抜けると道が二手に分かれる。分岐点に「一心庵」という建物がある。「四国霊場巡拝案内所 お接待の一心庵」と大きく書いてあった。その前に石の立派な道標が建っている。この道標は、このまままっすぐに24Km進めば第三十八番金剛福寺に至り、ここで右に曲がり31.3Km進めば第三十九番延光寺に至るということを示している。金剛福寺まで参拝した人はここまで戻って、ここで右に曲がり、次の延光寺に向かうことが多いようだ。
なお、この分岐点近くに昔、「真念庵」と呼ばれた大師堂と善根宿があり、現在もそのあとが残っているというが、見逃した。ちょっと探す気になればよかったが通り過ぎてしまった。

足摺岬の先端にある第三十八番金剛福寺から次の第三十九番延光寺までのルートは大きく二つに分かれる。金剛福寺からそのまままっすぐに海岸沿いを進んで大月町、宿毛経由で延光寺に出る道と、もう一つはいったん真念庵まで戻って内陸の三原村を通って延光寺に直接出る道の二つである。前者のほうが距離が長く、日数が1日余計にかかってしまうのが最大の難点だ。同行のSさんは1日余分にかかっても海岸線周りのコースを行くという。私も一時その案に傾きかけたのだが、やはり当初計画どおり打ち戻りコースを行くことにした。やはり、1日分の行程が増えることを嫌ったためだ。
本日の宿は民宿久百々(くもも)に予約しようと思ったが、先に電話したSさんまでで満員になってしまった。仕方ないので、その日は私は3Km先の民宿大岐マリンまで行くことにした。次の日は金剛福寺まで行った後、同じ道を戻り、民宿久百々に泊まることにした。この日の予約は取れたので一安心。三月末になると民宿も直前の予約だと取れないこともあるということをこの数日で二回も経験した。民宿久百々に到着したのは15時頃だった。私の宿はまだ3Km先なので、Sさんとはここでお別れする。明日は二人とも金剛福寺へ行くので、おそらくそこでまた会うことが出来るだろう。
国道321号線と、所々に残っている古いへんろ道をたどって私の本日の宿「民宿大岐マリン」に到着したのは15:40頃だった。国道のすぐ脇で、1階はレストランとなっており、宿泊の部屋は2階になっている。客室数三部屋の小さな宿だが、建物が新しく、経営者も若い夫婦で大変気持ちがよい。私の部屋は海側で部屋の中から海が大変よく見える。このあたりの浜はサーフィンに適しているようで、この宿もそういった人たちにもよく利用されているようだ。設備、サービス、食事も大満足。

大文字焼の行われる付近の風景
この大文字山の送り火は、土佐一条家二代目房家が父教房の精霊を送るために始められたと言い伝えられており、現在も受け継がれている

国道321号線脇のうどん屋「田吾作」
四万十川で採れる青海苔を入れたうどんがお勧めということなので、それを注文した

「一心庵」前に立つ道標
左に行けば三十八番金剛福寺、右に行けば三十九番延光寺となる

「一心庵」の建つあたり
建物には「四国霊場巡拝案内所 お接待の一心庵」と大きく書いてある。「真念庵」はこの建物の裏手の山の上にあるようだが分からなかったので通り過ぎてしまった

二階客室からの海岸の眺め
ここの浜はきれいで、サーフィンに適しているようだ。夏には海水浴などもできるのだろう

民宿 大岐マリン
このあたりの地名は大岐(おおき)である。建物は1階がレストラン、2階の三部屋が客室となっている。食事は1階のレストランでとる

3月29日(月) 大岐から足摺岬の金剛福寺へ。足摺岬から民宿久百々まで戻る。 約37Km

 この日の行程は、民宿大岐マリンから海沿いの道を足摺岬の先端まで行き、第三十八番金剛福寺を巡拝する。そのあと同じ道を戻り、大岐から3Km先の民宿久百々に宿泊する予定である。今日の歩行予定距離は約37Kmになり、これまでで最も長い距離となる。そんなこともあり、いつもより少し早めに6:40頃民宿を出発した。同じ道を戻ってくるので、背中の重いザックは宿に預け、必要なものだけ軽い補助ザックに詰め替えて身軽な姿である。
今日は朝から快晴である。民宿前の国道を少し行くと、へんろ道は国道から分かれ、海岸沿いの道となる。見晴らしのよい場所に「足摺宇和海国立公園」の立派な石標が建っている。これから先、足摺半島の海岸一帯は国立公園になっているのだ。ここからは足摺岬につながる海岸線を一望のもとに見渡すことが出来る。

足摺宇和海国立公園標識
名前からも分かるように、足摺だけでなく、宇和島付近の海を含めた広範囲の国立公園である

大岐海岸から足摺半島の海岸線を一望する
ここから一望できる海岸線は「足摺宇和海国立公園」となっている。写真左が足摺岬になるが、足摺岬の先端はここからは見えないようだ

