納経手順がすべて終わってから、本日宿泊する民宿を探した。今日は本格的歩き遍路の前準備の日として近くの民宿を予約してある。何しろまったく様子が分からないので、今日一日はのんびりと休み、情報の収集などを行いたいと思っていたのだ。霊山寺近くの民宿・阿波には9:40頃着いた。早すぎるので、とりあえず荷物を預け、宿の女将さんと少し話をした。付近の見所なども聞いたが、結局明日予定している二番・極楽寺と三番・金泉寺を今日のうちに回ってしまうことにした。
納経帳や納め札など遍路用品一式などを大き目のウェストバッグに入れ、白衣を着て笠をかぶり金剛杖を持ったお遍路さん姿で10時頃民宿を出た。二番の極楽寺は一番の霊山寺から1.4Kmと大変近い。交通量の多い県道に並行して車のほとんど通らない旧道が残っているのでこちらの道を行く。

第二番・極楽寺
 第二番・極楽寺は山門を入ると石段があり、上りきったところに本堂がある。本堂の前には多くの人が読経の最中だった。まず、ローソク立てに点火したローソクを立て、線香に火をつけて供える。人が少なくなるのを待って私も般若心経を読み始めた。つぶやくような声で、つっかえつっかえの読経である。それが終わると納め札を備え付けの箱の中に入れる。納め札にはあらかじめ参拝日や住所、氏名などを記入しておきこの箱に納める。今は紙の札だが昔は木の札で、これを本堂の壁などに打ちつけた。このことから、今でも巡礼地を回ることを「札を打つ」という言い方をする。
四国八十八ヶ所の札所には、本堂の近くに必ず大師堂がある。この大師堂でも本堂と同じ所作をくりかえす。これらが終わると境内にある納経所に行き、納経帳に御朱印と墨書をもらう(1回300円)。これで一連の納経手順が終わりである。通常、全部で大体20分くらいかかるが、団体客などで納経所が混んでいると御朱印をもらうのに時間がかかることがあるから注意が必要だ。

第二番から第三番・金泉寺(こんせんじ)へ
極楽寺から第三番の金泉寺までも2.6Kmと短い距離である。二番までと同じような旧道が残っているので、この道を進む。歩きはじめてからしばらくして、うしろから「お遍路さん」と呼ばれたような気がした。他には誰もいないので、私のことかなと思って振り向くと、中年の女性が手招きしている。近づくと「お接待を受けてください」といって、缶のお茶と手作りのお賽銭袋を手渡された。四国には「お接待」という風習があるということは知っていたが、こんな形でいきなり出会ったのでこちらもびっくりしてしまった。ありがたくいただいて、作法どおりに納め札を渡そうとすると、「それはお大師様にさしあげてください」と受け取ろうとしなかった。私は丁重にお礼を言って歩き始めたが、何かとてもうれしい、さわやかな気持ちになった。このお賽銭袋は、後々まで立派に役目を果たしてくれ、見るたびにそのときのことを思い出させてくれる。

初めて受けたお接待の余韻にひたりながら歩いてゆくと、やがて第三番金泉寺(こんせんじ)についた。このお寺ではたまたま人が少なく、ゆっくりと時間をかけて納経手順をすませた。次の第四番大日寺までは約5Kmあるので、今日の遍路はここまでとし、宿に戻ることにする。

宿でのお遍路仲間との出会い
 途中の食堂で昼食をすませ、宿に戻ったのは14時頃だった。二階の部屋に案内され、荷物の整理などを始める。女将さんの話では今日の同宿者は3人だという。18時頃から夕食が始まり、このときにこの3人が顔をあわせた。話しているうちにすっかり意気投合してしまった。
Sさんは埼玉の人で、今回初めてのお遍路だが、一番から八十八番まで一気に回ってしまう「通し打ち」をするという。最後の高野山まで含めて全部で50日くらいを見込んでいるという。今日は飛行機で徳島空港まで飛び、午前中に宿に着いた。Kさんは明石の人で、前にバスで六番までまわったことがあるが、このたび一念発起して、はじめから全部歩くことにしたという。今回は徳島県内だけを回る「区切り打ち」の予定という。明石からバスと電車で午後、ここに着いた。このお二人とは同期の遍路仲間ということで、このあともついたり離れたりしながら、三人で同行することが多かった。


3月9日(火)  第一番霊山寺から第七番十楽寺まで   約17.5Km

 今日から本格的な歩き遍路の始まりだ。出発前に宿の前で記念写真を撮ってもらい、7:30に出発した。今日はあいにく朝から雨が降り寒い。第一番霊山寺までは三人同行したが、私とKさんは既に納経を済ませているので納経手順は省略し、Sさんと別れて二番に進む。二番、三番も同じように納経手順は省略しながら先を続ける。Kさんも前回のバス巡拝で六番までは納経がすんでいるのだ。
第三番金泉寺から第四番大日寺までは5Kmある。遍路道の道標にしたがって歩いてゆくとやがて道は畑や田圃の脇を廻る細い道になる。途中に愛染院という番外霊場があり、細い道をさらに進んでゆくと広い県道に出た。これを右に曲がって坂を上ってゆけば第四番大日寺、左に曲がって坂を下ってゆけば第五番地蔵寺に出る。ここは右に曲がり坂を上って大日寺に向かう。雨の降りしきる中、ようやく大日寺に着いた。納経を済ませ、同じ道を戻って第五番地蔵寺に向かう。冷たい雨が降り続いている。上半身はザックまで覆うポンチョを着ているのでぬれることはないが、靴の中とズボンはびしょぬれだ。
第五番地蔵寺には11:30頃着いた。本堂でよく通る声で熱心に読経する人がいたので近づいてみると、外国人である。般若心経を空で唱えている。この方はイギリス人のEさんで、その後も何度か一緒になり、話を聞く機会もあったが、これが最初の出会いだった。
地蔵寺を出て歩き始めたが、とうとう季節外れのみぞれになった。寒いわけだ。ちょうど昼食の時間なのだが、この天気では外で食事のできる場所はなさそうだ。私たちは適当な食堂を見つけようと県道に出てみた。ちょうどよい具合に少し戻ったところに適当な店があったので入ることにした。店の中は暖かく、本当に生き返った気がした。そのうちに別のお遍路さんも何人か見え、情報交換なども出来た。結局この店には1時間近くも居続けてしまったが、お勘定のときに歩きのお遍路さんは100円引きですといわれ、またまた恐縮してしまった。

四国歩き遍路日記

2010年3月7日(日)  東京から夜行バスで徳島へ

 渋谷発21:45の夜行バスで徳島に向かう。バスに乗ってしまえば約8時間で寝ている間に徳島まで運んでくれる。料金は品川バスセンターから1万円、渋谷からだと9900円である。徳島には朝早く着くので、その日一日をフルに使えるメリットがある。


3月8日(月)  お遍路の前準備、足ならし。第一番霊山寺から第三番金泉寺まで

 朝6時前に徳島駅前に着いた。外はまだ暗い。とりあえずJR徳島駅の待合室に荷物を置き電車の発車時刻などを調べる。第一番札所の霊山寺へはここから電車で坂東駅まで行く必要がある。あまり早く目的地に着いてもしょうがないので、少し徳島駅の周辺で時間をつぶそうと思って駅ビルの中や駅の外を少し歩いてみたが、店はまだどこも開いていない。仕方ないので待合室でしばらく時間をつぶす。
7:05発の電車で板東駅に7:40に着いた。お遍路姿をした人が何人か降りた。私は第一番の霊山寺でお遍路用品を買い揃える予定なので、まず第一番札所に向かって歩き出す。今にも降り出しそうな寒い朝だ。

