鹿島神宮〜北浦〜鰐川(わにがわ)〜外浪逆浦(そとなみさかうら)〜常陸利根川〜息栖(いきす)神社〜小見川大橋(利根川)〜小見川駅  約19Km

利根川の歩き旅も河口近くなり、いわゆる水郷の様相を呈するようになってきた。水郷といえば霞ヶ浦を含めた広い範囲をさしている。利根川と水郷地帯とは切っても切れない関係があるというわけで、今回(2006.6.30)改めて水郷地帯を歩くことにした。鹿島神宮から北浦、常陸利根川を経て小見川大橋まで行き、ここで前回のコースと一緒になる。

JR鹿島線で鹿島神宮へ

JR鹿島線は、香取駅を出たあと成田線と分かれ、長い鉄橋で利根川を渡る。十二橋、潮来、延方と水郷地帯の駅に停車し鹿島神宮駅に到着する。JRはこの駅が終点だが、ここから鹿島臨海鉄道に乗り換えれば水戸まで出ることができる。
電車は潮来(いたこ)駅を出たところで常陸利根川を渡る。遠くに潮来大橋が見えるが、霞ヶ浦は霞んで見ることはできない。今日(2006.6.30)は梅雨の合間で曇りだが、この辺りは靄がかかって視界はあまりよくない。今日の歩くコースとしては、潮来駅を起点とするコースも考えたが、鹿島神宮にもぜひ寄りたかったので、鹿島神宮から北浦、常陸利根川を経て小見川駅に出るコースとした。
鹿島神宮駅に到着する少し手前で、電車は北浦にかかる長い鉄橋を渡る。北浦は霞ヶ浦よりも太平洋側にある湖で、昔は霞ヶ浦と同じ入海(浦)を形成していた。(参考図参照)

鹿島神宮

鹿島神宮は駅から歩いて10分くらいのところにある。道にはレンガが敷いてあり分かりやすい。
松尾芭蕉は貞享4年(1687)、曾良を伴って『鹿島詣』の旅に出た。『奥の細道』の旅に出る2年前のことである。江戸の芭蕉庵から船に乗り、小名木川を通って行徳河岸まで行き、そこから木下(きおろし)街道を約30Km歩いて利根川べりの布佐に着いた。布佐に着いたのは夕暮れ時。ここで少し休んだ後、夜舟に乗って約54Km下って鹿島神宮に着く。鹿島神宮に詣でた後、近くの根本寺に禅の師仏頂和尚を訪ねて1泊し、雨後の月見を楽しんでいる。

鹿島神宮は常陸一ノ宮で、香取神宮や息栖神社と並んで関東きっての名社である。奈良時代、常陸の防人(さきもり)たちはここにお参りして道中の無事を祈ってから出発したことから、旅立ちのことを『鹿島立ち』というようになった。平安時代には朝廷より奉幣使が遣わされ、鎌倉時代には源頼朝も崇敬していた。
木造朱塗りの大きな楼門をくぐると、右手に拝殿や本殿が見える。さらに鬱蒼と樹木の茂った広い参道を進んでゆくと奥宮がある。これは徳川家康が本宮として造営したもので、国の重要文化財となっている。

鹿島神宮奥宮
慶長11年(1609)、徳川家康が本宮として造営したもので、桧皮ぶきのきわめて質素な建物。国の重要文化財

鹿島神宮拝殿
元和5年(1619)、徳川秀忠により造営された

鹿島神宮楼門
寛永11年(1634)、水戸藩主徳川頼房が寄進した高さ10mほどの門

北浦から鰐川(わにがわ)を経て外浪逆浦(そとなみさかうら)へ

鹿島神宮の参詣を終え、国道51号線に出て北浦方面に向かう。国道は北浦を神宮橋で渡るが、その少し上流側にもう一本の橋がある。バイパス国道の新神宮橋である。橋の近くに「北浦左岸0Km」の表示板が立っていた。この地点から上流側を「北浦」と区分しているのだ。広い北浦を十分に眺めた後、下流側に向かって歩き始める。ここから下流側は「鰐川(わにがわ)」という名称になるが、感覚的には北浦の一部である。
川に沿って少し行くと、大きな鳥居が見えてきた。特に何も説明はないのだが、鹿島神宮の一の鳥居なのだろう。この辺りの河川は改修に次ぐ改修を行っているはずだから、かつてここにあったのかどうか分からないし、歴史的に価値のある建造物かどうかは分からないが、昔の人はこの辺で舟を降りて鹿島神宮に向かったのだろう。

北浦のほとりに立つ鹿島神宮一の鳥居
この辺はいろいろと改修工事がなされているだろうから、この位置にあったかどうかは分からない。現在、ここからはっきりとした参道が続いているわけではない

北浦に架かる三本の橋
中央に新しい国道バイパスの「新神宮橋」、左側に国道51号線の「神宮橋」、右側にはJR鹿島線の鉄橋と狭い区間に3本の橋が架かっている

北浦から鰐川と名前が変わった水辺には遊歩道が設けられている。2Kmくらい歩いたところで小さな川が流れ込み橋がないので迂回しなければならない。迂回して橋を渡り、再び鰐川に戻って先に進む。やがて前方に赤い橋が見えてくる。水郷有料道路の鰐川橋である。この辺で時計を見ると13時を過ぎていた。景色もよいので川のほとりにすわり昼食にした。この鰐川橋の少し先で川巾はぐっと広くなり、霞ヶ浦から流れてきた常陸利根川と合流する。