大岐海岸沿いのへんろ道はやがて国道に合流し、しばらくの間国道を進む。以布利集落の手前で国道321号線は西に方向を変え、足摺半島を横断して清水町に向かう。足摺岬の先端への最短ルートは、これから先、以布利集落を経て県道27号線に出て、あとはこの県道をまっすぐに進めばよい。道標に従い国道から分かれてへんろ道を行くと、以布利(いぶり)集落に入ってゆく。以布利は漁業の町であり、防波堤に囲まれた港にはたくさんの小さい漁船が停泊していた。集落の中の道を進んでゆくと県道27号線に合流し、そのあと新しい県道と古いへんろ道が交錯するようになる。このあたりは道標もしっかりしており、へんろ道も昔の面影がよく残されている。

以布利の古いへんろ道はやがて県道27号線に合流するが、このあたりから窪津までの間は特に海の景色が大変よい。私は今、四国の西の南端・足摺岬を歩いている。東のはるか遠くには、東の南端・室戸岬が見えてもよいはずだ。今日は快晴だが遠くはやや霞んでおり、はっきりしないが、右端にかすかに長い岬のシルエットが見えるようだ。地図でざっと見ると足摺岬と室戸岬の間は直線距離で約120Kmほどあるが、間に視界を遮るものは何もないはずなので、見えてもおかしくはないだろう。やがて県道27号線は窪津の集落に入ってゆく。窪津も漁業の町で、漁港には大きな集荷場や倉庫などの漁協の施設が並んでいる。

以布利へんろ道の様子
このあたりは「四国のみち」として道標がよく整備されている。ここには「以布利遍路橋」の石標が建っている

以布利(いぶり)漁港
以布利は漁業の町である。港内には小型の漁船がたくさん停泊していた

窪津から先は県道は高台の樹間を通ることが多くなり、海はあまり見えなくなる。昔のへんろ道の面影が残るところもあり、所々に小さな集落もある。今日は背中の荷物が軽いこともあって、へんろ道を速いペースで歩いてゆく。途中で金剛福寺の納経を終わって戻ってくるMさんに出会った。聞けば昨日は民宿久百々に宿泊し、今日も連泊する予定という。私も今日は同じ宿なので、それではまた宿でお会いしましょうということで別れた。久百々から来て、もう戻り道とはかなり速いペースだ。

県道27号線をタンタンと歩いてゆくと、やがて大きな駐車場の前に出た。燈台をかたどった「足摺岬」の標識が立っているが、ここからは海は見えず、ここが岬の先端という実感はない。ここに到着したのは10:40頃だった。駐車場の横が公園になっており、中浜万次郎の銅像が建っている。万次郎はこの足摺岬からほど近い中ノ浜に生まれ、船の遭難によりアメリカに渡ったあと帰国し、幕末、明治の日本で大いに活躍した。私はこの像を眺めながら少し休憩した。金剛福寺は道の向こう側すぐ近くにあるのだが、まずは岬の先端から海を眺めたいという気持が勝った。納経はひとまずあとにして、展望台に向かって歩きはじめた。

展望台での写真を撮ったあと、金剛福寺に向かう。足摺岬の先端にある第三十八番金剛福寺は、第三十七番岩本寺から約80Km離れており、札所間の距離としては最も長い。三日かけてようやくたどり着いたという感じだ。さらに次の第三十九番延光寺までは最短の打戻りコースで約53Km、海岸沿いに月山神社を経由するコースでは約73Kmもある。四国八十八ヵ所の札所の中では突出した位置にあるといえる。
金剛福寺本堂、大師堂とまわり、久しぶりに般若心経を読誦し納経する。読誦の声もつっかえずに、だいぶ力強くなってきたなと自分では思った。納経を終わり、公園に戻って時計を見ると11:30頃である。少し早いがここで昼食をとることにした。
昼食が終わった頃、Sさんが到着した。Sさんは今日は私よりも3Km遠い民宿久百々から歩いてきているので、私よりも到着がだいぶ遅くなった。挨拶もそこそこに二人で展望台まで行き、お互いに写真を撮りあった。再び公園に戻って、帰ったらまたいつかどこかでお会いしましょう、ということでお別れした。

少し歩いて足摺岬先端の展望台に立った。右手の断崖の上に白い燈台が立っている。ポスター写真などでよく見る風景だ。しかし、やはり現実に見る風景は雄大で感動する。ひとしきり写真をとったあと、ケータイで自宅にも写真メールを送った。
断崖絶壁を見ていると、自殺の名所というこの岬の忌まわしい歴史にも思いが及ばざるを得ない。昔、業病などをかかえて四国遍路を続け、最後の死に場所をこの地に求めた人も多かったという。さらに、補陀落渡海(ふだらくとかい)の僧がこの岬から死出の旅路についたという歴史にも思い至る。どうしてもこの岬には死のかげがつきまとうのだが、今日みたいにピーカンの空の下ではそのような気持ちも薄らぐ。眼をはるか沖合いに転じれば、海はどこまでも青く続いている。鯨でも見えないかと眼を凝らしてみたが、残念ながら見えなかった。

金剛福寺大師堂
大師堂の手前に池がある。境内全体が南国らしい明るい風景だ

第三十八番金剛福寺本堂
弘仁十三年(822)、嵯峨天皇の勅願により弘法大師により建立された。「補陀落(ふだらく)東門」、観音浄土への入口にあたる寺として開基されたという

