安食(あじき)駅〜長豊橋〜常総大橋〜滑川駅  約14Km
    《オプション》 安食駅〜酒直水門〜印旛沼〜安食駅
  

安食駅から滑川駅までは1999年12月4日に歩いたが、2006年6月10日に歩きなおした。このときは、まず安食駅から印旛沼のほとりまで歩き、その後、駅まで戻って滑河(なめがわ)に向かった。

安食(あじき)駅〜酒直水門〜北印旛沼〜安食駅

JR成田線安食駅で下車し、駅前の県道を川とは逆方向の成田方面に進む。500mほど歩くと、「甚兵衛渡し」への道標が出ているので、これに従い右に曲がる。あとはこの道標が要所に出ているので、これにしたがって進む。しばらくすると、長門川が見えてくる。この川は印旛沼と利根川を結ぶ川で、かなりの水量がある。川辺には釣り人の姿もちらほら見える。この川に沿って30分くらい歩くと前方に水門が見えてくる。酒直水門である。酒直水門は北印旛沼の東端付近に設けられた水門で、印旛沼全体の水量調整の役割を持った重要な施設である。ここに道標が立っており、印旛沼の甚兵衛渡しまではここから6.3Kmとある。これは少し遠すぎるので、ここでそのルートを外れて、水門を渡りそこから長門川沿いにまっすぐつけられたサイクリングロードを進むことにする。

酒直水門からサイクリングロードを20分くらい歩くと印旛沼が見えてくる。
ここで印旛沼について簡単に紹介しておこう。(詳細については、関連リンク参照)
印旛沼は、長門川と鹿島川が流入する千葉県北部の沼で、新川(花見川)を通じて東京湾に排水される。昔は面積が20.5平方キロあったが戦後干拓が進み、干拓前の半分に縮小され、しかも北印旛沼と西印旛沼の二つに分かれた。二つの沼は印旛捷水路と中央排水路でつながっている。
1960年以降、流域人口の増加に伴い印旛沼の水質指標は悪化し、水質汚染は手賀沼に次ぐ全国有数レベルになった。(近年は手賀沼の方が水質指標は若干良好である)
古くから利根川の氾濫により印旛沼周辺の村々は大きな被害を受けていたため、江戸時代に入って沼の水を江戸湾に流すという掘割工事と干拓事業が行われた。田沼意次や水野忠邦などが取り組んだが、財政難や失脚などによりいずれも成功しなかった。
現在、印旛沼の水は周囲の農協用水などのほか千葉市、習志野市、船橋市の飲料水として使用されている。
私はかつて、印旛沼近辺の佐倉市に4年ほど住んでいたことがある。休日には子供たちをつれて、車で沼の周辺などを巡った思い出がある。印旛沼の見える道を歩きながら、ふと、そんな頃のことを思い出した。沼の全貌が見える場所まで行き、写真を撮った後ここから引き返すことにした。ちょうどこの辺りに大きな望遠レンズをつけたカメラマンが5、6人いた。何を狙っているのか聞いてみたところ、「サンカノゴイ」がいるのだという。聞いたことのない名前だが、大きな白いゴイサギでこの辺りに営巣しているらしいということだった。

安食駅から印旛水門

元来た道を安食駅まで戻る。往復で2時間近くかかっている。ここから今日の本来の目的、利根川歩きのスタートである。
駅前の県道を今度は川の方向に歩く。JRの踏切を渡り、さらに行くと県道が国道356号線と合流する安食交差点に出る。古くからの街道で道幅も狭い上にダンプカーの通行も多い。交差点の両側に古い大きな建物があるが、騒音と振動で大変だろう。現在は少し先にバイパスができたのでだいぶ緩和されたようだが。
この交差点の近くに大鷲神社がある。急な53段の石段を登ると社殿がある。その昔、日本武尊が東征の折、この地で祖神を祀ったところ大鷲が飛来して道しるべとなったと伝えられる神社である。社殿を少し下ったところに「魂生大明神」と記した小さな社があり、中には木彫り、石彫りの大小さまざまな「金精様」が祀られている。

安食交差点から先は国道356号線、通称「利根水郷ライン」となる。少し先でバイパスが合流し、交通量がぐんと増える。これから先、この国道は銚子まで利根川の土手と並行してずっと続くことになる。土手に上って上流方向を眺めると大きな水門が見えるので、まずそちらの方へ向かう。
この水門は印旛水門である。印旛沼からの水をここから排水、あるいは取水する。私が見たときは沼からの水が利根川に排水されている状態だったが、渇水期などは逆に利根川の水をここから取水するのだろう。この水門と、先ほど見た酒直水門の連携によって印旛沼の水量を調節している。これらの設備のない時代、利根川が氾濫すると印旛沼は暴れ沼となり、周辺に多大な水害をもたらした。近くにある「印旛水門の碑」によれば、大正11年に完成したこの水門により周辺の町村はついに水害から守られることになったという。

