村駅〜羽村取水口、第3水門〜羽村街道・新青梅街道〜羽村・村山線隧道遊歩道〜旧青梅街道・芋窪〜村山貯水池、山口貯水池〜西武球場前駅  
約15Km

JR羽村駅西口駅前からまっすぐに道がのびているので、これを道なりに進む。新奥多摩街道を渡り、さらに道なりに進むと奥多摩街道にぶつかり、すぐ目の前が羽村取水口である。道路を渡ると細い階段があり、降りてゆくと取水口の様子がよく見える。
前回、羽村取水口は江戸時代と基本的な考え方は変わっていないと書いた。この辺のことをもう少し詳しく観察してみたい。まず、川をせき止める「堰(せき)」の様子である。多摩川本流はここでせき止められ、すべての水が取水口から取り入れられる。この堰は「投渡(なげわたし)堰」と呼ばれるもので、江戸時代からの技術だ。現在わが国で見られるのは羽村だけだろうという貴重なものだ。投渡堰の横には「筏通(いかだとおし)」が設けられている。通常は厚板で閉じられているが、決められた日に開けて上流からの木材搬出の便を図ったという。しかし、青梅鉄道の開通とともにほとんど使われることはなくなったという。
取水口から取り入れられた水は、玉川上水に取り込まれる分以外は余水として再び多摩川に戻される。堰下は広いスペースを取ってあり、河床をいためないよう3段の段差が設けられている。この辺が、羽村取水堰の代表的な光景だろう。

次に、取水口の様子を少し詳しく観察してみよう。取水口の様子は奥多摩街道からも見えるが、ダンプなどが道幅いっぱいに走ってくるので、道路からの観察は危険である。階段を下りてからじっくりと観察しよう。
取水口(第1水門)は新旧あわせて全部で9個ある。多摩川本流の水は、すべてこの水門内に入り、少し先の第2水門で玉川上水に取り込む量を調節した後、余水は再び多摩川本流に戻す仕組みになっている。
いったん奥多摩街道に出て、少し先で多摩川河原に下りて水門に近づくと、多摩川側からの水門の様子がよく見える。こちら側から見ると、水門の水量調節の機能がよく分かる。

多摩川側から見た取水口の様子
手前側が大正時代に築造された新水門である。川には保守点検用のボート、浮遊物除去設備などが見られる

取水口(第1水門)の様子
5個の旧水門の西隣(右側)に新水門4個が大正時代に増設された。通常は、多摩川の水はいったんすべてここに取り入れられることになる

第2水門は比較的簡単な設備だが、ここで玉川上水に送り込む水量を調節している。余った水は、水門手前の吐水口から多摩川に戻す。第2水門からさらに400mくらい下流に第3水門がある。この水門で村山・山口貯水池に向かう水が分水される。奥多摩街道側から見ると、水門を出た水がゴーゴーと音を立てながら隧道内に流れ込んでゆく様子がよく見える。ここから始まる羽村・村山線の隧道工事は、東京市水道拡張工事の一環として大正13年に竣工した。
今日は、これからこの隧道に沿って村山・山口貯水池まで歩く予定である。

第3水門の前の奥多摩街道を渡ると、細い急な階段がある。これを上ってゆくと広い空地になっており、近くに「羽ヶ田上遺跡」の説明板が立っている。それによると、この付近には縄文中期の大規模な集落があったようだ。
さて、これからどのように進もうか。地下水路はここから村山貯水池まで、ほぼ直線でむすんでおり、途中で米軍横田基地内を通っているということだ。地下水路に沿ってそれらしい保守用道路でもないかと探してみたが、特にそのようなものもないようだ。そこで、地下水路沿いに歩くという目標を変更し、とにかく分かりやすい道を村山貯水池まで歩くことにした。

「羽ヶ田上遺跡」付近の様子
近くに「羽ヶ田上遺跡」の説明板がある。この辺には、縄文人の大規模な集落があったという

段丘上より第3水門を望む
奥多摩街道を渡り階段を登ると、見晴らしのよい場所に出る

羽村の鉄道線路から多摩川方面は、道が非常に不規則で分かりにくい。羽村駅方面に戻る感じで屈折した自動車道路を進んで鉄道線路を渡ると、それから先はまっすぐな道が続いている。これが通称羽村街道で、箱根ヶ崎付近で新青梅街道にぶつかるまで約3Km続いている。ウォーキングにはまったく適さない道であるが、大変分かりやすいので坦々と歩く。
新青梅街道に出てしばらくゆくと、残堀川を越える。玉川上水と立体交差していた川である。ここでは細いながらも水が流れている。そこから少しゆくと、まっすぐなサイクリングロードが新青梅街道を横切っている。私は、これが水道道路だなと直感し、この道を進むことにした。案の定、近くに東京都水道局の標識が立っていた。この道が羽村から続いていればよいのだが、途中に横田基地があるため連続した道にはなっていないのだ。私は、羽村からここまで大迂回してきたことになる。