へんろ道より津呂集落を望む
このあたりでは、集落の先に海を望むことができた

窪津の先のへんろ道
窪津から先は高台の林間を通る道が多くなる

公園に建つ中浜万次郎像
万次郎はこの足摺岬にほど近い中ノ浜の貧しい漁夫の次男として1827年に生まれた。14歳のとき出漁中に遭難したが、運よくアメリカの捕鯨船に救助された。その後、10年に及ぶアメリカ生活の後、日本に帰国した。黒船の来航2年前という時期も幸いして、幕府直参に取り立てられ、その知識経験を生かして、幕末、明治の日本で広範囲に活躍した

足摺岬の標識
県道を歩いてくると、駐車場横にいきなりこの標識が現れる

展望台よりはるかな水平線を望む
どこまでも続く青い海。はるかな水平線はわずかに丸みをおびていた

足摺岬展望台より燈台方面を望む
この景色も天候によっては感じ方もだいぶ異なるだろう。この日は穏やかな風景だった

帰りはほぼ同じ道を戻る。古いへんろ道の入口を見逃してそのまま県道27号線を行き、少々遠回りをしたところもあったようだ。民宿大岐マリンには16時少し前に到着した。ここで預けておいた荷物を受け取り、お接待のコーヒーをいただいて少し休んだあと再出発した。国道を歩いて民宿久百々に到着したのは16:40頃だった。今日は約37Kmと、これまでで最も長い距離を歩いたが、軽装でほぼ平坦な道だったせいか、それほど疲れは感じなかった。
この日の民宿久百々の同宿者は六人だった。みな歩き遍路の人たちで、これまで何度かお会いしているMさんも同宿である。18時からの夕食は、このMさんを中心に話題が展開した。
このときMさんは2000年に出版したという本を見せてくれた。Mさんは50歳台前半でそれまでの仕事をやめ、現在は仏画を中心とした絵を描いているようだ。「藻城」というのはその雅号らしい。京都の人で、時々個展なども開いているというから、その世界では知られている人なのだろう。今回は新しく描いた聖観音菩薩像(千手観音)の絵を民宿久百々に寄贈したといっていた。これまでの歩き遍路24回というMさんは、四国にたくさんあるお遍路宿の中でこの久百々の女将さんが一番もてなしの心があると推奨していた。そのようなこともあって、仏画の寄贈が続いているようだ。この絵は皆の集まる食事室に飾られている。

時々女将さんも話に加わりながら、皆さんの話が続いた。Mさんの隣に座った人は、今回歩き遍路5回目の人で、Mさんにお遍路の先達の資格の取り方についていろいろと聞いていた。もう一人の人は、やはり何度もお遍路しているが、年が明けて三月まで待てずに二月中に歩きはじめたら、さすがに寒かったという。女性の二人連れは、いとこ同士で毎年、3、4泊ずつで回っているという話をしていた。それぞれの人がそれぞれの思いで歩いているが、共通しているのは皆さん四国が好きだ、ということのように思われた。

窪津漁港の様子
漁港の集荷場や倉庫などが並んでいる大きな漁港だ

足摺岬・窪津付近より東を望む
はるか遠く、右手に続く山並みの最先端は室戸岬だろうか。足摺岬と室戸岬の間は直線距離で約120Kmほどあるが、見えてもおかしくはない

3月30日(水) 民宿久百々から県道21号線経由で三原村を通り、延光寺へ。 約31Km

 この日は6:40頃には民宿久百々を出発した。女性の二人組みが残っているだけで、他の人は既にみな出発したようだ。宿を出るとき、女将さんが、これから先はお店もないから、といっていろいろなものを持たせてくれた。あとで見てみると、大きなお結びが2個、バナナ1本、飴などの菓子類、それにヤクルトまでついている。こんなに心のこもったたくさんのものをもらって、この民宿の人気の理由がまた一つ分かった気がした。
今日の行程は、はじめの予定では一心庵(真念庵)まで戻って県道46号線を行くつもりだったのだが、女将さんによると、その手前で左に曲がって県道21号線を行ったほうがアップダウンが少なくて歩きやすいですよ、ということなので、そちらの道を行くことにしている。

民宿久百々付近の様子
民宿久百々は久百々川の橋を渡ってすぐの国道321号線脇にある。付近は久百々集落で、古いへんろ道が残っている

民宿久百々
名物女将ががんばっている。「若い、若いといわれていましたけど、私ももう60になりましたよ」と、ふっと言った

民宿久百々を出てから国道を10分くらい歩いたところで、輪袈裟をかけていないことに気がついた。実用的になくては困るというものではないが、お遍路中はやはりないと具合が悪い。走るようにして宿に戻ると女将さんが出てきて、すぐに見つけてくれた。私は部屋に忘れたのかと思っていたのだが、玄関の家具の上にあった。「早く気がついてよかったですね」という声をあとに、身ごしらえをしなおしてすぐに再出発した。これから先、少々あせってしまい、地図をよく見ないで国道をどんどんと進んでいったら、一心庵(真念庵)の前に出てしまった。これはいかんと、地図を確認して少し戻り、県道21号線の五味橋に着いたのは8:20頃だった。忘れ物や道の間違いなどで1時間近いロスである。
五味橋は新しい立派な橋である。橋の上からは、きれいな青い川が見える。下ノ加江川で、県道21号線はこの川の谷筋に沿って道がつけられている。

