小平監視所に入る玉川上水
冬場なので水量は少ないが、力強い流れである

小平監視所諸施設の様子
ここまで運ばれた水は浮遊物を取り除かれた後、沈砂池に入り、さらに細かいゴミを取り除いた後、地下導水路で東村山浄水場に送られる

三鷹駅〜境浄水場〜(五日市街道沿い)桜樹接種碑〜(上水沿いのすばらしい散策路)〜西武国分寺線・鷹の台駅〜小川橋〜清流復活碑〜東京都水道局小平監視所〜玉川上水駅   約14Km

三鷹駅南口に出て、まず前回見つけそこねた「玉鹿石」を探すことにした。南口の玉川上水付近は道路工事中だったが、そこを抜けると新しい道路が上水沿いに完成している。前回歩いたときは上水側の歩道を歩いたので、今回は反対側を歩いた。少しゆくと歩道が広くなり、ちょっとしたコーナーになっている。脇に太宰治の作品の一節と、彼が上水のほとりに座ってこちらを見ている写真を載せた説明板が立っている。その少し先に奇妙な形をした石があり、脇に「玉鹿石」と記した銘版があるが説明は何もない。この付近の玉川上水は、今見ると木々に覆われて水の流れが見えないくらいの細い流れだが、太宰治が入水した頃の川は深く、特に梅雨時でもあり流れは速かった。
なお、この道沿いにはむらさき橋の先に山本有三記念館、さらに万助橋の先には三鷹の森ジブリ美術館などがあるので、若い人にも人気があるようだ。美術館までは三鷹駅から15分くらいである。

「玉鹿石」の場所を確かめてからもと来た道を戻る。玉川上水は中央線の線路で暗渠になり姿を消す。歩行者も地下道で線路を越え北口に出る。しかし、北口に出ても玉川上水の姿はすぐには見えない。駅に沿って少し進むと、人工のせせらぎという感じの流れが見えてくる。玉川上水はこの下を暗渠で流れているのでこれに沿って進む。広い三鷹通りを渡ると、再び玉川上水の流れが見えてくる。ここから五日市街道に合流する約2Kmの間は、川沿いの静かな遊歩道が続く。桜通りと名づけられており桜の木も多い。やがて、右側に境浄水場の長いフェンスが見えてくる。フェンスの間から浄水場の中をのぞくと場内はかなり広いが、半分くらいは改良工事で休止中のようだった。


玉鹿石
昭和23年6月19日、太宰治は玉川上水下流で遺体となって発見された。入水した地点がむらさき橋上流のこの辺りだったという。以後、毎年6月19日には「桜桃忌」として偲ぶ会が近くの禅林寺で行われている。この日は多くの人がこの辺りにも訪れるのだろう。

玉鹿石付近の玉川上水
「四月なかば、ひるごろの事である。頭を挙げて見ると、玉川上水は深くゆるゆると流れて、両岸の桜は、もう葉桜になっていて真っ青に茂り合い青い枝葉が両側から覆いかぶさり、青葉のトンネルのようである。・・・」 太宰治「乞食学生より」
(歩道脇の太宰治コーナー説明板から)

境浄水場の正門近くに桜橋があるが、その橋のすぐ先に国木田独歩の文学碑が立っている。独歩はこの周辺にあった武蔵野の面影を残す雑木林をこよなく愛したという。
やがて、桜通りは五日市街道と合流する。この付近に境橋があり、ここから見る玉川上水の流れは水量も多く、鯉がたくさん泳いでいた。ここから先は、右手に五日市街道、左手に玉川上水の流れという状況が約4.5Kmほど続く。

境橋付近の様子
ここから喜平橋までの約4.5Kmは、五日市街道と玉川上水が並行して走る

境橋より上流方向を望む
この付近は水量も多く、鯉がたくさん泳いでいる

やがて、「桜折るべからず」の碑(桜樹接種碑)があり、そばに説明板が立っている。
「元文2年(1737)頃、桜が植えられた玉川上水堤は、しだいに桜の名所として賑わいを増してきました。しかし、百年余が過ぎ、老木化が進んだので、嘉永3年(1850)代官大熊善太郎は村々に互いに協力して補植するように命じました。この石碑は、補植の経緯を後の世に伝えるとともに、桜樹が永久に植えつがれ、保護されることを願って立てたものです。石碑の表に『さくら折るべからず』、裏に『桜樹接種の記』が刻まれています。」
その少し先に都立小金井公園の正面入口がある。桜、新緑の頃はこの付近の五日市街道は公園に入ろうとする車で大渋滞する。私もそれに巻き込まれて往生したことがある。