第一番・霊山寺
(りょうぜんじ)
第一番霊山寺は、駅から歩いて10分くらいの交通量の多い県道のすぐ脇にあった。四国八十八ヵ所の一番はじめの山門に一礼して境内に入った。境内にはまだ朝早いのに結構参拝者が多い。
境内には巡礼用品を販売する売店がある。まったく初めての人のためにある程度人数がそろうと、寺の人が巡拝の仕方などについても説明してくれる。私はここで必要な用品をすべてそろえたが、合計で約1万円ちょっとかかった。
とりあえず、買ったばかりの白衣を着、笠をかぶって教えてもらったとおりに納経手順を行った。何かまだしっくりこない感じである。

外に出るとまだ冷たい雨が降り続けている。しかし、暖かい店の中に長い間いたので、びしょぬれだったズボンもだいぶ乾いてきた。登山用のものなので乾くのも早い。二人とも見違えるように元気になって歩きはじめる。しかし、歩いているうちに風まで強くなってきて、またまたズボンがびしょぬれになってしまった。最悪の状態だ。これから先、第六番の安楽寺までは約6Kmくらいある。
安楽寺には14:30頃到着した。納経をすませ、Kさんとはここで別れる。Kさんはこのお寺の宿坊に宿を取ってあり、私は次の第七番十楽寺の宿坊に宿を取ってある。
第六番から七番十楽寺までは1.2Kmと近い。15時頃に到着したが、この頃になってようやく雨は小降りになり、やがてやんでしまった。この日の天気は全国的に荒れ模様で、四国では山地を通る四国縦断自動車道などは降雪のためすべて通行止めになったということを夜のニュースで知った。
十楽寺の宿坊は3年前に建替えられたというが、普通のホテルとまったく変わらない。納経所がホテルのフロントを兼ねており、宿泊する人はここからホテルの部屋に案内される。2食付で7700円と、他の民宿や宿坊に比べるとやや高いが、設備が新しいので気持ちがよい。

月10日(水)  第七番十楽寺から第十一番藤井寺まで  約20Km

 6:30から本堂でお勤めがあるというので参加した。宿坊から本堂へは渡り廊下でつながっている。団体さんなどもいたようで全部で14,5人集まった。住職さんの読経にあわせて皆で般若心経などを読む。広い本堂は寒い。最後にちょっとしたお話があって、20分くらいで終了した。そのまま食堂へ行って朝食をとる。
荷物を整え、7:30頃宿坊を出た。朝早いのに本堂の前には参拝の人たちの姿がちらほら見える。昨日は雨の中で写真が撮れなかったので、周囲の写真を撮ってから十楽寺をあとにする。

十楽寺から第八番熊谷寺(くまだにじ)までは約4Kmである。ポイントには道標が出ているので、それにしたがってタンタンと歩く。今日は昨日とはうって変わってよい天気である。ただ、少し風が強い。徳島自動車道路の下をくぐると少し先に大きな仁王門がある。参道の道はだんだん登り坂になり、やがて左手に多宝塔が見える。そこからさらに長い石段を上って本堂に着いたのは9時頃だった。途中で昨日見かけたイギリス人のEさんに出会ったので、おはようございますと挨拶すると笑顔で挨拶を返してくれた。

熊谷寺を出て同じ道を戻り、途中で分かれて第九番の法輪寺に向かう。どんどん坂を下って行き、やがて広々とした田園地帯に出た。遠くに山が見えるが、その頂は昨日の時ならぬ雪のためみな白くなっている。晴れて青空が見えるが風が強く、雲の動きが早い。
法輪寺に近づいた路上で立派な数珠が落ちているのを見つけた。おそらくお遍路さんが落としたものだろう。とりあえず拾ってお寺まで持ってゆくと、本堂の前でしきりにさんや袋やポケットの中を探している人を見つけた。おそらくこの人が落としたのだろうと思って声をかけると、「あ、すみません」と照れくさそうな顔で受け取った。お互いにすぐに見つかってよかった。

第十番切幡寺
第十番の切幡寺は切幡山の中腹にあり、麓には飲食店や民宿などが建ち並んでいる。通りを歩いてゆくと「荷物をお預かりします」と声をかけられた。見ると店の中に休憩スペースがあり、何人かの人が休んでいる。お寺までの道は一本で、またこの場所に戻ってくるというのでザックを預かってもらうことにした。
山門をくぐり、しばらく樹木の茂る山道を進むと長い石段が見えてくる。登りはじめの所に、「是より三三三段」という石標が立っていた。はじのうちは比較的緩やかな段差で、適当に踊場があり楽なのだが、そのうち急勾配で踊場のないきびしい石段になる。途中何度も休みながらやっとのことで登りきった。山の麓で荷物を預かってもらったのは本当にありがたかった。ベンチに腰をかけて、ほっと一息ついてから納経を始めた。

納経をすませ、先ほど荷物を預けた店まで戻ると突然雨が降り出した。雨が降るような様子は見えなかったのだが、雲の動きが早く、通り雨かもしれない。気温が低いから高い山では雪が降っているかもしれないと思いながら、しばらく店の中で休ませてもらった。この店は掛軸などの表装を行う店で、店の中では作業をしている人の姿も見える。休んでいると、おいしいお茶とお菓子のお接待までしてもらった。ありがたいことだ。しばらく休んでいたが、雨がやまないので雨具をつけて出発する。歩いているうちに雨もやんだので雨具をはずす。風がかなり強いので笠が飛ばされないようあご紐を締めなおす。
やがて吉野川の河畔に出た。まず支流の細い流れを潜水橋でわたり、広い中州を横切って本流の大きな流れをこれも潜水橋で渡る。四国の川は短い川が多く、大水が出やすいので潜水橋が多いというが、このあたりの橋もみな潜水橋である。大水が出ても水にもぐってしまい、橋が流されにくい構造になっている。
橋を渡りきり堤防の上に出ると遍路用の休憩所があった。時計を見ると13時近い。普通なら川を見ながら河川敷で昼食にするのだが、風が強いし寒いので適当な場所がなかった。ここならば風もないし、暖かいのでこの場所を借りて昼食にした。

第十一番藤井寺
昼食もすみ元気に歩きはじめる。このあたりガイドブックの地図はわかりにくいのだが、主なポイントには親切な道標があり、これを見失わないようにすれば間違えずに歩くことが出来る。電柱やポールに統一されたデザインの赤い矢印が貼ってあるだけの簡単なものが多いのだが、本当に助かる。ありがたいことだ。
矢印に導かれて第十一番藤井寺に着いたのは14時頃だった。納経をすませ、お寺から少し離れた旅館吉野屋に着いたのは15時頃だった。少し早く着いたので洗濯し、18時の夕食まで部屋でゆっくり休んだ。

3月11日(木) 藤井寺から第十二番焼山寺へ。きびしい山道が続く 約13Km

 宿を7:05に出発した。今日の行程はきびしい山道だということを知っているので、同宿者はみな早立ちしたようで、私が最後の出発者になった。焼山寺への登り口は藤井寺の山門の脇から始まるので、まずは藤井寺に立ち寄り、今日の旅の無事を祈ってからスタートする。
山道を10分ほど歩くと、最初のきびしい登り道になる。ここには「へんろころがし1/6」という表示板が立っている。1/6というのは、この先に「へんろころがし」というきびしい場所が6ヶ所あって、ここがその第一番目ということを示しているらしい。この坂を上りきると、眼下の景色を一望に望める場所に出た。もうずいぶん登ってきた。

山道を歩き始めて約1時間ほどで長戸庵(ちょうどあん)というところに着いた。たしかに休むのに「ちょうどあんばいよきところ」に建っている。既に到着した人たちが何人か休憩している。私もザックを下ろしてしばらく休憩した。長戸庵を出てからもしばらく登り道が続き、道には前日降った雪が見られるようになる。