五味橋より下ノ加江川上流方向を望む
県道21号線はこの川沿いにつけられている

県道21号線五味橋
県道21号線は、このあたりは道も橋も新しく立派である

県道21号線はしばらくすると1車線の細い舗装道路になる。下ノ加江川の谷筋に沿ってつけられた道なので、アップダウンのない一本道である。車はほとんど通らないし、人の姿はまったく見えない。このような道をタンタンと歩いているうちに、そうだ、この際「般若心経」を暗記しようという殊勝な気持ちがおきた。ここなら前後左右に気を配ることなく、人の目も気にせず「般若心経」に集中して歩くことが出来る。
私は、今回のお遍路に出かける前にはじめて般若心経をよみ、その解説書もいくつか眼を通したが、当然のことながら深い理解は出来ていない。ここには解説書はないが、お教の本文は持っている。これを声を出して細かく区切ってよみながら、出来るだけ暗誦するようにつとめた。三原村の人家が見えるあたりまで続けたが、なかなか最後までたどり着けない。覚えても次から次に忘れてしまう。まあ、仕方ないさと自分でなぐさめながら何度も繰り返した。このときの練習の成果で、はじめから五行くらいは何とか暗誦することが出来るようになった。最後の「ぎゃーてー ぎゃーてー はーらーぎゃーてー・・・」は自然に口をついて出るようになった。

「ぎゃーてー ぎゃーてー・・・」と調子よく唱えているうちに、県道21号線は新しい橋を渡り、三原村芳井集落に入ってきた。このあたりからは道の状況も大変よくなり、人の生活圏に入ってきた感じだ。ここからは通常の歩き旅モードに頭を切り替えた。立派になった県道21号線をさらに6Kmほど進むと下長谷(しもながたに)の集落になる。

県道21号線の様子A
左の写真の場所から1時間くらい歩いたところ。ここまで車にはほとんど出会わない。猿が出てきてもおかしくない道だ

県道21号線の様子@
先ほどの橋から10分ぐらい歩いたところ。ほとんど車は通らないが、めずらしく前から軽トラックがやってきた

下長谷の集落を歩いてゆくと天満宮が見えた。お遍路さんが一人座って地元の人と何か熱心に話していた。私は立ち止まって会釈したが、話が続いているので写真を撮ってそのまま通り過ぎた。さらに県道を進んでゆくと三原村の中心部に入って行き、三原村役場の前を通った。ちょうど昼食どきなのだが、このあたりまで来るとよい場所が見当たらない。先ほどの天満宮の境内で食べてしまえばよかったと後悔したがもう遅い。適当な場所を探しながら歩いてゆくと、バスの待合所に「お遍路さんお休み処」と書いてある。ちょうどよいので、ここで昼食にした。12:30頃だった。ここで、今朝民宿久百々でいただいた包みを開いた。大きなおにぎりが二つ入っている。日常生活ではとても全部食べられないほどの大きさだが、ここまで十分に運動してきているので、ぺろりと平らげてしまった。さらに大きなバナナ1本とお菓子をちょっと食べて、最後にヤクルトを飲んだ。食べ終わって民宿の女将さんの心づかいにあらためて感謝した。

昼食も済み、元気に県道21号線を歩いてゆくと下のほうに屈折した大きな川が見えてきた。川べりは公園になっていて東屋なども見える。地図で確認すると「梅の木公園・三原村いこいの森」となっている。少し先で梅ノ木トンネルを通り抜けると川は人造湖の様相になるが、これは中筋川ダムである。中筋川に沿った県道をしばらく行くと、宿毛市平田町に入ってゆく。
県道21号線と分かれ平田の住宅地を行くと土佐くろしお鉄道の高架下をとおり、少し先で国道56号線に出る。この国道とは黒潮町の民宿水鏡荘付近で別れて以来、三日ぶりの再会である。この国道を少し行き、右に曲がれば今日の目的地、延光寺はもうすぐである。

平田町、土佐くろしお鉄道高架付近
近くにくろしお鉄道の平田駅があり、付近は住宅街になっている

梅の木公園・三原村いこいの森
中筋川ダムの上流部が広い川幅で蛇行しており、屈折部が公園になっている。東屋やベンチなども見えるが、県道からは少し離れている

国道から分かれ、道標にしたがって歩いてゆくと第三十九番延光寺に到着した。15時少し過ぎだった。お寺の少し手前に本日の宿屋があったが、そのまま荷物を担いでお寺の参拝を済ませてしまうことにした。延光寺は高知県最後の札所である。室戸岬の最御崎寺から始まり、ここまで高知県内を300Km以上歩いてきたのだ。境内には結構参拝の人が多かった。私はすぐに納経手順を始めたが、般若心経は午前中の努力の甲斐あって、ある程度意味も考えながら余裕を持って読誦することが出来た。最後に納経帳に御朱印をもらい、すぐ近くの民宿嶋屋にチェックインしたのは15:30頃だった。