都立小金井公園正門付近
桜、新緑の時期はこの付近の五日市街道は大渋滞する

さくら折るべからず碑
桜樹補植の経緯を後世に伝えるため、嘉永4年(1851)に建てられた

この辺の玉川上水べりは小金井堤の桜として有名で、先ほどの「桜樹接種碑」をはじめ、桜関連の碑などが多い。少し先に「御成りの松跡」という説明板がある。これは、天保15年(1844)に13代将軍徳川家定が訪れたのを記念して植えられたものである。さらにその少し先には、行幸の松とその記念碑がある。明治16年4月23日に明治天皇がこの付近に観桜においでになった。このときの記念として御座所跡に植樹し、後に碑を立てたものである。いずれも当時の桜のすばらしさを証明するものだ。現在も街道沿いに桜は残っているが、本数も少なく、排気ガスにさらされて黒くすすけ、痛々しくさえ見える。

左は、安政年間(1854〜59)頃の玉川堤の様子である。手前の橋は小金井橋で、右手に柏屋という茶店があった。上の写真ほぼ同じ辺りの現在の様子である。

「玉川堤の花」(江戸名所百景)
(広重作 安政3年)

行幸の松付近の現在の様子

喜平橋で玉川上水は、ようやく五日市街道と別れる。その後、山家橋、八左衛門橋と過ぎ次の桜橋のところで西武多摩湖線が上水を横切っている。踏切を渡ったところにコンビニがあったので弁当を買い求め、適当なベンチを探しながら歩く。商大橋の先に適当なベンチがあったので、ここで昼食にする。12:10ごろだった。ベンチの前をひっきりなしに人が通る。犬と散歩している人、一人で散歩している人、ジョギングしている人、みんなのんびり、ゆったりしている。おなかもいっぱいになり、また元気に歩き始める。
少し先の柵の中にちょっとしたスペースが残っている。ここは小川水衛所の跡である。明治32年に淀橋浄水場が竣工するに先立ち、四谷大木戸、代田、久我山、小川など8箇所に水衛所が設けられたが、浄水場の廃止とともに順次閉じられた。

先ほどの桜橋から上流には玉川上水と並行して細い用水がもう一本掘られており、その分だけグリーンベルトの幅が広くなる。この辺からは、一橋大学、津田塾大学、小平中央公園などが続き、周囲の喧騒から離れた玉川上水独自の世界となっている。しかも、このような道が小平監視所まで6Km近くも続いているのだからすばらしい。

小川水衛所跡
玉川上水には8箇所の水衛所があったが、そのうちの一つがここにあった

商大橋先のベンチ
近くに一橋大学がある。ここで昼食とした

並行して流れる新堀用水

幅の広いグリーンベルトが続く

やがて、小平市立中央公園の建物とグラウンドがが見えてくる。少し先で西武国分寺線が玉川上水を横切っている。すぐ近くには鷹の台駅があり、上水べりを歩く人の数もさらに多くなってくる。散歩する人だけでなく、通勤、通学、買い物など通常の生活道路としても使われているようだ。土曜日の午後1時過ぎとあって、ちょうど下校途中の女子高生の群れに出会った。この辺にも白梅学園、創価学園、朝鮮大学、武蔵野美術大学など学校がたくさんある。

鷹の台駅付近の上水べり遊歩道

西武国分寺線鷹の台駅付近

やがて、小川橋を過ぎる。その少し先に「小川分水と新田開発」という小平市教育委員会の立てた説明板が立っている。少々長いが、引用させていただく。

「承応2年(1653)の玉川上水の開通は、江戸市民ののどを潤しただけでなく、武蔵野台地をも活気づけました。玉川上水からの分水によって飲み水が得られ、それまで原野だった場所が開拓されて人が住めるようになったのです。
小川村の新田開発が明暦2年(1656)に許可されて、最初に行われたのが小川分水を掘る工事でした。分水口は現在の東小川橋付近に設けられ、その大きさは1尺四方でした。・・・
その後、明治3年(1870)に玉川上水の北側に新堀用水が掘られます。野火止用水の取水口に接して新しい分水口が開かれ、小川分水から千川上水までの7つの分水口が埋められて1本の水路に統合されます。新しい分水口からここまでの900メートルは地下水路で、胎内堀と呼ばれています」