道は次第に下り坂となり、下りきったところに柳水庵というお堂がある。弘法大師がこの地で休息された際、付近に水がないので、柳の枝で加持されると清水が湧き出してきたので、この場所に一宇を建立し尊像を刻んで安置したという。
ここで、また例の外国人Eさんに出会い少し話を交わした。日本語は堪能で、普通に会話が出来る。話によると、イギリス出身だが、奥さんは日本人で現在は和歌山県に住んでいるという。かなり重そうな荷物なので、聞いてみると野宿用のテント、寝袋などを一式持ち歩いているという。足が痛いといっていた。ここは私のほうが先に出発した。

道はまた登りになる。4番目の「へんろころがし」にさしかかると、あたりは真っ白になってきた。このあたりの標高は700mを越えている。足を滑らせないように登ってゆくと、石段が現れた。この石段を登りきると大きな杉の木があり、横に弘法大師の大きな像と小さな祠がある。私がこの場所に着いたとき、あたりに人はおらず、巨樹の前にたたずむ弘法大師の姿は厳かに見えた。すぐ近くに浄蓮庵というお堂がある。

浄蓮庵から先は、どんどん下ってゆく。40分くらい下ると小さな沢を渡る。これから焼山寺までは、またきびしい登りが続く。ここまでに何度も山道を登ったり下ったりしているので、最後のこの登りはかなりきつく感じる。今までよりも小休止の回数を多く取りながら、焼山寺の参道にたどり着くまで約70分かかった。参道の入口に「お疲れさまでした」という標柱を見たときには本当にホッとした。ここからしばらく山中の参道を歩いて焼山寺本堂に到着したのは13時頃だった。本堂前の休憩所でしばらく休み、昼食を済ませてから納経を始める。
本堂の前には結構たくさんの人が参拝している。高い山の上だが、自動車道路が通じていて観光バスなども登ってこられるのだ。

納経が終わり、時計を見ると14時頃である。本日の宿はこのお寺の宿坊にとっているので宿坊の「虚空蔵院」に行ってみると、誰も人がおらず連絡が取れない。まだ時間が早いので、私は先ほどの売店に荷物を預けて奥の院まで行ってみることにした。
店の人に道を聞いて細い道を登ってゆくと、しだいに辺りは真っ白になってきた。大きな木が倒れて道をふさいでいるところもある。10分くらい歩くと下ってくる女性に出会った。話を聞いてみると雪が深くなり倒木も多くなるので途中で引き返してきたという。私も半ばあきらめながらさらに進むと、「大蛇封じ込めの岩」という大きな岩があった。ここから奥の院まで650mという案内があったが、通常ならなんということはないが道の状態が悪そうなのでここで引き返すことにした。

宿坊に戻ると、もう入れるようになっていた。広い部屋が三つ続いており、ふすまで仕切られている。二人ずつの相部屋になるようだ。まだ誰もいないので荷物を整理し、コタツにあたりながら地図などを見ていると隣の部屋に人が入ってきた。どうも聞き覚えのある声なのでふすまを開けてのぞいてみると、最初の日に霊山寺の前の民宿で同宿したSさんとKさんである。「またお会いしましたね」とその後の様子などを語り合う。結局、この三部屋には6人が相部屋になったが、残りの三人もみなこれまでに途中で顔見知りになっている人たちである。ふすまを全部開け、だだっ広い大広間に6人が相部屋という形になった。話が盛り上がり、まるで昔の修学旅行のような雰囲気になった。気の合った人たちならば、このような相部屋もよいものだと思った。18時からの食事の時間も、私も久しぶりにビールを飲み大変楽しかった。この日の同宿者はこの6人と奥の院への途中で出会った女性を加え全部で7人だった。

3月12日(金)  焼山寺から第十三番大日寺まで 約21Km

 6時からの本堂でのお勤めに参加した。住職が読経し我々も唱える。読経の後は世間話のようになり、この時期にこのような雪が降るのは大変珍しいというような話があった。
朝出発のときに宿坊の玄関前で同宿者の記念撮影した。この先、Sさん、Kさんとは予約している民宿がほとんど同じで、一緒に歩くようになった。
これまでの私の歩き旅スタイルにはなかった三人旅である。

我々三人は、そろって7:30に宿坊を出発した。宿坊のすぐ前からは下界の風景がよい。このお寺がかなり高い場所にあることが実感としてわかる。今日は風も少ない穏やかな晴天である。昨夜は疲れていてぐっすり眠れたので、今朝はすこぶる爽快である。

焼山寺宿坊「虚空蔵院」前からの眺め
焼山寺がかなり高い場所にあることが分かる。遠くの山の頂にはまだ雪が残っている

山道を30分ほど下ってゆくと、杖杉庵(じょうさんあん)に着いた。ここは四国遍路の元祖といわれている衛門三郎の最期の地と言われている。近くに「杖杉庵縁起」として長文の説明板が立っていたので、概略を記しておこう。

杖杉庵(じょうさんあん)縁起 (説明板の要約)
伊予国の長者、衛門三郎は権勢を誇っていたが、ある雪の降る夜、門前に立つ旅の僧を手荒く追い払った。次の日もその次の日も現れたので、衛門は僧の手にした鉄鉢を取り上げ地面にたたきつけた。鉢は八つの花弁の如く飛び散り、気がついたときには僧の姿は消えていた。衛門には八人の子供があったが、次の日から一人ずつ死んでしまい、八日目にはとうとう全員死んでしまった。
空海上人という僧が四国八十八ヶ所の霊場を開くため四国各地を遍歴しているということを聞き、あのときの旅の僧は空海ではないかと思い、お詫びしなくては申し訳ないと、すべてをなげうって上人のあとを追う旅に出る。20回廻っても会えず、21回目に逆まわりをしてこの地に到達したとき、ようやく上人にめぐり会うことが出来た。
衛門は上人に許しを乞い、上人はこれを許し来世の果報を示唆する。衛門はその場で息絶え、そのなきがらは埋められ、形見の杉の杖が墓標として立てられた。やがてその杖より葉を生じ、大杉となった。このことからこの庵を杖杉庵と称するようになった。


杖杉庵(じょうさんあん)
ここには大杉があったが、江戸時代の享保年間に焼失したという

空海上人に許しを乞う衛門三郎像
衛門三郎は四国遍路の元祖といわれる


杖杉庵を出た後も山道は下り続け、やがて鍋岩を過ぎると再び登りはじめる。昨夜はたっぷり睡眠をとっているので登り坂でも快調である。玉ヶ峠というところをピークに、あとは下り一方になる。やがて舗装された道になるが、車はほとんど通らないので、三人でのんびりとおしゃべりしながら下ってゆく。途中、のどかな山里に山桜や桃の花などがきれいに咲いていた。
やがて、道の脇に新しい休憩所が見えた。「神山ヘンロ小屋」という看板が出ている。この小屋は平成21年9月に出来たばかりで、まだできたてのほやほやといった感じだ。小屋の中に建設者、協力者の一覧が出ている。企画設計者として歌一洋という名前が出ているが、この人は辰濃和男さんの著書「歩き遍路」(参考書参照)に紹介されている。四国の遍路道にはたくさんの休憩小屋などが建っているが、それぞれが善意で建てられたもので、お接待の心のあらわれである。我々はここでしばらく休憩した。

のどかな山里の下り道
焼山寺を出発して二時間くらい。道は舗装された長い下り坂になる。おしゃべりしながらのんびりと下ってゆく。このあたりで先に出発した二人に追いつき、しばらく五人そろって歩く