延光寺は高知県最後の札所である。私の当初の計画では、高知県編として今回のお遍路はここまでにして、次の日くろしお鉄道の宿毛駅に出て、宿毛から高知回りで帰宅しようと思っていた。しかし、その後いろいろ考えているうちに、宇和島からは夜行高速バスの便があるということに気がついた。というわけで、今回のお遍路では愛媛県の第四十番観自在寺まで廻り、宇和島に出ることにした。
この日記も、「高知県編」ということだが、実際の行程に合わせて愛媛県の観自在寺を廻り、宇和島までを含めることにした。

延光寺大師堂
本堂も大師堂も結構参拝者が多かった

第三十九番延光寺本堂
第三十九番札所延光寺は高知県最後の札所である。室戸岬の最御崎寺から高知県内を300Km以上歩いて来た

三原バス停留所(お遍路さんお休み処)
三原村役場から少し行ったところのバス停にベンチがあり「お遍路さんお休み処」とあったので、ここで昼食にした

下長谷の天満宮
ここにはトイレもあり一休みするのによい。お遍路さんが一人地元の人と何か熱心に話をしていた

月31日(水) 延光寺から松尾峠を経て観自在寺へ。ドライブイン・ビーチ泊 約34Km

 この日はいつもより早く、6:20頃には民宿を出発した。今日の行程は、松尾峠を越えて愛媛県に入り、第四十番の観自在寺を経て愛南町菊川の民宿まで約34Kmと結構長い。民宿のご主人に民宿からのへんろ道を教えてもらい、少しアップダウンのある道をしばらく行くと国道56号線に出た。国道をまっすぐに1時間ほど進むと新宿毛大橋(しんすくもおおはし)に出た。私はそのまま国道を進み、国道脇のローソンに立寄った。ここで明日の宇和島から大阪までの夜行バスのチケットを購入するためである。コンビニでバスの予約とチケット購入が出来るというのは便利なことだ。これで帰りの足は確保できて一安心。

国道の新宿毛大橋より市街地方面を望む
へんろ道は市街地の中を屈折しているが、私は国道をそのまままっすぐに進んだ

民宿嶋屋
延光寺のすぐ近くの参道脇にある。設備、サービス、価格など標準的な民宿

松尾峠に向かうへんろ道は、ローソンの横を左に曲がる。地図と道標をたよりに進んでゆくとだんだんと登り坂になり、視界が開けると宿毛市街や宿毛湾の様子が望める。やがてハイキングコースのような道になり、まわりを眺めながらのんびりと歩いてゆく。

やがて道は本格的な峠道になるが、この道は「四国のみち(四国自然歩道)」となっており、道標や説明板がよく整備されている。松尾峠は愛媛県と高知県の県境にある標高300mの峠で、かつては伊予と土佐を結ぶ街道(宿毛街道)が通っていた。現在でも昔の石畳のあとが所々に残るなどよく保存されている。昔は、峠から望んだ宿毛湾の絶景などが歌に詠まれたというが、現在は頂上付近で樹木の間からちらりと宿毛湾が見える程度である。

10:10頃、松尾峠の頂上に到着した。頂上付近にかつて大師堂があり、街道を歩く人は必ず参拝して通ったという。現在、その場所に新しい小さなお堂が建てられている。頂上には休憩設備があり、一息入れることが出来る。現在、ここが高知県と愛媛県の県境となっており、江戸時代は伊予宇和島藩と土佐藩の藩境となっていた。頂上近くに「従是西伊豫宇和島藩」の古い石標が建っている。

松尾峠に通じるへんろ道
ここまでも、これから先もそれほどきつい登り坂はない。ハイキング気分で歩ける道である

へんろ道より宿毛市街地を望む
宿毛市街はほとんど素通りしたが、こう見るとかなり大きな町であることがわかる

旧宿毛街道より宿毛湾を望む
昔は眼下に広がる宿毛湾の絶景を詠んだ歌もあったが、現在は樹木が多くなかなか海を望めない。頂上近くの樹木の間からかろうじて望むことが出来た

旧宿毛街道
かつては伊予と土佐を結ぶ街道だったが、昭和に入り宿毛トンネルが開通することにより通る人はほとんどなくなった
所々に当時の石畳が残っている

松尾峠頂上の様子
頂上には休憩設備や説明板などが立っている。現在は高知県と愛媛県の県境、江戸時代には伊豫宇和島藩と土佐藩の藩境となっていた
かつては坂を下ったところに両藩の番所があったという。右写真は「従是西伊豫宇和島藩」の石標