まっすぐな舗装された自転車道を20分ほど進むと、前方にトンネルが見えてくる。自転車、歩行者専用のトンネルだ。この付近は丘陵地帯で、このようなトンネルがこの先にも全部で4つ設けられている。トンネルの内部は、自転車が2台すれ違えるほどの広さである。なお、この道の下を通っている水道用の隧道は、馬蹄形をしていて高さ、幅が約11尺というから、このトンネルを約1.5倍したようなものと考えればよいのだろう。そこに多摩川の原水が流れている。

トンネルは、横田トンネルの後、赤堀、御岳、赤坂トンネルと全部で4つ設けられている。先に行くにしたがってだんだんと林の中の道となる。最後の赤坂トンネルを抜けて少し行くと舗装が途切れ、道が二手に分かれる。とりあえずまっすぐに行ったが、少し先のトンネルが閉鎖されており、通行不能である。仕方ないので元に戻り、右の道を行く。途中でジョギングをしている人に出会ったので、多摩湖への道をたずねた。それによると、これを道なりに行き、旧青梅街道を経て芋窪交差点から丘陵を登ってゆくしかないようだ。遊歩道をたどってゆけば多摩湖につけると思ったのは甘かった。

遊歩道の分岐点を出てから旧青梅街道の芋窪交差点まで約30分かかった。ここで左に曲がり、坂道を登ってゆく。私は、これまでに何回か車で多摩湖(村山貯水池)方面に来たことがあるが、そのときもやはりこの坂を登ったのを思い出した。まだ観光シーズンではないので、車の数は少ない。坂の頂上付近に立派な陸橋が架かっているので、登ってみた。ここには多摩湖自転車道が通っており、ここがちょうど休憩所になっていた。この自転車道は、境浄水場付近をスタート地点とし、多摩湖、狭山湖を周回して都立狭山公園までの全長約22Kmに達するサイクリングロードである。村山貯水池〜東村山浄水場〜境浄水場を結ぶ送水管の上に設けられているという。この案内図を見て、俄然、この道も歩いてみたくなった。もちろん今日は無理なので、日を改めてチャレンジしよう。


多摩湖自転車道・鹿島休憩所付近
多摩湖自転車道が都道と立体交差しており、橋の近くに休憩所が設けられている

旧青梅街道からの登り道
10分くらいこのような道を登ってゆく。通る車は少なかった

自転車道を降り、もとの都道を少しゆくとようやく広々としたところに出る。この都道は村山貯水池の上貯水池と下貯水池を分ける堰提の上を通っている。この道には歩道が設けられていないので、下貯水池側に降りてゆき、貯水池沿いにつけられた歩道を進む。ところが、どうしたことか下貯水池の水が干上がっている。かつて満々と水を湛えていた湖面には枯草原が広がり、水は遥か遠くに見えるだけである。この光景に対する説明板などはないので、久しぶりにここを訪れる人は戸惑ってしまうだろう。この謎は、次の山口貯水池(狭山湖)を訪れると解ける。下貯水池の対岸に上り、さらに立体交差する多摩湖自転車道に上ると上貯水池の様子がよく見える。こちらは、満々と水を湛えている。

上貯水池堰提方面を望む
対岸の多摩湖自転車道から上貯水池の様子がよく見える。
村山貯水池の概要
村山下貯水池 村山上貯水池
貯水量 1184万立方メートル 298万立方メートル
完成 1927年(昭和2年) 1924年(大正13年)

あれ?村山下貯水池に水がない!
かつて満々と水を湛えていた下貯水池には、枯草原が広がるばかりで、水は遥か遠くに見えるのみ

ところで、少々おなかがすいてきた。時計を見ると14時を過ぎている。湖畔まで行けば何かあるだろうと思って途中で何も買ってこなかったのだが、近くには何もない。すぐそばに大きな西武球場があり、その正門前に西武線の駅があるはずなので、そこまで歩くことにする。西武球場駅前の食堂で食事をしたのは14:30頃だった。今日は、羽村を歩き始めたときには晴れていて暖かかったのだが、午後からは厚い雲におおわれ、今にも雪がちらつきそうな雲ゆきである。寒い中、おなかをすかせながら歩いていたので、食堂に入ったときにはホッとした。食堂の近くから山口観音を経て、山口貯水池堰提に出る道がある。おなかもいっぱいになり、元気に観音様への階段を上ってゆく。