鰐川橋(水郷有料道路)
この橋の少し下流側で鰐川は終わり、外浪逆浦(常陸川)となる

鰐川沿いに設けられた遊歩道
川といっても北浦の延長のようなもので、堤防(土手)はない。水際近くをを遊歩道が通っている

外浪逆浦(そとなみさかうら)

霞ヶ浦から流れ出た常陸利根川と北浦からの鰐川が合流し広くなった部分は外浪逆浦(そとなみさかうら)と呼ばれている。先ほどの古い地図の中で外浪流海と記されている部分である。この辺は名称がややこしい。近くに名称入りの略図があったので参考に掲載しておこう。霞ヶ浦と北浦から流れ出た川は常陸利根川となって常陸川水門で利根川に合流するのだが、それぞれの部分に管理上の名前がつけられているということだ。

息栖(いきす)神社

常陸利根川左岸の堤防の上を歩いてゆくと小さな水門があり、水門を入るとちょっとした船着場になっている。その先には大きな鳥居が建っている。息栖(いきす)神社である。この神社も川に向かって一の鳥居が設けられているのだ。
江戸時代、この辺りには息栖河岸があり、東国三社(香取、鹿島、息栖)参詣の人々や下利根川地方遊覧の人々が各地から押し寄せ、大変な賑わいを見せた。旅人の中には松尾芭蕉をはじめとして多くの文人、墨客もこの息栖神社を訪れ、その足跡を残している(説明板より)。
一の鳥居から参道、山門を通って本殿にいたる。鹿島神宮より規模はずっと小さいが、立派なものである。
参詣を終えて土手の上に戻ると、珍しい光景に出会った。土手の上に黒い服装の人たちが集まり、何かを待っている。そのうち1艘の小さな舟が水門をくぐって現れ、沖に向かって進んでゆく。舟には神主さんらしき人や黒い服装の人々が5,6人乗っている。見ていると、岸から100mくらい離れたところで停まり、何かの儀式をした後戻ってきた。この間5分ぐらいだろうか、土手の上の人たちもずっとその様子を眺めている。私はちょっと離れた場所にいたので人に聞くわけにはいかなかったが、恐らく葬儀の後、遺灰を川にまく儀式をしていたのだろう。ヒンドゥー教ではガンジス川に遺灰を流すことを無上の喜びとしているが、日本にもこのような風習が形として残っているところがあるのだ。

儀式を終え岸辺に戻ってきた小舟
葬儀後、遺灰を川に撒く儀式をしていたようだ

息栖神社本殿
境内の広さは鹿島神宮などとは規模が違うが、東国三社の一つとして信仰の篤い神社である

息栖神社一の鳥居
かつて息栖河岸となっていた場所。神社参詣や物見遊山の舟客で賑わった

息栖大橋(常陸利根川)、小見川大橋(利根川)を渡って小見川駅へ

また、土手の上を歩き始める。小さく見えていた息栖大橋が近くなってきた。今日はこの橋で常陸利根川を渡り、さらにその少し先の小見川大橋で利根川を渡ってJR成田線の小見川駅に出る。
息栖大橋から眺める常陸利根川は広々としている。かつては利根川と一体となってさまざまに流路を変えながら現在のような姿になっているのだ。橋を渡りきってさらにまっすぐに1Km足らず進むと今度は利根川にかかる小見川大橋になる。私は、この橋は前回すでに渡っており、ここで前回のコースと合流するわけだ。橋を渡り、利根川土手の上を少し歩いてから土手を降り、駅の方向に向かう。JR小見川駅に着いたのは16時頃だった。

今回のコースは利根川本流からは少し外れたが、利根川を大きくとらえるためには大変参考になった。さて、次回はいよいよ河口の銚子に到達する予定である。


  

利根川に架かる小見川大橋
国道356号線と124号線を結ぶ県道で、交通量は結構多い

常陸利根川に架かる息栖大橋
橋の少し下流側に利根川との連絡水門が設けられている。船の通行の便を図っているのだろう

外浪逆浦

手賀沼

牛久沼

印旛沼

霞ヶ浦

北浦

この図は、奈良時代に作られた「常陸国風土記」の記述などをもとに作られたこの時代の地形の再現図である。古代から中世中期(鎌倉、室町時代)くらいまでは次第に縮小しながらもこのような状態が続いたと考えられている
地図上の青字は現在の名称であるが、霞ヶ浦、北浦、外浪逆浦などは当時すべて入海であり、印旛沼、牛久沼、手賀沼などもこの入海と区別がつかない状況だった。なお、当時の利根川は東京湾に注いでおり、現在のように流路が変えられたのは江戸時代になってからである。

(参考図) 古代から中世中期までの下総と常陸の地形
            (「
江戸・東京の川と水辺の事典」  鈴木理生編著より)

利根川を歩く5

車窓からの北浦(北浦左岸)
鹿島神宮駅の手前で電車は北浦のかかる長い鉄橋を渡る

車窓からの常陸利根川(右岸)
潮来駅を出たところで電車は常陸利根川を渡る。遠くに潮来大橋が見え、さらにそのずっと先に霞ヶ浦がある

表示板の地図(参考)
図の常陸川水門で利根川に合流する

常陸利根川

常陸利根川

鰐川

外浪逆浦(そとなみさかうら)の様子
右側上部から霞ヶ浦から流れ出した常陸利根川が流れ込み、右側からは北浦からの鰐川が流れ込む。全体として広い浦になり、外浪逆浦と呼ばれる

外浪逆浦