大師堂跡
ここにあった大師堂には弘法大師が祭られ、昭和初期までは建物も残っていたという。現在は新しいお堂が建っている
が開いていない

頂上で一息入れ、写真を撮ってすぐに出発する。ハイキングコースの山道をしばらく歩くと舗装道路になる。やがて一本松の集落になるが、途中に休憩所があり少し休憩した。やがて道は県道299号線に合流し、以後はこの県道を観自在寺付近まで歩くことになる。県道をタンタンと歩いてゆくと、道の脇に「上大道(うわおおどう)休憩所」が見えた。時計を見ると12:30頃、ちょうどよいのでここで昼食をとることにした。
食事をしていると、男性のお遍路さんが一人到着した。この人とは昨日延光寺の手前で出会って少し話をしている。東京のIさんで、勤めの合間をぬって四国を歩き回るのが趣味で、もう何度も回っているという。この人もここで食事をし、食事後も観自在寺付近まで一緒に歩いた。大変好奇心の強い人で、四国遍路について調査、経験したいろいろな話をしてくれた。
この休憩所には、お遍路さんが自由に記入できる大判のノートが三冊ほど置いてあった。食事のすんだあと、Iさんはこのノートに目を通しはじめた。聞いてみると、このノートに定期的に記入している「ガモン(原文漢字)」さんという人の記事をメモしている。Iさんはこの人を知っているという。いわゆる職業遍路の人で、ここに立寄るたびに何かしら記入してゆくようだ。この記事をたどってゆけば、彼らがどのくらいの周期で四国を回っているか、どのような生活をしているかをうかがい知ることが出来ますよ、と言っていた。中には仲間に対する伝言のような内容もあり、仲間と思われる「グアン」さんの記入もある。Iさんが「これは第一級の資料だ」といいながら熱心にメモしている姿が印象に残っている。
Iさんは、歩きながら職業遍路についてこれまでに調べたことを話してくれた。お遍路文化の残る四国の中で、彼らがどのように生活しているのかということである。あの土地のあそこへ行けば喜捨がもらえるということを経験から知っており、自然に自分のテリトリーが出来てくるという。「冬の間は大阪で福祉。それ以外の季節は四国遍路」と言い切っている人もいるという。そのほかにもいろいろと興味のある話をしてくれたが、とにかく新鮮な驚きがあった。

県道299号線脇の上大道休憩所
ここには立派なトイレもある。ノートが何冊かあり、たくさんの記入があった

一本松休憩所
四国のみちの休憩設備と道標が立っている。松尾峠4.5Km、観自在寺11.7Kmとある

上大道の休憩所を出て県道を進んでゆくと、満倉小学校がある。Iさんは早速近くにいた小学生をつかまえて、「全校生徒は何人いるの」と聞いている。はっきりした数字は忘れたが、全校で一桁の人数である。大きな県道が通っており、それほど小さな集落ではないが、そのくらいの人数しかいないことに私は驚いた。「子供の数でその地域の勢いが分かりますよ。四国は全体に勢いがないですね。」と、Iさんは言っていた。とにかくこの人は好奇心旺盛で、行動力のある人だ。
しばらくのあいだ県道をいろいろと話しながら歩いたが、しだいに商店も多くなり、Iさんは買い物があるということで途中で別れた。地図で見ると観自在寺まではそれほど遠くないのだが、道標もなく大変分かりにくい。途中で道を尋ねてようやく観自在寺に着いたのは14:30ころだった。第四十番観自在寺は愛媛県で最初の札所である。

観自在寺の納経をすませ、商店の続く道を少し行くと国道56号線に出る。あとはこの国道を約9Kmほど歩いて今日の宿、ドライブイン・ビーチを目指す。国道は、はじめのうち海寄りの平坦な道だが、そのうち海から遠ざかり長い峠道になる。一日の最後の行程としては結構きつくなってくる。八百坂峠というバス停があり、ここで少し休憩した。15:50頃だった。そこからさらに40分くらい歩いて本日の宿、ドライブイン・ビーチに到着したのは16:30頃だった。宿に着く少し前から雨が降り始め、そろそろ雨具をつけなければいけないなと思っているところで宿に着いた。この宿は国道のすぐ脇で、一階は海鮮料理などの食堂になっており、宿泊の部屋は階下にある。

観自在寺本堂
本堂は比較的新しいが、昭和三十四年に焼失し、同三十九年に復旧したという

第四十番観自在寺山門
町の中のお寺で分かりにくく、人に尋ねてようやく見つけ出した。愛媛県最初の札所である

一階の食堂でコーヒーのお接待をいただき、しばらく休んだあと階下の部屋に入った。階下といっても海側が開けており、海の景色がよく見える。風呂に入ってから荷物の整理などをしていると、廊下で女将さんとお客の声が聞こえる。どうも聞いたことのある声だと思っていたが、食事のときに顔をあわせると、やはり徳島路で何度か出会っているイギリス人のEさんである。お互いに顔を見知っているので、「やあ、どうも」と挨拶した。前にも記したが、この方は現在和歌山県に住んでおり、まったく普通に日本語会話が出来る。話を聞いてみると、「高知県内はほとんど野宿してきた。雨の日の野宿はつらかった。自分にとってはワンチャンスなので今回、八十八ヵ所を+一気に回ってしまいたい。」というようなことを話してくれた。明るくて気さくな人だ。
夕食に緋扇貝(ひおぎがい)の料理がでた。このあたりの名物で、この民宿で養殖などもやっているのだという。大変おいしく、食べたあとの貝殻もとてもきれいだったのでもらってきた。このほかにも海の幸がいろいろと出て、久しぶりに飲んだビールもうまかった。今回の四国遍路の旅も、いよいよ明日一日を残すのみになった。