神山ヘンロ小屋
平成21年9月に出来たばかりの休憩小屋で、建築家・歌一洋さんが設計した小屋の一つである。大変見晴らしのよい場所に建っている

どんどん下ってゆくと、やがて鮎喰(あくい)川が見えてきた。川の沿岸は阿野集落である。ここに郵便局があり、昨日同宿したHさんが荷物を送り返すという。実は昨夜盛り上がった話の中にこの人の荷物の話があった。Hさんは野宿用に毛布を袋状に縫い合わせた寝袋を持参しているのだが、みんなにそんなものどこで使うの、とさんざんからかわれてしまった。テントは持っていないので、無人駅とか善根宿などを想定しているらしいが、もう若くないんだし、そんな重いもの持ち歩くのやめたほうがいいよとみんなに説得されて、とうとうその他の野宿用品を含めて送り返すことを決意したようだ。若い頃にはよく山登りをし、野宿などもやったらしいが、今回は計画がやや甘かったようだ。その後も風の便りで話が流れてきたが、なかなか楽しい人だった。
へんろ道は阿野集落で県道20号線に合流するが、すぐ先の細い橋で対岸に渡り、県道とは別の山道を行く。このあたりには道標が出ているのでそれにしたがってゆけばよい。しばらく山道を歩いて細い「流れ橋」を渡れば再び県道に合流する。これから先は鮎喰川沿いのこの県道を歩くことになる

へんろ道の細い流れ橋
へんろ道はこの橋で再び川を渡り県道に合流する.。この橋は大水で流されてもすぐに復旧できる

鮎喰川と阿野集落
へんろ道は阿野集落で県道20号線に合流した後、細い橋で対岸に渡り、再び山道なる

県道を歩いてゆくと橋が見え、河川敷に降りてゆくことが出来る。降りたところにトイレもある。時計を見ると12:30頃。ちょうどよいので、ここで昼食をとることにした。この橋は長瀬橋となっているので、地図上の位置を確認する。ここまで来れば、本日の目的地大日寺まではそれほど遠くはない。

長瀬橋からの鮎喰川の様子
この付近の河川敷で昼食をとった。

長瀬橋
この辺りは長瀬集落である

長瀬橋を過ぎると程なく河野橋が現れる。この橋を渡り、しばらく行くとへんろ道は右に分かれる。番外霊場・建治寺(こんじじ)方面に通じる道で、車も少なく静かな道である。途中、道を間違えたので建治寺には寄らず、大日寺に直行することにする。再び交通量の多い県道に出て、この道をまっすぐに行けば第十三番大日寺に到着する。
途中の県道沿いに「おやすみなし亭」という遍路用休憩所があった。大変清潔で立派な施設で、テーブルの上にはお湯が沸いていて、コーヒーなどを自由に飲めるようになっている。お菓子やみかんなども置いてあり、感激してしまった。管理人の姿は見えないが、維持管理に相当な費用と手間がかかっているだろう。外に立っている説明板によると、この施設の電力は風力発電により供給されているということで、小屋の脇に小型の風力発電機が設置されている。

お遍路さん休憩所「おやすみなし亭」
県道沿いにある遍路用の休憩所。風力発電で電力が供給され、冷暖房される。コーヒーお菓子などのお接待もある、立派な施設だ

県道21号線の様子
ちょうどこのあたりで徳島市に入る。交通量は結構多い

やがて第十三番大日寺に到着した。お寺の場所を確認してからすぐ近くにある本日の宿舎「名西(みょうざい)旅館花」を探した。同じ名前の宿が二つあり紛らわしいが経営者は同じで、通り沿いの古い建物が民宿みょうざい旅館、そこから少し奥に入ったところにある新しい建物が名西旅館花で、前者をビジネス用、後者をお遍路用と使い分けているという。とりあえず荷物を旅館に預けて大日寺の納経に出かける。
本堂の前は、観光バスでやってきたたくさんの人がいたので、隣の大師堂から納経を始める。すべての納経が済んで旅館に戻ったのは16時ころだった。
部屋に落ち着いてから、洗濯機、乾燥機を使わせてもらったが、いずれもお接待ということで無料だった。宿の女将さんは話し好きで、いろいろなことを教えてくれる。靴下を2枚重ねてはくとなぜマメが出来にくいかということを理由をつけて説明してくれた。私は薄い靴下一枚でマメが出来てしまっていたので、次の日からは必ず2枚重ねてはくようにした。おかげさまで、その後マメはまったく出来なかった。

名西旅館花
みょうざい旅館は二つあるが、こちらのほうが新しく、お遍路さん用にしているという

第十三番大日寺本堂
本堂前にはたくさんの団体参拝者がいたので、我々は隣の大師堂から納経をはじめた

3月13日(土)  大日寺から第十八番恩山寺まで 約25Km

 我々3人は7:30に旅館を出発した。宿の脇から古い遍路道が続いているので、交通量の多い県道に出ることなく進むことができる。やがて、鮎喰川に架かる一宮橋で川を渡ると、第十四番常楽寺まではもうすぐである。
常楽寺での納経を済ませ、次の国分寺に向かうが、この間も1Km足らずで大変に近い。気楽にしゃべりながら歩いているうちに第十五番の国分寺に着いた。

菜の花や鈴おとかるく初へんろ (尺)
菜の花の咲くへんろ道を歩いていると、金剛杖に取り付けた鈴がコロコロと軽やかに鳴っている

今日は、これまでのどかな道でお寺の間隔も近いので、いかにもお遍路の旅をしているという気がしてきた。誰かが軽いノリで即興で俳句を口にした。私もふっと韻文的な頭に切り替わった。普段はどうしても散文的で、俳句など考えることはないのだが、このときばかりは刺激を受けて頭が切り替わったのだ。いくつか考え、ひねっているうちに次の句ができた。
         菜の花や鈴おとかるく初へんろ  (尺)
さらに考えているうちに、次の駄洒落的な句?が浮かんだ。
         へんろ道同行(どうこう)三人同行(どうぎょう)六人
へんろ道を三人同行しているが、一人一人がそれぞれお大師さまと同行(どうぎょう)しているので、同行(どうぎょう)者は全部で六人になるな、という他愛ないものである。
今回の旅を通じて韻文的な頭に切り替わったのはこのときばかりで、その後俳句は出来なかった。

第十五番国分寺本堂

第十四番常楽寺本堂

俳句をひねっているうちに第十六番観音寺に着いた。町の中のお寺といった感じである。納経を済ませ、次の第十七番井戸寺に向かう。観音寺と井戸寺の間は約4Kmで、市街地の入り組んだ道を行くが、親切な道標が出ているのでこれを見落とさなければ容易に行ける。井戸寺に着いたのは10:30頃だった。

第十七番井戸寺本堂と大師堂

第十六番観音寺本堂

本日は井戸寺までの約5Kmは大変のどかなへんろ道が続くのだが、井戸寺から先は様相が変わる。次の第十八番恩山寺までは約17Kmあり、その間に徳島市の中心部を抜けなければならない。この部分はガイドブックでは大きく二つのコースに分かれる。一つは徳島市街地をまっすぐに突っ切る道であり、もう一つは市街地を避け山側にバイパスする道である。どちらのコースを取るか三人の間で意見が分かれた。結局、私とKさんは市街地を突っ切るコースを取り、Sさんはバイパスコースを取ることになった。
鮎喰川を中鮎喰橋で渡ったところでSさんと別れた。Kさんと私はそのまままっすぐに徳島市街中心部に向う。市街地に入ると遍路道の道標はなくなり、地図だけがたよりになる。あまりよく地図を見ないで歩いていったら、道を間違えてしまった。少々遠回りをしたが本来のコースに戻り徳島の中心部を行くと、眉山に登るロープウェイ駅が見えた。駅の建物は阿波踊り会館となっている。この建物まではJR徳島駅前からまっすぐな道が続いているので、徳島阿波踊りはこの通りがメインになるのだろうかと思いながら通り過ぎた。
歩いているうちに雨が降り出した。市街地なので食堂を探しながら歩くが、なかなか見つからない。ようやく大きなラーメン屋を見つけ、昼食にありついた。13:30頃だった。

眉山ロープウェイの駅
眉山に登るロープウェイの駅建物は阿波踊り会館となっている。JR徳島駅からここまでまっすぐな道が通じているので、これが阿波踊りのメインストリートになるのだろうか