頂上にある立派な五重塔
階段を上ってゆくと本殿があり、さらに登ると、木々の間から立派な五重塔が望める。新しいが、なかなか立派なものである

山口観音への山門
西武球場方面から山口貯水池へ行くには、この山門を通って階段を上ってゆくのが近道である

観音様の道を登りきると、自動車道に出る。これを少しゆくと、山口貯水池(狭山湖)堰提方面に出る歩道が設けられている。15時頃、ようやく今日の終点、山口貯水池堰提についた。実は、私は6年ほど前(1998年12月)にこの場所に来ている。そのときには、このあたりは堰提の工事中で、付近には水がなく、殺伐とした光景だったことを思い出した。そうです、村山下貯水池では、そのときの山口貯水池と同じ工事を現在やっている最中なのです。
平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災をきっかけに、水道施設の耐震性の向上が計画され、その一環としてこの山口貯水池の提体と取水塔の強化工事が行われた。この工事は平成14年11月に完成し、かつての景観を取り戻した。

補強された山口貯水池提体
山口、村山貯水池提体は、アースダム(土を締固めて築造されたダム)で、当時(昭和9年)としては最新の土木技術で工事が行われたというが、より安全性を求めて、平成14年に補強工事が完成した

山口貯水池、取水塔
耐震工事の一環として、この取水塔の補強工事も行われた。取水塔は二つあり、一つは東村山浄水場および境浄水場に原水を送る施設。もう一つは村山下貯水池に原水を送る施設である

堰提の上は立派な歩道がつけられており、歩いて渡ることが出来る。貯水池は満々と水を湛え、反対側を見ると,下のほうには民家の密集地帯が広がっている。阪神大震災級の地震がきたらと思うと気が気でないという気持ちも十分に理解できる地勢だ。
10年程前、私は富士山の写真にこっていたことがある。その頃、この同じ場所で夕日の残光に浮かびあがる富士山の写真をとったことがある。そのときの感動を、そのときの寒さとともに思い出した。
西武球場駅には16時頃着いた。ここから西武新宿までは50分ほどである。
さて、次回は村山貯水池から境浄水場まで、多摩湖自転車道を歩いてみようと思っている。


  


狭山湖とシルエットの富士山
夕日が沈むとともに、それまでぼんやりしていた富士山が、シルエットとなってくっきりと浮かび上がった。このときの感動を今でも忘れない。(1994年1月15日、17時頃、左の写真と同じ場所で撮影)

堰提を渡りきった場所から湖を眺める
山口貯水池の概要
山口貯水池
貯水量 1953万立方メートル
完 成 1934年(昭和9年)

羽村堰下の様子
吐水口からは勢いよく水が流れ出しており、河床を傷めないよう、3段の段差が設けられている。この辺が羽村取水堰の代表的な光景だ

取水堰(投渡堰)の様子
堰には4つの石造の支柱があり、その間に鉄製の桁を渡し、それに多数の松の丸太を縦に並べて間を粗朶(そだ)や木の皮を束ねたもの、砂利などで水をせき止める。大水などのときは、桁を上げると丸太(投渡木:なぎ)が外れて堰が取り払われる仕組みになっている

第3水門の様子(奥多摩街道側より)
ここから村山貯水池へ約8Kmの隧道(水道トンネル)が始まる

第2水門の様子
ここで玉川上水に送り込む水量を調節する

羽村と村山貯水池を結ぶ水道道路
この下を地下水路が通っている。途中に横田基地があるため、羽村からの連続した道路にはなっていない。
歩行、自転車専用道路である

新青梅街道から見た残堀川
残堀川の水源・狭山ヶ池は、ここから約1Kmほどのところにあり、細いながらも水が流れていた

トンネル内部の様子
このトンネルの下を通っている水道用の隧道は、同じような形で、これよりもやや広いものらしい

横田トンネル
武蔵村山市の野山北公園自転車道のトンネルで、夕方にはシャッターが閉められるようになっている

赤坂トンネル先の分岐路
左にまっすぐ行くと行き止まり。右に行くと少し先で一般道路に出る

赤坂トンネル付近の様子
このような調子で小さな丘陵をいくつか越えれば多摩湖に着くのかと思ったが、それは甘かった

玉川上水を歩く4

前回歩いた後、次は野火止用水を歩こうと思っていたのだが、羽村取水堰をもう少し詳しく観察したいのと、村山・山口貯水池にも足をのばしてみたいという気持ちが強くなった。そこで、今回は羽村取水堰から村山・山口貯水池まで、できるだけ地下の隧道に沿って歩いてみることにした。(2005年3月12日)