少し先で玉川上水に沿った緑道はいったん途切れる。その終点部分に「清流の復活」碑がある。その脇に大きな説明板が立っている。同じ説明板がこれまでにもたくさん立っていたが、さすがにここのが一番きれいで、文字もよく読めた。要は、昭和40年以降小平監視所より下流については水が途絶えていたが、昭和61年8月に清流がよみがえりました、ということである。なお、この玉川上水に流れている清流は、多摩川上流処理場の処理水をさらにろ過したものを利用している、という説明が記されている。

「清流の復活」碑
脇に大きな説明板があり、経緯と清流復活部分の地図が記されている。これによると、清流復活部分は約18Kmである

玉川上水緑道の終点
この先に「清流復活」碑、さらに先に小平監視所がある

説明板の脇から下に降りてゆく道がある。下には清流復活のスタート地点がある。下流方向に向かって踏み石が設けられ、その先端で写真をとるとなかなか絵になる。そこから上流方向に向かって少し上ってゆくと、「清流」の湧き出し口がある。人工的な岩の間を落ちてくる水と、下から湧き出してくる水の2種類がある。岩の間を流れ落ちる清流をイメージしたのだろうが、年月を経るうちに岩は黒iい藻のようなものがこびりついており、見た目はあまりよくない。また、処理水特有のにおいもほのかに漂う。ただし、水は透明でこの点では清流合格である。含まれる成分等についてはデータ的には水質基準は満足しているという。ただし、基準のない微量成分の環境に対する影響はまだ誰にも分からない。

さらに坂を登ってゆくと、小平監視所がある。フェンスに囲まれているので、全体の写真が取れないが、隙間から中をうかがうと鉄製のゴミよけ、コンクリート水路などが見えゴーゴーと音がする。
多摩川の羽村取水堰から取り入れられた水はここまで運ばれ、ここでゴミなどを取り除かれた後、地下の導水管を通して東村山浄水場に送られる。ここまでの玉川上水路は現役であり、現在も東京都民に飲料水を送りつづけている。かつて6ヶ所あった水衛所は現在はこの小平監視所のみとなったが、久我山までの水路の監視は現在も続けているのだという。

「清流」の湧き出す地点
岩の間から落ちてくる水と、地下から湧き出す水の2種類がある。原水は昭島市にある多摩川上流処理場の処理水である。

清流復活スタート地点
川の中に踏み石があり、その先端から写真をとると絵になる.
。スタート地点だけに水量は多い。川からの漏水のため、下流ほど水量は減少する

境浄水場内部の様子(フェンスからのぞく)
境浄水場の概要
使用開始:大正13年
主要施設:緩速ろ過池20池
原水供給:村山、山口貯水池より
給水地域:和田堀給水所を経て千代田、渋谷、世田谷、港、目黒区などに給水

境浄水場沿いの遊歩道
玉川上水に沿って境浄水場の長いフェンスが続く。桜通りと名づけられており、車の通行も少なく、五日市街道に合流するまで桜並木が約2Kmくらい続いている。

胎内堀出口付近の新堀用水下流
胎内堀の様子を見学できるように川辺まで降りる道がある。そこからの新堀用水下流の様子。現在、維持水として1日約1000トンの水が小平監視所から流されているという。

胎内堀の出口(新堀用水)
この辺りの玉川上水は深かったので、新堀を掘るにあたって、地表から掘り進めるのは大変だったので、地下トンネル水路を掘った。これを胎内堀といった(明治3年竣工)

玉川上水を歩く2

先週に引き続き、三鷹駅から小平監視所まで歩いた。今日(2005.2.12)も冬晴れで風もない穏やかな天気である。

小平監視所のすぐ先に西武拝島線および多摩モノレールの玉川上水駅がある。駅に着いたのは14:40頃だった。私は、ここからモノレールに乗り立川駅に出た。