鮎喰川に架かる中鮎喰橋
この橋を渡ったところで市街地コースと山越えコースに分かれる。我々はまっすぐ市街地コースを行くことにした

昼食も終わり、また元気に歩きはじめる。どうやら雨もあがった。JRの踏切を越えて国道55号線に出る。この国道はこれから高知市の先まで長いお付き合いになるのだが、まずはじめの出会いである。この辺りは特に交通量が多く、喧騒、無味乾燥な道路をこれから約7km歩くことになる。
この国道区間はほとんどしゃべることもなく、かなりのスピードで歩いた。
勝浦川橋という長い橋を渡って少し行ったところに遍路用の休憩所があった。長い国道歩きのあとだけに、砂漠の中のオアシスのようにホッとした。ここで休憩した皆さんの気持ちも同じようで、たくさんの納札や備え付けのノートに感謝の言葉が綴られていた。二人でしばらく休んでいると別コースを歩いてきたSさんが到着した。どちらのコースでもそれほど時間は違わないということだ。

国道脇の遍路用休憩所
何という休憩所か名前は見落としたが、長い無味乾燥な国道歩きのあとで、本当にホッとした。ありがとうございました

国道55号線勝浦川橋付近
徳島市街地を走る国道55号線は大変交通量が多い。この道が遍路道になっているので、これを避けて通るわけにはゆかない

休憩所の少し先でへんろ道はようやく国道から分かれる。遍路道らしくなった道を道標を頼りに進んでゆくと、ほどなく本日の宿舎、民宿ちばに到着した。16:45頃だった。お寺の納経は17時までなので、荷物を置いて急いでゆけば間に合わないこともないが、まだ坂道をかなり登らなければならないということなので、そのまま宿にチェックインすることにした。

3月14日(日)  恩山寺から立江寺を経て民宿金子やまで 約20Km

 7:30に民宿ちばを出発した。そこから恩山寺までは坂道を10分くらい登る。今日は朝一番の元気なときだから何ということはないが、昨日だったら結構大変だっただろうと思いながら歩く。参道を登りつめたところに本堂、大師堂がある。納経を済ませ恩山寺をスタートしたのは8時ころだった。

恩山寺大師堂
参道を登りつめたところに大師堂がある。弘法大師が修行中に母(玉寄御前)の来訪を受けたので、17日間の女人解禁の秘法を修したうえで寺内に迎え入れ、孝養を尽くしたという
このことから母養山恩山寺と山号寺号を改めたという

民宿ちば
恩山寺付近にはこの民宿しかない.。マイカー遍路の人も含めて同宿者も多かったようだ

恩山寺を出て坂道を下ってゆくと、やがて平坦な県道となる。今日は天気もよく、のんびりした気分で三人で何かとおしゃべりしながら歩く。1時間ほどで次の第十九番立江寺に着いた。
立江寺は四国八十八ヶ所に四つある関所寺の一つである。邪悪な心を抱いた者、悪いことをした者はたちどころに天罰が下るという。寺には、ここまで来て天罰が下ったお京という女の伝説が残っている。

立江寺(たつえじ)山門
立江寺は「阿波の関所寺」として参拝者に畏敬されている。邪悪な心を持った者、悪いことをした者は山門前でお大師さまの拒絶にあうという伝説がある

立江寺の納経を済ませ、寺を出たのは9時すぎだった。次の第二十番鶴林寺までは約13Kmだが途中きびしい山道となるので、今日は麓の民宿に宿泊することにしている。時間的に急ぐ必要はないので、のんびりした気分で話などしながら歩いてゆく。
2時間くらい歩いて勝浦町に入った。ひなびた街道沿いに商店が並んでいるが、一軒の和菓子屋さんの前で、「お休みになりませんか」と声をかけられた。店に入るときれいな花などがたくさん飾ってある。聞いてみると、すべてお菓子で作ったものだという。見事なできばえに驚いてしまった。緋毛氈の腰掛けに座って眺めていると、おいしいお茶と和菓子のお接待をいただいた。ご主人から作品作りの苦労話や町の様子などを伺った。
丁重にお礼を言って外に出ると、店の前にすばらしい桜の木があり、今まさに見ごろである。
桜の下にはベンチもあり、ちょうどよいのでこここで昼食をとることにした。12時ちょっと前だった。

店の前の見事な桜
この桜には「夢桜」という名前がついている。今まさに見ごろを迎えている

和菓子処 前松堂店内にて
店内にはお菓子で作ったたくさんの花などが飾られている。ご主人は東京でお菓子作りの修行をしたという。おいしいお茶と和菓子のお接待をいただいた

昼食が終わり街道を歩いてゆくと、街道に面したどの家の前にも雛人形が飾ってあるのに気がついた。ほんのちょっとのスペースにも台を置き、赤い毛氈を敷いてお雛様を飾っている。自動車修理工場においてある軽トラックの荷台にまで飾ってあるのには笑ってしまった。この辺りは西岡おひな街道という名前がついている。2/21から3/21までひな祭りのイベントが開かれている。

軽トラック荷台のお雛様
自動車修理工場においてある軽トラックの飾りつけ。今日は日曜日で工場は休みだ

店先の雛人形A
家の内外で連携して飾り付けをしている。とにかくたくさんの人形でお出迎えしようという気持ちの表れだろう

店先の雛人形@
ほんのちょっとしたスペースにも人形が飾られている

本日の宿は、私とKさんはすぐ近くの民宿金子やにとってある。Sさんは少し離れた「ふれあいの里さかもと」というところに予約してある。ここは廃校となった小学校の施設を宿舎として活用しているという。金子やの少し先のところまでマイクロバスが迎えに来るというので、民宿の前でSさんと別れた。金子やに着いたのは12:40頃である。早すぎるので荷物を宿に預けて、Kさんと番外霊場である「星の岩屋」まで行くことにした。
宿のご主人に道を尋ねてから歩きはじめる。来た道を少し戻り、北に向かって歩いてゆくと勝浦川にぶつかる。長い潜水橋を渡ると道は徐々に登り坂になる。

勝浦川と潜水橋
「星の岩屋」は前方に見える山の中腹にある。橋を渡るとだんだんと山道になる

民宿金子や
次の宿までは山を二つ越さなければならないので、この宿に泊まる人も多いようだ。「ふれあいの里さかもと」というのはだいぶ離れているが、マイクロバスでの送迎がありこちらも人気がある

「星の岩屋」近くまで舗装した自動車道も通っているが、途中から古い遍路道も残っているのでこちらの道を歩く。道標もしっかりついているので安心して歩くことが出来る。どんどん高度が上がり、ようやく「星の岩屋」のお堂に着いた。このお堂の裏側に大きな岩屋があり、小さな入口から中に入ると中は大変広い。一番奥に簡単な祭壇がありお灯明をあげられるようになっている。岩屋の右手に滝が見えるので近くに行ってみると、滝行ができるようになっている。昔はここで修行が行われていたのだろう。この場所に20分くらい滞在したが、二人だけでほかに訪れる人もなく、静寂な山の空気に心が洗われるような気がした。

星の岩屋のお堂
お堂の右奥に岩屋がある。また、左手には現在使われていない建物もある

星の岩屋付近から下界を眺め
だいぶ登ってきた。中央右手あたりが民宿のある集落である。このあたりなら星もきれいだろう

滝行の場
岩屋の右側に滝があり、滝行が出来るようになっているが、現在は使用されていないようだ

星の岩屋の内部の様子
内部はかなり広く、一番奥に簡単な祭壇が設けられている

星の岩屋入口付近の様子
出入り口は小さい。右手奥に滝が見える

もと来た道を戻り、民宿金子やに戻ったのは15:30頃だった。さっそく風呂に入ったが、ここの風呂場は10人くらいも入れる大きなものだった。食事のときに数えてみると、この日の同宿者は11人だった。