ドライブイン・ビーチ付近の様子
国道脇で海のよく見えるところに建っている。ドライブの人もよく利用するようだ(白い建物のうしろ)

国道56号線八百坂峠バス停付近
このあたりが峠の頂上になるのだろう
それほどきつい坂ではないが、ここまで長い登り坂が続く

夕食に出た緋扇貝の貝殻
貝殻がきれいだったので、食べたあともらってきた。これはピンク色だが黄色のものもあるようだ。一番幅の広いところで10cmくらい

民宿ビーチの部屋から見る海の風景
天気がよければ正面に夕日が沈むのが見えますよ、ということだが残念ながらこの日は見えなかった

4月1日(木) 民宿ビーチから柏坂へんろ道を経て津島へ。津島から宇和島へ出、宇和島より夜行バスにて帰宅の途につく。  約33Km

 いよいよ今日は春の四国遍路、最後の日である。民宿ビーチを7:10頃出発した。Eさんは既に出発したようで姿は見えなかった。今日は朝から小雨が降っている。国道を歩きながら民宿ビーチのことを考えた。民宿、食堂は年寄り夫婦で経営し、漁、貝の養殖などを息子さんがやっているようで、夕食にも朝食にもいろいろな海産物が出た。歩き遍路さんへのお接待価格で1泊2食付で6000円というのも大満足だ。雨の国道を気分よく歩く。国道はゆるい下り坂になっており、途中、海の景色がよい。

国道から内海方面を望む
海沿いに内海集落が続いている。へんろ道は海岸沿いの道ではなく、右手の内陸部を進んでゆく

民宿ビーチ付近の国道56号線
少し歩いたところから民宿ビーチを振り返ったところ。道はゆるい下り坂で海辺の町におりてゆく

国道56号線をどんどん下って行くと、漁港が見えてきた。ここに係留されている船は、普通の漁船とは違うようだ。緋扇貝などの養殖作業用に使う船かもしれない。あるいはレジャー用の釣船もあるかもしれない。そこから少し行ったところに「四国の道」の道標があり、柏坂休憩地2.5Kmとある。へんろ道はこの道標にしたがって右に曲がる。

国道脇に立つ「四国の道」の道標
へんろ道はこの道標にしたがって右に曲がる。柏坂休憩地2.5Kmとある

内海漁港の様子
ここに停泊している漁船は貝の養殖作業に使う船だろうか、普通の漁船とはちがう

川沿いにしばらく行くと道は山道になる。はじめのうち緩やかだった坂道もそのうちきつくなり、雨具をつけているので汗びっしょりになった。しばらく登ってゆくと柏坂休憩所があり、そこでEさんが休んでいた。Eさんの背中の荷物は私の倍ほどもあるかと思われる大きくて重そうなものである。さすがに雨具をつけてこの荷物を担ぐのはきついようで、雨具と上着を脱いで汗をふいていた。私もここでしばらく休憩した。地図で見るとこのあたりの標高は400mある。

柏坂休憩所
ここでEさんに追いついた。近くにトイレもあり、休憩にはちょうどよい設備だ。近くに「柳水」の説明板が立っている

柏坂のへんろ道
このあたりは緩やかだが、そのうち結構きつい登り坂になってくる

休憩所でしばらく休んでいるうちに汗も乾いてきた。Eさんも出発準備が出来たようなので、山道をご一緒することにした。これから先はほぼ平坦な気持ちのよい林間の道となる。しばらくすると道が二手に分かれ道標が出ているのだが、どうも道標の行先表示が要領を得ない。地図で確認したがこのような分かれ道はない。私が道標の前でしばらく考えていると、Eさんは「こっちでしょう」と、さっさと歩き始めたので私もすぐにあとを追った。しばらくすると先ほど別れた道が合流してきた。どうやら清水大師に立寄る道だったようだ。清水大師に立寄るほうが本来のへんろ道なのだろうが、「四国の道」は清水大師に立寄らずにまっすぐに進んでゆくのだ。しばらく歩いてゆくと、途中、見晴らしのよい場所に出た。天気がよくないので、あまりはっきりとは見えないが島や細い岬などが連なっている。あのあたりは足摺宇和海国立公園の一部なのだろう。