印旛沼の利根川への注水点
この日は印旛沼の水は利根川に排水されていた。渇水期にはここから利根川の水を取り込む

印旛水門
印旛沼周辺を水害から守る守護神といえるだろう。近くに大きな排水機場もある

印旛水門から長豊橋へ

印旛水門の辺りで時計を見ると12:40。ちょうどよい時間なので、この近くの土手脇に座って川を眺めながらの昼食にした。今日(6月10日)の天気は薄曇り、風も爽やかで気持ちがよい。
おなかもいっぱいになり、元気に土手の上を歩き始める。少し歩くと対岸の河原から軽飛行機が軽やかな音を響かせながら空に舞い上がった。対岸の茨城県側に小型機専用の大利根飛行場があるのだ。
土手の道はサイクリングロードになっており、快適に歩くことができる。このような道は大またでリズミカルに歩くのがよい。景色はあまり変わらないし道も安全なので、歩くことは足に任せて頭は別のことを考えていればよい。私は、近頃はこれからの歩きのプランとかHPの構成、文章表現などを考えていることが多い。考え事をしながら、ふと気がつくとさっき遠くに見えていたものがすぐ近くに見えることがある。ああ、もうここまで来たんだと元気が出てくるものだ。
サイクリングロードよりかなり下の位置を走っていた国道356号線が、土手とほぼ同じレベルを走るようになってきた。この区域は須賀スーパー堤防といい、国道も堤防の一部になっているのだ。私が1999年に同じ場所を歩いた時には、ちょうどこの工事中だった。今回は、その完成した姿を見ているわけだ。

須賀スーパー堤防
この区域では国道356号線も堤防の一部になっている

対岸の大利根飛行場
小型飛行機専用の飛行場で、時折軽やかな音を響かせて小さな飛行機が大空に舞い上がる

須賀スーパー堤防はやがて途切れるが、さらにしばらく歩くと矢口(やこう)スーパー堤防となる。スーパー堤防では堤防の幅を大きく広げ、その上に工場やマンション、ホテル、店舗、スポーツ施設などを建築し、地盤を強化して堤防の決壊を防ぐ。それに要する大量の土はトンネル工事、ビル工事などから出る残土を利用し、地盛りの費用や引越しには国が資金援助するというものである。矢口のスーパー堤防は平成4年に完成し、その後のモデルとなった。現在、ここにはたくさんの工場が建ち並んでいるが、その一角に「スーパー堤防発祥の地」碑が建っていた。、私がこれまで歩いた隅田川、荒川などでもかなりの数が完成あるいは工事中だった。それらの一番最初のものがこの矢口のものだったのだ。(右写真は紀文工場脇に建つ記念碑)
やがて、遠くに見えていた赤い橋が近づいてくる。成田市とつくば市方面を結ぶ国道408号線の通る長豊橋である。

長豊橋
成田とつくば市方面を結ぶ国道408号線が通っている

矢口スーパー堤防
右手の紀文工場敷地脇に「スーパー堤防発祥の地」碑が建っている
(平成4年12月完成)

長豊橋から常総大橋、滑川(なめがわ)駅へ

長豊橋を過ぎると、これまでの舗装されたサイクリングロードは舗装がなくなり普通の土手道になる。また、この辺りから頭の真上を大きなジェット機が通り過ぎるようになる。ちょうど成田空港への着陸ルートに当たっているようだ。また、これから先、十日川、根木名川やその分岐川などの小河川が多く、小さな水門と排水機場が次々に現れる。そのうちの一つ根木名川水門では歩行者も国道を歩かなければならない部分が100mくらいある。このようなところでダンプと大型トレーラがすれ違う状況になったら大変だ。ちょうど私が歩いている時にそのような状況になり、大型トレーラは私の直前で停車し、ダンプの通り過ぎるのを待っていた。私も避ける余地がないのだ。国道356号線はそのような道なのだ。通常は土手上を歩けるのでこのようなことはないのだが、このときは恐ろしかった。その先はタンタンと土手の道を進み、やがて前方に橋が見えてくる。常総大橋である。この橋からほど近いところにJR成田線、滑川駅がある。今日のウォーキングはここまで。駅に着いたのは15:30だった。

常総大橋
この辺りで海からの距離が約55Kmである。この橋からほど近い場所にJR成田線、滑川駅がある

根木川水門付近の堤防の様子
この辺りで国道は堤防の高さと同じになり、地形の関係で歩行者も国道を歩かざるを得なくなる。この間約100mは歩行者にとっては恐ろしい区間だ

印旛沼東端にある酒直水門

印旛沼と利根川を結ぶ長門川

サイクリングロードから望む印旛沼
私はこの辺りで引き返したが、道は沼を巡ってさらに先まで続いている

印旛沼を巡るサイクリングロード
酒直水門の先からこのような道が続いている。沼の近くで5、6人のカメラマンがサギを狙っていた

大鷲神社
日本武尊関連伝説を持つ古い神社である

安食交差点
我孫子からの国道356号線がこの交差点で左に曲がる。交差点脇に古い竹村旅館、石井眼鏡店の建物が残っている

利根川を歩く2