3月15日(月) 鶴林寺から太龍寺を経て平等寺まで。山を二つ越える。約21Km

Kさんとともに7:30に民宿金子やを出発した。民宿の少し先で鶴林寺(かくりんじ)への山道がはじまる。古いへんろ道で、要所には道標がついているので安心して歩くことが出来る。山道を20分ほど歩くと麓の集落が小さく見えた。今日は雲が厚く、時々小雨が降り風も強い。途中の休憩所で、「さかもと」に宿泊していたSさんと合流し、再び三人同行となる。鶴林寺が近づくときびしい山道となり、荒い息使いで黙々と歩く。焼山寺に登ったときもそうだったが、空海の歩いた道がほぼそのまま残っている貴重な道といえるのだろう。

 徳島県(阿波国)は四国遍路の中では「発心(ほっしん)の道場」と言われます。第一番霊山寺から歩きはじめると短い距離で次から次に札所が現れ、お遍路の発心成就を祈ってゆきます。第十二番焼山寺に至るきびしい山道でその発心が本心のものか試されます。さらに第二十番鶴林寺、第二十一番太龍寺でもきびしい道が続き、これを乗り越えればその発心は認められ、次の段階に進むことになります。つまり、徳島県はこれからの本格的なお遍路の身体的、精神的な準備の場であり、関門の場であるととらえることも出来ます。このため私は、徳島県内では比較的ゆったりとしたペースで歩くプランを立て、まず最初の関門に立ち向かうこととしました。
徳島県では、旅の最初の宿で同宿した二人の方と気が合い、その後ほとんど同行することになりました。これまでの一人旅とは違う貴重な経験をしました。

へんろ道の様子
この辺りは歩きやすいが、鶴林寺が近づくとだんだん厳しい登り坂となる

へんろ道から勝浦町方面を望む
山道を20分も登ると、集落が小さくなる。雲が厚く、時々小雨が降る天気である

きびしい山道を登り、8:40頃鶴林寺に到着した。本堂前は団体の参拝者で結構人が多かった。人が空くのを待って納経をはじめる。般若心経もこれまで40回近くくりかえしているので、ようやくつっかえずにすらすらと読めるようになった。少し自信もつき、声にも張りが出てきたようだ。

第二十番鶴林寺本堂
団体客で結構人が多かった。空くのを待って納経する

鶴林寺山門
きびしい登りのあと山門に到着した。堂々とした趣のある山門である

鶴林寺を出ると、今度は急な下り道が続く。どんどん下ってゆくと県道に出、休憩所があったのでここで少し休んだ。休憩所の少し先で那賀川に架かる橋を渡ると、道は緩やかな登り坂になる。自動車の通る舗装道をしばらく行くと、いよいよ太龍寺へんろ道の登り口になる。ここからはきびしいへんろ道になるが、先ほどの鶴林寺への登り道のように空海の時代の様子を偲ぶことの出来る風情のある道である。一歩一歩踏みしめながら、ひたすら歩く。

太龍寺へんろ道
途中まで舗装道路となっていたが、このあたりから昔からのへんろ道となる

那賀川に架かる橋を渡る
鶴林寺から下ってきた道は、この橋を渡ると再び登り坂になる

きびしい山道を登りきり、第二十一番太龍寺に着いたのは11:30頃だった。参道には杉の巨木が林立し、深山の様相を見せている。この太龍寺には車で来ても駐車場から山道を相当歩かなければならないので、麓からロープウェイが通じているが、この日は強風のため運休とのことだった。境内にも団体客の姿は少なかったようだ。
十九歳の空海はこの地で修行をしたといわれている。現在も本堂前のお堂に籠って修行する人もいるようだ。近くの舎心ヶ嶽と呼ばれる断崖の頂上に修行中の坐像が安置されているということだが、天気も悪かったので我々はそこまでは行かなかった。納経を済ませて時計を見ると12時近い。小雨も降っているので、境内の屋根のある場所で昼食をとることにした。

第二十一番太龍寺本堂
このお寺近くの舎心ヶ嶽で若き日の空海が修行したという。現在も本堂前のお堂に籠って修行する人もいる

太龍寺山門
参道沿いには杉の巨木が茂っており、深山の様相を見せる。近くまで麓からロープウェイが通じているが、この日は強風のため運休だった

太龍寺から昔ながらのへんろ道をしばらく下ると自動車道路に出る。ここには駐車場があり、車もここまでは登って来ることができる。舗装された道をどんどん下ってゆくと、麓に龍山荘という民宿がある。Kさんは本日はここに宿を取っている。ここに着いたのは13:30頃でまだ早いので、時間的には次の平等寺まで行けるのだが、平等寺近くに宿が取れなかったのである。私とSさんは平等寺門前の民宿山茶花に予約してあるので、ここでお別れになる。
Kさんと別れてなおも舗装道路を行くと阿瀬比というところに出るが、ここにヘンロ小屋がある。先日焼山寺からの下り道で休憩した神山ヘンロ小屋と同じく、歌一洋さんの設計したものだという(写真は撮り損ねた)。ここから先はまた古いへんろ道になり、しばらく登り下りが続く。それほどきつい道ではないのだが、小雨まじりでとにかく風が強い。風のゴーゴーいう音と、樹木の擦れ合う音などがなんともすさまじく、不気味な感じのする道だった。

平等寺に至る途中のへんろ道
阿瀬比休憩小屋から昔のへんろ道が続く。それほどきびしい道ではないが、この日は雨と強風でコンディションはよくなかった

太龍寺麓にある龍山荘
ここまで鶴林寺、太龍寺を超えて、歩きで約6時間ほどである。この少し先に坂口屋という民宿もある。車遍路の基地として便利なようだ

やがて集落に近づき、県道に出ると平等寺はもうすぐである。山門は県道からちょっとした石段を上ってすぐのところに建っている。山門を入ると前方に長い石段が見え、それを登ったところに本堂がある。この石段の登り口の左側に弘法大師が掘ったという「白水の井戸」があり、霊験ありといわれている。
納経を済ませ、お寺のすぐそばにある民宿山茶花に着いたのは16時頃だった。Sさんと同宿である。平等寺の近くにはこの民宿しかなく、部屋数も5部屋と少ないので、シーズン中は早めに予約したほうがよいようだ。

3月16日(火)  平等寺から田井ノ浜を経て薬王寺まで  約23Km

民宿山茶花をSさんとともに7:30に出発した。出発したときには小雨がぱらついていたが、そのうちにやんでしまった。1時間くらい歩いて月夜御水庵についた。ここには天然記念物の大きな杉の木がある。これには弘法大師にまつわる伝説が残っている。県道をさらに30分くらい歩くと、ヘンロ小屋に着いたので、ここで少し休憩した。この小屋は例の歌さんの建てた休憩小屋である。
ヘンロ小屋の少し先でへんろ道は二つに分かれる。山側を通るのが国道55号線コース。海側を通るのが県道25号線コースである。いずれもへんろ道となっているので、どちらを行ってもよいのだが、私たちは海側の道を行くことにした。

ヘンロ小屋第三号鉦打
このあたりの地名は鉦打(かねうち)という。例の歌さんが建てた三番目のヘンロ小屋なのだろう

月夜御水庵と天然記念物の大杉
この大杉は高さ31m、幹の周り約6.3m、樹齢約1000年と伝承されている。すべての枝は一度下を向いてから上に伸びていることから別名逆杉といわれる。伝説によると、弘法大師が当地で薬師如来を刻み、その杉を後世に残すため枝をさしたものだといわれている

県道を下ってゆくと、JR牟岐線の線路が近づいてくる。踏切を渡りJR由岐駅前から古い家並みを通って海岸に出た。ここは田井の浜といい、海亀が産卵にやってくるので有名だという。ちょうどNHK朝ドラの「ウェルかめ」の舞台となっているところである。この浜から沖の方面を眺めた風景が毎朝タイトルバックに出てくるので、「ああ、あそこか」と思う人も多いかもしれない。浜で写真を撮っていると地元のおじいさんが話しかけてきた。いろいろ話してくれたが、産卵に来る亀の数は少なくなっているという。NHKのドラマに取り上げられたことはよろこんでいるようだった。別れるときに飴玉のお接待をいただいてしまった。