山のへんろ道より宇和海方面を望む
天気がよければもっとすばらしいのだろうが、「足摺宇和海国立公園」の一部を望むことが出来た

清水大師への分岐点
清水大師に立寄る細い道が左に分かれてゆく。こちらが本来のへんろ道なのだろうが、「四国の道」は清水大師に立寄らずにまっすぐに進んでゆく

山のへんろ道はやがて茶堂休憩所についた。10時頃だった。ここはちょっと足を止めた程度で、あとはどんどん下ってゆく。雨はもうやんでいるので楽である。30分くらい下ると集落があり、舗装された一般道になる。平坦な道になると私の歩くペースが速くなるので、このあたりでEさんとお別れすることにした。Eさんは今日はこれから少し先の津島町でゆっくり休むといっていた。ちょうど四国めぐりの半分くらいで、骨休めをするにはちょうどよいところである。歩きながら話をしてきたが、かなり周到な計画と準備がなされていることを感じた。「重い荷物を背負って野宿が主体の旅にしてはペースが速いですね」といったら、「いやー標準ですよ」と軽く受けた。

Eさんとのお別れ
山を下りて一般道になったところでE(エリオット)さんとお別れした。背の高いさわやかな人だった

茶堂休憩所
雨はもうやんでおり、それほど疲れてもいないのでちょっと写真を撮っただけで通り過ぎた

へんろ道はやがて国道56号線と交差し、しばらく国道とつかず離れずで進んだあと国道に合流する。左手に芳原川を見ながら国道を進んでゆくと津島町に入ってゆく。津島大橋の手前で国道と分かれ岩松川の左岸を歩く。川沿いに歩いてゆくと、川を眺めながら休憩できるところがあったのでここで昼食にした。12:30頃だった。津島町は古い趣のある町で、お遍路さん用の旅館やビジネスホテルなどもたくさんある。Eさんはおそらくこれらのどこかに泊まって十分に骨休めをして、明日からの後半の行程にのぞむつもりなのだろう。

岩松橋より津島町中心部方向を望む
津島町は岩松川に沿って長く続いている。左岸に古いへんろ道、右岸に国道56号線が走っている

芳原川沿いの国道56号線を行く
前方に津島町の町並みが見えてくる

津島町を出て国道56号線を30分くらい歩くと松尾トンネルの入口に着いた。へんろ道はここから峠道になるのだが、トンネルを歩けばまったくアップダウンなしに楽に峠を越えることが出来る。どちらを行くかしばらく考えたのだが、宇和島までまだ結構距離があるし天気もあまりよくないので、ここは楽な道を行こうという気持ちが勝った。松尾トンネルは約1700mあり、抜けるのに20分くらいかかった。あとは宇和島に向かって国道56号線をひたすら歩く。宇和島市街地に入ってからは道が入り組んで分かりにくくなるので、所々で道を尋ね、とにかくJRの宇和島駅を目指した。ようやくのことでJR宇和島駅に到着したのは16時頃だった。とりあえず駅のコインロッカーに荷物を預け、待合室でゆっくりとこれからあとの予定を考えた。バスの発車時間は22時なので、それまでどのように時間を使うかだ。十分に休んでから、まずバスセンターを確認することにした。JR駅前にバス乗場があると思っていたのだが、かなり離れたバスセンターまで行かなければならないのだ。

松尾トンネル入口
左に見える道が古いへんろ道。峠まで1.7Km,標高差180mの緩やかな道だという。トンネルは長さ1710mで峠を通り抜ける。私はトンネルを通った

JR宇和島駅前付近の様子
駅舎の上にホテルクレメント宇和島が建っている。駅前大通り沿いは繁華な商店街になっている

バスセンターの場所を確認したあと、裏手が宇和島城址公園になっているので足をのばした。この頃から雨が降ったりやんだりしはじめたので、適当に切り上げてバスセンターに戻った。ここでバスの時間を再確認すると、なんと18時発の東京行きのバスがあるではないか。東京行きは運行日が限られているが、この日(4月1日)はちょうど運行日だったのだ。これに気がついたのは18時少し前で、私の荷物はJR宇和島駅に預けてあるのでもう間に合わない。残念ながら、当初予定通り22時まで時間をつぶさなければならない。
宇和島駅近くの食堂に入り、お酒を注文して斜め前の席を見ると、なんとMさんがいるではないか。連れの人と話しをしていたが私に気がつき、お互いに会釈した。Mさんの宇和島での定宿は駅前のターミナルホテルだが、食事がないのでいつもここで飲んだり食べたりするのだという。
午前中にお別れしたEさん、今ここで再会したMさん、足摺岬でお別れしたSさん、Sさんは足摺岬から別コースで1日分増えたが、私も含めてみなほぼ同じ日程でここまでやってきた。Eさんの言うように、これが「標準」の日程なのかもしれない。Mさんが「お先に」と席を立ったあと、私は一人でお酒を飲みながら、四国で出会った人たちのことをほろ酔い気分のなかで思い返していた。


春の四国遍路日記はここで終了です。この日記の作成にかかりきりになっていたため、秋の四国遍路の計画がまだ出来ていないので、これから計画作成、準備などにかかろうと思っています。秋のお遍路が無事終了したら、この日記も書き続けるつもりです。そのときまで、ひとまず、さようなら。ありがとうございました。

                2010年7月31日    尺取虫 記

国道56号線から海を望む
右手の白い建物はドライブインみちしおだろう。大きく見える岬の向こう側が安和の町だ

国道56号線の様子
安和(あわ)の町に入る手前の国道56号線の様子。この付近から右写真のような海を望むことが出来る