NHK「ウェルかめ」のタイトルバックの風景
朝ドラの冒頭に必ずこの風景が出てきた。ドラマの内容はこの浜近くの民宿を舞台としたお話だった

田井の浜
この浜に海亀が産卵に来るということで有名である。夏は海水浴場になり、すぐ近くにJRの田井の浜駅という臨時駅もある

峠を下ると再び海岸沿いの県道になる。途中、えびす洞というところに立寄ったが、波によって浸蝕された大きな洞窟だった。さらに県道を行くとホテル白い燈台という建物があり、その少し先に見晴らしのよい場所がある。「恋人岬」といういかにも若者向けの看板が出ている。先ほど見てきたえびす洞やホテルの白い建物が絵のように見える。また、右手にはこれから向かう日和佐港に続く砂浜が広がっている。あずまやがあり、ベンチもあるので少し休憩した。

平等寺山門
県道のすぐ脇に山門があり、集落にも近いので鶴林寺、太龍寺と下ってくるとなんとなくホッとする

平等寺へのへんろ道
もう集落に近いのだが、強風で竹林の風音が不気味なほどだった

由岐の町を過ぎると木岐の町になる。海岸近くに休憩所があったので、ここで海を眺めながら昼食にした。昼食もすみ元気に歩いてゆくと道は登り坂になり、古いへんろ道が現れる。時折樹木の間から海を望むことが出来る。情緒のあるよい道だ。

樹木の間から望む海
峠道からは時折海が望める

古いへんろ道
古いへんろ道と県道で山座峠というちょっとした峠を越える

同じ場所から日和佐港方面を望む
砂浜の先に日和佐港がある

「恋人岬」よりえびす洞方面を望む
写真上の少し突き出したところにえびす洞がある。左上の白い建物はホテル白い燈台

やがて県道は日和佐の町に入ってゆく。現在は美波町と名前が変わっているが、その役場の前に「史跡 日和佐御陣屋跡」という説明板が立っている。江戸時代、この場所に阿波藩の御陣屋があったという。日和佐はこの辺では大きな町である。町の通りを歩いてゆくと、「フードショップみなみ」という大きなスーパーマーケットがあったので、Sさんと私は、これから先の昼食用の食料などを買い込んだ。この店には遍路用の休憩スペースとお茶のお接待があった。
本日の目的地、第二十三番薬王寺はそこからすぐのところにあった。いかにも町の中のお寺という感じで、門前にはお祭りのときのような屋台店まで出ていた。参拝者にもきびしい山道を越えてここまで来たという、ある種安堵感があるのかもしれない。

第二十三番薬王寺本堂
お遍路姿以外の普通の服装で参拝する観光客の姿も多かった

薬王寺山門
門前には屋台店なども出ており、これまでのお寺とはちょっと違う雰囲気が感じられた

納経を済ませ、本日の宿である薬王寺参籠所薬師会館に入ったのは15:30頃だった。この施設には観光バスも止まれる大きな駐車場もあり、団体客の宿泊も多いようだ。この日も30名くらいの団体客と同宿になり、夕食の前に皆でお経を唱え始めたのには驚いた。
昨日太龍荘でお別れしたKさんともこの宿で再び一緒になり、三人そろって歓談した。なお、Kさんは明日は少し先の牟岐駅から帰宅するということなので最後の夜となった。

薬王寺境内より日和佐の町を望む
日和佐町は美波町と名前を変えたが、このあたりの中心で大きな町である。右の山の上に日和佐城が小さく見える

薬王寺参籠所薬師会館
かなり大きな施設で、団体客なども多いようだ。食事やサービスなどもよい

海陽町の隣は高知県の東洋町になる。私の日記も徳島県編はここまでとし、この続きは高知県編とします。

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四国歩き遍路日記(2) 高知県編 

民宿山茶花
民宿には珍しく平屋建てだが、全部で五部屋ある。平等寺付近にはこの宿しかないので、シーズン中は泊まるなら早めに予約したほうがよい

第二十二番平等寺本堂
山門から長い石段を上ると本堂がある。石段上り口左側に「白水の井戸」がある

3月17日(水) 薬王寺から海部町まで 約28Km

第二十四番最御崎寺(ほつみさきじ)は室戸岬の先端にあり、第二十三番薬王寺からは約75Kmもある。もちろん1日では行けないので、途中で2泊する予定である。今日から二日間は途中にまったく札所のないへんろ道となる。
7:30頃、薬王寺の薬師会館を出発した。すぐに国道55号線に出て、このあとしばらく国道を歩く。今日は朝からすばらしい晴天である。国道を30分くらい歩くと、「南阿波サンライン」との分岐点に出た。この道はガイドブックの地図には載っていないのだが、国道よりも海側を通って牟岐(むぎ)まで通じているようだ。いわゆるへんろ道ではないが、国道よりも静かで、かつ海の景色見ることができそうなのでこちらの道を行くことにした。
車のほとんど通らない広い道を我々三人はのびのびとした気分で歩いた。ゆるい登り坂を行くと、やがて展望台に着いた。かなり高い場所にあり、ここからの展望はすばらしかった。

第一展望台からの眺め
かなり高い場所にあるので、大変眺めがよい
サンラインにはこのような展望台が全部で4箇所ある

第四展望台を過ぎると、サンラインは下り坂になる。どんどん下ってゆくと、牟岐の古い集落が見えてくる。やがて新しい家並みが続くようになり国道55号線に合流した。サンライン(県道147号線)はここまで全長約18Km。国道55号線を通ればここまで約15Kmなのでサンラインのほうがやや距離は長いが、ほとんど車も通らず景色がよいので、天気がよければこの道はお勧めだ。国道に出るとJR牟岐駅は近い。Kさんはこの駅から電車で帰宅することになっている。駅近くの食堂で昼食をとり、いつの日にか再会を約してKさんと別れた。13時頃だった。
国道55号線は牟岐から先浅川辺りまで約7Kmの間、小さな岬と入江が交互に現れる。国道は短いトンネルで岬を越してゆくが、岬を越すたびに海岸の様子が変化するのが面白い。途中に鯖大師の大きな案内看板が出ていたが、国道からは少し離れているようなので、ここには立寄らず先に進んだ鯖大師は番外霊場ながら大きな宿坊などもあり、多くのお遍路さんが立寄るようだ。

南阿波サンラインの様子
この道(県道147号線)は、観光を主目的に作られたようで、途中に四つの展望台がある。シーズン中以外はほとんど車も通らない静かな道である

国道と「南阿波サンライン」との分岐点
サンラインはここから左折し、海側を通って牟岐まで通じている。へんろ道ではないが、静かで景色がよいのでおすすめの道だ

浅川付近の海岸風景
牟岐から浅川付近までの海岸は変化があって面白い

鯖大師付近の海岸風景
このあたりまで小さな岬と入江が交互に現れる。国道は岬を短いトンネルで越えてゆく

国道はやがて海岸線を離れ、海陽町(旧海南町)に入ってゆく。国道をかなりのスピードで歩いてゆくと、後から「おへんろさーん」と呼び止められた。見ると喫茶店の脇に休憩所があり、そこでお接待してくれるというのだ。店の女主人が自らコーヒーやお菓子などを運んできてくれた。勤めをやめてからお接待がしたくてこの店を始めたのだという。心のこもったお接待をうけて、しばしの間くつろいだ。
今日の宿はそこから少し先の旧海部町(かいふまち)にとってある。ガイドブックに載っているその宿の場所までようやくたどり着いたが、そのような宿はない。地元の人に尋ねると、別の場所(国道近く)に移転したという。結局、民宿海部に着いたのは16:30を過ぎていた。今日は、サンラインを回ったり、宿を見つけるのに手間取ったりで、当初予定の約28Kmよりも4Kmくらい多く歩いたのではないだろうか。今回の旅ではこれまで一番長い距離だ。

民宿海部
2年くらい前に古い旅館を買い取って元の場所から移転したという。設備のグレードはかなり悪いが、若いご主人ががんばっており、もてなしの心が感じられたので、まあまあだろう

お接待に呼び止めてくれた女主人と休憩所
国道を歩いていると店から飛び出してきて我々を呼び止め、おいしいコーヒーとお菓子、みかんなどのお接待をしていただいた

焼山寺宿坊「虚空蔵院」前にて
6人が大広間に相部屋となり、出発前に記念撮影した(一人は早立ちのため欠ける)。左端のSさん、私、その右のKさんは、その後ほとんど一緒に歩くようになる

大蛇封じ込めの大岩
いわくのありそうな大岩で、小さな祠もある。奥の院まで650mという案内があったが、道の状態が悪そうなのでここで引き返すことにした

奥の院への道
雪が深くなり、途中に大きな倒木があり道をふさいでいる箇所もある

焼山寺本堂
高い山の上にあるが、参拝者は多い。自動車道路が通じているのだ

焼山寺参道入口付近
きびしい山道を登ってくると立派な参道が現れる。「お疲れさまでした」という白い標柱と大日如来の大きな石像が迎えてくれる

浄蓮庵。大杉と厄除け大師銅像
弘法大師が当地を通過されるとき、木の根を枕に仮眠された。夢の中に阿弥陀如来が現れたので誓願をこめて尊像を刻み、堂宇を建立し安置された。そのときお手植えになった杉は現在も残り、通過するへんろに感動を与えている。大正15年に京都の篤志家により大杉の前に厄除け大師銅像が建立された

浄蓮庵
弘法大師が一宇を建立し、尊像を安置したという

浄蓮庵に至る四十二段の石段
大正15年に京都の篤志家によりこの石段と厄除け大師銅像が建立された

浄蓮庵付近のへんろ道の様子
このあたりの標高は700mを越えている。雪の重みで倒れている木が道をふさいでいる場所も何箇所かあった

柳水庵
弘法大師が、水の出るこの場所に一宇を建立し、尊像を安置したという

柳水庵付近の様子
峠から少し下った場所にある。弘法大師が柳の枝で加持すると水が湧き出したという言い伝えがある

雪の残る峠道
長戸庵から先もしばらく登りが続き、やがて雪が現れた

長戸庵(ちょうどあん)
弘法大師が焼山寺に登るときここで休んだという。休むに「ちょうどあんばいよき」ところから名づけられたという

へんろころがしを登りきった場所からの眺め
苦あれば楽あり。ホッと一息ついたもうだいぶ登ってきた

「へんろころがし1/6」の登り
この先焼山寺まで「へんろころがし」という厳しい場所が全部で6ヶ所あり、ここがその最初のものである

吉野川の流れ
潜水橋より上流方向を望む

吉野川に架かる潜水橋
四国にはこのような潜水橋が多い。自動車も通れるが途中ですれ違いは出来ない

第十番切幡寺本堂
切幡山の中腹にあり、ここまで登ってくるのは結構大変である

切幡寺本堂までの長い石段
登りはじめの所に「是より三三三段」という石標が立っている。最後の登りはかなりきつい

極楽寺大師堂
本堂の近くには必ず大師堂があり、こちらも本堂と同じ手順で納経を行う

第二番極楽寺本堂
長い石段を上るとが本堂がある。団体の人たちが読経中だったので、少し時間をずらせて納経した

金泉寺本堂
たまたま人が少なかったので、ゆっくりと時間をかけて納経した

第三番金泉寺(こんせんじ)山門
山門の朱色が鮮やかだった

第五番地蔵寺本堂前にて
本堂の前で朗々と般若心経を唱えている外国人がいたのでびっくりした。手前は同行したKさん

愛染院付近の古い遍路道の様子
番外霊場・愛染院の先からは古い遍路道がそのまま残っているあいにくの雨で靴の中はびしょぬれ

第七番十楽寺山門と宿坊
山門の右手に見える建物が3年前に建替えられた宿坊で、普通のホテルとまったく変わりがない

第六番安楽寺山門
まだ冷たい雨が降りしきっている。このお寺の宿坊に宿泊するkさんとは納経後お別れする

第七番十楽寺本堂
翌朝6:30からこの本堂で行われるお勤めに参加した。宿坊からは渡り廊下でつながっている

第八番熊谷寺本堂
本堂は境内の一番奥の高い場所にある

熊谷寺多宝塔
参道の途中にある多宝塔。本堂はこれから少し行き長い石段を上ったところにある

徳島県内の遍路日程

前準備、足ならし(3月8日) ・・・民宿阿波を中心に第一番から第三番まで足ならし 約8Km
第1日目(3月9日)・・・・民宿〜1.霊山寺〜2.極楽寺〜3.金泉寺〜4.大日寺〜5.地蔵寺〜6.安楽寺〜7.十楽寺(宿坊泊) 約18Km
第2日目(3月10日)・・・・十楽寺宿坊〜8.熊谷寺〜9.法輪寺〜10.切幡寺〜11.藤井寺〜旅館吉野屋 約20Km
第3日目(3月11日)・・・・旅館〜12.焼山寺(宿坊泊) 約13Km
第4日目(3月12日)・・・・焼山寺宿坊〜13.大日寺〜名西旅館花 約21Km
第5日目(3月13日)・・・・旅館〜14.常楽寺〜15.国分寺〜16.観音寺〜17.井戸寺〜18.恩山寺〜民宿ちば約25Km
第6日目(3月14日)・・・・民宿〜19.立江寺〜民宿金子や 約20Km
第7日目(3月15日)・・・・民宿〜20.鶴林寺〜21.太龍寺〜22.平等寺〜民宿山茶花 約21Km
第8日目(3月16日)・・・・民宿〜23.薬王寺(宿坊泊) 約23Km
第9日目
(3月17日)・・・・薬王寺宿坊〜牟岐町〜鯖大師〜民宿海部 約28Km

霊山寺本堂

第一番霊山寺・山門

霊山寺は天平の頃行基により開基された。遍路の発願成就を祈願する寺である。私はまず山門前で一礼して境内に入った。四国遍路の第一歩である

徳島県

坂東

海陽町
(海部町)

阿南

国道55号線

牟岐線

鳴門線

高徳線

徳島線

吉野川

徳島空港

鳴門

鳴門大橋

淡路島

徳島

23

22

21

20

19

18

17

16

15

14

13

11

10

9

8

7

6

5

4

3

2

1

12

徳島県内の札所所在地

1.霊山寺(りょうぜんじ)
2.極楽寺(ごくらくじ)
3.金泉寺(こんせんじ)
4.大日寺(だいにちじ)
5.地蔵寺(じぞうじ)
6.安楽寺(あんらくじ)
7.十楽寺(じゅうらくじ)
8.熊谷寺(くまだにじ)
9.法輪寺(ほうりんじ)
10.切幡寺(きりはたじ)
11.藤井寺(ふじいでら)
12.焼山寺(しょうざんじ)
13.大日寺(だいにちじ)
14.常楽寺(じょうらくじ)
15.国分寺(こくぶんじ)
16.観音寺(かんおんじ)
17.井戸寺(いどじ)
18.恩山寺(おんざんじ)
19.立江寺(たつえじ)
20.鶴林寺(かくりんじ)
21太龍寺(たいりゅうじ)
22平等寺(びょうどうじ)
23薬王寺(やくおうじ)

第九番法輪寺本堂
ちょうど人が少なくなったときで、数珠を落とした人もすぐに見つかった

法輪寺付近の遍路道
あたりは広々とした田園地帯。遠くの山々の頂は昨日の雪で白い風が強く雲の動きが早い

第十一番藤井寺本堂
このお寺の山門のすぐ脇から次の焼山寺へのきびしい山道が始まるので、このお寺の付近に宿泊する人も多いようだ